【13,Just a knight】






時計の短針が真上を過ぎた。世界史教務室ではほろ苦い香りが部屋中に満ちている。それは入れ方さえ良ければインスタントでも本格的になると暗に伝える芳醇な香りで。

その部屋の中央には黒革製のソファーに座る都筑の姿があった。3人掛け出来るそれの中央に座り、少し緊張しているのか指のバンドエイドを気にしながら話の流れを聞いている。

前方には暁斗がデスク椅子に脚を組み座っていた。男心をくすぐる、程良く筋肉の付いたグラマラスな太ももは都筑の同世代には無いもので、布越しながらも目を刺激して来る。相手がパンツ姿であるにも関わらず組み替え時のあの隙間を気にしてしまうのは都筑が"男"である証とでも言っておこう。

しかしそんな都筑に対し彼女の視線はこちらへ向いていなかった。その視線は左へ、都筑からすると右だが、そこにあるコーヒーメーカーへと注がれている。

そのすぐそばではあの執事が主と同じくそれを見つめコーヒーの出来上がりを待ち望んでいた。もちろん彼が作ったコーヒーだ。昨日今日でこれほど出来が違うのは彼がインスタントの入れ方を完璧に覚えて来たからである。完璧主義という訳ではないが主を喜ばせたい。そんな意志が彼をそれに近いものへと動かしているのだろう。

暁斗と都筑が教務室へ着いた時、すでに彼はこの部屋で待ち構えていた。主、"基なる魂"の危機を察し仕事を中断させては学園に駆けつけたのだと言う。

しかしなぜ暁斗のもとまでたどり着けず、ここ、教務室で待機していたのか。それは様々な障害が彼を待ち受けていたからだった。



王崎家はこの学園から車で20分の位置にある。それなら充分間に合うと誰もが思うだろう。だが今日に限っては事が上手く進まなかったのだ。

司貴はいつものように執務室で仕事に励んでいた。王崎家に来る社交界や食事の招待、仕事関係の通知、商談などは全て彼を通して管理されている。例えば暁斗に見合いの話が来たとすれば彼を通して暁斗本人に伝えられる。仕事で忙しい若社長にも同じことだ。商談の話があった時も乃暁の部下に連絡を取り間接的に情報の伝達を促す。

言ってしまえば彼こそが王崎家を支える大黒柱だった。昔はその役割を執事長の中津が行っていたのだが、年を取ってしまった今全てをこなすことは難しいと自ら判断し次期執事長である司貴にその仕事を任せている。

最近は王崎グループの発展が著しく、商談の話がひっきりなしに届いていた。それを今日は可哀想だが全部中津に預け、車に駆け込み急いで暁斗のもとへ向かおうとした…のだが。

そんな司貴を呼び止めたのが王崎家第二の主、乃暁だった。

彼も商談に行くところらしく「ちょうど良いから乗せて行ってよ」とわがままを発動。司貴の言い訳を聞き流してはそのまま車に乗り込んだ次第である。

その2分後、迎えの時間通り部下が乃暁を迎えに来た訳だがそこにはすでに彼の姿はなかった。代わりにその部下には本日中に解雇届けが届く予定だ。若社長"乃暁様"を待たせた罪は果てしなく重いのである。

"今朝のこと"もあり仕方なく彼を商談先まで送り届けると、司貴は改めて暁斗のいる学園へと向かった。制限速度ギリギリまで飛ばして着いた先では授業終了のチャイムが鳴り響いており、その瞬間運の悪いことに司貴は暁斗の"輝き"を見失ってしまったのだ。

異界種を殲滅(せんめつ)し力を抑えた暁斗の"輝き"を遠くから感知することは極めて難しくなる。同じ建物内やそれほど離れていない距離にいるなら位置や方角くらいは僅かに察知出来る。しかしあてもなく広範囲を探るとなれば話は別だ。輝きを抑えた彼女の魂を特定するのは全神経を尖らせてでも時間が掛かり過ぎる。

ゆえに仕方なく、教師である彼女が必ず来るだろうこの部屋で待機していたという訳だ。



「ところで暁斗」



今まで自分が遅れて来た理由を説明していた彼だが、突然話を変え始めた。

視線がコーヒーメーカーから都筑へと流れる。じっと見つめられ、都筑の緊張はさらに張り詰めて行く。



「どうして彼は帰さないんですか?」



的確な質問だった。生徒は帰宅の時間であり、何よりも不自然なのがあんなに長時間異界種と戦っていた暁斗が疲れを見せていないことだ。怪我も頬の傷だけで済んだようだし、明らかに何かの助けがあったかのように思える。

実際司貴はとうに勘付いていた。暁斗の後ろから教務室へと入って来た少年が、自分と同じ"彼女の力"を宿していることに。

それなのに遠回しに聞いているのは彼なりの配慮、そして断言出来ない第六感のせいだった。今まで暁斗は彼以外の"騎士"を作ったことがない。その為この感覚が本当に"騎士"同士に通ずるものなのか定かではないからだ。



「ああ、……こいつには話さなければいけないことがあってな」



嘘は言っていない。都筑に全てを話す為ここを選んでやって来た。

しかし暁斗には気まずいものがあった。今まで彼以外の"騎士"を作らなかったというのに、事故とはいえ突飛に新たな"騎士"を作ってしまったこと。遅れた理由を聞きながらもどう話せばいいか悩んでいたのである。

お互い探り探りになり、会話が途絶える。そんな2人の視線を一身に受け、都筑はまるで自分が浮気現場にでもいるような錯覚を覚えた。

ある意味立場的には正しいのかもしれない。"騎士"となるには"基なる魂"、つまり王崎暁斗からの力の注入が不可欠となる。その力を注いでもらうには彼女と体を繋げることが必要で、司貴も"騎士"であるならば少なからず暁斗と体を接触させたことになる。

男女間の交わりとはまったく異なる、生か死かを分けた重要な交わり…なのだが、変に偏って考えてしまうのは都筑が年頃だからゆえだろう。翌々考えればあれはファーストキスでもある。意識するなと言われても忘れられる訳がないのだ。



「あ、あのっ…!」



緊張で声がかすれてしまい、唾を飲み込んでは仕切り直しを計る。



「…僕、また明日来ます」



ひとまず整理する時間が必要だろうと都筑は考えていた。暁斗も司貴も、都筑だってそうだ。話が急すぎて全然自分の本心を話せていない。

ソファーから立ち上がったところで暁斗から制止の声がかけられた。待て、とどこか決意の籠もった一言。はじめに話すことを決心したのはどうやら彼女のようだった。



「…こっちへ来い、都筑」



脚を崩し暁斗が椅子から立ち上がる。理由が分からないまま彼女のもとへと歩み寄る都筑。



すると、



「え…!?」



腰と後頭部を引き寄せられ2人の距離が一気に縮まる。都筑の脳裏にはあの時の映像が蘇った。パニックになりつつある彼の脳に本能からの指令が送られる。"基なる魂"の力を受けよ、と。

唇が触れ合う寸前、出来上がりを示すコーヒーメーカーの電子音が響いた。ちらりと暁斗の視線がそちらへ流れる。



「……驚かないな」



そう言って暁斗は都筑を解放した。司貴に目をやるが、彼の表情に緊迫したものはない。あれほど一般人の巻き込みを避けていた暁斗が今目の前で"騎士"を作ろうとしたというのに、彼は表情どころか組んだ腕さえ崩さなかった。

予想外の反応に暁斗の方が面食らってしまう。そんな主の様子に司貴はいつもの苦笑をその顔に浮かべた。腕と共に一瞬でこの張り詰めた空気を崩して行く。



「やっぱり。彼も俺と同じかなと薄々気付いてはいたんです」



"騎士"が"基なる魂"を感知するように、やはり"騎士"同士にも通ずるものがあるようだ。それはお互い"基なる魂"の力を宿しているからだろう。魂の纏う気配がほんの僅かだが似てくる。

"騎士"歴が長い司貴だからこそ気付いたこと。肝心の"基なる魂"を持つ本人はそのことにまったく気付いていない。

暁斗の魂は言うなれば太陽のようにどの魂よりも強く輝きを放っている。それはつまり、自分の明るさで目が眩み周りの魂が全て同じような光に見えてしまうことを意味する。

司貴が暁斗を見つける時もほぼ同じような原理だ。今までは微かに感じていたものが暁斗に危機が迫った途端、ポンと夜空に太陽が現れる。これらは全て本能で感じ取るものであり、人間で言う第6感に近い感覚だった。



「いつから気付いていた」

「あなたの後ろから彼が顔を出した時、ですかね」

「見た瞬間か」

「はい。でもなんとなくでしたから聞くに聞けなくて」



話の途中でコーヒーのことを思い出し、冷めないうちにとカップに注ぐ。カップが紙なのは学校の水場で食器を洗うことを避ける為と、手間を省く為にある。

創立者である暁斗の父はどうやら気配り上手のようだった。それならもう少し土地を狭くしても良かったのではと思うが、これはこれ、それはそれ。金持ちの思考ゆえ仕方ない。



「…おまえの言う通りだ。都筑は私の"騎士"になった。いや…、してしまった、というのが正しいだろう」



コーヒーを注ぐ彼の手が止まった。言い直した彼女の言葉に若干のニュアンスが含まれていたからだ。



「…"してしまった"?」

「あぁ…、そうだ。おまえと同じ、この身勝手な魂のせいで都筑を"騎士"にさせてしまった」



2人の脳裏に浮かんだ15年前の出来事。本人同士にしか分からないその時の感情が蘇る。

暁斗は未だに後悔していた。命が懸かっていたとはいえ、彼を…幼かった司貴を巻き込んでしまったことを。

しかし司貴はそう思ってはいなかった。確かに昔は嫌で嫌で仕方がなかったかもしれない。でも今では誰よりも彼女の為でありたいと思っているし、彼女の為なら命をも投げ出せる覚悟がある。

だからこそこうして今まで見守って来た。"騎士"として…、そして、彼女の執事として。





「僕はそう思わない」





2人の会話に入って来た少し低めのボーイソプラノ。たどって行けばそこには強い目をした都筑の意志が待ち構えていた。



「確かに最初は戸惑ったよ。でも、今なら分かる。…僕は…先生、あなたを守ることが運命なんです」



恨みも憎しみもない。ましてや悲しみなんて微塵も感じない。"騎士"という使命をすでに受け入れた少年が胸に浮かべる想いはただ1つ。



「僕を必要としてください。責任感じてるなら、最後まで責任取って」



必要とされたい。その想いこそが"騎士"の本能だった。必要とされ、求められることで彼らは強さを手に入れる。その手に入れた力で主、"基なる魂"を守ることこそが彼らの喜びであり使命なのだ。



「責任…、か」



"基なる魂"を持つ者として取らなくてはいけないのが責任である。そしてその責任を取る上で感じてはいけないことが後悔という2文字。後悔を胸にする者に責任は取れない。暁斗はそれをこの小さな"騎士"に教えてもらった気がした。

司貴に目をやる。いつも暁斗を見守る瞳が穏やかに微笑んだ。認めてやってください。そう言っているのが言葉を交わさずとも分かる。

暁斗は今まさに、上辺だけではなく心から都筑を認めることを誓った。その顔に浮かぶのは今は亡き母に似たどこか不器用な微笑み。そして今は亡き父にも似た甘い眼差しを滲ませ、都筑の頭に手を乗せる。



「取らなくてはいけないな。おまえの言うその責任を」

「…先生」



くしゃりとその柔らかい髪を撫でる。弟が小さかった頃を思い出し余計に彼が愛くるしく思えた。



「だが言っておく。私の義理は堅いからな、もういいと言っても無駄だぞ?」

「それは、覚悟してます」



ほんのり染まる彼の頬。くすぐったそうに目を細めたその少年の名は、都筑煉。

今日から新たなる"騎士"となった彼に2人の温かい視線が注がれる。



まるで彼の運命は初めから決まっていたかのように、運命の歯車がゆっくりと回り出したのだ。








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