【7,気にくわない男(やつ)】





「…あとはここで待機し、9時十分前になったら出席番号順に並び多目的ホールへ向かうように。朝日、先頭は頼んだぞ。…HRは以上だ」



新入生の恒例行事の1つ、親睦を深めるレクリエーションを目前に1−BクラスのHRが終わった。

終了の言葉と共に騒ぎ始めた生徒達を残し教室を出る。これから一学年の担任が集まりレクリエーションに向けての最終会議を行うのだ。最終会議とは言ってもレクリエーションの手順を確認し担任同士の軽い挨拶を済ませる程度ではあるが。

会議の場所は多目的ホールに程近い予備会議室。さすがに行ったことのない場所にはいくら記憶力が良くとも地図なしではたどり着けない。暁斗は仕方なく手に持っていたファイルの中から予備の生徒手帳を取り出した。先日もお世話になったそれは僅か2日で新品の面影をなくしている。



「先生!」



場所を確認していたところで後ろから呼び止められる。振り返れば昨日の少年がこちらへと駆け寄って来るところだった。小走りに駆け寄る姿はまるで子犬を連想させるようだ。小さかった頃の弟を思い出し、つい彼に記憶を重ねてしまう。



「あのっ…昨日のことなんですが」



その言葉に暁斗は目を細めた。しかし次に発せられた言葉にはその気も緩めるしかなかった。



「実は生徒手帳の名前のところが間違っていて。本当はそれで、昨日あの時間にいたんです」



都筑がなぜあんな時間に校内にいたのかがはっきりとした。それと同時に彼が昨日のことについて詳しく尋ねる気はないのだと察する。

賢いな、と心の中で感服した。まだこんなに幼いのに大人の付き合い方を心得ている。

暁斗を見上げるその容姿がまるで紛い物でもあるかのように、彼の瞳は聡明で大人びていた。黒目の大きな瞳の奥に数々の思考が交錯しているような、そんな錯覚にまで陥ってしまう。



「…そうだったか。それで、生徒手帳はどうした」

「ここにあります」

「そうか。なら新しく発行するまでそれを…」



手帳を見せる彼の手に思わず目が行く。昨日あの後手当てをしたのだが適当な大きさのバンドエイドがなかった為消毒のみで終わっていたその擦り傷。家で貼ったのだろう。指先に数枚貼られたそれを見て思わず心配の念を顔に浮かべる。



「あ……えっと…、そんなに心配しなくても、あまり痛くないですから」

「だが…私がもっと早く追いついていればおまえがケガをすることはなかった」

「そんな…、先生は悪くない!僕がどんくさいからなったケガだし本当に見かけほど痛くないんです!」



己を責める暁斗に対し、必死に自分のせいだと取り繕う都筑。そのフォローの甲斐あってか暁斗の表情がどこか緩んだ。

そして弟乃暁の頭を撫でるように優しく彼の頭を撫でる。常に凛々しい表情をした暁斗からは到底考えられないだろう慈愛がそこにはあった。



「…おまえはいい子だな」

「せ…先生…、くすぐったい…です」



頭を撫でられることに都筑は慣れていない様子で、ほんのりと頬を染め恥じらっている。

成長した弟とは違い、ちょうど良い高さに頭があるから暁斗としては非常に撫で心地がいい。それにくすぐったそうに、かつ照れて伏せ目がちな彼は何度も言うがまるで子犬のようだ。柔らかいのに所々反発のある髪が犬の触り心地に近いのだろう。心を擽る何かがある。



「私は一度他の先生方と合流してからホールへ行く。おまえは教室に戻って時間まで待機だ。…また後でな」



最後にポンポンと頭を撫で、名残惜しいという訳ではないがどこか後ろ髪に引かれながらも暁斗は都筑と別れた。

再発行の手続きをしておかないといけないな。そう頭に記憶しながら仕切り直して手帳を開く。

地図によると会議が行われる予備会議室はこの教室舎と実習舎が繋がる渡り廊下の近くにあるらしい。とりあえず暁斗は一階に降りて渡り廊下を目指すことにした。

一年の教室は全て三階にあるが逆に一階は全て三学年の教室だ。しかし今日はその生徒1人も見当たらない。新入生のレクリエーションがある本日在校生の登校はない。二、三学年の登校は共に明日からとなっているのだ。

ガランと人気のない廊下を地図を頼りに歩いて行く。各学年3クラスしかないのにこの広さ。HRを見て分かるように1つ1つの教室自体が無駄にだだっ広いのだ。狭いよりは嬉しいがはた迷惑な広さだ。移動教室がいちいち冒険になることは誰しもが察しているのだろう。

初めて通る廊下を脳内地図に記憶しながら歩いていると、廊下の合流地点で1人の教師と遭遇した。

スラリとした黒のスーツにシワ1つない水色シャツと青ネクタイ。チタンフレームの眼鏡から覗かせた切れ長な一重はどこか冷めた印象を持つ、まだ若手だろう男教師。一瞬だけ目が合ったがお互い興味は持つことなく真っ直ぐに廊下を歩いて行く。

数メートル。

数十メートル。

距離が進むに連れ暁斗は眉間にシワを寄せていた。


…なんなんだこの男は。


暁斗が追い越そうとすればすかさず速度を上げ牽制される。歩幅のリーチをいいことに先ほどから追い越そうとしては振り切られる、この繰り返しで。

挑発的な行動に徐々に怒りが溜まって行く。明らかな悪意に暁斗は言葉で相手を牽制することにした。



「…急いでいるようだがどちらへ行く気で?」

「貴方にそれを言う必要は一切ないと思いますが?」



挑発的な態度で返される。流石にこれには暁斗も我慢出来ず、怒りを露わにして男に突っかかる。



「な、ならなぜそう挑発的なことをする!意味もなく喧嘩を売るのはよせ!馬鹿馬鹿しい!」

「私がいつ挑発的なことをしました?それにもしそうとなれば問題なのは挑発に乗った貴方ではないですか?大人なら抑えることも出来るはず。…あぁ、そういえば貴方はなりたての新米でしたね。大人の扱い方ではどうやら相応しくないらしい」

「っ、こいつ…!言わせておけば…!」



ただ話すだけで怒りが湧いてくるとは異常なまでに相性が悪い。

確かに新任である暁斗からすればこんな男でも先輩教師として尊敬の念を込めなくてはいけない。だがしかし、これでは尊敬よりも先に敵意が湧いて来るもので。

さらに怒りを見せる暁斗。相手を罵ろうと口を開いたその時、2人の間に場違いな仲裁が入った。



「やー、すみませんすみません。ちょっとHRが長引いてしまって。お待たせしました、お二人さん」



後ろから息を上げて駆けて来る年配の男。暁斗とこの嫌み教師に対して言っているようで、暁斗はすぐ我に返った。

よく見れば"予備会議室2"と書かれた札がある。男と競い合っているうちにいつの間にやら着いていたようだ。



「…あれあれ?何かいけない雰囲気でした?」

「いえ、何も。彼とは軽い挨拶を交わしていただけですよ」



なにが"軽い挨拶"だ!


何事もなかったように眼鏡を正し応対するこの男に一睨みきかせてやる。するとまた小馬鹿にしたような視線を返された。追い討ちとして小さく鼻で笑われる始末。

再び怒りが湧き上がる最中、老教師の視線に気付き抑えに抑えて耐え忍ぶ。



「……"軽い挨拶"を、交わしていただけなのでお気になさらず。それよりもまずは会議室に入るべきかと」



必死に耐える暁斗にまるで玩具を見つけたような愉しげな視線が送られて来る。彼の言葉を筆頭に一同は会議室の中へ入って行った。

その中で行われる会議が穏やかに済まないことは誰が見ても明らかであり、終始流れる対立した空気に武中幸一郎学年主任が首を傾げたのは言うまでもなかった。






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