トリプルアクセル


 アクタベに言い遣わされた仕事もない。勝手に探偵の依頼を受けようとするようならば、すぐにお咎めがくる。
 そんな状況の中、ななしは今日もソファの上に寝転がって、暇を潰していた。
 本は読み飽きた、粗方の本も読み終えた。依頼の情報が仕舞われた棚に目を移すものの、アクタベの言葉がリフレインする。
『勝手に触るな!』
 と怒鳴り声で言われてはどうしようもない。ななしは頭上にグジャグジャになった黒い糸を浮かばせたあと、ハンカチを顔に被せた。なにもない、なにもない。ななしに与えられた仕事はなにもない。
 ななしは暇に殺されそうだった。
 だがななしはどうにか生き長らえている。
 アクタベから『オレの帰りを待て』の一言の命令で、ななしはどうにか息継ぎを覚えている。
 すぅ、とななしの鼻から寝息が漏れる頃に、真横から聞こえた鈍い音でななしは目を覚まされた。
「ななしさん、仕事ですよ」
「え、え?」
 音に飛び起きたななしが困って辺りを見渡すと、何やらさくまの私物と思われる鞄が、力なくテーブルに横たわっていた。
 その人物へ目を移せば、全く形相が異なっている。ななしは金髪美女を目の当たりにして、開いた口が開かなくなった。
 西洋人の美貌を持つそれは「フン」と得意気に髪をスルリと伸びた白い指で払う。
「聞こえなかったんですか? 仕事ですよ」
「は、はぁ……?」
 容貌に覚えはなくても、声に覚えはある。ななしは目の前の人物と声にちぐはぐしながらも、その言い方にムッとする。
(お前なんかに、そう指図がする権利があるとでも言うのか?)
 と不満を胸に燻るななしへ、アザゼルとベルゼブブがひょっこりと顔を出す。
「よー、ななし。今日もまた留守番かい」
「まぁ。アクタベさんが出るな、って言うから」
「飽きもせず『アクタベさん』『アクタベさん』。アンタのキャパシティにはそれしかないって言うの?」
「……ところで、この方は誰かな? お客様? それとも、依頼人?」
「御冗談を遊ばせ、ななしさん。もう分かっておいででしょう?」
「けれども、凄い変わり様だね。あと、臭いから寄んな」
「そうでしょう、そうでしょう。あと、今なんつったオラ」
「ベルゼブブ! アンタ臭いから離れなさいよ。ところでななしさん? し、ご、と」
「……だから、アクタベさんが駄目だって」
「『アクタベさん』がなによ。アタシの言うことが聞けないって?」
 鷹のように凄んでくる金髪美女にななしは肩を竦める。
 後ろでヘラヘラと笑っているアザゼルの職能でスタイル抜群の巨乳金髪美女へ変貌したさくまは、性格を悪い方へ変貌させ続けながら髪を払った。
「仕事ったら仕事。ほら、早くして」
「だから……なんの、仕事? 仕事の用件を聞かなきゃ、動けるものも動かませんぜ?」
「依頼よ。別れさせ屋の」
 適当に話を切り上げようとしたななしの本を取り上げ、さくまはギロリと睨む。
 腕で枕を作ったななしはひさしの本を取り上げられて、ムッとした顔をした。
「私、そう言う依頼をするなと言われた」
「私は聞いていないわ」
「そうは言っても、堂々巡りでしょ? だから」
「だから、なに?」
「……他の人じゃぁ駄目なの?」
(ウザい)と心底思いながら尋ね返したななしに、さくまは「フン」と得意気に笑う。大きい胸を張らせるさくまに、普段のさくまの姿を被せたななしは、ムッとした顔をする。
 さくまの様子に、ななしはベルゼブブへ目配りをする。
(性格も、ウザいほどに豹変したよね)
(えぇ、本当に)
 頷くベルゼブブを見たあと、ななしは話を続けるさくまを見た。
「駄目に決まってるでしょ。今のアタシを見てなにも分からないの? 全ての男と言う男は私に振り向くのよ? それに、他の女が並べると思って? って言うか、ソイツらが当て馬とか引き立て役になるだけでしょう?」
「……だから?」
 ベラベラと聞いてもいないことまで喋るさくまにうんざりとしながら、ななしは話を続ける。
 さくまは満面の笑顔で、ななしにこう言った。
「だから。あなたと私で、お似合いじゃない?」
 うっとりとしたように言うさくまに、ななしは得体のしれない寒さを感じた。
 全身に鳥肌を立たせたななしの様子をベルゼブブしか知らない今から時間が経ち、あっと言う間に仕事に協力することになったななしは、ざわめくパーティ会場の中で、壁の花を決め込んでいた。
「……馬鹿らし」
 天井から吊り下がる『合コンパーティ』の看板に吐き捨てたななしに同意するように、横に侍ったベルゼブブが頷く。
「えぇ、本当に。そう言えば」
「え?」
「普段ならば、人の心の変移に興味を持つあなたが、珍しい。あのさくまさんの変わりよう、あれに興味を持たないのですか?」
「……私が興味を持つのは、あくまで第三者の目線からであって。体験者として見ることじゃぁないよ」
「アクタベ氏に限ってはそうではない、と言っても?」
 心を見透かしたベルゼブブにななしはギロリと目尻をつり上げる。心が見えないななしに対して、普段のななしの行動から憶測したことを当てられたベルゼブブは、レモンに手を伸ばす。
 レモンの酸っぱい味がベルゼブブの口の中に広がった。
「おぉ、酸っぱい」
「道化を演じて何になるって言うの?」
「それ、誰に言ってるんです? どれ、なにか食べたいものはあります?」
「いい。自分で取るから」
 バイキングスペースのトングと皿を手にとったベルゼブブへ言ってから、ななしはドリンクバーに向かう。
 壁に張られた貼り紙を眺めたあと、ななしは並々と入ったコップを手に持って元の場所に戻る。
 壁の花に戻ろうとした瞬間、ななしの横を誰かが取った。
「おっと、驚かないで。ただ、ちょっと、えーっと……話を、したくて」
「は、はぁ……」
 ビクリと肩を竦ませて振り向いたななしに、男は申し訳なさそうに首を掻きながら謝る。
 ななしは訝し気な視線を、男へ向ける。ターゲットと接触を計っていたさくまは、男と話すななしを見る。
「今日はどうして、ここに?」
「……友達に、誘われて」
 食べる分だけを装ったベルゼブブは、視線を逸らすさくまを見る。
「そっか。お、オレも似たような感じでさぁ。ハハッ……もしかして、こう言うのに興味はなかったりする?」
「まぁ。食べること、以外には」
「あ! オレも! オレも食い放題だからって聞いてきたんだけどさぁ。ダチのやつがいきなりここにしようぜ! って言うことで無理に連れてきちゃってさぁ。もうなにすればいいか分からなくて困ってたんだよね!」
「あ! 私も! 私も、余りこう言ったところに行き慣れてなくて! 食べることや飲んだりすることしかできないよね」
「そうそう。一体誰と話せっつー感じだよなぁ。なんか、たむろってたら職員らしー人に注意されるし」
「ハハッ、必死なんだ」
 楽しく話を弾ませるななしに、さくまはムッと眉を顰める。そんなさくまから離れて、アザゼルは満足そうに腕を組んで、うんうんと頷いていた。
 そんなアザゼルに、食べ物を乗せた皿を片手にベルゼブブは近づく。
「……アンタ。またなにかしたんですか」
「え? いや、なにもしてないよ? ただシャイボーイの背中押しただけだし」
「なにかしたんだな」
「そ、そんなにけんけんするこたぁないの……。シャイボーイの背中、押してあげただけやで? ちょーっと性欲滾らせて、話しかけるよーにしてやっただけなんやで?」
「クソがっ! そこが余計なお世話だと言うんだよ」
「なんや! あとがおもろうなると思うてやっただけやないの! どーしてそこまで言うん!?」
「てめーの胸に聞いてみろや!!」
「なんでや! あ、一個ちょーだい」
 キレたベルゼブブに不満を返したあと、アザゼルはその皿に盛りつけられたものへ手を伸ばす。
 ベルゼブブは皿に盛りつけられた料理がアザゼルの手に忍び寄られていることに気付く。
 アザゼルの手がその皿に盛りつけられた料理につけられるその瞬間、ベルゼブブは鋼鉄の刃と化した羽でアザゼルの首を斬りとった。
「あ、なにか食べる?」
「いいよ、自分で取れるから」
「あ、あぁ、そう……」
「フン。ガードが固すぎる上にあんな天然……誰が陥落させられるものですか」
「そう言うべーやんこそ、陥落できへんとちゃうか」
 失言を働いたアザゼルの頭部をもう一度、ベルゼブブは斬りおとす。
 ターゲットの連絡先を笑顔で受け取ったさくまは、ターゲットが視線を逸らした隙を縫って、ななしの様子を盗み取る。料理を選んでる最中であったななしは、また別の男に話しかけられていた。
「あ、どうぞ」
「いや、どうぞ」
「え、いや」
「いえいえ、どうぞどうぞ」
「え……」
「……あの、アザゼルくん。キミ、あんなにかけたんですか?」
「いや、あのシャイボーイだけやったけど……あーあ、あのシャイボーイ失敗してやんの。チッ、つまんねぇ」
「じゃぁ、なんですか、この図は。まるで餌に群がる魚のようではないですか。チッ、干からびて死んでしまえ」
「まぁー、べーやん先生落ち着いて。あのシャイボーイができたから自分もと思ったのとちゃうん? まき餌にされよったんや、アイツ」
「チッ。どれだけあの餌を食えるのに苦労するか知らずに……脱糞死しさせたろか。ア!?」
「熱くなりすぎやろ。っつーか、べーやん。ここで無闇矢鱈に職能使ったらあかんて。さくに怒られるで? あ、そう言った趣味があったん?」
「お前と一緒にするな」
 横にいるアザゼルを真顔で叩ききったベルゼブブの前を、スラリと伸びた足が通り過ぎる。ベルゼブブはその人物を見上げる。アザゼルの呪いで金髪美女と化したさくまが、能面のような顔でななしの近くへ歩いていた。
 代わる代わる話しかけられていることに混乱するだけしかできないななしへ、さくまは怒声を上げたと思われんほどの声色で呼びかけた。
「ななし! さん」
「あ! す、すみません。友達がいるので」
「あ」
 残念そうに見送る男に構うことなく、ななしは呼びかけたさくまの元へ走る。さくまは自分の元に駆け寄ったななしを見てニコリと笑ったあと、ななしの肩に手を置いて言った。
「暫く、彼と食事に出かけるから。一人で帰れる?」
「あ、うん。……当たり前でしょ?」
「その当たり前のことができないんじゃない。アイツらと一緒に帰って。いるだけでも邪魔だから」
 あとは話すだけだし、と付け加えてからさくまは離れる。やけに見下す態度を取るさくまに眉を顰めるななしに構うことなく、気合いを入れなおしたさくまは、ターゲットの元へ向かう。
 急に帰還命令を出されたアザゼルとベルゼブブは、一先ずななしの元へ向かう。
 ななしはムッツリとむくれ返ったまま、ベルゼブブとアザゼルの方を見ずに言った。
「なにあれ、ムカつく」
 さくまを指差すななしの声色に、嫉妬や憎悪と言った情は見られなかった。
 顔を見合わせたベルゼブブとアザゼルは肩を竦める。
「調子に乗っとるとちゃうの、アイツ」
「そりゃそうだろ。じゃなきゃ、あんなこと言わないだろ、普通」
「アクタベ氏から普段言われてるのに?」
「あれは別。帰るよ。もうそろそろ、帰ってきてるはずだと思うし」
「はいはい」
「へーい」
 さくまのいなくなった合コンパーティを抜けて、ななしとベルゼブブ、アザゼルは何のハプニングもなく無事事務所に戻る。
 だが、事務所に戻るまでが『無事だった』わけで、なにも事務所に戻ってからが『無事だった』わけではない。
 扉を開けて数コンマの勢いで閉めなおしたななしは、殺気を感知したベルゼブブとアザゼルとともにガタガタと歯を震わせながら、縮こまっていた。
「どうしよう、どうしよう、あれ……! めちゃくちゃ怒ってる!!」
「怒ってる理由と言えば、あなたしかいないでしょーが! ほら、とっととどーにかしなさい!!」
「嫌だよ! 今回ばかりは私の意志で出てきたわけじゃないし!! って言うか、無理に連れ出されたんだよ!? これで一体どう怒られろって言うの?! 理不尽だ!」
「いつも喜んで怒鳴られとるやつが何いっとんねん!」
「自分に非があるのは分かるけど、他人の所為だと言うのに怒られるのは、いくらアクタベさんであっても嫌! 絶対に嫌だかんらね!? 先に非を責められるべき相手を差し出してから、私は怒られる!」
「結局怒られることをよしとしとるやないか!」
「だからあれとあれとは別だって言ってるでしょ!」
 ギャアギャアと喚く一人と二匹の声が聞こえる扉へ、当の事務所で殺気を放っていたアクタベが近付く。
 ガチャリとドアノブが捻られる。力任せに押し開かれた所為か、扉に寄りかかっていたななしが前へ転がった。
「オイ」
「ヒィ!」
 氷の棘が背中に伝わされたアザゼルとベルゼブブは、情けない悲鳴を上げる。
「『怒られるのは私じゃない』? 『責められるべき相手は他にいる』? オイ、ソイツは一体どう言う意味だ」
「ヒィ! け、決してそう言うわけじゃなく……!!」
「そうそう! さくのヤツに言うなと口止めされたわけじゃなくぅ!!」
 うっかり口を滑らせたアザゼルに構うことなく、アクタベはななしの首筋に手を伸ばす。
 前へ転がったななしはぶつかった頭を撫でながら立ち上がろうとした。だが、首根っこを掴まれる感覚にグラリと来る。
 アクタベはななしを引きずったまま、肩越しに後ろを見て言った。
「オイ」
「ヒィ!!」
「邪魔だ、とっととどこかに消えろ」
「ど、」
 どこかに行けと言うのなら還らせた方が手っ取り早いのではないか、とななしが口を開くよりも前に、バタンと事務所の扉が口を閉じさせる。
 ななしとアクタベが消え去った扉を見上げて、二匹は暫し沈黙をした。そして中から聞こえる騒音を聞いて、何かを察したように二匹はビルを出た。



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