【30,不穏な影】





校庭の砂にどこからか桜の花びらが舞い落ちた。

ひらりと1枚、薄桃色が花咲く。

それを拾い上げると、暁斗はそっと別の場所に離した。同時にメジャーの目盛りを読み上げる。間を置かずして先ほど桜が舞い落ちた砂の上にスコップが行き交った。花びらの代わりに生徒の付けた足跡が消えていなくなる。

3限目はグラウンドを使用した1学年の体力測定だ。午前中は2、3学年がここを使用していた為、校庭の隅には小さな悪戯描きが残っていたりする。

暁斗は予定通り砂場で立ち幅跳びの測定を行っていた。アシスタントには生徒が2名。スコップで砂をならす係りと、暁斗が読み上げた記録を書き記す係りだ。

今測定しているのは1−Aクラス。男子はとっくに測定し終え、一部の生徒は近くの鉄棒で技なんかを見せ合ったりしている。遊びたい盛りなのは分かるが教師としては事故がないか心配でならない。

平たくなった砂場に最後の女子が跳んだ。メジャーの片端をスコップ係りに押さえてもらい、その足跡までの距離を測る。

157.1。そう読み上げればカードに測定結果が書き込まれた。暁斗がメジャーを巻き取ると巨大なスコップが再び砂の上を滑る。

これで全クラス終了。今日の授業はここまでで、残すは帰りのHRだけだ。

しかし暁斗は変に胸のつかえを感じていた。そう、今日はまだ異界種が現れていない。ここ数日、毎日のように日中現れていた奴らがいきなり現れなくなるなんておかしすぎる。

と、考えたところで暁斗は首を振った。考え過ぎだ。むしろ日中現れる方がおかしいのだから、これまで通りになるだけ良かったじゃないか。

生徒達を整列させると暁斗はその場で待機を指示した。他クラスはシャトルランの測定中。意外にも記録を伸ばす生徒がいるらしく測定が長引いているようだ。

不意に春風が頬を撫でる。少し砂ぼこりの混じったそれに目を細め、グラウンド中央に目を向けた。

ワンフレーズ流れる音楽に合わせて2人の生徒が50mトラックの一部を行き来している。カウントを行う機械には86との文字が。すでに43回も往復しているとは並みじゃない体力だ。



「くぬぅうう!」



歯を食いしばり20mを駆け抜けていたのは眞壁だった。その少し離れた場所で都筑も遅れて風を切る。

目の前で繰り広がる光景に驚いているのは暁斗だけではなかった。すでに力尽き測定を断念していた同じクラスの生徒までが彼ら2人を応援している。

眞壁への応援も凄いが、さらに凄いのが都筑へのエールだ。特に女子から熱狂的な支持を得ている。見栄を張りたいのは仕方ないとして、あまりにもやり過ぎるのはよくない。暁斗は都筑にストップを掛けるようトラックの端へと歩みを進めた。

往復して帰って来た眞壁と目が合う。汗だくになりながらもニッと八重歯を見せ誇らしげな表情。確かに褒めてやりたい記録だ。一般人にしては異端な体力の持ち主なのだろう。

ふ、と笑みを返し彼に賞賛を送る。音楽が鳴り終わるギリギリのタイミングで都筑もスタートに戻って来た。暁斗と目を合わせ、「あ」と声を漏らす彼。その様子からしてやはりついつい見栄を張っていたようだ。

それから数回往復したところで都筑がタイムオーバーで脱落した。少しわざとらしい脱落。彼にまだ体力が残っていることを知っているのは暁斗だけだ。

年頃だから仕方ないと、暁斗は帰還した都筑を叱りはしなかった。気まずそうにこちらを見て来る彼に、よく頑張ったという意味を込め頭をポンポン撫でてやる。怒りがないと伝わったのか都筑の表情が緩んだ。ごめんなさい、と小さく謝られる。その上目遣いは殺人的に可愛くて…。


と、そこでちょうど眞壁が記念すべき100カウントを達成した。生徒がはやし立てる中、その声を一掃するように笛の音が凛と鳴り響く。



「彼らの記録を書き終えたら素早く列に整列しなさい」



見事な姿勢で指示を出す彼の名は佐倉美人。美人と書いて"ヨシヒト"と読むのだと授業前に本人から紹介された。決してフルネームで呼ばないこと。そう彼に忠告もされている。シャレの効いた己の名前がどうやら好きではないようだ。"桜美人"なんて容姿同様綺麗な名前だと思うのだが。

彼のもとへ歩み寄り、こちらも終わったことを報告する。御堂と同じ先輩教師だが彼なら尊敬の念を抱ける気がした。…まぁ、ある一面を除いては、だが。

一学年を校庭の中心に整列させ、座らせる。時間は授業終了の5分前だ。何もやることがない為このまま解散かと思いきや、佐倉は暁斗が理解出来ないその"一面"を生徒に披露しようとしていた。



「時間も余ったところです。ちょうど良いので貴方方に私の肉体美を披露して差し上げましょう」



ガシッ。


ジャージのファスナーに伸ばされた腕を暁斗はガッチリと掴み、それを阻止した。生徒の中には女生徒もいるのだ。教育上とても良くない。



「佐倉先生。それはまた今度にして今は生徒を解散させるべきかと」



まともに見えて問題のあるこの教師に暁斗は説得を試みた。

口元がひくつく。初めはとても丁寧で手本になる教師だと思っていたのに、授業中何度彼の露出を見るはめになったか。ことあるごとに脱ぐ癖は教師としてどうなのか疑問に思うばかりである。



「あぁ、そういえば王崎先生にはしかと見せていませんでしたね。この、私の肉体美を!」



暁斗の隙を突きジャージを脱ぎ捨てた彼。しっかりとした筋肉が目の前で晒される。



「結構だ!むしろもう見飽きている!」



本当に何度彼の露出を止めたことか。この授業の前に学年主任から励ましの言葉を送られたのはこの為だったのだろう。彼の露出を止められるものはこの校庭に暁斗しかいない。主任は体育館で他の学年を担当している為、この場にいる教師は暁斗と佐倉のみなのだ。



「早く服を着ろ!意味もなく露出をするな!」

「おや、私が意味もなくこの肉体を晒しているとでも?…貴方とは少々話し合う必要がありそうですね」

「あぁそうだなっ、私も話し合いたいと思っていたところだっ!」



出来れば話し合いで彼の露出狂を抑えたいが、おそらく一筋縄ではいかないのだろう。むりやり服を着させていれば、不意に生徒が1人悲鳴を上げた。便乗したかのように次々と悲鳴を上げる生徒達。


まだ下は脱がせていないぞ?


下半身の露出は死守したというのに、いったい何だというのか。




「先生!」




パニックで散らばり始めた生徒の群れから体操着姿の少年が駆け寄って来る。男子にしては珍しく短パンのままだ。二次性微が訪れていない為見た目を気にしなくて済むのだろう。



「都筑。いったいなにがあった」

「アレが、出たんです!」



アレ、という名詞に暁斗の中で真っ先に思い浮かんだのはひんやりとする夏の風物詩。しかしすぐさま正しい答えが導き出される。



「佐倉先生!あなたは生徒を校舎へ避難させてくれ!私は"不審者"を捕らえに行く!頼んだぞ!」



佐倉の制止を振り切り生徒達の視線の先へ直行する。逃げ惑う生徒達の視線は全て校庭のフェンスへと向けられていた。

見ればそこには黒い影が手足を伸ばし高いフェンスをよじ登るところだった。人影のようで、人ではない影。



そう、異界種だ。



「都筑!」



遅れて追いついた彼にそう呼びかける。そして再び走り出せば異界種は暁斗に気付いたのか身の毛のよだつ奇声を上げた。



「私が惹き付ける!おまえは隙を見て"狙え"!いいな!」



聞いたこともないイカレた奇声にパニックとなる生徒達を掻き分けて暁斗はグラウンドを飛び出した。そのまま校舎の間へと走り込む。異界種はフェンスから飛び降りでもしたのか生徒の悲鳴を浴び余計興奮を見せていた。

生徒の目が届かないだろう場所で暁斗は足を止めた。振り返るとその手には双剣が携えられ、瞳は黄金に底光りを始めている。

続いて都筑が追いつくと、彼は暁斗の姿を確認し同じく武器を手に構えた。

間を置かずして異界種が角から姿を見せる。そのまま暁斗に向かって真っ直ぐ突進して来る。


カシュ!


都筑のボウガンが放たれた。精密に撃たれたそれは見事異界種の頭部に命中し、影を塵へと変化させる。

しかし油断はしていられない。異界種は昼も夜も束になって現れる。界の歪みからわらわら現れては暁斗の魂を狙って来るのだ。

その法則は今日も変わらず、ご丁寧にも残りの異界種は暁斗の前に集団となって姿を現した。校舎の上から奇声を上げ次々と飛び降りて来る不気味な影。ざっと10体は確認出来る。夜より格段に少ないが迷惑極まりない数だ。



「場所を変えるぞ!」



都筑に声を掛け走り出す。こんな狭い中大勢を相手にすれば誰かに見られてしまうのも時間の問題だ。

生徒達は佐倉がどうにかしていると信じ、暁斗は校舎裏のさらに奥へと駆け抜けた。日陰となり人気のない場所へたどり着くとすぐさまその逆走を始める。バラバラに追い付く影の先頭から素早く刃を走らせて。

慌ててそれを追いかける都筑。1体、2体と暁斗が消し去って行く中、不意に彼が声を上げる。



「先生!上!」



言葉に従い上を見上げた。青空に浮かぶ仄暗い闇。それはじわじわと縦横に広がり、やがてそこから不気味な表情を浮かべた異界種が顔を覗かせる。



界の歪みだ。



「くっ…!増援か…!」



出来れば長引いて欲しくなかった。長引けば長引くほどこの戦いが誰かに見られる可能性が高くなる。たとえ学園が広くてもその可能性が0になることはない。



「都筑!おまえは辺りを見張れ!後は私が片付ける!」

「だ、ダメだよ!先生1人じゃ囲まれちゃう!」

「囲まれないよう蹴散らせばいいだけだ!」



抗議の声を聞かず、界の歪みへ走り出す。地上の前方からは残りの異界種が。上空の前方からは新たな異界種が暁斗に向かって奇声を上げた。次々と跳びかかって来る黒い影に死力を尽くして剣を奮う。

やはり夜より異界種のスピードが遅いのは暁斗の気のせいではなかったらしい。無駄な動きが多い上、殺気立った雰囲気が幾分か軽い。それが妙に不気味だった。どうして昼に現れる異界種はこうなのか。この3日間、不思議で仕方ない。



「く、」



いつもの速さで攻撃されない分、こちらの方が狂ってしまう。避けきれるはずの攻撃が計算出来ず、暁斗の二の腕から血が噴き出した。

空気に飛散した血臭により異界種の興奮が高潮する。どうやら結構な深手を負ったようだ。痛みの余り顔が歪む。対照的に瞳の黄金が輝きを増し、その傷が回復へと向かい始めた。



「この…!」



暁斗に怪我を負わせた異界種はすぐにボウガンの矢で始末されていた。校舎の上からボウガンを構える都筑の瞳が異常なほど底光りしている。見張りを放棄し矢を連射する彼の瞳は鈍く輝き、底知れぬ怒りを表していた。

守るべきものを傷付けられ、"騎士"の魂が憤怒しているのだ。



「都筑!私に構うな!おまえは見張に専念し、」

「よそ見しないで!先生が怪我するとこ、僕は見たくない!」

「け、怪我なんてすぐに治るだろう!それよりも今は見張りを…」




なぜか、その瞬間無意識に鳥肌が立った。




ぞくりと背筋に何かが走る。見られている気がして咄嗟に空を見上げたが暁斗の目に映るのは界の歪みが消えて行く境目だけで。

異界種の断末魔が真後ろから聞こえ、すぐに意識が戦いへと戻る。都筑から叱りの言葉が飛んで来た。確かに今のは油断していた。彼がいなかったらとうに命を奪われていたことだろう。


界の歪みが消え、異界種の増援もなくなったところでその数は指で数える範囲となっていた。暁斗達はその後無事異界種を退治したが、戦いの最中走った悪寒が忘れられず、暁斗は再び空を見上げた。


腕の怪我をさすり、眉をしかめる。まだ表面しか治癒しておらず、辛うじて塞がっていた傷口から手を離せば真っ赤に濡れた血がぬらぬらと綺麗に輝いていた。








[ 32/36 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -