【16,突撃お宅訪問】
「暁斗様はもうしばらくでお見えになりますゆえ、それまではこちらでお寛ぎを」
中津が一礼すると側で控えていた使用人が都筑に紅茶を淹れてくれた。先ほど揉みくちゃにされていた際飲み物を尋ねて来た使用人である。
丁寧に都筑の分を入れ終え、側にいた司貴に目をやる。そして彼の分も入れようと動いたその手に"待った"の声が掛けられた。
「あぁ、俺の分は構わない。君は仕事に戻ってくれ」
「かしこまりました」
一礼しては去って行くその姿に都筑はようやく司貴の立場がかなり上であることを悟った。それもそうだ。家主専属の執事なのだから使用人の中でも位は相当高いはず。
チラリと彼を盗み見る。仕事スタイルなのか前髪をワックスで整えており、様々なところに目を配る様子は流石次期執事長。出来る男はオーラが違う。
あの暁斗から信頼をもらうにはこの男のようにならなければ話しにならないのだろう。都筑は密かに抱いていたライバル心がさらに燃え広がるのを感じた。
あと数年したら僕だって…!
180は超えているその背丈にメラメラと炎を瞳に宿す。一年に7pは伸びると仮定して都筑も5年後には180代。イケる!と確信する都筑だったが、母159p、父174pの計算をすっかり忘れていることに珍しく気付いていない。
一方的にライバル視しているとそれに気付いたのか彼がこちらに目を向けた。ハッと我に返り慌てて紅茶に目を戻す。取り繕うように、ひと啜り。香り豊かな風味が口内に広がり、都筑は人知れず冷や汗を流した。
まさかとは思うけどこの紅茶、グラム何万もする最高級品なんじゃ…。
ふと見るとソファーの向こうでは夕食の支度をする使用人達が忙しそうに動いている。長いダイニングテーブルの上にナイフやらフォークやらを並べている様子からして食事スタイルはフルコース制のようだ。
なんとなく座っているこのソファーもそう。実は座った時びっくりして声が出そうになったほど、柔らかくフィット感がある。
良く考えれば何もかもが高級品に見えて来た。しかしそれを確認するタイミングも暁斗の登場により無いものと化す。
司貴が彼女の名を呼ぶ声で都筑は紅茶を啜りながらそちらに顔を向けた。
そして、盛大にむせてもいた。
「ぐ、!」
ゴホゴホと顔を赤らめ咳き込む都筑。運悪く紅茶が器官に入ってしまったようだ。咳き込み過ぎて顔が真っ赤になっている。ただし、顔が赤い理由は他にもある。
「まだ熱いうちに飲んだのか?まったく…司貴、背中をさすってやれ」
呆れたように、それでいて心配の念を浮かべながら暁斗が向かいのソファーに座る。いつものように脚を組み、腕を組んでは背もたれに寄りかかるその"お姿"。
肩には手触りの良さそうなタオルがかかっている。濡れた髪をしっかり受け止め、着替えたばかりのYシャツを濡らすまいと完全防備。
熱いシャワーでも浴びたのだろう。その肌は少しばかり汗ばみ薄桃色のシャツを僅かに透けさせていた。計らずしも見え隠れする黒い下着が思春期の都筑にかなりのダメージを与える。
さらに追い討ちをかけるのは動きやすそうなカーゴスタイルのショートパンツだ。機能性を重視したそれはキツ過ぎることもなく肌と肌の間に程良い空間を作っている。
その為、角度によっては隙間から見えてしまうのだ。…下着が。脚を組んでいると太ももの付け根ギリギリまで肌が露出されている。
背中をさすられ咳きは収まったが顔の赤らみは抑えられそうもなかった。私服姿の暁斗は目の毒もいいところ、ヘタをすれば兵器である。思わず目が泳いでしまい直視出来ない。直視したところでエッチな子供と思われたくないのだ。…チラ見してしまうのは仕方ない衝動ではあるが。
「暁斗、また髪を乾かさないで来ましたね」
やれやれと次は慣れたように暁斗のもとへ歩みその髪をタオルで拭き始める司貴。彼がこの姿に見慣れていることはその平然とした動作で分かった。特に何も言うことはなく、むしろやんわりと己の主を叱りつけている。
「髪はいつか乾くだろう。無理に乾かす必要はない」
「風邪でも引いたらどうするんですか。…こーら、動かない。それは後回し」
彼女の登場により使用人によって素早くコーヒーが追加された。その使用人をいつものように下がらせると暁斗はテーブルに置かれたそれに手を伸ばしたのだが、その手がカップに届くことはなかった。
司貴に肩を引かれソファーの背もたれに逆戻りする。少々ムッとした様子で眉を寄せるが、断念したのかすぐに大人しくなった。
片目を瞑るその表情はどことなく心地が良さそうで、どう見ても彼女が安心して身を任せているのが分かる。セミロングウルフの濡れ髪がタオルによって水分を奪われて行く様を見つめながら、都筑は思った。
そう、まるで母と子のような親密さが2人にはあるのだ。それをまざまざと見せつけられ都筑は急速に頭が冷めて行くのを自覚した。
「……仲がいいんですね」
嫉妬を含んだその一言に2人の視線が集まる。それがなんとなく直視出来なくて、伏せ目がちに紅茶を啜る。
「仲がいい…というよりは手のかかる妹かな」
「悪かったな、手がかかって」
「自覚があるなら直してください。大変なのは俺なんですから」
そう言って苦笑する彼の瞳には誰が見ても分かるほどに深い愛情で満ちていた。親愛か恋慕かは分からない。ただ分かることは、彼が都筑の恋敵であることだけだ。
「もういいだろう。私はコーヒーを飲む」
「はいどうぞ。…あと、今度はむせないように」
「…蒸せ返すな。からかうならあいつにしてくれ」
昼のことを言われ不意に頬を赤らめる暁斗。からかわれることには弱いらしく、目を瞑っては紛らわすようにコーヒーを啜っている。
その珍しい表情に都筑の感情が再び熱を帯び始めた。いくら冷めても彼女の魅力には抗えない。だからこそ嫉妬心というものが心に生まれてしまうのだろう。
「煉のあれはあなたに原因があると思いますよ。…俺はね」
「…?」
意味が通じていない暁斗とは裏腹に司貴は何もかもわかっているようだった。ね?と都筑に送って来る視線は「男なら分かります」とでも言いたげで、思わず罰の悪そうな顔をしてしまう。
なるほど、流石出来る男。全てお見通しだったという訳だ。
「…都筑。"アレ"は深夜だ。今のうちに家族に連絡しておけ」
「あ…、はい。…電話、ここでしてもいいですか?」
「構わない」
家主から許可をもらい、立ち上がる。近くにいた使用人に声をかければどこからか鞄が運ばれて来た。その鞄から携帯電話を取り出すと、アドレス帳から自宅宛ての番号を探し当てる。今一度暁斗の表情を確認すると、都筑は通話ボタンを押した。
「…携帯を持っているのか」
「暁斗もそろそろ持ったらどうです?携帯」
「使いこなせる気がしない」
「機械音痴ですからね暁斗は」
呼び出し音が聞こえ始めた。しかし都筑は2人の会話が気になって仕方がない。
「うるさい。第一あれは機械が悪い。なぜあんなにややこしくするのか私には理解出来ない」
「ややこしくって…電子辞書は大抵あの造りですよ?あれくらい使いこなさないと今後授業で差し支えるような」
「それなら普通の辞書を持ち歩けばいいだろう」
「まぁ、そうなんですが…。使いこなせば楽なのに、もったいない」
「…その使いこなす自信がないから言っているんだ」
横から聞こえて来る会話についつい意識が行ってしまう。右耳から電話越しに何度も名を呼ばれ、ようやく都筑は自分が電話をかけていたことを思い出した。
「煉ちゃん?もしもし煉ちゃん?どうしたの?忘れ物?」
一瞬何を言おうとしたのか忘れてしまったが、それはすぐに取り戻せた。
それと同時に天然をかます母親へいつものように突っ込みを入れる。
「今頃忘れ物コールは手遅れだよ母さん」
「あらまあ。本当、もうこんな時間。お夕飯の支度しなくっちゃ」
「あ、それなら今日僕の分いいから」
「お外で食べて来るのね?」
「違うよ。実は今友達ん家で勉強会してるんだけど、なんだかけっこうはかどっちゃって。もしかしたらこのまま泊まって行くかもしれないから母さんには言っておこうと思って」
「まぁ、お泊まり会?もうお友達が出来たのね。なら煉ちゃん、枕投げは怪我をしない程度に頑張るのよ」
「頑張っていいんだ。…なら、頑張って来るよ。怪我は"たぶん"しないから」
その枕投げが行われる確率は至って低いが、深夜都筑が怪我をする確率は少なからずとも、ある。今さらながらに自分が危険なことに首を突っ込んでいる事実を自覚した。それを親に隠そうとしているのも、なんだか親不孝な感じがして後味が悪い。
「じゃあ母さん、今日は1人でよろしくね」
「わかったわ。あ、それと煉ちゃん。お土産は気にしなくていいからね」
「当たり前だよ、修学旅行じゃないんだから」
突っ込みの後数回言葉を交わし、通話終了のボタンを押す。携帯を閉め顔を上げればそこには暁斗の意外そうな顔があった。
「先生?」
「あぁ、いや。…母親と話す時は雰囲気が変わるんだな、と」
「…そうですか?」
確かに声のトーンは微妙に違うかもしれないが、彼女が思うほど都筑に変わりはない。
「敬語がなくなったからじゃないかな。ほら、暁斗にはいつも敬語ですし」
「…そうか。……そうだな」
司貴の言葉に納得したのか暁斗がそれ以上言うことはなかった。代わりにじっと司貴を見つめ、おまえと同じか、などと呟いている。
確かに彼も時たま敬語が外れる節がある。彼女の執事をする傍ら執事長として命令することが多いからだろう。対して暁斗はほとんどにおいて上の立場にある。敬語を使う必要もなく裏表のない彼女だからこそ敬語を剥がしたその差が気になっていたようだ。
「あ、先生。許可はちゃんともらいました」
「あぁ、聞いていた」
「僕、本当にここにいてもいいんですよね?」
「なんだ?急に弱気になって」
「……だって…」
こんな豪邸だとは、思わなくて。
なんとなく遠慮がちになってしまう。おそらく1部屋貸し切りなのだろう。今なら世話好きな使用人もついて来るし、ホテルで言えば一泊ウン十、ウン百万はくだらないはずだ。
夕食の時間が間近に迫っているらしく、見るからに豪華そうな料理がカートで運び込まれている。食欲をそそる香りが都筑の鼻にも届いており、さっきからお腹が悲鳴を上げていた。体は心とは裏腹に現金なのだ。
そんな都筑を知ってか知らずか暁斗はさらにプレッシャーをかけて来る。時折見せる甘い微笑みを浮かべ、どこか親しみを込めた言葉で都筑の不安を取り除こうとして。
「…安心しろ。私はもうおまえを拒まない。変な気遣いは無用だ」
「先生…」
何も今それを言わなくても…。
母親に似たのだろう。心許した者にだけ見せるそれが、今の都筑には嬉しいんだかプレッシャーなんだかどちらか判断が付かない。むしろどっちもな気がして胸に複雑な感情が生まれて来そうだ。
「今後はおそらく今日と同じ流れになるだろう。都筑、今のうちにこの流れに慣れておく必要があるぞ」
「あ、はい。……そっか、これから毎日だ」
……ん?毎日?
そう都筑は疑問に思った。朝から夕まで学校で、夜はここに泊まり深夜になったら化け物退治。そんな過密スケジュールの中、いったいいつ睡眠を取ればいいのだろうか。
深夜がメインとなるこのスケジュールに睡眠不足は憑き物で。成長期の都筑には辛い毎日となること間違いなしだった。
それにもし深夜まで仮眠を取ったとしても時間になって起きられなかったら問題外である。
「起きられる…、よね」
ソファーに座り、呟きが漏れる。目覚まし時計でも買っておけば良かった。深夜に起きられない可能性を考え今日は徹夜するしかないだろう。
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