【27,ざ・内科検診】







「男子はおまえで最後だな」





昼休みおよそ20分前。保健室に脚を運んだ暁斗は見慣れた生徒の後ろ姿に声をかけた。

新任である暁斗は生徒と同じく健康診断を受けなければならない。ゆえに担当場所で一緒だった御堂に嫌々ながら礼を入れると、わざわざ途中で抜け出しては聴力視力などの検診を受けて回っていた。

生徒達の都合もあり内科は最後にと言われていたので時間ぎりぎりに脚を運んだのだが、まさかまだ受けていない生徒がいたとは。

だがそれも後ろ姿で都筑だと分かったので暁斗は気軽にテーブルの貼り紙通り上半身下着だけとなっていた。そして再確認するように彼に声をかけたのだが、返って来た返事は最後、予想もしないものに変わっていた。



「うん。僕で最後だ……ヨ」

「そうか。まったく、こんな時間までなにをしているんだ。大半はもう教室に戻っているぞ」

「ソウナンダ。ゴメンネセンセイ」



口以外微動だにしないまま片言で話す都筑。会話を終えロボットのように前へ向き直る彼だったが、それから数秒して何語か分からない奇声を上げた。



「#£♀☆℃¥∀∀∀!!!!」

「こーらー、静かにー」



何を言ったか分からない奇声に奥から場違いなお叱りが飛んで来る。そうだぞ都筑、と暁斗も叱れば、彼は物凄い速さで壁際に後退って行った。

ブンブンと首を振り、「これは夢だ!これは夢だ!」と呪文のように唱える彼。その顔はなぜか茹でタコのように真っ赤だ。いったいどうしたのか分からず暁斗が慌てていれば、仕切りから聞こえた診断終了の声。



「はーい、次の人ー」



その台詞から間を置かずして仕切りから眞壁が出て来た。しかし暁斗が彼と目を合わすことはなかった。何者かによって彼の目に猫のぬいぐるみが投げつけられていたからである。

ちなみに保健室にはまだまだぬいぐるみのコレクションがある。今出動したのはその中でも女子に人気な猫のなーちゃん(保険医命名)だ。



「ふが!」

「先生は先に行って!早く!」



訳が分からないまま背中を押され仕切りの中へと押し込められる。抗議の声を上げるも都筑の表情が真剣そのものだったので暁斗は何も言えなかった。

仕方なく中にあったイスに座り、保険医と向かい合う。白衣を身にまとったその女性は暁斗を見るなり目をぱちくりとさせ、縁なしの眼鏡を机に置いた。

谷間が白衣から覗いている。スカート丈は膝上で、ふっくらとした唇はグロスで強調。同性の暁斗でも感心してしまうぐらい彼女には女性特有の色気が備わっていた。



「あら?男の子じゃないわね。生徒はもう終わりかしら」

「いや、あと1人私の後に残っている。訳あって先に診断してもらうが構わないだろうか?」

「…うふふ、いいわよ?じゃあまずは口を開けて」



指示に従い素直に口を開けた。ライトが喉の奥を照らす。



「"あー"って言って?」

「…あー」



何を診断しているのかは分からない。だがとりあえず従えば良いのだろうと暁斗は指示通り動いてみた。



「次は"いー"」

「いー」

「はい、"しー"」

「しー」



そこで彼女が何か含み笑いを漏らした。だが指示は何事もないように続いている。



「"てー"」

「てー」

「"るー"」

「るー…、?」



ん?と暁斗が疑問に思う間もなく次は胸に冷たい物が当てられた。



「っ」

「うふふ。そんなにびっくりしないで。優しくしてあげるから」



ずいぶん色気のある言い方をされたが、とりあえずこれも頷いてみる。

ペタペタと何カ所か体内の音を聞き取られた。その間なぜか暁斗の太ももには彼女の手が置かれている。決していやらしい動きをしている訳ではないが、何やら気になる位置にそれはあった。



「はい、じゃあ後ろ向いて?」



イスに乗ったままクルリと回る。彼女に背を向ければ再び冷んやりとした金属が暁斗の肌に触れた。

その間もなぜか彼女の手は暁斗に触れている。ちなみに今は腰の辺り、ちょうどくびれにそって手が添えられていた。だがそれを不思議に思うことなく暁斗は検診を受け続ける。教師として勉学を励んでいたが変なところで無知なのだ。



「じゃあ次は触診するわね。はい、こっち向いて」



クルリと前に向き直れば次はお腹に彼女の手があてがわれた。



「痛みがあったら言っていいのよ?まずはここね」

「…いや、痛くはない」

「じゃあここは?」

「大丈夫だ」

「ここ」

「問題ない」

「最後に、ここ」

「…痛みはない」



へそから15p下という際どいところまで押されたが特に痛い箇所は見つからない。机にあった教師用の紙に今までの結果を書き込む何だか機嫌の良い保険医を見つめ、暁斗は大人しく次の検診を待った。



「…はい。じゃあ次は問診。今日は朝ご飯食べて来ましたかー?」

「あぁ。毎日欠かさず食べている」

「うんうん。だからイイ体してるのね」

「体?」

「うふふ、気にしないで。次は…、何か運動はしてるのかしら?」

「いや、特にはしていない。…強いて言えば、月に一度乗馬をするくらいだろう」

「あら、腰つきにはテクニック有り?ますますイイわね」

「???」



先ほどからちょいちょい入って来る言葉に思わず首を傾げる。そんな暁斗を見て保険医はにっこりと愛嬌のある笑みを浮かべた。何となく笑顔を返さずにはいられず、暁斗はきごちなく微笑みを返す。



「あぁ…もう食べちゃいたい」

「食べ…、それは問診の続きか?」

「触診なら今すぐサービスしてあげるわ、センセ」

「いいのか?すまないな」



診察にサービスがあるなんて知らなかったが、してもらった方が体も安心だ。

どこを診察するのかと視線を送る。うふふ、と彼女が含み笑いを漏らした。



「乳ガンの検診よ。下着、今だけ外してもらってもいいかしら?」

「あ、あぁ」



流石に人前で下着を脱ぐことは抵抗あったが、検診ならばと背中に手を伸ばす。ホックを外すと解放感が生まれた。下着を下ろせば2つの膨らみが姿を現す。



「いい形ね。とても健康的だわ」

「…そうか」

「じゃあ、触るわよ?」



彼女の手がまず腰に触れた。そのままつつつ、と上に流れる。いきなり胸を触ることはしないのだろう。医師なりの配慮という訳だ。

脇の下近くにたどり着いた指は、まず外周から触診を始めた。2本の指で膨らみを撫で、しこりがないか確かめる。ゆっくりと中心に向かったその指は最後、僅かに突起を撫でると再び外周に戻った。

上下左右その動作が行われる。両胸とも触診が終わったところで、彼女が色っぽく笑った。ツンと立った突起を指で突つかれる。



「ん、」

「感度よし、腫瘍も無し。異常は何もないわ、センセ」

「そ…そうか。よかった」



どうやら今ので診断は終わったらしく、下着を付け直すよう言われた。肩にヒモを掛け、背中のフックに手を伸ばす。その1つ1つの動作をじっくりと眺められ、暁斗は思わず居心地の悪さを感じていた。

それもそのはず、実はこの保険医、女性を好む同性愛者というものだった。今まで同性愛者に縁がなかった暁斗だが、彼女がそうだとすれば今までのちょっと可笑しな診察にも合点は行くはずだ。

しかし暁斗はすこぶる鈍く、そのことにまったく気付かないまま無事に下着を付け終えていた。



「はい、センセ」



全ての診察を終え退出しようと立ち上がった時、不意に小さな紙を差し出された。それは「雨宮裕子」と書かれた彼女の名刺で。彼女の雰囲気にぴったりな薄桃色の可愛い模様入りだ。



「困った時にでも掛けてちょうだい?王崎センセなら電話、いつでも受け付けるわ」



語尾にハートを付け、おまけにウインクまでされてしまう。普通なら気付くはずだが鈍い暁斗はこれでも気付かなかった。



「すまないな。今名刺を持っていなくて」

「それなら大丈夫よ。気がついた時にでも渡してくれれば」

「そうか。なら素直に受け取っておこう」



軽く会話を交わし、妙に長かった内科検診を終える。仕切りから出るとなぜか入り口近くで眞壁と都筑が何かを誤魔化すように咳をしていた。仕切り越しでばっちり会話を聞き耳していた2人。初めて聞いた女性同士の絡みになんとも言えない表情で目を泳がせている。

僅かに首を傾げ、暁斗はそんな2人に構うことなくジャージを羽織っては保健室を後にした。後ろで最後の生徒を呼ぶ声がする。都筑は男だから大丈夫だろうがおそらく女生徒の何人かは暁斗と同じ目にあったはずだ。

ちなみに連絡先まで渡された女生徒は今のところいない。本気で雨宮に気に入られてしまった暁斗は何も知らずにポケットへ名刺を入れた。昼休みのことを考えながら足早にそこを離れる。まさか自分が同性愛者に好かれたとは夢にも思っていないのだろう。





「ひゃわ…!」





しばらく歩いていると突然か細い悲鳴が耳に入った。咄嗟に顔を上げれば階段を前にした暁斗の前方で女生徒が階段を踏み外している。

無意識に体が動き、上から落ちて来た少女を真っ正面から受け止めた。都筑を受け止めた時とは違い落下の高さがさほどない。それに手すりもあった為暁斗はよろめくことなく体勢を維持することが出来た。



「っ…、大丈夫か」

「あ……せんせ…」



よく見れば彼女は暁斗のクラスにいた生徒だった。名前は確か御堂かなで。あの忌々しい教師と名字が一緒で、さらには下の名前も雰囲気が似ているので良く覚えている。



「ご、こめんなさい…!わたしっ…、すみませっ…!」

「謝るな。誰だってミスをすることは……わ、私の友人の友人は1日に3度も階段から落ちたと言っていたっ。だから気にするな!泣くんじゃないっ!」



目を合わせた途端真っ赤になって自責に駆られる御堂。嘘でも付かなければ今にも泣き出してしまいそうな様子に慌ててあやすが彼女は余計涙ぐんでしまう。



「私なんか毎日階段を踏み外しているぞ!本当だ!む、むしろ日課だ!」



自分でさえ何を言ってるのか分からなくなったが、その無理のある嘘にようやく御堂が笑った。小さく、本当に控えめな笑い。

小柄な彼女は人よりもずいぶん内向的で、クラスでもいつも俯きがちだった。しかし今一度見ればとても愛らしい顔をしている。もっと顔を上げて、笑顔でも見せればその可愛さが映えると思うのだが。



「あの……ありがとうございましたっ」



消え入りそうな声でぺこりと頭を下げられた。周りに人がいないことから検診は1人で受けて回ったのだろう。確かこの校舎は教室舎と2階の渡り廊下で繋がっている。そしてその帰り道に階段を踏み外したという訳だ。



「礼はいい。その代わり次からは気を付けて階段を登れ。運が悪ければ事故に繋がるところだったんだぞ」

「は、はいっ。本当にありがとうござ、」

「だから礼はいいと言っている」



少し強く言えば御堂が怯えたように肩を揺らした。また泣き出してしまいそうな空気に一瞬冷やっとする。



「ぶ、無事ならいいという意味だ。別に怒っている訳じゃない」

「……そう、ですか?」

「もとからこの顔だ。気にするとキリがないぞ」



今以上に暁斗は自分の顔を怨んだことはなかった。教師となるならばやはり武中学年主任のように柔らかい表情の方が良いのだろう。しかしこれは直すに直せない癖のようなものだ。気にかけるにしてもついつい表情を堅くしてしまう。



「それなら…。……あの、それじゃあ失礼しますっ」



逃げるように階段を小走りで駆け登って行く。そんな姿を肝を冷やしながら見届けると暁斗も彼女の後を追い渡り廊下を目指した。

教室舎から出た方が教務室舎は近い。それでも少しの短縮でしかなく、校舎間での長い道のりを思い出して足取りを自然と早めて行く。

生徒達に配る例のデザートの為、ひたすら教務室へと歩き続ける。この学園の創立者でもある己の父親にちょっぴりと怨みも覚えた。


…帰ったら肖像画に睨みをきかせてやる。


そう固く誓い、暁斗は足早に渡り廊下を抜けた。



その遥か先で御堂が赤くなった頬を必死に冷やしていることも、父親に念を飛ばしていた暁斗には伝わらない。




王崎暁斗という女はことごとく鈍いのだった。







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