【19,真夜中の黒き躍動】






月明かりと電気スタンドのみが光る薄明かりの中。窓際のソファーに座り、1人コーヒーを啜る暁斗の姿があった。

スタンドの光を頼りに静かに読書をしていた彼女だったが、ふと、何かに気付き顔を上げる。

じっと外を見やる瞳。視線の先はベランダにある黒い人影だ。もちろんここは暁斗の部屋で、どう見ても不法侵入に思えるそれだが彼女は何1つ言うことなく再び本へと視線を落とした。

程なくしてベランダのドアが開かれる。ロングコートを着た男が暁斗のもとへと歩み寄って。



「暁斗、そろそろ時間です。ちょうど良い所まで読んだらしおりして」



あれほど大胆に不法侵入した男は落ち着いた声音で彼女にそう囁くと、部屋にあった時計を確認した。

深夜1時まであと12分。今日は"彼"がいるから予定より少し早めだ。



「……」



数秒経っても暁斗から返事はない。男はやんわり苦笑すると、「立って」と小声で囁き、腕に掛けていた彼女のコートを広げた。



「左から」



彼に言われるまま左腕をコートに通す。その際右手は器用に本を持ち、目は素早く文字を追っている。そして次に反対側の腕を通す時も、やはり同じ用法で読書を進める暁斗。

両袖の通ったコートを彼が正していると、ようやく彼女が動き始めた。本の最終ページに挟んでいたしおりを今読んでいたページの次に挟み、パタンと閉じる。

そして男と同じく時計に目をやり、部屋履きを脱ぐとクローゼットに隠していたブーツへ履き替える。忘れずにスタンドの明かりを消し、すでにベランダの外にいた男を追い歩き出した。



「都筑は起きているな」

「おそらくは。それと、乃暁はまだ帰って来ていないようなので帰りは用心してください」

「わかった。おまえも気を付けておけ、司貴。…朝のこともある」



そう注意を呼びかければ男…いや、司貴は柔らかに苦笑した。流石に深夜はオフということもありその前髪は下ろされている。いつものバトラーグローブも燕尾服も見当たらない。執事と言えば燕尾服に手袋だ。今の彼を見て執事と思える要素はその雰囲気と身のこなしくらいだろうか。

今は九影司貴という1人の男としてそこにいる。雰囲気がガラリと変わったことでいつもの苦笑もどこか違う印象だ。

その後も小声で会話する2人だが、彼らがしている行為は奇抜だった。会話を交わしながらベランダを横伝いに歩いているのだ。手すりを足場に危なげなく歩く様子は慣れたようで、2人が毎晩このように部屋を出ていることが見て取れる。

ベランダとベランダの間にある開いた距離もいくつか飛び越えると、無事目的の部屋へたどり着くことが出来た。部屋に明かりはなく、人の動く様子も見受けられない。ドアに手を掛け横に引いた暁斗だったが、僅かに眉根を寄せ固まった。

鍵が掛かっており開かない。都筑にあらかじめ鍵を開けておけと言っておくのを今の今まで忘れていたのだ。

そんな彼女を見て司貴がフォローするようにドアをノックした。控えめに、2回。反応があるか確かめる為、2人闇に目をこらす。

ベッドがあるだろう場所で僅かに動きが見えた。布団の中から漏れていた光が不意に消える。おそらく部屋に手配していた携帯ゲーム機だろう。灯りを付けることが出来ないので勉強は難しい。そう考えてそれを手配したのはもちろん彼の強い味方、九影司貴次期執事長だ。

暗闇の中布団から人影が姿を現す。しかし警戒しているのかなかなか距離が縮まらない。月明かりしかない為、お互い顔がよく見えないのだ。



「都筑、ここを開けろ」



小声で囁きドアを3回ノックする。防音の施されたドア越しでは声が届かないことぐらい分かっているが、つい声を出してしまうのが暁斗の性分だ。

ようやくお互いの顔が確認出来る距離まで近付く。ベランダにいる2人が暁斗と司貴であることに気付き、ガラス越しに都筑が驚いている。

「先生!?…に、司貴さん!?」とでも言ったような口の動き。外までは聞こえなかったが屋内にいる誰かに気付かれるといけないので、ベランダ組みは2人して口元に指をやった。



「「(訳,しー…!)」」



ジェスチャーが伝わり都筑が慌てて手を口に当てる。そしてしばらく耳をすませると、誰にも気付かれていないことを確認しドアの鍵を解放した。



「どうしてベランダから…!」

「トーンを抑えて。まずは部屋履きを履き替えて、それとこれを着てください」



聞きたいことは山ほどあるだろうが今は支度の方が優先だ。状況が理解出来ていない彼を強引に遮ると、もう一着持っていた上着を渡し司貴は部屋の入り口へと向かった。ドアに背を当て、耳をすませる。都筑が支度をしている間見張りをする為だ。



「靴、は……えっと…」



暗闇で靴の場所が特定出来ず、都筑がベッドの周りでうろうろしている。闇に目が慣れていた暁斗は手助けしようと彼が探す靴のもとへ向かった。

ベッド脇に置いてあった革靴を拾い、持ち上げる。


これだな?


そう聞こうとした暁斗だったが一瞬にして柔らかいベッドに押し倒されていた。



「!」

「ふぐ」



振り返った先にいたのは闇にさまよい歩いていた都筑で。まっすぐこちらへ向かっていた彼と正面衝突を避けることは距離的に無理があった。

おまけに衝突の際は膝裏にちょうどベッドマットがつっかかり、踏ん張ることも都筑を受け止めることもままならず、不覚にもベッドに沈み込んだという訳だ。あまりの驚きに持っていた靴を床に落としてしまう。革靴が床を叩く音で司貴が何事かと振り返る気配。



「う……、柔らか…い?」



都筑から漏れたその言葉。彼は暁斗の胸に顔をうずめていた。唇が彼の喋りに合わせて動く為妙にむず痒い。身長差ゆえ仕方ないが、なんともピンポイントな位置に彼の顔はあった。



「いい匂いもする…ってうわぁ先生!?」

「っ、声を出すなっ」



顔を上げた都筑の口に慌てて手のひらを押し付ける。口を塞がれ冷静を取り戻したらしく、都筑は急に大人しくなった。



「そこをどいて靴を履き替えろ。…いいな」



耳元で囁くが彼から返事はない。不思議に思って都筑を見上げれば、その顔は暗闇でも分かるほど真っ赤に出来上がっていた。



「都筑…どうした、まさか風邪でも引いたんじゃ…」



急激な環境変化に身体変化。12の彼には高校生活も"騎士"もどちらも酷なはずで。

熱を計ろうと額に手を当てたがその額は物凄い勢いで遠ざかって行った。その速度、オリンピック競技があれば金メダルは確実である。



「な、ななななんともないです!だからほらっ、先生も早く立って!」



小声で急かされ立ち上がる。ベッド脇に転がり落ちていた革靴を拾い上げれば、それは素早く奪い取られて。少し驚きながらも、次はベッドに放り出されていた上着を手にすると、それを羽織らせるように都筑に向けた。



「自分で着れますっ!」



再び奪い取るような速さで彼の手にそれが渡る。都筑の様子が変であることに眉根を寄せ小さく首を傾げた。

単刀直入に言えば、暁斗は色恋に疎いところがある。彼女にそういった類を伝えるにはストレートな表現でないと伝わらない。そしてなにより都筑はまだ子どもだと暁斗の中で位置付けられていた。異性というよりは生徒。恋愛対象には到底見られていないのだ。



「…準備はいいですか?」



一部始終を見届けていた司貴が静かにそう声をかける。それに短く返事をすると一行は月明かりを頼りにベランダへ向かった。

春の夜風に吹かれ、今まで室内にいた都筑が身震いする。その表情はなにか言いたげだ。おそらくは今彼が着ているその上着についてだろう。

暁斗、司貴、都筑と来て揃いも揃って丈の長いロングコートを着用している。それぞれデザインは微妙に違うが、生地やボタンは同じ。色も夜の闇に溶け込むような漆黒だった。

そして都筑が今一番気になっているのはそのサイズである。胴周りもそうだが肩幅も袖も都筑にぴったりなのだ。コートの下に着ている真新しいシャツとスボンのように、なんだか嫌な予感がして仕方がない。



「あの……これって先生の服…ですよね?」



そうあって欲しいと願う都筑には気付かず、あっさりと"嫌な予感"を裏付ける富豪令嬢。



「いや、おまえの為にオーダーメイドしたものだ」



簡単に答えれば都筑からは「やっぱり…!」と焦るような反応が。デザインでも気に入らなかったのか?そう問えば全力で否定される。



「違います!違うんだけど違うんです!」

「…どういう意味だ?」

「だから、えっと…そう!どうしてまたオーダーメイドなんてしたんですか!」

「家におまえぐらいの服がないからだ。それに夜は闇に紛れた方が人に気付かれる可能性も減る」

「だからって…!僕には制服があるでしょう!」

「ダメだ。制服で夜を出歩くことはこの私が許さない」



教師の意見を強く言えば都筑は反論が出来なくなったのか、うぅと小さく唸るだけとなった。

それをさらに追い込むが如く、司貴がポロリと言葉を零す。



「ちなみに服のサイズは君が入浴している時に、暁斗が」

「見たの!?」

「…シャツのタグを、少々」



司貴が同行していなければ暁斗は平然とバスルームに乱入していただろう。流石にそれは止められ、脱衣場にあった服を見ることになったのだが……不可抗力で暁斗が彼のパンツを見てしまったことは伏せておくのが男の情けである。

小声で会話していたのだがここがバルコニーであることに気付き、暁斗は突如手すりに足を掛けた。

時間も押しているし、第一まだ家の敷地内だ。先に進む為危なげなく手すりの上に立つと、下にいる都筑が息を飲む気配。



「これから"奴ら"をおびき出す。ついて来られるな、都筑」

「は…はい。……たぶん」



手すりの上に立つ時点でついて行けそうになかったが、無理だと言えばここで終わりなのを都筑は充分承知している。

そして言葉を詰まらせた理由がもう1つ。手すりの上に上がった彼女を下から見上げるアングルがとても魅惑的だったからである。

コートのボタンは2つほどしか閉められておらず、風がそれをなびかせればショートパンツから伸びる白い脚がコートの隙間から悪戯に覗く。月明かりということも相まってその姿は美しく、そして魅惑的でもあった。チラリズムが男心をさらにくすぐっているのだろう。見てはいけないと分かってはいても、つい白い脚に目が行ってしまう。

しかし都筑が理性と格闘している暇はそうなかった。暁斗を追い司貴が手すりに上がる。それを見て都筑も慌てて上がるが、細長い足場になかなかバランスが取れない。

"基なる魂"の力により身体能力は向上しているはずだが、都筑自身の脳がまだそれについて行けていない。人は先入観を持つと渡れるはずの道も渡れなくなってしまう複雑な生き物なのだ。

とうに先を歩いていた暁斗は2人がついて来るのを確認するように、今一度振り返った。司貴は当たり前だがすぐ側にいる。しかし肝心の都筑はというと、始めからそう変わらない位置にいた。

僅かに眉を下げると、司貴にアイコンタクトを取り下を指差す。すると彼が手すりから飛び降りた。続いて暁斗もそこから飛び降り、都筑の真下へと向かう。



「都筑、飛び降りろ…!」



声がどこから聞こえているのか分からず焦る都筑。足もとがおぼつかず、今にも手すりを踏み外しそうだ。



「下だ…!私はここにいる…!」



小声で叫べばようやく都筑が下を向いた。しかしそこで彼のバランスが崩れる。ベランダは二階にあったとはいえこの家の天井は高く、ゆえにその高さは三階、四階建てに相当する。まさかこんなに地面と距離があるとは思わず…。



都筑は動揺で足を踏み外していた。









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