月島が影山に勉強を教えることが当たり前になったのは一体いつからだっただろう。最初はふたりして維持を張り合っていたというのに、今では影山に勉強を教えるのは月島の役目へとなっていた。テスト前に影山が足を運ぶのは月島のところだったし、月島もテスト前になれば自然と影山の方へ向かうようになっていた。それはさも当たり前のようにといった行動で、おかしなことは何一つもないのだろう。月島は毒を吐きながらも影山へ勉強を教えることはやめなかったし、影山も月島の挑発を買っては喧嘩を繰り返しながらも勉強をするときはいつだって月島もとなりにいるのが当たり前だというような顔ぶりだった。テスト前になればいつも以上にふたりでいる時間が増えることを、お互いそれほど嫌ではなかったのだろう。むしろ好んでいたのかもしれない。なんだかんだ言ってお互いがお互いに好意を持っていたのはあからさまだ。 「月島、勉強おしえろ」 「今日はどの教科持ってきたの?」 「数学」 テストまで残り一週間。あと七日間。この期間でどれくらい勉強を教えることができるのだろうかと月島は考える。どれも影山のがんばり次第といったところだが。月島に教えてもらうようになってから、影山は赤点を取らなくなった。赤点を取っていたのは最初のうちだけで、後期中間からはどの教科も赤点を取っていない。その実績があるからか、理由はよくわからないが影山は月島に勉強を教えてもらうようになった。テスト前になれば月島のクラスや部室、たまに図書室などを利用して教えてきた。もともと記憶力はあった方なのか、そこまで覚えは悪くなかった。だから月島に教えてもらわなくても、ひとりでもできるのではないだろうかと少なくとも月島は思っている。 「やっぱり今日は無理」 「なんでだ?」 なんで、そんなの理由などない。そう言えばいいだけなのに、そう言えばきっと影山はじゃあいいだろと言う気がして、口ごもってしまう。そんな俺の態度に対して影山は不思議そうな顔をしていた。煮え切らない態度に見えていたのかもしれない。 「僕だって君と同じようにテスト勉強をしなくちゃいけないってこと、知ってる? どうしても教えてもらいたいなら他の人のところに行って教えてもらえば」 本音に虚言を少し混ぜるだけでほら、簡単にも言えてしまう。あまりにも簡単にすらすると言葉が綴られていて、今動いている口は本当に自分のものなのかわからなくなってしまうほどに。影山は少しだけ目を見開いて驚いた様子だったけれど、しばらくしてから付き合わせて悪かったな、なんて言うものだから影山は本当に変わったなと今さらながらに実感した。これじゃあもう王様だなんて呼べないのかもしれない。だって、これじゃあ僕が王様みたいだったから。別にテスト勉強がしたかったわけじゃなくて、ただ僕が影山に勉強を教えなくても赤点を回避できる気がしたから、それが嫌だっただけなのに。もうお前は不必要だと言われてしまう日が怖かっただけなのに。ただ、それだけだったはずなのに。 影山の背中がだんだんと遠くなっていくけれど、走れば追いつく距離。それでも、僕は一歩も動けずに影山の背中をただ見つめているだけだった。遠くなっていく背中が見えなくなって、誰もいなくなった視界。 終わりってものは、呆気ない。 影山が向かった先など知らなかったし、知りたくもなかったから、真っ直ぐに家に帰ろうと下駄箱に向かう。思えばひとりで帰るのは何時ぶりだったのだろうか。思い出すのも億劫だ。 次の日の放課後、テストまであと六日間だというのに、影山は待っても僕のところに来なかった。待ったのが無駄になったと文句をこぼしながらも、影山のクラスを覗けばもう姿はなく、きっともう帰ったのだろうと決めつけて下駄箱に向かう。その途中で、日向と山口と谷地さんに遭遇したから、帰りを共にすることになった。影山の存在はそこにはなかった。 それからテストが終わるまでずっと、影山は僕のところに来なかったというのはきっとわかりきったことだろう。 「お前赤点とったの!?」 日向の馬鹿みたいにでかい声が体育館に響きわたる。久しぶりの部活で、準備運動は念入りになと言われて、各自いつもより幾分か長めの準備運動を取り組む。その真っ最中に日向の声が体育館に響きわたったのだ。その次に聞こえたのは影山の怒鳴り声。影山は赤点をとったのか、と、そこで知る。別に盗み聞きをしたかったわけではない。 「影山赤点とるの久しぶりだな」 偉そうに笑った日向の声を聞いて、そういう日向こそ赤点をとっただろうとひとり内心呟いた。でも、確かにそうだ。あれからずっとひとりで勉強していたのだろうか。ちゃんとできていたのだろうか。できていなかったからこうして駄目な結果が残ったのだろうけれど、それでも、努力と呼べるものはしたのだろう。なんとなくだけどそう思えた。 「王様」 随分と久しぶりにこの名前で影山のことを呼んだ。赤点のことを指摘されたあとだったからか、いつもに増して機嫌が悪い。 「なんで僕のところに来なかったの」 「関係ないだろ」 唇をとがらせてそういう影山は、拗ねたように見えた。取り敢えず、今は長話ししているわけにもいかないから、先に背を向けた。 「ねぇ、影山。影山ってば」 「うるせぇ!」 なんなのその態度。僕とは話すことがまるでありませんみたいな反応。気に食わないと小さな声で呟くけれど、きっと聞こえていない。帰り道、久しぶりに目の前には影山飛雄がいるのに、なんだか遠く感じる。手を伸ばせば届く距離にいるのに、遠く感じる。こんなに近いはずなのに。試しに腕を精一杯伸ばせば、簡単に影山に触れることができた。なんだ、やっぱり近いじゃん。腕を掴んでまた声をかけると影山はやっと振り返った。まだ唇をとがらせていて、こうやって拗ねる態度がまだまだこどもなんだと思う。 「赤点とるくらいなら、僕のところに来ればよかったのに」 影山に聞こえるぐらいの声量で呟けばばっと振り返ってくる。いきなりのことで、思わず掴んでいた腕を離してしまった。また、遠く感じる。 「おまえが嫌々俺に付き合って、テスト勉強できないって言うから、俺はおまえのところに行かなかったんだ」 なにそれ。いっちょまえに他人に気使ったりして、そんなことしてるから赤点とっちゃうんだよ。自分で自分の首を絞めたんだってことにきっと影山は気付いていない。けど一番はじめに影山を苦しめたってことを、首を絞めるきっかけを作った人は僕だってことに僕は気がついてる。馬鹿ではないから、簡単にそれをわかってしまった。馬鹿な影山はそれに気付いていないけど、ちょっと考えればわかってしまうことだ。あんな一言で影山は悩まされるなんて思っても見なかった。影山は僕の言葉なんてどうでもいいんだろうと思ってたから、こんなにも考えてくれてたことが少し嬉しくて、申し訳なくなった。不必要だと言われても、本当は大丈夫だったかもしれないし、そもそも影山はひとりじゃなんにもできないただの男の子だったからそんなことを言うことは本当に有り得ないとわかっていたはずなのに、それでも怖かったのだと言えば影山は笑うのだろうか。 「ごめん、あの時は本当に機嫌が悪かったんだ」 「お前でも、そういうのあるんだな」 僕をなんだと思ってんの、とは言わなかった。少し微笑んだ影山をかわいいと思ったことは、言えなかった。気の迷いだと思うことにする。 「追試の勉強、教えて欲しいなら教えるけど、どうする?」 あえて僕はどっちでもいいけど、みたいな風に聞くのはずる賢いと思ったけれど、それは今に始まったことではないだろう。答えなどわかりきっていても、言ってほしかったのだ。言葉が、ほしかったのだ。 一言で十分/140228 |