【28,腹が減ってはなんとやら】
「……なんだ?この死体は」
2限が終わり昼食の時間となった教室に入るとその隅ではなぜか眞壁が転がっていた。
死んだように伏せたその姿。元気が取り柄と言ってもいいあの眞壁がこれだ。おそらく何かあったに違いない。
「あっ、先生。ご飯ここで食べるんですか?」
教室に入った暁斗にいち早く気付いた都筑がそう声をかける。
「いや、約束の品とやらを届けに来ただけだ」
「確かチーズケーキでしたね。…司貴さんの手作りだけど」
「あぁ。…その話は伏せておけ。時に都筑、これはいったいなんだ?私にはずいぶんと珍しい光景に思えるんだが」
「あ、気にしないでください。これは昼寝してるだけで、」
どこからか呻き声が聞こえた。
「……今のは」
「い、いびきです。もう、うるさいよ一輝っ」
「ぎゅぶん!」
腰を踏まれカエルが潰れたような悲鳴が上がる。
保健室にて、結局眞壁に暁斗の上半身裸体姿を見せてしまい、記憶を抹消しようとした都筑によって彼はこのように沈められていた。
しかし暁斗がそれ以上言葉を促す前に騒がしかった教室がさらに騒々しさを増す。1人の生徒を筆頭にあちこちから声が上がった。
「おっ、先生じゃん!メシここで食うの?」
「おれらと一緒に食おうぜ!」
「確かデザートくれるんですよね?」
「先生のデザート、私楽しみで今日のお昼少なめなんだー」
食事を中断し、ぞろぞろと生徒が暁斗の周りに集まる。男女問わない人気っぷりだ。中にはどさくさに紛れ暁斗の体に触ってくる者までいる。
「おまえたち、席に戻れ。今から各自にケーキを配る。欲しいならそれまで大人しくしていろ」
群がって来た生徒達に眉を寄せ言い聞かす。袋から出したチーズケーキを教卓に置くと周りから歓声が溢れた。
チーズケーキの匂いに釣られ屍だったあの眞壁までもが見事に復活している。よだれとお座りは正直自重して欲しいところだ。彼の頭から犬耳が生えている幻覚まで見えてしまう。
「戻らない奴にこれはなしだ」
静かなる宣告に急きょ群れが解散した。席でそわそわと待つ生徒達を目視し、袋からナイフを取り出す。
大きな長方形を型どるケーキの上にそれを構えた。が、ナイフが入刀された瞬間、教室は騒然となる。
「「「「あああああ!」」」」
声の大きい眞壁を筆頭に皆一斉に叫ぶ。教卓の上には無惨にも断面を斜め切りされた四角いチーズケーキが。台形2つに分かれたそれはすでに理想の形を失い、残念なものへと変化している。
「ん?なんだこれは…まっすぐ切れない」
「わー!待って先生!切り分けは僕がやるから!」
再びケーキにナイフをかざせば都筑が慌てたようにそれを止めた。なかなか無いナイフ使用の機会を邪魔され、少々手持ち無沙汰となる暁斗。
昔からこういったことは使用人や司貴がやっていた為、暁斗には手加減やコツが一切分からなかった。教師になったからには自分でも出来るようになりたかったが、現実そう上手くはいかないらしい。見よう見まねでやってみたがただのケーキだと思って油断した。
「よし、これで15頭分。あとのケーキも僕が切りますから先生は切ったこれ、みんなに配っててください」
「あぁ。…そうしてもらえると助かる」
残りの切り分けを任されてはブーイングと悲鳴の嵐が巻き起こってしまう。ここはしっかり者な適任者に任せ、暁斗は素直にケーキを配って行くことにした。
プリントを配る時と同じように窓際から順にケーキを渡す。フォークを欲しがる生徒も司貴は想定済みだったらしく、人数分の使い捨てフォークが袋に忍ばせてあった。
ケーキを渡せば素直に喜ぶ者、欲張ってクラスメイトから奪おうとする者、放課後のおやつとして保存しておく者など、生徒によって反応は様々。
全員が全員教室で昼食を取ることはなく、いない者はいない者で机の上に置いておく。これがその机の生徒に無事渡るかは保証出来ないが。
「あ、あのっ……さっきは本当に、ありがとうございましたっ…!」
声を緊張に震わせ、俯いた少女。前髪が少し長めで俯くと目に掛かってしまう彼女は先ほど暁斗が助けてやった生徒だ。
出席番号も後半ということで教室の後ろで机の上に可愛らしい手作り弁当を広げ、1人静かに昼食を取っている。極度の人見知りらしく、ケーキを机に置く際も感謝の言葉を述べる際も、一度も目を合わそうとしない。
「1人で食事か?他の女子はどうした」
「それは…、わたし、その……人見知りで…」
「声がかけられないのか?」
「ど、どう声をかければいいのか……わからなくて」
暁斗が話しかけるたびその小さな体がさらに縮こまる。おどおどとした様子は新入生によくあるだろう姿で、ここは教師が解決させるべきだと暁斗は反射的に思った。
咄嗟に辺りを見回すが、すでに女子のグループはタイプごとに別れており、どこが彼女の適正なのか分からない。確かこの振り分けでイジメは確立すると聞いている。今孤立してしまえば後々グループに入ることが難しくなるのだ。出来れば暁斗はクラスにイジメなど存在してほしくない。
ゆえに、
「…おまえたちは2人で食べているのか?」
それぞれのグループに目を通すと、最終的には席に戻っていた都筑と眞壁に声をかけた。2人とも机を合わせ、購買のパンやら弁当やらをその上に広げている。
「あ、はい。一輝が一緒に食べるって言ってくれたから」
都筑もどうやら年齢の違う男子グループに馴染めず単独で食事をしていたらしい。だがそれを見て眞壁が誘ってくれたようだ。安心した表情を浮かべ、弁当のおかずに手を出している。
「1人だとメシがまずくなるだろ?やっぱ食うならうまい方がいいしな!お、煉、その卵焼きいただきぃ!」
「うわ!それ取っておいたものなのに!」
「ふぁあふぁあ、ふぉのフロッフォリーふぁふぇっふぁら(訳.まぁまぁ、このブロッコリーあげっから)」
「口に入れたまま喋るなよ。しかもそれ単に嫌いなだけでしょ」
「くっ、いかようにして見破った!」
「ふっふっふ。お主の顔を見れば分かること…って、エセ時代劇に乗せるな!」
息のあった賑かな会話を見て、暁斗は確信した。こいつらなら彼女を入れても問題ないだろうと。
「御堂、あいつらと一緒に食べろ」
彼女のところに戻り、一言。突然のことに驚く彼女を尻目に机を都筑達のもとに運び込む。
「せ、せんせぇ!わたし、1人でも平気ですからっ…!」
顔を真っ赤にして追いかけて来る小柄な少女。都筑とそう体格も変わらない。これなら馴染めるはずだ、と暁斗はさらに事を進めた。
机を都筑達の横に繋げると、追いかけて来た御堂の横をすり抜け同じようにイスも運んでしまう。
都筑達だけでなく他の生徒まで目を丸くしているが、堂々とした暁斗の様子に誰一人抗議する者はいなかった。クラスの者も彼女の孤立は些か気になっていたのだろう。クラス内での孤立やイジメは誰しもが良く思わないものだ。
「おまえたち、こいつも仲間に入れてやってくれ」
「あ、あうぅ…!」
縮こまった体を問答無用でイスに座らせる。消え入りそうなほどか細い声が聞こえたが、気にしない。男女別のグループも悪くないが男女混合グループも中には必要だ。だいたいなぜ男女に分かれるのか暁斗には分からなかった。性別関係なく気が合う者同士つるめばいいだろうに、世の中不思議なことだらけである。
「構わねーぜ。仲間は多い方が楽しいしな!」
「うん。僕もその子がいいなら」
快く受け入れる2人を前に、未だ体を縮こまらせる御堂。その背中をポンポンと安心させるように叩き、暁斗は教卓へと脚を戻した。
ナイフや下紙などを袋に戻しながら御堂の打ち解け具合をそっと見守る。これでクラスの雰囲気が少しでもよくなればいいが…。
「名前なんてゆーんだ?」
「は、はう!な…名前は、御堂かなででしゅ、っ!」
舌を噛んだらしい。口元を押さえ、涙目だった瞳をさらに涙で滲ませる御堂。
「"かなで"な。オレは眞壁一輝。一輝って呼んでくれよ」
「ひゃ、ひゃい!きゃじゅききゅん!」
…噛みすぎにもほどがあるぞ御堂。
顔を真っ赤にして必死に拳を握りしめ声を絞り出す彼女に、思わずそう心で呟いてしまう。
「御堂さん大丈夫?そんなに緊張しなくても僕ら別に怒ったりしないから」
「うぅ……すみません」
「ちなみに僕は都筑煉だけど、一輝みたいに下の名前で呼べとかは言わないから好きなように呼んでいいよ」
流石都筑。選択肢を与えることは大事だ。眞壁のように強制させると御堂が怯えてしまうことだってあるかもしれない。やはりこいつらに任せてよかったと暁斗は再度確信した。
「つ、都筑君」
「うん」
「…煉、君?」
「うん」
「……」
「……」
時計の秒芯が5つほど進んだ。
「…えっと、じゃあ一輝と同じ下の名前で」
選択肢を与えられ逆に小さなパニックを引き起こしたことに気付いたらしい。断定してやると御堂はこくこくと頷いた。毛先の跳ねたショートヘアーが耳元でぴょんぴょん跳ねている。その動きはまるで小動物のようだ。だから暁斗も放っておけなかったのだろう。
「ま、眞壁く……一輝君は、いつもそんなに食べてるんですか?」
御堂がようやく長文を口にした。確かに彼女の言う通り眞壁の机には自前の弁当が2つと、その他にも暁斗のチーズケーキや購買で買ったパンと牛乳が山積みになっている。それらは都筑の机にまで占領しており、下手をすれば顔が見えない高さだ。
「ふぉう!ひゃらばひぇっへばひぃふひゃはふぇひぃふっひぇふぁ」
「えっ?」
「あ、今のは"腹が減っては戦は出来ぬ"って言ったんだよ。…バカズキ、せめて飲み込んでから喋れっ」
「む、ぐぅうう!」
ダン!という何かが力の限り踏まれた音が響き、同時に眞壁が激しく呻いた。涙目になりながら片足を押さえそこらをピョンピョン飛び跳ねている。
暁斗はそんな3人を見届けると、袋を片手に教室を後にした。最後に御堂が感謝一杯の様子でぺこりと頭を下げたことに気付かず、長い長い教務室への道のりを後戻りして行く。
この学園に食堂はなく、昼食は購買や弁当などを用いて各々に取るスタイルだ。テラスで食べるも教室で食べるも自由。暁斗は学校と言っても今までほぼ家庭学習で校舎に入るのは入学式などの大きな行事のみと形だけしか通っていなかった。ゆえに、実は本日初めての学校昼食でもある。
まずは噂の購買とやらを体験しようと学園地図片手にそこへ赴く。この教室舎内には1つ、学園内にはなんと6つも売店が設置されているという。広い学園だからそれだけないと移動時間だけで昼休みが終わってしまうのだ。生徒も職員も大変である。
「ここを右か。……うっ」
曲がり角を地図の通り右に曲がり、驚愕した。そこには用意した昼食でも足りなかった腹五分目の生徒達が財布を片手に列を成している。
大半は男子である為そこは想像以上に暑苦しく、いくら暁斗でもこの群れに平然と加わる勇気はなかった。購買を体験すると司貴に言ってある。その為今日は弁当さえ手元にない。昼食を諦めようと仕方なく売店に背を向けた次の瞬間、暁斗は誰かに名前を呼ばれていた。
「あれ?王崎先生?」
購買を済ませ振り向いた1人の男子生徒の言葉にその場にいた全員が暁斗へと振り向く。背中にたくさんの視線を感じ、暁斗はぎくりとした。
「王崎って始業式にいたあの新任教師?」
「俺前の方にいたけど近くで見ても女かってくらい綺麗だったぜ。むしろそこらの女子より美人かも」
「まじかよ!じゃああれが本物だとしたら…」
一斉に生唾を飲み込む生徒達。誇張された言葉を胸に誰かが勇気を出し暁斗に呼びかけた。しかしここで振り向いてしまえば昼食を諦めるより悲惨な目に合うこと確実で。
ゆえに、暁斗はその場から逃走していたのだった。
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