涙ってずるいと思う。そもそも涙ってのは目の涙腺から分泌される体液のことで、眼球の保護が主要な役割ってだけで、みんなが持ってるものなんだ。なのに涙ってのはずるい。本当に、ずるい。涙は女の武器だなんて言うけれど、その言葉を最初に言った人の気持ちはよくわかる。女でなくとも子供だろうが男だろうが、涙ってのは武器になると俺は思うけれど。涙を流させてしまったという事実だけでなんだか悪いことをしてしまった気持ちになる。涙なんて人の感情の発現として一番わかりやすいものだけど、あまりにもわかりやすすぎやしないだろうか。
 そういえば、クロに彼女がいた時期は何度かあった。どの彼女とも長続きはしなかったけれど、理由は知らない。そもそもクロはいつだって俺に彼女ができたとも彼女と別れたとも報告をくれなかったからだ。俺がその事実を知るのはいつだって誰かを通してだったり、なんとなく聞いてみたりしたときに素っ気なく返答をされたり、そんなものだった。思い返せばクロが自分から俺に彼女のことを話したりなんかすることは一度だってなかっただろう。だからといってクロのことを責める気なんてこれっぽっちもなかった。いちいち報告しろだなんて言いたくもなかったし、きっとクロもそう言われたら嫌悪感丸出しの表情をするのだろうということも手に取るようにわかる。けれど本当はそのことについて知りたくなかったからなのかもしれない。クロが俺の知らないところで、知らない女の人と恋人同士だからといってあれこれするのを。


 今日はクロと珍しく会うことがなく一日が終わろうとしていた。部活を引退してからというもの、クロと過ごす生活リズムは少しずつ、でも確実にずれていった。朝も昼も夜も会わずに終わるなんて日はあまりなかったけれど、それでも会う時間は以前に比べて圧倒的に減っていった。それは仕方のないことだから文句など言わないし言えない。登下校を共にしていたはずなのに別で、お昼ごはんもたまに一緒に食べていたはずなのにそれすらもなくなり、部活が休みの日の放課後を一緒に過ごすこともなくなった。部活が休みの日くらいは一緒に帰るのかなとか、期待していたわけではないけれどそう考えていたのにそれすらもない。そうなればクロと会わない時間のが多いのも仕方のないことなのだ。文句を言おうと思っても、何に対しての文句なのか自分でも曖昧だから言えない始末。それでもクロと一日のうちに一度くらいは会えていたのもまた事実。それが例え数分だけだとしても、会えないよりもましだった。
 会うことがなく一日が終わろうとしていたということについて考えていたのは、もうそろそろ寝る時間だという頃だった。だんだんとクロがいない日常に慣れつつある自分が少しだけ気持ち悪く感じる。もう何年も何十年も共に過ごしていたはずなのに、少し離れていくくらいで今まで培ってきた年月なんて関係ないと言われるくらい簡単にクロのいない日常に慣れてしまうことが。それくらい人間の記憶なんてものはひどく曖昧で脆い。知っていたはずなのに、はじめてその重みについて触れた。けれど、俺はまだクロのことを、黒尾鉄朗のことを覚えている。だから大丈夫だと、言い聞かせることは可能だ。ベッドに横たわりスマートフォンを操作する。研磨は慣れた手つきで無料コミュニケーションアプリを開き、ともだちというところから黒尾鉄朗という名前を探す。そしてクロとのトーク履歴を振り返ってみると、最後に話したのはもう先週ほど前のことだった。けれどその事実はさほど気にすることでもない。以前はこうしてコミュニケーションアプリをわざわざ開いて喋るよりも、お互い対面して話すことの方が多かったしそして楽だったのだから。しかし今はこの便利なアプリを頼らないと会話することもないのだろうということに研磨は気が付いている。でもこの便利なアプリに頼りきってしまい、いつの日かスマートフォンの画面上でしか黒尾鉄朗と話す機会が与えられなくなってしまうかもしれないということは、あまり考えたくはない。なんて言葉を送ろうかと少し悩み、寝返りをうつ。いつだってこういう時に先にメッセージを送ってくるのは、クロの方だった。
 聞きなれた音が部屋の静寂を切り裂く。その音はコミュニケーションアプリの通知音だった。一体誰からなのだろうという疑問はない。黒尾鉄朗とのトークを開いたまま操作をすることがなかったから、突然の黒尾鉄朗からのメッセージの受信にすぐに既読をつけてしまった。別に構わないけれど、こんなにもはやく既読をつけてしまうと、まるでクロからの連絡を待っていたみたいじゃないだろうか。期待していたわけじゃないのに。
「研磨、起きてる?」
 そう吹き出しの中に綴られたメッセージを見て、うん起きてると返す。これからどういう会話をするべきなのか研磨は考えない。そういうのをクロと話すときに考えるとろくなことにならないということは、もう知っている。しばらく経っても返事が来ないことに少しだけ不思議になっていると、電話がきた。
「…もしもし」
「今玄関にいる」
「玄関って、まさかうちの?」
「それしかねーだろ」
 ひとつ大きなため息をついてベッドから出る。通話中と大きく表示されているけれどもう数秒後には通話は終了となるのだろう。通話終了のボタンを研磨はタッチする。玄関に向かえば母親にこんな時間にどうしたのかと聞いてくるけれど、クロがきたと言えばああそうとあっさりとした返事をするだけなのだからクロってすごいなぁと今さらながらだがそう思う。
 ガチャリとドアの鍵を外して開けると外の冷たい空気にあたり、はやく入ってとクロに告げる。ジャージを身にまとったクロを見て今日は泊まる気なのかと察し、昔からジャージを着てくるときはうちに泊まりをするのがいつまでも可能だと思ってるんじゃないだろうかと考えるのは時間の無駄だ。
「なんか、研磨の部屋に入るの久しぶり」
 そう、と返事をし、またベッドに横たわれば黒尾は少しだけ拗ねたような表情を浮かべる。久しぶりだってのにさー、と文句をぶつくさと呟いているが、研磨といえばお構いなしというようにスマートフォンを操作しているのだから黒尾の機嫌はだんだんと悪くなっていく。こんな簡単なこと、幼馴染みの研磨にはわかりきっていたはずなのにそれを回避しようという素振りは見せなかった。
「そういえば、最近あんま研磨といねぇなって色んな奴に言われんだよ」
 ほんとのことでしょ、と言おうと思ったがやめた。代わりにまた一言、そう、と返事をした。ほんとのことでしょと言ったからって現状が打破できるとは研磨は考えない。
「クロは俺と一緒にいれなくて寂しいの?」
 少しだけ気になって、別に俺は寂しくないけどみたいな風に言う。本当は寂しくてたまらないくせに、それを本人に悟られないようにするのは割りと得意分野に入る方の行動であった。
「さあな」
 まるで俺の考えてることをわかって言った答えのように、クロは嫌なくらいの笑顔でそう言った。それがたまらなく嫌で、唇を思わず尖らせてしまう。
「研磨は寂しかったんだろ?」
 ああそうだよ、寂しかったよ、だからそんなクロだけ大人になるのはやめてずっとそばにいてよ。
 そんな素直な気持ちが言えるはずもなくクロが言ったのと同じように、さあねと一言返した。同じように言ったつもりだったけれどクロからすれば全然ちがうものだったのだろう。それがわかってるから、たまらなく悔しい。自分だけがまだ子供のようで。それをクロに伝えれば、きっとまだ子供だろと言うのだということもわかってる。俺は黒尾鉄朗の恋人で幼馴染みで、誰よりも近いところにある存在だったはずなのに、今ではずっとずっと遠いところへあるような気分だ。
「あー、俺そろそろ寝るわ」
 まだ話したいことはいっぱいあった。きっとクロだってあったはずだ。そうでなければわざわざ俺の家に泊まりに来たりなんかしない。なのにもう寝てしまう。まだあれから三十分足らずしか経ってないのに。隣から規則正しい寝息が聞こえて、ああ本当に寝てしまったのだという事実を噛み締めた。

 クロと恋人になったのは何かの間違いかもしれないし、運命かもしれない。はたまた偶然か。研磨はどれでも構わない。黒尾鉄朗と出会うことができたという事実ひとつだけが大事だった。好きだと告白をしたのは研磨からで、それに答えを出したのは黒尾。いつも一緒にいるのが当たり前だった。ふたりはどんなときも隣同士。年齢がひとつだけちがうのは寂しいことだったけど、そんなのは些細な問題。とくに気にすることではなかったのだ。大きな問題はひとつ。クロは研磨と恋人でありながら、女の人に告白されても断らないということだった。理由は知らないし知ろうともしない自分がきっと悪いのだろう。ただ、クロは研磨に彼女ができたことをことごとく秘密にした。バレるとわかっていながら秘密にした。聞けば答えるけど、それでも秘密にした。ただ研磨はその事実を知っても怒らなかった。気にもとめなかった。どの彼女ともクロは長続きはしなかった。
「クロって俺のことわかってないよね」
 上っ面しかわかってないよと、寝ているとわかっているから言ってみる。器用なのか不器用なのかよくわからない寝方をしているクロを見て、布団をめくり、首すじにキスをひとつ落とす。
「また新しく彼女作ったりしたの?俺がこんなに会えなくて寂しい思いしてるのに、俺より女の子を優先するなんて、クロの薄情者」
 本当はクロが彼女を作る理由を知りたかったけど、聞きたくなかった。知りたかったけど、怖かった。ただそれだけが、聞かない理由。気にもとめなければ、それを見ないふりさえしなければ、きっとつらくない。そう考えたのだ。健全な男子高校生が彼女を欲しがるのは当たり前で、そりゃあ野郎と付き合うよりも柔らくて可愛らしくてふわふわと甘い香りを漂わせて守ってあげたくなるような女の子と付き合った方がいいのだろう。幼馴染みっていうだけで、優先順位をあげろというのは如何せんおかしな話だ。
「ねえクロ、女の子と付き合わないで、俺だけにしてよ」
 そう耳元で囁いてみる。返事はない。まあわかっていたことだと、自分を納得させてからおやすみと誰にでもなく呟いた。

 翌日学校に久しぶりにクロと登校をして浮かれている自分をまるで地獄に落とすかのような噂が出回っていたのだ。
『学年一かわいいって言われてる隣のクラスの女の子が黒尾先輩に告白したんだって!』
 孤爪くんは聞いた? と頼んでもないのに要らない情報ばかり押し付けてきて、本当に迷惑な話だ。
『そういえば黒尾先輩って来る者拒まず去るもの追わずで有名だよね?』
『えー、じゃあ告白すれば私とも付き合ってくれるのかなあ』
『でも今はあんなかわいい子が彼女ってことでしょ? 勇気ないや』
 うるさいうるさいうるさいうるさい。
 耳にイヤフォンを押し込んで大音量で音楽を流し出す。頭の中には黒尾鉄朗ただひとりなのに、黒尾鉄朗が俺の頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱す。クロは俺のものだとか、そういう言葉をわざと選んで言ってやろうかと思ったけれど言えるはずもなく言葉を飲み込む。でも、あの女の子ちが言っていたようにクロは来る者拒まず去るもの追わずというような付き合い方を女の子としていたのも事実だし、だからきっと学年一かわいいと称されてる女の子とならば喜んでお付き合いをするのだろう。そのお付き合いが健全と呼ばるものか、はたまたそうでないかまでは判断はできないけれど。
 教室に居たくなくて、時間を確認すればまだHRまでは時間はまだまだある。クロと学年一かわいいと言われている女の子の話なんてどうだってよくて聞きたくないから教室を後にした。逃げ出すのなんて簡単だ。暇を持て余し、あまり騒がしいところをこのまなかった研磨が向かう場所は限られてる。バレー部の部室や体育館裏、そんなところだ。しかし体育館に向かうのは少し遠くて面倒だと思ったからか今では使われてないんだと以前クロが言っていた空き教室に入ってみた。机の上には少し埃が積もっていて、乱雑に置かれた机や椅子を自分好みに設置してみると、なんて居心地いい場所になるのだろう。こんないい場所にあまり行きたがらなかったクロが不思議でままならない。ひとりでスマートフォンを操作しゲームアプリなどを開いて暇を潰していた。そんな時、隣の音楽室から鼻をすする音が聞こえたと思えば、女の子の泣き声と思われるものが聞こえる。別にそんなもの聞きたくなかったのに、この辺は今では特別教室しかないからか壁が薄いのか、それともただボロいのか。そんなことを考えていた。
「黒尾先輩に振られたからって泣くことないよ。他にもかっこいい人なんてたくさんいるじゃない」
 泣き声が聞こえたと思えば、次はその女の子の友達と思わしき人物の声が聞こえた。学年一かわいいと称されてる女の子でも、誰かに振られたりするのだなあと、ぼんやりと考えてから、その子はクロに振られたのかと気付く。研磨の見る限り、来る者拒まず去る者追わずというスタンスでやっていると思っていたけれど、実際は違ったようだ。とは言ってもクロが誰かを振るというのははじめて聞いた話だけれど。学年一かわいい女の子に告白されれば舞い上がったように喜んでお付き合いをされて、自慢をされるのだとばかり思っていた。きっとHRには泣き腫らしたような顔で出て、クロがあの女の子を振ったという事実が噂によって公表されるのだろう。そしてクロなんて学校中の男子になんてやつだとブーイングをくらうのだろう。いい気味だ。
「で、でも、好きだったんだもん…」
 好きだったから付き合いたかった。自分が相手を好きなように、それと同じくらいかそれ以上に好きになってほしいと思ったのだ。そう言いたかったのだろう。そう考えているのだろう。それは責められるものではない。みんなが求めるものだ。けれど研磨は泣いている女の子を素直に羨ましいと思う。同時にずるいとも。涙ってのは、確かに女の武器だとそう実感する。ただ告白をお断りしただけで告白をした方はこの有り様だ。それじゃあ告白を断る方は気が気でないだろう。けれど、振られたと素直に泣けることは、研磨からしてみれば羨ましい限りだった。感情の起伏をあまり表に出さない研磨からすれば、それはとても羨ましいことななだ。

「クロ、振ったんだって?」
 そう研磨がわざわざ三年の教室に出向いて言った言葉に、黒尾鉄朗はどう返すのだろうか。少しだけ考えてみたが、クロの反応はいつも予測不可能だ。
「研磨から三年のクラスに来るなんて珍しいな。明日は雨かも」
 そう言って笑うクロに言ってあげたい。クロの振った子、泣いてたんだよって。好きだったから勇気を出して告白をして、好きだったから自分のことを好きになって欲しくて、好きだったから付き合いたくって。だから振られて泣いたんだって。そう言ってあげたかった。今笑ってるクロを見ていると、今朝女の子の告白を断ったようには見えないだろう。どちらかといえば告白されて喜んでいるような気がする。それでも実際は、来る者拒まず去る者追わずというように見えるこの黒尾鉄朗は、今朝学年一かわいいと称されてる女の子の勇気を出した告白をあっさりと断ったのだ。交渉の余地なく。理由は好きな奴がいるからだと、そう言っていたのだとクラスで騒いでる人がいたので簡単にわかることができた。黙ってクロを見つめていると、首を傾げてどうした? なんて言ってくるから何とも呑気なものだろう。きっとクラスの連中からはブーイングをくらったり、質問責めにあったりしたのだろうに、そんな雰囲気は一切見られない。
「どうして、告白断ったの。付き合えばよかったのに」
「だって好きな奴いるし?」
 そう言われたら何も返せない。黒尾鉄朗と付き合っている張本人なのだから。
「それに研磨が言ったんじゃん。俺だけにしてって」
 は、と思わず言ってしまう。だって昨夜のクロは確かに寝ていたのだから。器用なんだか不器用なんだかよくわからない寝方で、寝息も立てていたのは確かなのだ。それなのになぜ知っている。
「狸寝入りしてたの?」
「研磨に会いに行ったのに、普通寝るだけとか有り得ないだろ。俺たち健全な男子高校生じゃん?」
 だったら最初からそう言えばよかったのに。深くため息をついてしまう。狸寝入りしたクロが今回は悪いんだからねと、言おうと思い口を開けばそれを遮るようにクロが喋り出した。
「それにしても、研磨の独占宣言は正直嬉しかったけど。俺が女子と付き合っても研磨何も言わねーし」
「だって…まぁ、ごめん」
「今日の研磨超素直で本当に明日雨降りそう」
 うるさい、と唇を尖らせればクロはごめんと謝ってくる。でも、振られた女の子には悪いけれど、今回のことは研磨は正直本当に嬉しかった。クロはもう俺だけの物だと、そう叫びたい気持ちでいっぱいだった。
「今日、クロの家に泊まりに行くから」
 帰り迎えに来てと言えば今日一番の笑顔でクロはおう! と返事をした。感情の起伏が乏しい研磨でさえ、友人には丸わかりの笑顔で教室に帰るのだ。

ぼくだけにしてね/150408



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -