【14,Just a knight】
「夜も来るんですか!?」
ティーブレイクの時を過ごす教務室の中でその驚きは上がった。そして、静かにコーヒーを注ぐ音が続く。
ちなみに暁斗はこれで7杯目。そのお代わりを注いでいる司貴はというとまだ2杯目で。このことから彼女のコーヒー好きがどれほどなのか目で見て伺えた。
…あれから、一時間とちょっと。
"騎士"として認められた都筑は彼らの日常や戦いの理由をこと細かに聞き出していた。
あの化け物はなんなのか。どうして暁斗が狙われているのか。執事である司貴がなぜ"騎士"なのか。そのようなことから本当に些細なことまで今まで細々と聞いていたのだが…。
実は今のような驚きはこれが初めてじゃない。自分の生きてきた世界とは遥かにかけ離れた現実に都筑は驚きを隠せなかった。特に"基なる魂"とこの世界の生い立ち、そして世界が1つではなく3つ存在することについては興奮を隠しきれない様子で。暁斗の頬と都筑の指に貼ってあったバンドエイドがテーブルに放り出されているのもその一連に含まれている。
両者共に傷の名残さえ見せない驚異的な治癒力。それも全ては彼女の魂による影響だった。綺麗さっぱり治っていた己の指を見て驚愕するのは都筑でなくとも仕方のないことである。
注がれたばかりのコーヒーが暁斗の口に運ばれる。3人掛けのソファーに脚を組み座る姿はやはりご令嬢。様になっている。
その横では司貴が主の飲みっぷりを見つめていた。横に立っているからだろうが彼の無意識な流し目にはほとんどの女性がイチコロであろう。好青年の流し目ほど魅力的で胸に来るものはない。
そんな2人を前に都筑はテーブルを挟んだ向こう側へ座っていた。教務室にソファーが2つあるのはびっくりだが、こういった時の為に備え付けられているに違いない。
都筑の座るソファーは2人掛けの黒革製。非常に座り心地が良く、生徒と教師が話しをする為にあるのだと考えれば少々、いや、かなりもったいないチョイスだと分かる。
「あぁ。むしろ奴らは夜にしか現れない。昨日や今日のように日があるうちに現れたことが奇跡と言っていいほどだ」
「深夜2時から3時頃が目安かな。その時間になるとほぼ毎日暁斗のもとに現れるんです」
「2時から3時!?」
再び驚きの声が上がった。確かに驚くことだ。だって都筑はその時間毎日熟睡しているのだから。
「じ、じゃあ先生達はその時間毎日…」
「怪物退治だ」
「怪物退治ですね」
当然のように声を揃えて返され、都筑は座っているのに立ちくらみをしたかのような感覚を覚えた。
知れば知るほど自分の常識が通じないことを知らしめられる。それを日常としている2人がまるで怪物のようだ。まぁ魂からして常人じゃないことは確かだが。
「そっか…。なら僕も起きてなくちゃ」
飲めないコーヒーの代わりに注がれた紅茶が冷めた状態で都筑の顔を映す。長い袖でカップを持て余し呟けば、暁斗の眉がぴくりと動いた。聞き捨てならない言葉を耳にこのティーブレイクで初めて彼女のカップがおかわり以外でテーブルに降り立つ。
「…都筑。最初に言っておくが、子供は寝る時間だ」
「そうですね」
「……来る気だろう」
「もちろんです。だって僕はあなたの"騎士"だから」
カップの中でコーヒーが揺れた。聞き分けのない子供に暁斗は少しお怒りのようだ。
「ダメだ」
「聞けません」
「聞け!」
「嫌です!」
堂々巡りが始まったその横で司貴は3杯目に手を出していた。空になったカップにコーヒーを注ぎ、少し冷めたそれを喉に流し込む。
また作り直さないといけないな。
そろそろ残りも僅かだ。いい頃合いだと立ち上がり、それを再びコーヒーメーカーにセットしに行く。
後ろではまだ言い争いが続いている。苦労体質が体に染み付いている司貴はそれを無理に止めようとしなかった。苦労は日課。ゆえに彼の苦笑は様になっているのだろう。
異界種と戦っている最中運悪く遭遇した一般人にごまかしを述べるのは、彼。戦いが延び朝方帰って来た時の錯乱した中津に言い訳するのも、彼。
全てにおいて暁斗に悪気はなく、見方によっては頼られていると言ってもいい。それを考えれば1つも苦にはならなかった。
根は真面目で責任感のある彼だが茶化すところは茶化し、気を抜くところは気を抜く。力を入れる時にはしっかりと入れ、叱るべき時には変な遠慮などせず真っ正直から叱りつける。それが彼を好青年に見せる由縁なのだろう。そんな生き方をしていたからこそ今までこの立ち位置を続けて来られたのだ。
それゆえこんな時でも無理な仲裁はせず、2人に向かって的確な突っ込みを投げかける。
「でも煉は俺達の住所分かりませんよね」
ぴたりと口論が止んだ。優位に立った暁斗が怒りを緩め再びコーヒーに手を伸ばす。
その表情は分かりやすく「よく言った」と書いてある。普段凛とした表情を崩さない暁斗だが、一度崩すと一変して喜怒哀楽が分かりやすくなる。本来は感情豊かだがそれを抑えてしまう癖が彼女にはあるのだ。
司貴と知り合った時にはすでにどこか近寄りがたい雰囲気を放っていた。幼少期から複雑な事情があったからだろう。知り合った頃よりさらにその要素が増しているのは、近寄りがたくして関係のない者を寄せ付けない為。そうして無意識に相手や自分自身を守っているのだ。
異界から来る、未知なる恐怖から。
「そうだ。だから子供は寝ていろ。それが一番お互いの為になる」
"騎士"扱いではなくすっかり子供扱いされてしまった都筑。こんなことで簡単に引き下がる訳には行かず、子供特有の悪知恵と彼の特権である頭の回転を生かし素早く別の答えを導き出す。
「じゃあ先生について行きます」
ごふ、と誰かがむせる音がした。
今飲み物を啜っていたのは暁斗ただ1人である。かろうじて服にはかからなかったようだが口の中のコーヒーはカップの中へ逆戻りしたようだ。
「車で帰るんですよね?なら僕はそれをタクシーで追いかけます。本当は連れて行ってくれるのが一番なんだけど…ダメなんでしょう?」
捨てられた子犬のようにじっと暁斗を見つめる。都筑はどちらかと言えば女顔だ。まだ幼いこともありその瞳は大きくつぶらで、少し伏せ目がちで寂しそうに見つめれば母性を擽る立派な武器と化す。
自分の武器をフル活用した効果はあったらしく、口を拭う彼女の瞳が分かりやすく揺れ動いた。だが暁斗は見て分かるように頑固だ。いったん揺れた瞳は都筑から顔を逸らすことで堪える。断じて譲らない構えがお互いあるようだ。再び堂々巡りな争いが始まる気配。
そしてそれを未然に防ごうと動いたのが、すでに会話の誘導的ポジションにいる男、司貴だった。
「…毎日同じ時間に、毎日同じような怪物退治」
1つ1つ強調して話せば2人の視線が一気に集まる。しかしそんな視線をものともせず、話しはさらに続けられる。
「ご両親には連絡を欠かさず、学校は遅刻をしない。…それが誓えるというなら俺は止めません」
一拍置いて述べられた言葉に都筑の表情が明るさを増して行く。反対に暁斗の表情は険しいものへと変わった。ソファーから立ち上がり抗議の声を彼にぶつける。
「司貴!おまえはどっちの味方だ!」
「今日も明日もあなたの味方です」
「ならなぜこいつにそう加担する!」
「実は今日から彼の味方でもあるので」
せっかくの"騎士"仲間ですから。
そういつもより少し軽めなトーンで答えれば瞬く間に暁斗が空気の抜けたボールと化す。はぁあ、と強く息をつきソファーに座り込むと、目についたカップの残りをやけ食い、もといやけ飲みして行く。
暁斗のようなタイプは張り合えば張り合うほど譲らなくなる。だからこそ彼のようにワンクッション出来る者が側に必要なのだ。
彼女はもちろん話し相手にストレスを与えず、なおかつ円滑に会話を進める。これも彼女の執事をしていく上で身に付けた技術だった。少々気難しい暁斗にはこれくらいがちょうど良いのである。
「それに、これが一番あなたの為になる」
先ほど暁斗が言っていた台詞。彼女はお互いの為と言っていたが、司貴と煉は"騎士"である。全ては"基なる魂"の為に生き、行動する。それが彼らの本能なのだ。
昨日今日とまるで狂ったように時間を外れ現れた異界種。教師となった暁斗を司貴は常に護衛することが出来ない。代わりに都筑がその間守ってくれれば自宅待機の彼も少しは気が休まるのである。
「…ちゃんと親に連絡出来るな」
どうやらこの戦い、都筑の勝ちのようだ。折れた暁斗は最後の抵抗なのかどこか威圧的になっている。
「もちろんです。だって僕は高校生だから」
実際は12だろう。その言葉が喉まで出かけると同時に、暁斗は肝心なことに気付いてしまった。
高校生、ましてや12の子供を深夜に連れ回していいと許可する親が果たしてどこにいるだろう。それも教師とくれば怪しさは二倍、三倍。暁斗が男であれば通報される確率はほぼ100%で間違いない。
急に黙り込んでしまった暁斗に都筑が何事かと首を傾げている。難しい顔をした彼女に有能な執事は問題を察したようだ。とりあえず案はあるのかどうかその元凶に尋ねてみる。
「煉、ご両親にする言い訳は?」
「言い訳?」
「そう、言い訳。まさかそのまま話す気だったとか」
「…えっと」
考えてなかったのか。
先ほどまでの自信満々が嘘のように目を泳がせている。
すると暁斗が閃いたかの如く顔を上げた。都筑を真っ直ぐに見つめ、断言する。
「ダメだ。なにを考えようとおまえの両親は説得出来ない」
思い浮かんだのは案ではなくギブアップのようだった。それにしてはどこか明るく…。
「だからこのことはなかったことに、」
「しないでくださいね!僕が言い訳考えますから!」
暁斗の目論見を阻止しようと素早く言葉を遮る。ムッとする彼女を視界に都筑は頭をフル回転させた。
都筑の両親は父親が単身赴任で母が専業主婦とごく一般的な家庭である。兄弟はいない。祖父母は別居の核家族。ゆえに両親の愛情を一身に受け育って来た。
少し、いやかなり天然の入った母ならきっとなんとか誤魔化せるだろう。しかしその話しが常識人である父に渡ればどうなるか。
両親共に子供に甘いところが僅かな救いだった。それを上手く活用する為にも、子供らしい言い訳をしなくてはならない。
そう、子供らしい言い訳だ。親が許すような、完璧な言い訳…。
「あ」
微かに浮かんだ案に思わず声が上がる。2人の注目が集まる中、都筑はその案をさらに頑丈なものへと練っていた。
小学校から急に高校へと飛び級した都筑。勉強について行ける自信はあるが、それを理由に言い訳を作るのはどうだろう。
例えば"友達との勉強会の末、泊まる"、とか。勉強に集中しすぎて遅くなったから泊まって行くね、などと伝えれば必ずお許しは下るだろう。都筑が勉強好きなことは両親ももちろん知っており、第一母はそれを強く応援している。父だって息子の才能を喜んでいることだし、これなら案外イケるんじゃないだろうか。
毎日この言い訳を続けることは難しいかもしれないが、上手くいけばその"友達の家"イコール学生寮のイメージを植え付けることが出来る。さらに付け足して、自宅より学校に近いなどと漏らせばポイントは加算されるだろう。
あえて"友達の家"と言うのは教師の自宅で勉強会は流石に怪しまれてしまうからである。だから暁斗にはその時だけ友達となってもらう。ちなみに性別は男。同じクラスの"男子"なら都筑の両親も安心して預けられるはずだ。
「先生、言い訳出来ました」
先ほどの表情とは打って変わって浮かんだ子供らしくない不敵な笑みに2人は揃ってこう思った。
彼は策士だ、と。
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