(大学教授×院生なぱっつち) 憂鬱な気分だと堪え切れずに溜息をひとつ。 土方は書類を抱えなおし、その研究室の前に立ち尽くした。 今日はかなり寒くなるとテレビのキャスターは告げていたが、廊下すら空調設備が整ったこの建物の中では寒さの実感が全く湧かない。 ちらりと扉の上部にかかげられた名札に目をやる。そこには坂田銀八と印字された名札のすぐ下に「在室」を知らせる札がぶら下がっていた。 散々探し回って、結局この部屋にいたというのが、なんとも腹立たしい。 苛立ちを隠さず舌を打ちながら扉をノック。しようとして、思いとどまる。 「在室」の札はカモフラージュかもしれない。なんせ相手はあの坂田銀八だ。 サボるためなら偽装だっていとわないだろう。 そう結論づけて、土方は扉に向かって聞き耳を立てる。扉越しにかすかに話し声が聞こえてくる。 「だっから、期限はもう過ぎてんの。ゲームオーバーなの」 「そこをなんとか〜!これ落としたら私、留年確定なんだってば!」 やる気のないたるい声にかぶさるように女の声が響く。声から察するに銀八の受け持ちの学生だろうか。 ともあれ坂田がこの部屋にいるのは確認できた。少し待ってみるか、と扉のすぐ隣の壁にもたれかかる。 が、間髪いれずに扉が開き、ほっとしたような表情の女生徒が出てくる。 扉の隣でもたれかかる土方の姿をとらえた瞬間、彼女はあわてたように声をあげた。 「ひ、ひひひ土方先輩!」 「…もういいのか」 「あっはい!大丈夫です!」 失礼します、とぺこりと頭を下げると、彼女はきゃーと両手で頬を覆いながらバタバタと立ち去って行った。 その後ろ姿を怪訝な表情で見送って、土方は軽く扉をノックしてドアノブに手を伸ばす。 「今度はなんだよ。言っとくけど単位はやるけど評価は…ってなんだ。土方君か」 パソコンデスクに向かっていた坂田がゆっくりとこちらに振り返る。 その手にはカップアイスが握られていた。100円かそこらで売っているものではなく、少し高めのアイス。 それに釣られてさっきの女生徒に単位をやったのだろうか。十中八九、そうだろう。 「いくらなんでもちょろすぎないスか。それでもあんた教授か」 「馬鹿だね、土方君。教授職は教師じゃなくて研究者なんだぜ。それにこれ、期間限定の新しい味だし」 土方君も食べる?とスプーンをこちらに寄越そうとする坂田に丁重に断りを入れながら、土方は中央に位置するテーブルに抱えていた資料を無造作に置いた。 そうして軽く両手を払うと、坂田の方に目を向ける。 「今日という今日は俺の研究に付き合ってもらいますよ、坂田先生」 「ええ〜」 「口答えしてねェで、さっさとこの資料に目通せ」 「…土方君って俺の事教授だって思ってないよね、絶対」 ぶつぶつ文句を垂れながら、土方が差し出した資料に目を通し始める。 ここ数ヶ月、寝る時間も削って没頭していた研究の下準備とその結果だ。理論上でも特に問題はないはず。 あとは実際に理論通りにいくか実験を重ねるのみ。ただし、その実験を行うには実験室の使用許可が必要なのだ。そしてその許可は、坂田教授にしか出せない。 だからこうして大学構内をさんざん探し回っていたのだ。 「で、どうなんですか。そろそろ実証に入りたいんですけど」 「…んんん〜確かに理論的には大丈夫っぽいけど」 でも足りないねぇ。 資料をぺらりとめくりながら、坂田はしみじみと呟く。 その反応に、土方は身を乗り出して坂田の手元を覗きこんだ。 何か重要な見落としがあったのだろうか。全く気付けなかった。 「…何が足りないんスか」 「チョコ」 「………はぁ?」 「だから、チョコ。チョコレート」 聞き間違いかと固まる土方に、坂田はゆっくりと右手を差し出す。その顔はにやにやと教授らしからぬ表情を浮かべている。 知らず顔の筋肉が引き攣るのを感じる。 「おっしゃってる意味が理解できないっていうかしたくないんですけど」 「鈍いね土方君。研究に甘いものは必須だよ。脳みそ使うんだから糖の力を借りないと」 「単にあんたが食いたいだけだろ」 「安いもんでしょ。チョコひとつで実験室の使用許可、与えてやろうってんだから」 そう言ってスプーンをくわえたままの坂田がニヤニヤと笑う。 腹立たしい。心底、腹立たしい。 「…逃げたら学校長に言いつけてやるかんなクソ教授」 「大丈夫だって。男に二言はねェ」 へらへらと笑みを浮かべるその顔を殴ってやりたいと疼く腕をなんとか押さえつけて、土方は坂田に背を向けて、足早に扉へと向かう。 キットカットでよろしく〜、と背後で告げるゆるい声を遮るように、土方は乱暴にその扉を閉めた。 あんないい加減なクソ教授。チロルチョコで十分だろう。 そんな皮肉を脳内で吐き出して、土方は購買へ向かうべく足を踏み出した。 (Laboratory) ←戻る |