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「ハンカチ落としましたよ」




それはきっと偶然で、




改まって、言葉にする程の事ではないが、私は至って平和で平凡な人生を送ってきた。
日本に生まれて26年。
今までそれなりに学生業を堪能し、心身共に苦労はしたが社会人生活にもやっと慣れて来た。

「今日は日差しが強いなー…」

営業として働く私が外回りに出て数時間、朝からの気温も大分上がり、ぎらぎらと太陽が照りつけ始める。取引先との商談も終え、会社から出た途端に感じたじめっとした暑さに、すぐさま羽織っていたスーツの上着を脱ぐと片腕に掛け歩き出す。
今の会社に就職して4年が経とうとしていた。
元々、事務職が性に合っている私はそっちを希望したはずなのだが、何故だか営業へと就いている。(世の中って不思議なもんだ)

「…あの」

その時、冒頭であるその言葉は私に降り注がれた。

呼び掛けられた?と後ろを振り返れば、ふいにドキッと胸がざわついた。私を呼び止めた男性を見遣れば、漆黒の短髪が何処か強調されるような風貌で、だがそれに劣らぬ蛇の様な鋭い眼。

「えっ……あ!ご、ごめんなさい!わざわざありがとうございます…!」

そんな瞳と視線がぶつかると同時に、私は思わず戸惑いの声が漏らしてしまうが、すぐに我に返ると咄嗟に頭を下げた。(折角ハンカチ拾ってくれたのに、なんて失礼なの私…!)だが、当人の男性は顔色一つ変えず、同じ様に頭を下げるとハンカチを私の手の中へ収め、その場を立ち去るべく歩みを進めた。
私は、何故だか緊張を張り巡らせた糸を緩めると同時にふう、と息を吐くと、受け取ったハンカチをズボンのポケットにしまい、男性とは反対方面へと足を進めた。(なんか、びっくりしたなー…恐い形相でこっち見てたから殺されるんじゃないかと…)


ぴた。


(…違う。そういうのじゃ、ない?)
歩みを進める中で、先程の状況を整理していると何処か違和感を覚え、自然と足を止めた。
そして、今来た道を引き返す様に体を反転させると、まだ少し視界に映る先程の男性の背中に向かって今度は私が声を掛けた。

「あのっ…!」

「……」

声を掛けられた男性は、先程の私と同じ様にこちらへ振り返るとまた、顔色一つ変えずに「はい」と答えた。(そうだ、私…この人を)見る度、聞く度に頭の中がざわざわとざわめき出す。だが、それはとても不鮮明で何か靄がかかっている様な、そんなもどかしさが脳内を蝕み始める。

「あの…何処かで、一度お会いしてませんか?」

そして、先程から引っかかっていた言葉が喉の奥から飛び出した。

「!……」

すると、男性は先程まで一切変えなかった表情を少し、驚いた様に目を開かせると、すぐにまた表情を戻し、口を開いた。


「ええ。私は、貴方をよく知っています」




それはきっと、必然で。




表情は変わっていないのに、何故だか男性が笑っているように思えた私は、男性の言葉の意味も理解出来ていない癖に、何故だか笑ってしまった。





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