(厭魅銀時と松陽先生)




 遠ざかる足音にそっと耳を傾ける。致死量を達しているであろう出血はじわりじわりと己の体温を奪っていく。痛みはとっくに薄れているが、どうしようもない寒気に銀時はそっと腕を抱えた。
 ここまで来るのにこんなに時間がかかってしまうとは、5年前の自分はなんてぐうたらなんだろう。そんな悪態を脳内でぼやいてみる。
 白粗に侵されて、こうしていくつもの方法を探しまわって5年。何も残さず、逃げ出した自分を新八や神楽は怒るだろうか。なんとなく、容易に想像できてしまった。
 だけど、こうすることしかできなかった。自分にとって最善の方法はもう一つしか残されていなかったのだ。
 これでようやく終われる。安堵のため息とともに銀時はこっそり笑みを浮かべる。混濁する意識の中、何気なく目を開けた。

 そして前方に捉えた姿に一瞬目を見開く。
 若草色の着物に身を包み、飴色の髪を揺らしながらゆっくりとこちらに近づいてくる。懐かしいというには鮮明に記憶に刻まれているその姿。

―――お迎えにきたってか。

 死に際には三途の川の向こう側から死者が手招きしていると聞いたことがある。視界に川など見当たらないが、恐らく迎えに来たのだろう。
 何故だかふいにおかしくなって銀時はこっそり息をつく。そうしてこちらに近づいてきた男を見上げる。

 銀時の視線に気づいた男が穏やかに笑う。ゆっくりと腕を持ち上げたかと思うと、男――松陽は銀時に向かって握りこぶしを振りおろした。


「〜〜っ!?痛っ!!?」


 頭部の鈍い痛みに混乱気味に己の頭をさする。目を白黒させている銀時をよそに、頭上から、はああと深い溜息が降ってくる。


『まったく、あれほど命を粗末にするなと言ったでしょう』

「え、あ、いや。そうかもしんねーけど…」

『君はいつまでたっても根本的なことを分かっちゃいない』


 まったく世話の焼ける生徒だ、と怒ったような呆れたような顔を眺めながら、なんとなく懐かしい気分になる。そういえば、こうしてよく叱られたりもしたような気がする。
 相当な悪ガキだった己は、高杉や桂とともにくだらない悪戯に勤しんでは鉄拳をくらっていた。懐かしい。さすがに三十路を越えてこうして叱られるなど思ってもみなかったが。
 でも今回は仕方ないじゃないか。学のない自分はこうする方法しか浮かばなかったのだから。

 ぐだぐだと脳内で言い訳を並べつつ、銀時はバツが悪そうな顔で松陽を見上げる。その顔にふっと息を漏らすと、松陽はそっと右腕を掲げた。


『…よく頑張りましたね』


 ふわりと乗せられるその感覚に銀時は目を細める。幼い子供を慰めるようなその声音。ガキじゃない、と反論する気持ちはその声に押しやられる。
 この人にとって自分はいつまでたってもガキのままなのかもしれない。


「…痛ェよ、先生」


 さっき殴られたところをあやすように撫でるその手つきがこそばゆい。同時に何故か眼孔が熱くなる。
 頬をつたう水の感覚を感じながら、銀時はそっと目を細めて笑った。



(追憶の幻想)


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