【8,レクリエーション】
1−B、出席番号7番である都筑煉はレクリエーションを受けながらふと込み上がる欠伸をこらえていた。
多目的ホールの端で生徒に向け校則やら何やらの話を延々と説明し続けているのは学年主任だと言う年配の老教師。
レクリエーションは二限もある。しかしこの男の話だけですでに一限は過ぎようとしていた。
残念なことに都筑は列の先頭で体育座りをしている。ホールにつくと背の順に並び変えた時点で居眠りすらままならないことを確信したこの背丈。三年間のハンデがあるにしてもトラウマになりそうな並び順だ。
先ほどから後ろの方で寝息が聞こえている。しかもあちこちから複数。羨ましい限りである。
体育座りに疲れたフリをして都筑は僅かに体をずらし、横を見た。同じく手持ち無沙汰で佇む担任、王崎暁斗と目が合い、怒られると思いきや意外にも困り果てた表情を返される。
腰が痛いだろう。口パクでそう言われ、都筑は心踊る気持ちを抑え頷いた。そこで学年主任の咳払いが聞こえ、慌てて前に向き直る。穏やかそうに見えて実は頑固のようだ。話は聞かせるのがポリシーなのだろう。聞かせるにも程があるが。
せめて時間を確認しようとさりげなく時計を探す。するとどこからか小さく話し声が聞こえ始めた。
「随分生徒を懐かせているようですね、創立者のご子息様は」
「…おまえには関係ない」
「それともお気に入りか何かでしょうか。少年を寵愛することが一種のステータスだと古人のお偉い方は示していますし」
「貴様…また喧嘩を売る気か?言っておくが私は買わない。仮にも生徒の前だからな」
話し声を追えば先ほどまで1人だった王崎先生の隣に男が立っていた。あれは確か1−A担任の教師。受け持ちは数学で名前は御堂要(みどうかなめ)とレクリエーション前の挨拶で名乗っている。
彼の言う創立者の子息が自分の担任であることは都筑はもちろんここにいる生徒の誰もが先ほどの学年主任の話で知った。情報が漏れないからといって創立者の名字さえ外に漏れていないのは流石とも言える。
…王崎陽斗。今は亡き王崎グループの敏腕社長。その界の者なら誰しもが知っている有名人である。しかしその誰しもが23の会社を持ちながら学園を創立し、なおかつこっそり教鞭まで奮っていたとは思いもしなかったはずだ。
そんな偉人のご子息へ話を戻せば、小声ではあるがどうやら2人は衝突寸前の会話を交わしていた。しかも一方がからかい混じりの挑発に対し、もう一方はというと言葉とは裏腹にもうすでに怒りが声に込められている。
乗せられやすい人なんだ…。
我が担任の新たな発見に事項はどうあれなんだか嬉しくなる。確かに善悪がはっきりしていると言えば聞こえはいいが、一度上がれば振り切るのが早い短気というものにイメージは近い。
しかし都筑は暁斗に対し少なからず好意を持っていた。マイナスがプラスに変わるのは当然と言えば当然。まだ相手のことをよく知らない段階なので尚更些細なことでも嬉しく感じてしまう。
怒りのボルテージが上がりつつある担任と御堂を横目に2人の会話を極力聞き取る。他の生徒も、寝ているか主任の話を聞いているかでその会話には気付いていないようだ。もちろん学年主任も話しに夢中で衰えることなく話し続けている。
早く終わらないかな…。
すぐにでも暁斗のもとに駆け寄りたくなった都筑。チラチラと時計の長針を確認していると、彼の願いが届いたかのように授業終了のチャイムが鳴った。
主任は慌てて話を区切ると生徒の1人に号令を促す。次の授業まで10分間の休憩という訳だ。
まばらに散って行く生徒達。まだ半分しか終わっていないなんて信じられない話である。都筑は言いようのない腰の痛さに耐えつつも担任の姿を視界に入れた。
声をかけようと足を踏み出す。だがそれは雪崩のように群れて行く生徒達によって一瞬にして遮られて。
群れの圧倒的な流れの強さに小柄な都筑は呆気なくホールの隅へと流されていた。いったいなんなんだと混乱していると、騒がしい群れの中から暁斗の声が聞こえて来る。この雪崩は王崎先生目当ての生徒の群れだったのだ。
そして今気付いたが、ホールにはまだ複数群集が出来上がろうとしていた。こちらはまだ未完成な群れで、ちらほらと散らばってはいるものの女子達の視線が多方向に注がれている。
気になったのでとりあえずそのうちの一視線をたどってみれば、その先にいたのは先ほどまで暁斗と衝突していた御堂の姿。冷めた様子で眼鏡をかけ直す彼は暁斗とは別の雰囲気で近寄り難く、それが逆に一部の女子達の心を射止めているようだった。
女子はああいうのが好きなんだ…。
都筑からして見ればあまりお近づきにはなりたくない部類だ。先ほどの会話といい暁斗を玩具にして愉しんでいるのは火を見るより明らかなのだから。
ホールの隅に流された都筑はとりあえず目の前の群れに挑むことにした。群れの周囲を背伸びしながら歩いていると、都筑の背丈でも彼が見える位置に出会い、立ち止まる。
「せ、先生!質問いいですかっ!?彼女とかってズバリいます!?」
「あっ、ずるい!私からも質問!先生の好みのタイプ教えてくださいっ」
「先生先生!めっちゃ美人だけど本当は女とかっていうありがちなオチない?」
「むしろさ、男ってストライクゾーン入ってる?俺、先生ならマジで抱けそうなんだけど」
生徒達の遠慮なしな思春期攻撃に暁斗は不愉快と言う顔を隠しきれていなかった。眉根を寄せ腕を組む姿はどこか孤高な雰囲気があり、よりいっそう人気に拍車を掛けていることに本人は気付かない。
「少し離れろ、暑苦しい。…質問は常識内なら答えるがそれ以外は無回答だ」
一向に散らない生徒達を冷たい態度であしらってはいるが根は優しく真面目な彼。無回答だと言いながらも質問の1つ1つに丁寧に答える一面を見せていた。
「身長っていくつですかっ?」
「172だ」
「血液型は?」
「OAだと聞いている」
「じゃあさじゃあさー、大学卒業したのいつ?」
「大学は家の事情により通っていない。だが卒業認定は国家試験で通常より2年早く取得した。実習生として先月まで、教員免許は今年の春得たばかりだ」
「うほ!じゃあ22、3ってとこか!」
「…おまえ、どうして私の年が分かった?」
え?今のって無意識に答えてたの?
しっかりしてそうで鈍さを見せる担任に思わずそう突っ込む。
それにしても……22、か。10歳の年の差ってどうなんだろ。
5年10年後を想像し、いくつになっても変わらないだろう彼が頭に浮かぶ。とりあえず今日から牛乳を飲もう。そう決意するのは身長の逆転を見越してのことだ。都筑だって思春期、恋に恋するお年頃なのである。
「すげぇ人気だよなー、王崎先生」
不意に変声期を過ぎた男子の声が右から聞こえ、自分に話しかけていることに気付く。相手を確認しようとそちらを向けばすぐに本人と目が合った。
まず初めに思ったことは、"こいつ絶対体育会系だ"、である。
平均の男子と比べ体格が良く、肌の色も少し濃い。何かしらのスポーツで鍛えていることは一目瞭然だった。
「オレ、女子のタイプって人それぞれだって思っけど先生が人気なのはよく分かるぜ。スタイル良いし水泳やったら速そうだもんな、うむうむ」
彼がしているスポーツが分かった。そして少し単純なところがあるのもその物知り顔な様子から察することが出来る。
「先生って君から見てもいいんだ」
「もっちろんだぜ!このオレがいいって言ってんだ、あれじゃすぐ彼女出来んね!…つーかもういんの?彼女」
「どうなんだろ…いたらやだな…、って、なんで僕に聞くの」
「ノリでござる」
「ノリで振るなよエセ武将」
相手のボケに素早く突っ込めばそれがウケたのか「おおう!ナイスツッコミ!」と笑いが返って来る。
無邪気というか屈託ないというか、本当に自然な笑い方をする。眉に力を入れる癖が男らしくもあり、八重歯が姿を現すそれは子供らしくもある。
こういう奴が意外と女子にモテるんだよね…。
体格も顔も良い線行っている。ただ少し…単純というか、馬鹿っぽいというか。それさえ目を瞑れば一緒に居て楽しいタイプのはずだ。
「そういえば君、名前は?」
「オレか?オレは眞壁一輝!そういうアンタはあれだろ?都筑……、つづ、…うー……なんだっけ?」
「煉だよ。都筑煉」
「そうそうそれ!これから仲良くしよーな、煉!」
「う、うん…、よろしく」
体育会系のテンションで握手を求められ戸惑いながらも手を差し出せばやはりかというべきの豪快シェイクハンド。腕がもげそうな勢いだが相手の顔に分かりやすいぐらい嬉しさが表れている為離すに離せない。
周りにこういうタイプがいなかったせいか都筑はとても対応に困っていた。どちらかといえばインテリ派な都筑。運動は好きだし得意でもあるが、勉強の方がその何十倍も好きで得意なのである。
しかし改めて思えばこの学園に入学して初めて友達が出来たことになる。都筑がスキップで早期入学した秀才というだけで周りからは一歩引いた空気が感じ取れていたが、こうして気さくに話しかけてくれる者がいたことには感謝するべきだろう。
…一輝、か。
教室で何度か目にしたことはあった。常にクラスの中心となって場を盛り上げていた記憶がある。すでにクラスのムードメーカー的存在なのだろう。周りから好かれている奴に悪い奴はいない。
八重歯を見せニカッと笑う彼を見て学校生活に安心が芽生える。と、そこで授業開始のチャイムが鳴ってしまった。暁斗と話すことは出来なかったがその分友達を作ることが出来た都筑。眞壁と一緒に軽い会話を交わしながら列へ戻る姿はどこか明るく嬉しさに満ちていた。
「みんな揃ったかな?それでは次はレクリエーションですね。私ども担任一同が考えた結果、今日はみんなでゲームをしようと思います」
号令が終わるや否や始まった学年主任の話しに生徒達から歓声が上がる。高校生とはいえ子供は子供、退屈な話よりゲームの方が何倍も嬉しいのだ。
「ゲームの説明をしますと、今日みんなにしてもらうのは鬼ごっこです」
その瞬間ホールがざわついた。子供過ぎる遊びに流石の生徒達も困惑している様子。当たり前である。晴れての高校生活初の授業が鬼ごっこなんて聞いた事がない。この学園自体少々変わっているが、まさか授業内容まで変わっているとは驚きだ。
そして流石熟練教師と言うべきか、特に声を張り上げてはいないもののこのざわめきの中で彼の声は芯を成していた。生徒よりも楽しそうな様子で話を続けている。
「みんなはまだ学校に慣れていないからまずは今日の鬼ごっこで校内の道を覚えておきましょう」
ざわつきが収まった。意味あるゲーム選択に生徒達も納得したようだ。
確かにこの学校は果てしないぐらい馬鹿デカく、広い。迷子になる生徒が毎年絶えない為こうした簡易レクリエーションが生まれたのだろう。
「また、親睦も兼ねて先生方にも鬼ごっこに参加してもらいます」
「私もか!?」
「私もですか!?」
言われてなかった新事実に先ほど衝突していた2人が夢のハモリを実現する。そんな2人をスルーし彼の説明はまだまだ続く。
「ルールは簡単。鬼に捕まえられたら手を繋いで一緒に行動してください。最後まで鬼に捕まえられなかった生徒の多いクラスが優勝。学園内であればどこに行こうと、たとえ隠れようとも構いません。終了時刻は次のチャイムが鳴り終わるまで。ちなみに優勝したクラスには明日の昼休みに王崎先生がデザートを一品配ってくれます」
「ま、待て!そんなこと初めて聞いたぞっ!?」
ホールが別の意味でざわついた。生徒達にやる気が満ち溢れて行く。現金、かつ動かしやすい奴らである。
暁斗の制止はお構いなく学年主任の独裁は続き、流れるように鬼が決まった。鬼は誕生日が1日生まれ、血液型がO型の生徒2人。それ以外は立ち上がり、主任の合図と共にホールから散って行く。五分後に鬼の彼らが動き始めるというから誰よりも早く居場所を確保しなければいけないのだ。
次のチャイムまで残り82分。
怒涛の鬼ごっこが今、始まったのだった。
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