君の恋はわかりにくい


ある日の食事の席でベンウィック達が海水浴を楽しんできたという話が盛り上がり、女性陣を始めとして自分たちもたまには行こうかという話になっていた。この手の話では大抵ベルベットが苦言を申すのだが、なんせここしばらくは旅の本題の方も根詰まりだったせいか、ライフィセットがかつてないほど楽しそうに騒いでいるからか、ロクロウが良いだろ?と言うと意外にも彼女は仕方ないわねと二つ返事で了承してくれた。

早速、やれこんな水着がいいだのやれスイカ割りがしたいだのやれキャンプファイヤーだの一気に話に火がつき食卓は一気に騒がしくなった。そんな完全に海水浴モードの一行の中で、アイゼンだけが浮かない顔をしていた。しかしそんなことは御構い無しに話が進んでいき、明日にでもベンウィックが水着を売っているところに連れて行ってくれることになった。アイゼンが何やら思案しているとはつゆ知らず、ベンウィックはたまには副長も羽目外して遊んできてくださいよ、とだけ言い放ち、どこかへ行ってしまった。

アイゼンの現在の悩みは二つ。一つは肌が白いことだ。別にそこまで気にしているわけではなかったが、海の男としては褐色の肌に憧れていた。アイゼンは、目の前の席でスイカも魚も斬り刻むとはしゃいでエレノアにドン引きされているアホ面の男を睨みつける。彼は特別黒いわけではないが明らかにアイゼンのように白くはない。
もう一つ、最近やっと警戒を解いてくれるようになったノアが可愛くて仕方がないことだ。もう随分と長い間旅を共にしているが、ベルベットやロクロウ達と共にいた彼女は最初こそ怖がっていたのか素っ気なかったが、最近は良く笑ってくれるようになり、アイゼンが長々と話し始めると周りの仲間と一緒にまた始まったと茶化しはするものの、案外興味があるようで真剣に聞いていたりする。また火薬系の武器に目がなく銃に固執する一方で、攻撃性に優れたその武器を大事なものを守るためのものだと言い張る。一体いつからノアのことがこんなに気になりだしたのかもはや分からないが、もしかすると最近はこういうところを好ましく思ったからかもしれない。さらに一度懐に入れた者にはやたらと良く触れてくるのも分かった。初めて彼女から触れてきたときは、柄にもなくときめいてしまった。まだ素っ気なかったときはロクロウにばかり懐いていて羨ましかったのを思い出し、まだ斬り刻む話をしている目の前の男を再び睨みつける。
流石に食事中に目の前の男に二度も睨みつけられれば気づくようで、ロクロウが戸惑いがちに尋ねてくる。

「……なんだよ、さっきから」
「何でもない」
「いやいや、なんでもないって顔じゃないだろ」

呆れ顔のロクロウの隣に座って、ノアと日焼け止めの話をしていたマギルゥも、盛り上がる場にそぐわない険悪な雰囲気のアイゼンが気になったのか話に割り込んでくる。普段何も考えていないロクロウと違ってマギルゥは確信めいたところをついてくるため、アイゼンは身構えた。

「なんじゃ〜?お主、まだその乙女のような真っ白な肌を気にしとるのか。ロクロウの男らしーい肌が羨ましいんじゃろ」

言い方に悪意があり、あながち間違ってはいないがたった今考えていたこととは別のことだったためアイゼンはひとまずホッと胸をなで下ろす。しかし癇に障ったため、とりあえずテーブルの下でマギルゥの足を小突くがそこにはビエンフーが居たのか柔らかいものにあたりビエッと声が聞こえた。

テーブルの奥ではライフィセットがベルベットとエレノアに一生懸命砂迷路の話をしている。ふとマギルゥと先ほどまで話していたノアの方を向けば、彼女もアイゼンの方を見ていたようで目が合うも自然にそらされてしまう。今は目の前のパンとシチューを夢中で頬張っていて、その光景に思わず頬が緩み、その様をばっちりマギルゥとロクロウに見られてしまった。
途端、面白いイタズラを思いついた子どものようにニタニタと邪悪な笑みを浮かべだした二人にアイゼンはしまったと頭を抱えた。



次の日、一行が目を覚ます頃には船は既にサウスガンドに着いており、半ば強制的に追い出されるように見送られ、納得のいっていないアイゼンはベンウィックに、俺がいない方がいいんだろ、と適当な悪態をつくも、ベルベットにいいからさっさと行くわよ、と一蹴されてしまった。

その後、完全にバカンス気分の災禍一行は男女に分かれ水着を選んでいた。

男性陣は多数ある水着を何着かみると速攻で決めてしまう。中でもロクロウは、もう何でもいいから早く海に行こうとそわそわ落ち着かない。一方アイゼンは水着ではなく浮き輪にこだわっているようで浮き輪コーナーから動こうとしない。結局シャチのような浮き輪、ペンギョンフロートに決めたらしい彼が、行くときは乗り気ではなかった癖に、今はそれを持ってひと泳ぎしようと意気込んでいるのをライフィセットが苦笑気味に応援していた。ふとロクロウは昨晩の出来事を思い出し、ライフィセットに聞こえないようわざとらしくアイゼンに耳打ちする。

「お前、今日はひたすら一人で泳ぐつもりか?せっかくノアと距離を縮められるかもしれんチャンスだってのに……。ま、お前がそのつもりなら俺があいつに構ってやるとするか」
「……っテメェ……」

ニヤニヤといやらしく笑うロクロウの顔にイラつき、アイゼンは買ったばかりの浮き輪を破裂させてしまいそうになる。しかし彼の言う通り、今日はチャンスかもしれない。死神の呪いがどのようにふりかかってくるか予想も出来ないが少しでもノアを振り向かせることができるなら、と腹をくくり手を握りしめた。
一方女性陣はと言うと何度も試着してはああでもないこうでもないと議論を交わしなかなか決まらない。終いには話がそれ、ベルベットのスタイルの話やバーベキューで何を食べたいかなどひとしきり盛り上がったところで各々水着に着替え、どうせならと髪型も華やかにする。途中、ノアは日焼け止めコーナーでマギルゥにサンオイルを手渡され、そっと耳打ちされた。

「ノア、昨日の話、聞いとったじゃろ?これをアイゼンに塗ってやってくれんかの?」
「わ、私が?!」
「そうじゃ。心配せずとも彼奴はサンオイル好きじゃ。塗ってやれば喜ぶと思うぞ〜〜?」

ノアが有無を言わせず押し付けられたサンオイルをじっと見つめているとマギルゥに、お主がアイゼンに気があることなどバレバレじゃぞ、と耳打ちされボッと赤くなる。そのままわなわなと震えているとマギルゥはベルベットとエレノアを追いかけて海へと繰り出してしまった。


動揺しつつも彼女たちを追いかけ海に出るとそこには既に全員集合しており、エレノアが泳ぐ前に準備体操は必須です、と学校の先生のようなことを言い、絶賛災禍一行は全員で体操中だ。見た目の派手さと奇妙な行動にやたらと目立っているのだが良いのだろうかと急いでそちらに駆け寄り途中参加する。

「おお〜〜ノア!その水着、よく似合ってるぞ?儂の大胆さには負けるがのー!じゃよな!アイゼン!」

ノアがやって来た途端にすかさずアイゼンをからかおうとするマギルゥ。この手の話題はなんとかロクロウに押し付けてしまおうと辺りを見回すが、彼は既にライフィセットとヤドカリを捕まえクワブトと闘わせようとしている。ベルベットとエレノア はお互いに日焼け止めを塗り合っていてとても入っていく余地はない。アイゼンは観念してノアの水着姿を目に収めた。
どんなものを着ていてもかわいいと分かっていたが、サーモンピンクの、肩が出て袖が下がっているようなデザインのシンプルな水着は、なるほど可愛らしい彼女によく似合っている。他の三人は思ったよりも明るい色を選んでいたため、それに比べると地味ではあるが栗色の髪のノアにはぴったりで、彼女の良さを引き立てている。何よりこの肩出しのデザインが引っ張れば中が見えてしまいそうでエロい。普段はタートルネックに長ズボンと、露出のほとんどない服装のため新鮮だ。
そうアイゼンがノアの水着姿を上から下までチェックして感想を口にしようとマギルゥの方を見れば、彼女はそこには居らず既にベルベットとエレノア の方へ行ってしまっていた。そこにはポツンと残されたノアが困惑気味にアイゼンを見上げている姿だけで、品定めするように見ていた自分に頭を抱え、心の中で後で覚えてろよとマギルゥに悪態をつく。完全に揶揄われてしまったが逆にチャンスだ。何か誘い文句をと考えているとノアに先手を打たれる。

「あの、サンオイル持ってるんだけどどうかな?マギルゥがアイゼンはサンオイルが好きだって言ってた」
「……」

なにやらマギルゥによってアイゼンはサンオイルが好きというわけがわからない設定を付与されてしまったが、ノアが好意で持ってきてくれたものを受け取らない理由はない。ありがとな、と受け取ろうとすると、彼女から私が塗ってあげる、という予想外の提案が返ってきて思わず目を見開いてしまう。

「あ??今なんて……?」
「う、あ、えっと……私が塗ってあげる、じゃダメかな」

ここまで旅をしてきたとはいえ、ようやく打ち解けてくれたと思ったのは最近。こうやって二人きりで話をするのは案外はじめてで、そのことにノアは緊張しているようだった。その緊張がアイゼンにも伝わってしまい、二人でギクシャクしてしまう。なんとか、頼む、と絞り出した声は自分でも驚くほど上ずってしまい二人の間に何とも言えない空気が流れる。
側に常備されているビーチチェアに二人で腰掛けると後ろ向いて、と囁かれる。オイルのせいで冷んやりとするノアの手が控えめに背中に触れ、ヌルヌルと優しくオイルが塗り広げられる。なんだかおぼつかない彼女の両手から緊張が伝わってき、変に意識してしまう。なんとも言えない気持ちを紛らわすためにも自分で前にサンオイルを塗り始めるが、後ろの様子が気になって仕方ない。
こんな時代だというのにそれなりに賑わっている海水浴場の喧騒が遠くに聞こえる。今までからは考えられない急接近。感動すら覚えてしまい色々な意味でドキドキが抑えられない。顔だけでなく首まで赤くなっていそうで、首の後ろにオイルを塗るふりをしながら誤魔化し、パラソルが落とす影に感謝する。そうこうしているうちに背中が終わりぬるりと肩から腕にかけてオイルを塗りつけられ、反射的にビクついてしまうのをなんとか踏ん張って誤魔化す。ノアは両腕を広げて塗っているからか前のめりになっており、時折背中にひらひらと水着が当たる。その度にアイゼンは良からぬことを考えてしまい、内心穏やかではないがまたいつかのように警戒されたくなくて必死に平静を装った。

終わったよ、と掛けられた声に振り返ればかつてないほど近くにいるノアにアイゼンの心臓は跳ねる。手を伸ばさなくとも少し身じろぎすれば触れられる距離。火の聖隷術と銃という異大陸の武器を扱い、体術も織り交ぜて戦う彼女の身体は綺麗に程よく筋肉が付いているがそれでもやはり華奢で、肩を露出した水着だというのもありこんな身体であんな技を、とアイゼンは感心する。
自分を凝視して黙ったままのアイゼンの隣が居心地悪かったのか、ノアはじゃあ私はこっちを、と日焼け止めを塗り始める。すると何を思ったのかアイゼンが突然ガッと彼女の腕を掴み日焼け止めを持っていってしまう。驚き過ぎたノアはヒィッと悲鳴をあげ、なんとか微笑もうとするも全然上手く笑えていないアイゼンを慌てて見上げた。

「礼だ。こっちは俺が塗ってやる」
「…………….じゃ、あ背中だけ……お願いします」

言い出したら聞かない男に内心ドキドキしながら背中を向ければ自分がしたときのようにヒタリと触れられる。怖い、あちらは自分のことなど見向きもしないだろう、でも気になる、でも拒絶されるかも、と積極的になれなかった彼と、今は恋人同士のような事をしている。奇跡的な状況にもしかしたら彼も自分のことが好きなのでは?などと頭が沸いたことを考えてしまう。ここは勇気を持って大胆にいけば少しは彼も女として気にはしてくれるかもしれないし、こんなチャンスは滅多にないと急に意気込むくらいにはノアは暑さにやられていた。

「あ、ごめん、これ邪魔だよね……ホックがあるから取ってくれない?」

水着の部分だけ塗らないのはどうかとそのまま突っ込んで塗ってしまおうか考えていたところ、ノアの思わぬアクションにアイゼンは日焼け止めを握りつぶしそうになる。昔エドナの着替えを手伝っていたのとはわけが違う、と混乱する。悩んだのかしばらくしてから取るぞ、と聞いたことのない声音が返ってきて、明らかに動揺しているのが伝わってくる。その声に自分から仕掛けておいて今更緊張してしまったノアは、はらりと後ろが外れた水着が落ちてしまわないよう震えながら胸を押さえつけた。

すると突然びゅうっと強めの風が吹き、パラソルがこちらに倒れてきそうになる。気づいたノアが咄嗟に手を伸ばしそれを支えようとするが結構な重さに彼女一人では支えきれず、後ろから手を伸ばしてきたアイゼンに支えてもらう。しかし二人して同じ方向へと重心をずらしてしまい、バランスを崩したビーチチェアと支えていたパラソルごと二人は倒れ込んだ。
その様子を遠くで見ていたロクロウとライフィセットが二人のところに駆けつけてき、ロクロウが二人を押し潰しているビーチチェアとパラソルを退けてやる。しかしそこから現れた二人の体勢にロクロウはギョッとした。ノアの上の水着は外れており、その後ろからアイゼンが押し倒すように覆いかぶさっている。きっと倒れてくるパラソルからノアを守ろうと取った体勢なのかもしれないが、タイミングが最悪だ。二人きりだったのならラッキースケベになるのだろうが、後から駆けつけてくるベルベットとエレノアの存在に気付き、流石死神の呪いだな、とロクロウは遠い目をして心なしか顔が赤いライフィセットを連れ場を離れた。

その後は散々だった。アイゼンは、なんて姿をフィーに!!と鬼のように怒るベルベットに海まで引き摺られ浮き輪と共に海に放られ、ノアは、公共の場で水着を外すなどどういう了見なのですか!!と顔を真っ赤にして怒るエレノアに正座をさせられてしまい、二人だけの時間は強制終了させられた。
結局、日が暮れるまでアイゼンは遠泳記録を更新し続け、ノアは浅瀬でビーチバレーをしたのだった。



夜、男性陣の希望により設置されたキャンプファイヤーの隣でバーベキューを始め、買い込んできた肉や野菜を次々に焼いていく。エレノアが、デザートにスイカもありますよ、と昼間にロクロウが木っ端微塵にしてやたら小さくなったスイカをテーブルに並べた。ここでもロクロウとマギルゥに変な気を遣われてしまったアイゼンは、ノアの隣に座る。

「……おい、俺はチャンスだぞとは言ったがいくらなんでも、浜辺でアレはないだろ」

分かっている癖にニヤニヤと昼間の事を揶揄ってくる隣のロクロウに、キレたアイゼンが焦げ焦げになったキャベツを彼の皿に大量に乗せた。

「別にそんなつもりじゃない」
「他に何か進展はあったのか?」
「…………」
「あーー後で俺たちが片付けしてるときにノアを連れ出せ」
「チッ、余計なお世話だ」
「だったらどうするんだよ、あいつと二人で話せる滅多にないチャンスだぜ?」
「……礼は言わんぞ」
「応!」

一体何が楽しいのかケラケラと笑いながら肉ばかり頬張るロクロウは、エレノアに野菜も食べてください、とこれまた真っ黒になったカボチャやピーマンを渡されていた。



「ちょっといいか、」
「うん?」

食後、ロクロウに言われたようにアイゼンはノアを誘って浜辺を歩く。バーベキューの話や先ほどの事故の話など、交わされる会話は間を挟み数えるほど。このままずっと一緒に居たくて、ノアは話題を探す。

「今日は、嬉しかった。なんか、珍しいよね。こうやって二人で話す機会なんてなかった、から」
「!!そ、うだな」
「アイゼン、アイゼンは楽しかった?」

すぐ側を歩き、見上げてくるノアは真っ直ぐにアイゼンを見つめている。心なしか赤いその顔に、触れようと思えば触れられる距離。いつもと違う雰囲気の彼女にアイゼンは胸を高鳴らせる。期待してもいいのだろうか。

「……ああ、楽しかった」

そう微笑んでみせれば、いつも他の仲間に向けられていた満面の笑みよりも少しだけ艶っぽい、綺麗な笑顔が初めてアイゼンに向けられる。アイゼンはぎゅうっと心臓を締め付けられたような心地がして、息を詰まらせ、気づいたらノアの腕を掴んでいた。

「……ノア、」

降ってきた声はいつもの張りのある低い声ではなく柔らかい少し高めの声。見上げた青の瞳は思っていたよりも大きく、普段睨まれていたと思っていたのはただ目つきが悪かったからで、本当は今みたいに熱っぽく見つめられていたのかと気付き、ノアは体が熱くなるのを感じた。
アイゼンが確かめるように頬をなぞれば自然と視線が絡み合い、互いに確信する。互いに同じ気持ちなのだと。薄く開かれたノアの唇に指を這わせると、彼女のとろけそうな瞳が閉じられる。アイゼンがゆっくりと彼女に口づけを落とそうとした、その時。

「ちょっと、何してるの?」

二人を探しにきたベルベットの声が早かったか、二人が飛び退くのが早かったか。どんぴしゃ過ぎるタイミングに、アイゼンは死神の呪いをさらに呪う。驚きすぎて戦闘体勢のようなポーズで変な汗をかく二人に、ベルベットは訝しげに首を傾げた。

「もうみんな船に戻ってるわよ、あんたたちも喧嘩してるのか知らないけど、程々にして戻ってきなさいよね」

どうやら気づかれていなかったらしい。二人してハアッと安堵の息をつく。残念そうな表情でそっぽを向くアイゼンにノアは堪えきれずクスクスと笑いだした。いつも無言で睨みつけられていて良く思われていないのかと距離を置いていた彼が、実は自分と同じで遠くから見つめていたのだと判明し、嬉しさに頬が緩む。
笑ってないで行くぞ、と居心地悪そうにアイゼンは呟いた。ベルベットを追う彼の横顔は、赤く染まり余裕がなさそうだ。今まで気づけなかっただけかもしれないが、初めて見る彼の表情に愛しさが募る。

「アイゼン」

少し後ろから呼びかけ、振り返り際の彼の腕を掴み、唇を目指して背伸びをした。チュッと唇に触れるだけのキス。離れる寸前に見開かれた青が月明かりに照らされ、海のようにキラリと光ったのが見えた。呆気に取られるアイゼンにこっそりウインクし、また後で、と囁いた。そのままベルベットの横に並んで歩くノアの後ろでアイゼンは額を抑えて悶えていた。


船に戻りシャワーを浴びた後の寝る前は、各々自由に行動する時間だ。海でかなりはしゃいだくせに帰ってきてもまだ素振りをするロクロウにシャワー空いたぞ、と呼びかける。部屋に戻る途中の廊下で小テーブルを囲んで本を読むライフィセットとエレノアとノア。アイゼンの視線に気づくとノアはそっと二人におやすみと告げてアイゼンの方に来てくれた。以前までは視線に気づいても少し目を合わせてすぐに作業に戻ってしまっていた。この変化に幸福を感じて、腹の底がむず痒い。
一緒に飲もうと持ってきた心水とグラスをちらつかせればノアはイタズラが成功した子どものように笑い、黙ってついてくる。
甲板に出ると見張りからも死角になっているところで二人で木箱に腰掛けるとグラスに心水を注ぐ。潮風が風呂上がりの火照った身体をいい具合に撫でていき気持ちがいい。

「お前は俺のことを怖がっているんじゃなかったのか」
「最初は怖かったよ。すごく睨まれてると思ってた」

視線で殺されるのかと思ってた、と言われ、それでよそよそしかったのかと再び頭を抱えたアイゼンにノアはクスクスと笑う。

「でも、信念を持ってて、いつも冷静でクールで容赦ないくせに仲間想いで……お茶目なところもあって、そんな複雑で不器用なアイゼンが私は」

好きだよ、という言葉は不意に口付けてきたアイゼンに飲み込まれてしまう。驚いて目を見開けば視界いっぱいに青が広がる。目を開けたまま口付けてきたアイゼンがそのままニヤリと笑った。

「さっきの仕返しだ。キスはお前に取られたからな。"それ"は俺が先に言う」

相変わらず負けず嫌い、とノアが呆れたように呟くとお前も同じだろ、とアイゼンは声を出して笑った。

「臆病で、控えめだと見せかけて、案外頑固で一生懸命でかわいい、そんな複雑で不器用なお前が、俺は好きだ」

まっすぐな言葉に、ノアは我慢ならずボスッとアイゼンの胸に顔を埋める。自分が言われる側だと、なんだか急に恥ずかしくなってしまったのだ。

「どうした?恥ずかしいのか?」

耳まで真っ赤になるノアに気づいたアイゼンが揶揄うように笑い、覗き込もうとしてくる。

「それで、お前のはまだ聞いてないんだが」

自分で言葉を奪ったくせに、とノアは拗ねたように頬を膨らます。そしてグリグリと額を彼の胸に押し付けると、消え入るような声ですき、と呟く。その様子にアイゼンは加虐心に火をつけたのか聞こえないんだが?などと追い打ちをかけてき、怒ったノアにドスドスと胸を叩かれる。
そんな彼女の顔を上げさせ、髪をくるくるといじるとそのまま頬に手を滑らせた。気持ち良さそうに擦り寄ってくるノアの瞳は愛しさで濡れているような気がした。
心水の苦味が残る唇でゆっくりと互いの唇の感触を味わう。大事に大事に啄ばまれる唇を薄く開けば控えめに舌が差し込まれ口内をくすぐられる。あまい時間が流れ、徐々に二人を同じ温度に溶かしていく。愛しさと、全てを抱くことができない少しの寂しさを乗せた唇は、いつまでも互いを求めて触れ合っていた。

タイムリミットはどちらかがドラゴンとなるまで。しかし必死に縋る唇はそのことには触れない。お互いよく似た地獄を分け合う必要などないからだ。

言葉にも形にもならない未来に、二人は目を瞑った。