【23,騒がしい朝が来た】







王崎家の朝は忙しい。まず敷地が無駄に広いので早起きしてでも仕事に就かないと夕方までに全てを終えられるかどうか定かではない為だ。

そして23社+1校と経営権を所有している王崎家。商談の話に現れる者がひっきりなしで、使用人のだいたい半数がこの対応と処理に日々追われている。

朝を忙しくさせる原因はまだまだたくさん挙げられるが、きりが無いのでここで一区切り。実際にその様子を見た方が理解出来るだろう。



まずは午前4時30分。
住み込みで働いている使用人全員がこの時間に目を覚ます。



午前4時40分。
物凄い速さで身支度を済ませた使用人達がそれぞれの持ち場へ足を急ぐ。



午前4時59分。
王崎家次男が朝帰りして来た為、数名の使用人が対応したが邪険に扱われ無駄に終わる。



午前5時15分。
キッチンにて、必要分の朝食が目の回る勢いで出来上がって行く。



午前5時27分。
使用人が1人、水の入ったバケツに足をひっ掛け転倒。その場にいた使用人全員でのモップ掛けが始まる。



同刻午前5時27分。
王崎家長男が起きる時間になったので、その専属執事、九影司貴を呼ぼうと執事長が辺りを見回す。



午前5時29分。
執事長である老執事、中津理壱がパニックに陥る。





午前5時30分、ジャスト。





王崎家長男及び次期執事長、及び客人の少年1名が行方不明であることが屋敷中に知れ渡った。










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「……今の声は明らかに気付いた声だな」



敷地内の茂みの隙間から揃って覗く瞳の数々。1、2、3と数えて全部で6つ。茂みの中には暁斗と司貴、そして都筑が息を潜めて騒がしい屋敷を見つめていた。



「理壱の声ですね。どうやら一足遅かったらしい」

「ど、どうするんですか…!このまま行ったら僕達の秘密全部バレちゃいますよ…!」

「どうするもこうするも、あとはもうとぼけるしか手はないだろう」

「とぼけるって、そんな…!」



ひそひそと声を殺して会話を交わす。なぜこんな状況になったのか。それは異界種に手間取ったから……ではなく、都筑に"騎士"の力を改めて教えていたからである。



異界種を殲滅し終えたのは午前3時前後のことだった。予定通りそのまま帰ることも出来たが、司貴の提案で"騎士"の身体能力について都筑に教えることとなった。

攻撃性の具現化は完璧にこなせていた都筑。しかし己の体がどれだけ変わったのかは一切知らずにいた為、そのレクチャーは予想以上に手間取ることとなる。

ビルとビルの間を跳び越えることが出来ると言っても、足が竦んで試すに試せず。その場でジャンプしろと言い聞かせてみたが、数十メートルもジャンプして着地したのが裏目に出て、都筑は数分もの間その場でフリーズしてしまった。

これほどまでに劇的な変化は12の彼でさえ受け入れ難かったのだろう。しかもこの変化は力を抑えた状態でも滲み出てしまう。力を発動させた場合と力を抑えた普段の場合での違いも確かめさせてはみたが、加減が分からず始めは大変なことになっていた。

まず力を発動させた状況でビルとビルの間を思い切って跳んでみた都筑。しかし思い切り過ぎて暁斗達が見失うほど遥か遠くへ跳んで行ってしまう。

そして次に力を抑えた状況で腕立てしようとしたが、勢い余って一回転し背中を酷く打ち付ける始末。

そうして都筑が加減を覚えたところで帰宅したのだが……どうやらずいぶんと遅くなっていたようだ。春の日の出が遅れることを今の今まですっかり忘れていた。





「よし、まずは私が出る」



茂みの中から体を出すと2人に慌てて引き戻された。



「あなたが出たら余計まずくなるから!」

「先生は絶対に一番最後です!」



両サウンドで叱られ、暁斗は葉っぱが髪に付いているのもお構いなしに拗ねた。

ならどうすればいい、と視線で訴える。すると今度は都筑が茂みから体を覗かせた。



「僕が行けばきっとどうにか、」

「ならないぞ」

「煉も却下」



暁斗と同じく引っ張り込まれ、葉っぱの髪飾りを自然から頂く都筑。頼りなさそうな自覚でもあったのか、「どうせ僕なんか」と呟きながら地面に"の"の字なんて書いている。



「やっぱりここは俺が行くべきかな。2人は状況を見て動くように。いいですね?」



流石に3度目のコントはせず、この場を去って行く彼の背を大人しく見送る。

しばらくして屋敷から中津の声が聞こえた。物凄いパニックだ。血圧が上がりきって今にも倒れそうなほど声が上擦っている。



「な…中津さん、大丈夫かな」

「あいつのあれはいつものことだ。それにあぁ見えて奴は使用人の中でも逐一の健康体でもある。ちょっとやそっとで倒れるほど柔な体じゃない」



暁斗は彼を生まれた頃から知っている。王崎家の執事として、司貴よりも前からお互い知る仲にあった。それゆえに断言出来るのだ。彼は少々人間離れした男だと。



「…ちなみに中津さんは今おいくつで?」

「今年で68だと周りには言いふらしているが実際には5歳さば読んでいる」

「じゃあ…73ってこと!?」

「そういうことだ」



信じられない、と呟く都筑を横目に自分の部屋を確認する。二階に行くには中の階段を通るかバルコニーに登るかのどちらかだ。しかし後者は人に見つかると問題であり、前者も前者で中津の耳が痛くなるような尋問が始まってしまう。

なにか打開策はないものか。辺りを見回すが特に何も思い付かない。屋敷に入るには玄関か裏口だが、おそらく今の騒ぎで使用人が少なくとも1人は待機しているはずだ。

中でパニックが起こっているせいか外に人が来る気配はない。バルコニーに登ることは意外と容易そうだが…、万が一ということもある。





「先生、あれって…」



ふと思考を遮るように肩が揺すられた。都筑の視線を頼りに左前方へ目を向ければ、司貴が中津を連れてこちらへと歩いて来るところだった。



「そう。だから俺達は煉の忘れ物を朝が来るまで取りに行ってたという訳」



わざとらしく大きな声でそう中津に話し掛ける。そんな司貴がちらりとこちらに視線を送って来た。話を合わせろという意味だ。



「では私達の前に暁斗様と煉様がお姿を現しにならないのも、」

「理壱の声が怒ってるってさっきから家に入りたがらないんだ。あー、特に煉が」

「あぁ煉様暁斗様!私は決して怒りに身を焦がしている訳ではありませぬぞ!この中津!お2人の為を思って取り乱していた次第でありまして…!」



ちょいちょいとこちらに向かってさりげなく手招きされる。出て来いとの合図に暁斗は都筑と同じく茂みから顔を出してみた。そしてそろそろと中津のもとへ向かう。ちなみに肝心の中津は未だ天に向かって懺悔中だ。



「この老体、お2人に嫌われたかと思うと今すぐにでも天へと旅立ってしまいますじゃー!」



ミラクル健康体が何を言うか。



「どうか!どうか私めにお2人の笑顔をー!」

「中津」



ピタリと面白い形で中津が固まった。

天に両腕を上げた格好で声のした方へと顔のみを動かす。老体にしては驚くほどの柔軟性。これで"騎士"ではなく一般人というから恐ろしい。



「もう怒らないんだろう?」



確認を込めて聞いてみる。中津は涙で滲んだ瞳をキラキラさせ頷いた。その首から上だけが動く様子はどこか珍妙で、3人に2人は泣く子供が現れるはずだ。



「僕、中津さんが怒るとこ見たくない。本当に、もう怒らない?」



暁斗の背から恐る恐る顔を出し、子供の特権を生かして中津にトドメを刺す都筑。演技にしては妙にリアル感があって、つい暁斗まで加害者の心情になってしまう。

中津の頷きが高速化した。止めさせないといつか首がもげそうで怖い。するといきなり体の緊張を解き、こちらに向かって走り出す彼。これは受け止めてやらないと老体に悪いだろう。暁斗は鼻水覚悟で彼を抱き止めることにした。



「暁斗様!煉様ぁー!」

「よ、よしよし。わかったからその年で泣くな」



これではどっちが被害者なのか分からない。困ったように司貴を見れば、彼は内ポケットからハンカチを取り出し暁斗のフォローに回ってくれた。

出されたハンカチを見ては迷いなく鼻をかむ中津。こうした光景を見るのは人生でいったい何度目だろう。取り乱した中津が最後は泣きに入ることぐらい司貴も学習済みなので、彼は上着の内ポケットに最低2枚、ハンカチを常備している。



「2人はそろそろ部屋に戻った方がいい。今日の準備はもちろん朝食だってまだですから」

「おお、そうでした!さぁ早く暖かい中へ!」



司貴のハンカチが中津の涙と鼻水により犠牲になったが、暁斗と都筑はそれぞれの部屋へ無事戻ることが出来た。

24時間冷暖房完備の室内は春の朝よりずっと快適だ。暁斗はすぐにコートをベッドへ脱ぎ捨てると、壁に掛かった時計を確認した。

家を出るには7時20分までに支度を済まさなければいけない。それが今日の出勤に間に合うギリギリのラインだからだ。

ちなみに都筑の場合はもう少し余裕があり、40分にここを出れば登校時間までには間に合う。つまりそれまでに今日都筑が必要とする荷物を司貴に取りに行かさなければ、彼は後々学校で大変なことになる。

普通授業だったら例え教科書を忘れたとしても隣の生徒に見せてもらえることが出来るだろう。しかし今日の授業内容はよりにもよって体力測定を兼ねた健康診断となっている。体操着を他の生徒に借りる訳にはいかないのだ。

暁斗は素早く部屋の電話に内線番号を入れ、受話器を耳に押し当てた。まずは都筑に連絡を取って住所を聞き出さなければいけない。

しばらく呼び待ちに耐える。すると7コール目にしてようやく遠慮がちな声が受話器越しに聞こえた。



「…はい」



少し低くて、高い。変声期までそう時間はかかりそうにない少年特有の不安定な声。暁斗が知る中でこの家にいる者は1人しかいない。



「都筑。私だ」

「え?先生?どうして電話なんて…」

「今日は健康診断がある。体操着は家に置いたままだな?」

「…あ」



どうやら自分の状況に気付いたらしく、電話の向こうから気の抜けた声が漏れる。



「住所をそこにある紙にメモしろ。今そっちに司貴を向かわせる。あいつに取りに行かせれば問題ない」

「わ、わかりました」

「よし、なら切るぞ」

「あ、ちょっと待ってください!」



置こうとした受話器から声が響く。再度それを耳に押し当てると、なんだと短く先を急かした。



「えっと……その…」

「まだなにかあるのか?」

「は、はい。……先生は、その…彼女とかって、居ます…か?」



目が点になった。なぜ今、しかもこんな幼い生徒にそんなことを聞かれるのだろう。予想もしない質問に暁斗が驚いていると、電話先から慌てた声が聞こえた。



「あ、そのっ、無理に答えなくてもいいですから!ただなんとなく聞いてみただけなんで!」

「…そうか」

「じゃあ…切りますね」



少し落ち込んだ声に思わず待ったをかける。



「都筑」

「う、はい!」



間の抜けた返事が返って来た。それに小さく笑うと、電話先の少年に向かってこう言葉を紡ぐ。



「正直に言う。今私は教師としての教育を第一に考えたいと思っている」

「…つまり、それって」

「色恋に構う暇はない…ということになるな」



電話越しで都筑が息を飲むのを感じた。








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