卒業式の帰り道、影山飛雄はひとりぼっちだった。今日に限らずとも嫌というほどひとりぼっちの帰り道を送っていた。昨日も一昨日もその前も、ずっと、ずっとひとりぼっちの帰り道だった。だけど卒業式の今日。影山飛雄はひとりで帰ることはなくなった。
「影山飛雄」
 そう誰かが呼んだから。周りを見渡しても人影はないなくて、そうしたらもう一度名前を呼ばれる。空耳かもしれないだなんて思っていたけれど、どうやらそれは有り得ないようだった。いっそ空耳だったらよかったのかもしれない。影山飛雄と名前を呼ばれて、もう一度振り返れば国見が立っていた。何か用があるのだろうかと考えたけれど、用がなければ声なんてかけやしないだろう。それじゃあなんの用があるのだろうと考えてみるけれど、きっと影山には国見の考えなんてわかるはずもない。国見の考えがわかるなら、ほかの人の考えだってわかったはずだ。そしたら今みたいな亀裂なんてものは入っていなかったのだろう。そんなことは国見にはわかっている。だから国見は、影山がただ呼ばれたから振り返っただけだってことも、ちゃんとわかっている。わかった上で呼んだのだ。
「ちょっと付き合ってよ」
 何をしたいからだとか、付き合う理由を何一つ言わずにそう言ったって付き合うやつなんてそうそういないのだろう。だけど影山は不思議な顔も嫌な顔もせずに、ただ国見のあとをついていく。どうしてと尋ねられたらこう答えるのだろう。付き合ってと言われたからだって、そう答えるのだろう。きっとこれも国見の計算内。しかし影山の頭ではそれすら気づくことはできない。
 北川第一中学校の体育館。先ほどまでここで卒業式が行われていたはずなのに、もう片付けは既に済まされていたからかそんな気配がなかった。バレーボールがひとつ転がっているのを見て、誰かがバレーをしようとしたのだろうということは誰にだってわかる。それは影山も同じ。しかし影山はそんなことはどうだってよくて、ただ転がっているバレーボールを拾おうとした。
「今みたいにバレーボールが転がっていても俺はそれに目もやらないけど、おまえはどうしてかバレーボールを拾い上げてしまう」
「拾うやつは拾うだろ?」
「そうかもしれない。でも俺には、おまえがバレーボールを拾うってことが問題なんだ」
 影山は国見が何を伝えたいのか何一つわからなかった。このバレーボールを拾うことで国見に何か問題が生じるのだとして、それは一体なんなのだろう。どれだけ考えたって影山はわからない。今はこのバレーボールを拾うことはいけないことなのかもしれないとただそう思った。けれど、それでも影山飛雄はバレーボールに手を伸ばす。あと少しで触れるはずだった。触れようとした途端、国見が横からバレーボールを拾い上げたのだ。
「おまえは知らなかったかもしれないけど俺はバレーなんてだいっきらいだよ」
 ああ、知らなかった。
 影山はただそう思う。口にはしない。そもそも影山は国見のことを、国見英というひとりの人間について何も知らない。誕生日や血液型や好きな食べ物はなんとなくだが知っていた。けれどもっと深くの、国見英という人間を構成するものについては何も知らなかった。国見英と影山飛雄はクラスメイトでチームメイトであったのに、仲良くなれる機会はたくさん用意されていたはずなのに、知る機会だって。それなのに二人は何も知らなかった。お互いのことをなんとなくしか知ることができなかった。本当は影山も国見ともっと話したかった。けれど国見は影山とバレーボールの話しをすることを頑なに拒んでいたから、二人は近いけど遠かった。でも、国見がバレーボールを嫌いだということをなんとなくでも本当はわかったいたのではないだろうか。あんなにもつらい練習を乗り越えているのに、バレーボールの楽しさも知っているのに、それでも国見がバレーボールを嫌う理由を影山はきっと理解できないのだろう。しかしもう少し影山の頭が良ければ、国見がバレーボールを嫌いだということを悟ることができたのではないだろうか。
「国見は、バレーがきらいなのか?」
「今言ったじゃん。バレーボールなんて嫌いだよ、大嫌い」
 大嫌いという言葉はどうしてこんなに胸に突き刺さるのだろう。感情の起伏がバレーボールを除けば乏しい影山だって、大嫌いという言葉の痛さは知っている。言われるつらさは、今知った。
「でもね、俺はおまえとするバレーボールが一番嫌い。この世で一番大嫌いなんだよね」
 おまえとは影山飛雄のこと。そうか、国見は俺とするバレーボールが大嫌いなのか。でも仕方のないかもしれない。お前たちが俺のことを嫌いなのは知っていたし、そうなれば俺とするバレーボールも同じ位かそれ以上に嫌いでなければおかしいのだから。国見の瞳は冷たかった。思い返せば国見の瞳が温かく感じたことはない。いつだって冷たくて鋭くて、きっとこんな視線を向けているのは俺だけなのだろう。

 国見とじゃなくたってバレーボールなんてできる。人数が足りれば、誰とだってできるものだと少なからず影山は考えていた。対して国見の考えは違うものだった。影山がいなくたってバレーボールはできる。しかしだからといって誰とだってやるわけではない。その場しのぎやら数合わせやらで集められた人とバレーボールなんてしたくない。そもそも国見はバレーボールが嫌いなのだ。自分の嫌いな競技を嫌いな人とやるなんて耐えられるものではない。だからバレーボールは誰とでもやるわけじゃない。金田一みたいに信じられて任せられて、チームメイトと呼べる人間としかバレーボールはしないと決めていた。
 そんな考えの二人がわかりあえるはずなど最初から無理だった。金田一が影山と敵対した段階で、国見と影山も敵対したも同じなのだ。及川さんと岩泉さんのような関係ではないけれど、友だちと呼ぶには少し物足りないくらいの関係を国見と金田一は持っていた。その金田一が影山と敵対すると決めたのだから、国見もそうなるのは必然だった。
 必然だったとしても、影山は国見とバレーボールの話をしたかった。一緒にバレーボールをしたかった。国見から見れば影山はいつだって真っ直ぐで、純粋だ。たとえ国見がバレーボールを嫌いだとしても、俺とするバレーボールが大嫌いだとしても、影山は国見とバレーボールに関する何かがしたかったのだ。でも、国見と友だちになれてたのならそれも簡単にできたのだろうか。影山は国見とどう頑張っても友だちになれないけど、それでももし影山が国見の友だちになれていたのなら。無意味な過程。そう国見は表するのかもしれない。
「おまえなんて、死んじゃえばいいって思ってる。だから今日殺すことにしたんだよ」
 にこりと微笑む国見の目はひどく冷たくてやはり笑いは見えない。いつも影山はこんな薄っぺらい笑みを見せられて、その笑みの本当の理由に気がつかない。
「殺すのはここが相応しいんだ。王様のおまえを殺すには、この体育館が一番」
 影山は言葉も出ないようだった。そりゃあいきなり殺すなんて言われれば、何も言えないのは仕方のないことだ。それでも影山が人と違くて、異端だと言われるのは、国見に殺されることについて仕方のないの一言で済ましてしまうからなのだろう。国見は俺のことが嫌いなのだから殺すのだと、だから仕方のないことだと、嫌いだというだけで人を殺してしまうことに違和感を覚えないところが既に異端なのだ。嫌いだというだけで人を殺してしまうのが日常的になっていたのなら、毎日たくさんの人々が亡くなっていく。警察や裁判所は大忙しだし、報道番組は同じような内容のニュースを毎日世間の人々にお伝えしなくてはならないのだ。それはあまりにもおかしい。普通ではない。あってはならないことだと、影山はよくわかっていない。だから国見に殺されても文句を言わない。
 国見は殺されてもいいと影山が考えていることがわかっているかのように、手を影山ののどに伸ばす。きっとそんな長くない時間の行動なのに、数分かけて影山ののどにやっと手が届いた気がする。いま指に少し力を入れるだけで影山飛雄が死ぬのかもしれないという想像と現実が国見の頭の大半を支配して埋め尽くす。まるで、この時をずっと待っていた復讐者のようだ。国見はそんな美しい復讐者でもないのだけれど。試しに、ほんの少しだけ、死なない程度に指に力を加えてみた。影山が苦しそうに目を瞑り、息を無理にしようとしたからか変な声が出る。手を離してみれば涙目で咳き込む。抵抗はしない。愚かな人間。もう一度のどに手をやり、力を加える。先ほどよりも少しだけ力を強める。影山の体温が気持ち悪かった。
「おまえは今死んだんだ。だから明日からはおまえは俺の知ってる影山飛雄じゃない」
「? あぁ…」
「だからこれからは俺とおまえの関係を表す名前は何一つなくなったの。元チームメイトでも元クラスメイトでもない。ただの他人」
 ただの他人。本当に俺たちはただの他人になれたのだろうか。影山は少しだけ考えてみる。やはりわからない。だけど国見はいつもより少しだけ柔らかく笑っている気がしたから、たぶん国見がそう言うならそうなのだと思うことにした。
「今だから言うけどさ、中一の頃は俺とおまえ、仲良くなれると思ってたんだよ」
 まあすぐに無理だってことに気がついたんだけどね、と国見はまたいつものひどく冷たい笑みになる。
「あーでも、金田一はバカだからまだわかりあえたかもとか、思ってるかもね」
 だってあいつバカだもん。おまえとは違う方向でさ。
 国見が笑う意味は影山はわからない。国見英のことを何一つわかることのできない影山飛雄は、俺は今でもおまえと仲良くなりたいと思ってることも言えなかった。ただの他人になってしまっても、それは0に還るわけではなかったから。もう二人にはじまりは訪れない。

 高校に入っても、国見はバレーボールを続けるのだろうか。たぶん、続けるのだろうと影山は予想する。それは願望にも等しい。きらいだとあれだけ言っても、それでも続ける理由はなんなのだろう。きらいならさっさとやめてしまうのが賢い選択ではないのだろうか。それでも、国見がバレーボールを続けてくれてる限り、きっと俺とおまえはただの他人にはなれない気がした。国見がバレーボールをしていれば、まだ少なからず繋がりはある気がした。
「たぶん俺、まだおまえと他人じゃない」
「はは、じゃあまた殺さなくちゃじゃん」
 また殺されかけるのか。別にいいけど。
「俺、バレーボールもおまえのことも大嫌いだったけど、それでもきっとおまえのこと小さじ一杯分くらいは好きだったよ」
 よくわからない例えなのか、わかりやすいものなのかわからないけれど、小さじ一杯分ならいいほうなのかもしれない。大嫌いの中に好きは含まれてることを、はじめて影山は知った。そういえば前嫌よ嫌よも好きのうちという言葉を聞いたけれど、それに似たものなのだろうか。

 それから最後の帰り道。国見と一緒に帰ることになる。方向が一緒だから、自然とそうなってしまうのだ。国見はあからさまに不本意だという表情だった。これが最後の終わりなのに、本当の本当に最後なのに、分かれ道もあっけないものだった。
「次に殺したら、本当に他人だから」
 釘を刺すように言われた言葉に首を縦に振る。それを国見が見届けたら、終わりだ。
「国見、またな」
「やっぱりおまえバカだね」
 次に会うときはおまえを殺すときなのにと国見は思う。それでも影山はまたなと別れの言葉を言う。またなは、確かに別れの言葉だが本当の別れの言葉ではない。影山はわかっているのだろうか。またなはまた会える別れの言葉なのだ。
「本当におまえが死んだら、二度と俺の前に現れるなよ。現れても、また殺すから」
 わかったとは言わない。ただ次に会えるのはお互いが高校生になってバレーボール部に入った頃なのだろうかと、そんなことばかり考えていた。また殺されるのだとしても、俺はまたおまえとバレーがしたい。まだバレーがしたい。影山はそればかり。次に会っても国見は影山のことを本当の意味で殺すことなど出来ずに、ただバレーボールを国見が続けている限り、二人は別れられない。
 やっぱり俺は、おまえと仲良くなりたいと思う。そう口にしようと思ったが影山はやめた。次に会うときは、国見はどんな国見なのだろうか。バレーボールを、してくれるのだろうか。最後まで影山飛雄は愚かな人間だった。

世界平和は望めない/150331



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