(さっちゃんとツッキー/愛染香騒動の後の話) 人は恋に溺れると判断能力が鈍るらしい。 実際、この地下の世界でも恋という麻薬に溺れた者の末路を、幾度となく見てきた。 一人の遊女に入れあげて自身の生活すら崩壊させた男もいれば、一人の客に本気になりその男のためにと犯罪に手を染める女もいた。 傍から見れば愚かな行為も、麻薬にかかった者にはそれが正義になる。 その全てを否定する気持ちなどないし、それが人間だとも思う。 でも理解は出来ないこともある。特に彼女の行動については。 「だからそのときの銀さんが…ってあなた聞いてるの?」 いつの間にか日輪の店に居座っている猿飛のマシンガントークに、月詠は適当な返事を返しつつ煙管を持ち変えた。 そろそろ夕刻を告げる時間。道を行く者はほとんどおらず閑散としている。 この地下の街が本格的な活動を始めるのはもっと日がどっぷりと沈み始める頃。 通行人がほとんどいないのも無理はない。今はどの店も開店の準備に追われているのだろう。 そしてそれは自分たちも例外ではない。 「そろそろ気が済んだか。こんな所でぬしに構ってる暇などありんせん。さっさと帰るなんし」 「なによ。そんな煙管なんか吸ってあなた暇そうじゃない。っていうか肝心なことは何にも聞けてないわ!」 「…なにが」 「だから!男を手玉に取る手管とか秘技とかそういうのよ!」 あなたそういうの詳しいでしょ、と啖呵を切る猿飛に深い深い溜息をついてみる。 煙管の灰を落として、腕を組む。ふと空を見上げればうっすらと朱色に変化しようとしている。 この地下の街からこんな夕日を拝めるようになるとは、それこそ数年前なら考えもしなかった。 それでもすっかり馴染んでしまった光景に変化しているのだから、人間の適応能力は案外簡単なものなのかもしれない。 「…ぬしもよくそんな不毛な行動、続けられるな」 「どういう意味よ」 「あの男は、一生誰かのものにはなりんせん…ぬしも分かっているだろうに」 吉原で起こった愛染香での一件。 あの騒動のおかげで、否が応でもいろいろな事に気付かされてしまった。 それを今更、嘆くつもりなどないが、猿飛の行動だけは理解できないでいた。 坂田銀時という男は、誰かの心を簡単に荒らしていくくせに自分はちっとも掴ませない、そんな最低のろくでなしだ。 「…それがなんだっていうのよ」 一言そう告げて、猿飛はあからさまな溜息をついた。 そうして長い髪をかき上げながら颯爽と立ち上がる。 「銀さんが誰のものにもならない?そんなの、私の好きだっていう気持ちを妨げるものになりゃしないわ」 くだらない、と呆れ顔で断言する猿飛に面を喰らって黙り込む。 そんな月詠に向かって、猿飛は人差し指を突き出した。 「そんな馬鹿なこと言ってないで、来週までに吉原の秘技、私に教えなさいよね!」 それだけ宣言すると、猿飛はさっさとこちらに背中を向け立ち去っていく。 その後ろ姿を眺めながら、なんとなく身体が脱力するのを感じる。 好意の向け方というか、方向性というか、何もかも間違っている気がする。多分。 「…してやられたわね」 後ろから聞こえた声に振り向けば、日輪がうんうんと頷いていた。 いつから聞いていたのか、尋ねようとしてやめておく。なんとなく墓穴を掘ってしまう予感がした。 「やっぱり猿飛さんは強力なライバルみたいね」 「何を見てそう思ったかは知らんが、わっちは話を聞いてただけで…」 「馬鹿ね。油断してるとかっさらわれちゃうわよ」 「勝手に話を進めるな。だいたいなんで日輪がそんな嬉しそうな顔してるんじゃ」 にこにこと笑みを向ける日輪を振り返り、月詠は溜息をこぼす。 そんな月詠をスルーして、日輪はくすくすと声を上げた。 「だって月詠が対等に話してる友達なんて、猿飛さんが初めてだもの」 なんだか新鮮な気持ちだわ。そう言って日輪はさらに楽しそうに笑う。 その笑顔になんとなくむず痒い気持ちになって、月詠は仏頂面を取り繕う。 「…友達なんかじゃありんせん」 せめてもの抵抗にと吐き出した言葉は、不本意にも拗ねたような口調になってしまう。 まるで反抗期の子供だ。そんな自嘲を誤魔化すように、月詠は煙管の煙を吐き出す。 細い白煙が夜を迎える夕暮れの空に溶けた。 (字余り恋歌) ←戻る |