【2,戦闘】
夕暮れも近くなり、春の気温が肌寒いものと化す。暁斗は寒さを紛らわす為自分で淹れたばかりのコーヒーを啜った。……が、一口啜り顔をしかめる。熱かったのもあるが、それをさらに超越した理由がそれにはあった。
この成王学園では教師1人1人につき与えられる教務室と言うものがある。そこにはソファーやデスクはもちろん、休息には欠かせないコーヒーメーカーたるものが備えられていた。
少しばかり裕福な家庭で暮らしてきた暁斗。その為衣食住の類(たぐい)は必要最低限の事以外ほぼ使用人に任せっきりだった。ゆえにコーヒーを淹れる作業なんてしたことがなく……先ほど初体験を済ませたのだが、やはり失敗したようだ。
白い紙コップの中には溶解度を超えたドロドロのコーヒーが我が物顔に居座っている。今さらだが暁斗は彼らの必要性を実感することとなった。いつもすまない、と今すぐ感謝の気持ちを伝えたいくらいだ。
…水を足せば少しは良くなるだろうか。
溶けきれていないとはそういうことだろうと危険な考えを頭にコーヒーを持って立ち上がる。その時僅かに開いていた窓からいたずら風が侵入し、デスクにあった明日の授業資料を数枚さらって行った。
僅かに眉根を寄せ、近くにあったローテーブルにコップを置く。そして足早に窓際へ寄っては中途半端に開いていた窓を閉めにかかった。
窓越しに夕暮れが顔を見せている。入学式は午前中に終わったのだ。窓から見える中庭に人影は見当たらない。生徒達は全員保護者と一緒に帰ったのだろう。
寒さ対策にとカーテンを閉め、プリントを拾い集めようと暁斗は振り向いた。
……その時。
「!」
すぐ目の前まで迫っていた"影"に反射的に左へ跳ぶ。一回転しつつも受け身を取り、すぐさま体勢を立て直した。
「キェキェキェキェキェー!」
この世のものとは思えない声がその"影"から上がった。全身が黒く歪み、四方から人型のように細長い手足が伸びた、その生き物……否、化け物。
それは明らかに暁斗を目前に興奮していた。
「油断していた……、まさかこんな時間に現れるとは…」
全身をクネクネと気色悪く揺らすソレを一睨みし、一瞬瞳を細める。
そして次の瞬間には、先ほどまでにはなかった光が彼の瞳に現れていた。
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校門前に一台の高級車が停まっていた。それに腕を組み寄りかかる1人の男。燕尾服に身を包み、かれこれ30分は主の帰りを待っている。
通りかかる者には会釈を忘れず、子供が通れば腰を落としてその頭を撫でてやる。男女問わずに好青年のような笑みを見せていたからだろう。この30分で彼はすっかり女性達に囲まれ質問攻めにあっていた。
「あの!失礼ですがどちらのお家の方ですか!?」
「ここにいるってことは今日この学園に入学してきた生徒の執事様ですよね!?」
「か、彼女とかって、ズバリいます!?」
車と男を取り囲むようにして出来た通りすがりの群れ。その中心で一際背が高く目立っているその男はどうやら質問に答える気はないらしく、やんわりと苦笑し沈黙を守っている。
笑い目なのだろう。目を細めれば自然と目尻が下がり、口元の笑みと合わさって絶妙な甘さが彼に生まれる。
甘いマスクで苦笑して。それでも諦めてくれない者がボディタッチをして来るのには流石の彼も困ったようだ。組んでいた両手を解くと、スッとその手を上に上げる。
「待った。…俺には心に決めた人がいるので」
そう言って"降参"とばかりに苦笑すると女達が再び熱を上げ始めた。黄色い声が満ちたその中心で困った顔をしていた男は、ふと、体に緊張を走らせる。
ピクリと何かに反応したように動く体。瞳を校舎に走らせ、その"位置"を確認する。
「……すみません。主が呼んでいるようなので」
車にもたれていた体を起こし、万人受けするだろう笑みを武器に群れの中から抜け出す。そして無事そこから離れるとまるで本当に呼ばれているかのように校舎へと一直線に駆けて行った。
夕日に照らされた高級車と不思議に見送る彼女達を残して。
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「暁斗!」
勢い良く教務室のドアを開けると両手に剣を構えた彼が目に飛び込んで来た。辺りにはプリントだろう書類が幾数も散らばっており、中には破れているものも見受けられる。
そんな中、黒く歪んだ影に向かって片方の剣が素早く投げつけられた。人間であるなら心臓だろう位置に深々と刺さったそれを見て、何故か男は緊張を解く。
「キィー!」
鼓膜が破れるような悲鳴と共にソレは跡形もなく消えて行った。残ったのは僅かな塵と、壁に刺さる鋭利な曲剣。
それを壁から引き抜けば壁の傷はみるみるうちに消えて行き、最後には剣など刺さっていなかったように綺麗さっぱり平らとなる。
しかしその不可思議な現象には目もくれず男は彼に歩みを進めた。"主"の安否を確認する為、僅かに乱れたスーツに目を走らせる。見たところケガはないようだ。ホッと小さく息を吐く。
「…ご苦労さま。まさかこんな時間に出るとは思わず油断していました。すみません、守ってやれなくて」
彼の瞳は不思議と黄金に底光りしている。しかし男は何事もないように双剣の対を彼に差し出した。
剣を手に彼が一瞬瞳を閉じる。その瞳が次に男を映した時にはあの黄金の輝きはなく、そして手にあった2本の曲剣も見事に消え去っていた。
「……いつもと違う手応えを感じた」
唐突に話を振られ面食らう。……こともなく、慣れた様子でその話を男は聞き返す。
「それは…強さが違っていた?」
「それもあるが…もっと、……根本的ななにかだ」
じゃあ何だ、と聞くことはなく彼の導き出す答えを待つ。ついでに辺りに散らばっていたプリントを拾い集めた。破れた分を丁寧に省き、1つの束にしてデスクに置く。そして再び彼に視線を送れば未だに考え込んでいる様子。
難しい顔をしている。検討が付かずついには首を振る彼に苦笑していると、ふと視界に入った妙な物体。
思わずソレに目を丸くしていれば、気が付いたのか彼が僅かに顔を逸らした。失敗、否、大失敗したコーヒーを彼に見られてしまったせいだ。
カップの置かれたテーブルへと歩み寄り、それを持ち上げる。温かさを失ったそれはさらに得体の知れないものへと化していた。果てしなく飲みたくない代物だ。ドロドロで、すでに飲み物の容姿ではなくなっている。
「……暁斗、これは」
「い、言うなっ。自分が一番よくわかっている」
それ以上触れるなと暗に諭され苦笑する。帰宅が予定より遅かったのはこのせいだったのか。
「俺を呼んでくれればよかったのに」
そうすればこんな得体の知れないものを作ることもなかったはず。
そう安易に浮かんだ考えを紡げば彼からは断りの言葉が返された。
どうやら教師でありながら校内に彼のような立場を呼ぶのは気が引けたらしい。自分の身の回りの世話は生徒以上に出来なければ話にならないと考えたようだ。
…だからといってこんな代物を作り出すのはやめて頂きたい。無闇に口に入れ倒れられでもしたら元も子もないのだから。
「今日帰ったらコーヒーの入れ方教えましょうか?インスタントの方は俺も詳しく知りませんが、確かパッケージの後ろに作り方が書いてあったはず」
コーヒーメーカーの横にあるインスタントコーヒーの袋を見つけ、その後ろを見てみる。
やはり書いてあった。カップ一杯につき付属スプーン二杯だと。
「後ろに…?そんなことが書いてあったのか」
「はい。…ちなみに暁斗、これはどれくらい入れた?」
「……その部分に…、入るだけだ」
その部分、と視線で示され蓋を開けてみる。その中を見ては思わず脱力せざるをえなかった。
コーヒーメーカーの上部、フィルターを付けてこしとる部分には決して1カップの量とは思えないほどのコーヒー粉がこんもりと盛られていた。
おそらくドリップした上でもこし取れずに残ったものなのだろう。しかし、いくらなんでも残りすぎている。
「暁斗…」
「もう言うな…。バカなことをしたのは自分が一番よくわかっている…」
本日二度目の残念な会話。今まで彼にやらせていなかった自分が大いに悪いのは分かった。しかしこの才能はひたすら脱帽するしかない。
"あんなこと"があって落ち着きたいのかコーヒーの入れ直しを希望する主に、彼も初めてインスタントでのコーヒーを作ることにした。
パッケージの裏に書かれた説明文に従い忠実にそれを作っていく。
あらかじめ新しくしたフィルター部分に粉を入れ、水を入れればセット完了。ボタンを押せばドリップを始めた機械を眺め、これが出来なかったのかと再び苦笑していると。
「司貴。わかったぞ」
名前を呼ばれ振り返る。ソファーの前にはまた難しい顔をした主の姿が。
眉間にシワ寄ってますよ。
そう心の中で苦笑し、続きを促すこの男の名は九影司貴。彼の執事に当たる立場だ。
「何がわかったんですか?暁斗」
「さっきの"異界種"だ。時間もそうだが珍しいことに単体で襲ってきた」
「あれ?俺はてっきりあなたが全部倒したのかと」
「一体だけだ。それも妙に戦い慣れしていない動きをしていた」
「…それはつまり、今までとは違う"異界種"だと」
決定的な証拠がない為返事は返ってこなかったが、おそらくは彼の推測で正しいのだろう。
緊迫した空気がこの教務室内に流れる。片付けられたプリントとは対照的に塵となって消えた"異界種"の残骸が床で僅かに降り積もっていた。
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