「トビオちゃんは好きな子とかいないの?」
「いませんけど」
「高校生になっても相変わらずだなぁ」
 深くため息をついて見せたってこいつは何をしているんだという顔しか見せない。きっと初恋だってまだで、俺から見ればバレーが恋人ですとかいつ言い出しても別に不思議じゃなかった。だってトビオちゃんだし、と笑えばまたわけのわからないというような顔をしている。王様な部分が多少治ったってこういう部分は全く治る気配はない。いや、治す気がないのか。だからって別に俺はどうだってよかったし、これっぽっちも気になんてしてやんない。だって俺は、こいつのことなんか大嫌いなんだから。天才なんて大嫌いだ。影山飛雄は及川とにとってこの世で一番嫌いな人間なのだろう。そんなやつの好きな人なんて知らなくなったってよかったし、興味の欠片もなかった。ただ馬鹿にするネタが増えるのはいい。けど、俺の知る限り影山飛雄が異性に興味を示したことなんて一度だってなかった。寧ろバレーの良し悪しで人を見ている。トビオにとって容姿なんておまけみたいなもんで、関係なんてものはなかった。影山飛雄というひとりの人間について考察してみたって、及川は影山の圧倒的な才能だとかそんなところにばかり目がいってしまう。その度にお前となんて出会わなきゃよかったのにって、心の底から思っていた。

 それじゃあ影山飛雄と出会えない人生だったのなら自分はどうなっていたのだろうと及川は考える。別に困ることは何ひとつなさそうだけれど、それでも何か少しは変わってしまうのだろうか。例えばある人たちの仲は良好になるけれど、別の人たちの仲は悪化するだとかそんなことが。及川徹の世界に影山飛雄が存在し始めたのは中学三年生の時だった。中学三年生にもなると、受験やら卒業やらでイベントが盛り沢山としか及川は思っていない。新しく出会った人間なんて部活での後輩ぐらいしかいないから、影山飛雄と出会わなくても困ることは何ひとつないと思ったのだ。寧ろ出会わない方が嬉しかったし、そうすることができるのならそれを望むのだろう。努力する天才だとか、圧倒的な才能を持つ後輩なんていたってその存在に脅かされるくらいで良いところなんてない。何度考えたって及川徹の人生に影山飛雄がいなくても困ることはなかった。影山飛雄は岩ちゃんと違って俺の幼馴染みとかそういうポジションじゃなかったし、ただの後輩で勝手に追い抜かすとか言ってきてるやつで。この世で一番嫌いな人間だ。うん、やっぱりそうだよねとひとりで笑っていたら岩ちゃんを中心に気持ちわりぃぞって笑われた。
 翌日、冬にしては暖かい気温でバレー馬鹿な烏野の連中はこういう日のことをバレー日和だとか言うのだろうかとか思いながら登校をした。冬の朝練は寒さの中やらなくてはならないからあまり好きではないけれど、今日は気温が高かったせいか調子も良く、特にサーブなんて絶好調だった。今日みたいなコンディションのいい日に試合があればいいのになぁとそんなことばかり思っていた。
「そういえば週末烏野と練習試合やるらしいぞ」
「げー! まぁ今回もトビオは及川センパイに勝てずに悔しむだけなんだろうけどね」
 何かおかしなことを言っただろうか。岩ちゃんの様子があからさまにおかしい。それともあれか、またいつものように調子乗るなとか怒られるパターンなのこれ。でも事実だし。
「トビオって、誰だ?」
「…え?」
 それから話したことはあまりよく覚えていない。取り敢えずみんなは綺麗さっぱり影山飛雄のことを忘れてしまっていたのだ。金田一なんてあんなにトビオのことを毛嫌いしていたくせに、そんな簡単に呆気なく忘れることができるのかと思えるほどに。『孤独の王様』は本当にこの世界で孤独になり果ててしまったのだ。誰からも存在を認知されない孤独な状況に。俺は何でかはわからないけれど無我夢中で影山飛雄の話をずっとしていて、お前頭でも打ったかやら熱があるんじゃねぇのやら心配ばかりされるだけ。いやでも本当にいるんだって。昨日も俺トビオと二人でファミレス行ってたんだよ。メールだって毎日のようにしていたはずなのに履歴には一切残っていない。昨日まではいたはずの存在がこうも簡単に消えてしまうなんてあるのだろうか。しかも自分以外の人間はトビオについて何も覚えていない。あんなに王様王様って中学時代嫌われてたやつが、そんなあっさり忘れられるのだろうか。それとも今まで見てきたものが全て夢?
 ぐるぐるぐるぐる。ひとりで考え込んだって答えまで辿り着けない。そもそもこんな難解問題ひとりで解けるはずがないのだ。そこまで考え込んでから俺は思い出したかのようにあ、と呟いた。岩ちゃんが心配する視線でこちらを見てくる。
「やだなぁ岩ちゃん、全部冗談に決まってんじゃん」
「は…?」
「だーかーら! 全部冗談なの。まさかここまで簡単に騙されちゃうなんて、岩ちゃんの今後が心配だよ〜」
 そうやって笑い飛ばした。岩ちゃんは安心したのかすぐさまいつものように俺のことを蹴りとばす。なんだ、平気じゃん。俺はひとりでほくそ笑む。先ほど俺が思い出したのは俺は影山飛雄のことが嫌いだったということ。よくよく考えればこんな都合のいい状況に乗らないわけにはいかないと思ったわけだ。昨日だってあいつがいなかったら、なんて都合のいい状況を考えていたんだけれど本当になると少し気持ち悪い。でも別に俺は構わなかった。気持ち悪いと思ってたのも最初のうちだけで、影山飛雄がいなくたって困ることは何ひとつなかった。影山飛雄がいないこの世界は、滞りなく今日もすごせるものだった。みんないつもと何ひとつ変わらなくって、ここまで影響がないと逆に笑えてくる。天才のくせに、ここまで影響がないとかいう事実が、あまりにもおかしかったから。

 週末になれば予定通り烏野との練習試合が行われた。もちろん会場は青葉城西高校。トビオがいなくたってチビちゃんは烏野に馴染めていたし、セッターだって代わりは最初から用意されていたし、エースだってきちんと戻ってきていた。なのになんなんだろう。少しだけ物足りないこの感じは。チビちゃんのことをあのセッターはあまり使いこなせていなかったから? いや、そんなことないはず。そもそもトビオが正確過ぎてただけで、爽やかくんだってトビオほどではないけどチビちゃんを使いこなせている。じゃあこのもやもやはなんなんだ。試合だって勝ったのに。もう一回が多いのが困りものだったけれど。この世界は何だか少しだけ違う気がした。妙に居心地がわるい。そんな気がした。
「   」
「及川何か言ったか?」
「ううん、何にも」
 あれ、おかしい。なんなんだ。試合も全勝で、今日も俺の調子は絶好調で、なのになんでこんなにおかしいんだろう。何かが欠如している気がして、きょろきょろと周りを見渡してみる。俺は何かを落としてきてしまったのだろうか。――どこに? それは、わからない。だから困っている。
 このもやもやとした気持ちの正体もわからなくて、それなのにこのもやもやとした気持ちはいつまで経っても消えなかった。そのせいで俺は調子が悪くなってしばらくバレーから離れた方がいいんじゃないかと監督にまで言われる始末。「できます!」なんて意地は張るだけ無駄だということはあからさまだった。まるでこの状況はいつの日かに似ているなぁなんて自室にいるときに思い出す。そう言えばあのときは焦っていたんだった。色んなことを焦っていて、調子は悪くなっていって、こういうのをまさに悪循環だなんていうような状況。けれど今は違う。あのときと状況は全然似ていなくて、それじゃあ今回は一体何が原因なのだろうか。調子が悪くなり始めたのは確か烏野と練習試合をしてから。けれどあの日は烏野と試合をした結果は全勝だったからどこの調子もおかしくなかったはず。またもやもやが広がってきて、このままじゃ更にだめになってしまう気がした。改善点は見つからないまま眠りに落ちていく。
「及川さん」
 夢の中で誰かが呼んでいた。お前は誰だと叫んでいるけれど、その人影は俺の名前を呼ぶだけで何の返事もくれない。
「サーブ教えてください」
 その一言を聞いてその人影の正体ははっきりとわかった。夢の中に出てくるのはそういえば初めてだなぁなんて呑気なことを考えられるくらい、俺は余裕を取り戻し始めてたのかもしれない。
「やだよ。天才に教えることはひとつもないんだから」
 あからさまに落胆をしている影山飛雄の姿を見ると大声で笑ってしまった。誰からも忘れられて、なのに誰も困ることはなくて、それでもそんなことは気にせずにバレーをしているそいつを見たら笑わずにはいられなかった。世界にいなくたって困らない存在になったって、見放されたって、神様は相変わらず影山飛雄という存在にバレーに関しての才能を与え続けていることについては見ないふりをして。世界から嫌われても神様には愛されるんだなぁってそれだけは覚えておいた。
 そこで目が覚めて、この世界には相変わらず影山飛雄が居ないんだってことを確認してからひとりで笑い続けた。俺から欠如してたものは、影山飛雄だったんだって、知ってからずっと笑ってた。物足りないものは影山飛雄だって身をもって思い知ってしまった。できることなら知りたくもなかったけど、今この状況を作り上げたのはきっと自分で。そう考えたら笑いが込み上げてくる。こんなに及川徹が馬鹿だったのだと。
「ねぇトビオ、お前今どこにいるの?」
 虚しく部屋に響きわたったのは聞きなれた自分の声。もちろん返答はない。いつだってそうだ。自分勝手に付きまとっておいて、こっちから出向くと口を尖らせてばかり。なんてわがままな王様なんだってずっと思っていた。なのに、そんな王様がずっと好きだっなんて、おかしいでしょう?
 もやもやの正体は影山飛雄のいない世界に対してのものだった。影山飛雄のいない世界がこんなもので、誰も困らないのにひとりだけこんなに困っている人が居て、バレーもできないくらいに。そう考えていたらまたおかしくなってきて、笑った。

 笑い疲れてまた眠って目が醒めたらベッドの横に影山飛雄がいた。びっくりして思わず起き上がる。急いで日付を確認したらトビオとファミレスに行った次の日。ちなみに時間は夕方の6時を回っていた。今日の部活はオフだからまだよかったけれど、学校に行った記憶もない。それにこいつのいる烏野は月曜日だって練習があるはずなのに目の前にいるとなると、これは夢なのだろうかと疑いたくなる。
「……及川さんおきたんですか?」
「ねぇ、何でお前がここにいるの?」
「? なんでって及川さんが熱出たからお見舞いに来いって言ったんじゃないですか」
 メールの履歴を見てみると確かに送っている。ついでに他の未読メールも開くと岩ちゃんやらその他の部員や友だちからのメールが届いていた。どれも今日俺が学校を休んだとわかるもので、証拠になるものばかり。今まで見たものが全て夢なのかと理解するには時間が少しかかった。取り敢えず目の前にいるクソ生意気な後輩に触れてみると少しだけ熱くて、もしかして熱があるのかもとか思っていた。
「な、なんなんですか! 及川さんさっきからおかしいですよ? 寝ぼけてるんですか?」
「トビオちゃんのいない世界の夢を見てたんだ。誰も困ってなくって、なのに俺だけひとりでずっと困っててさ、バカみたいでしょ? 今までずっといなければいいのにとか思ってたくせに。お前が好きだなんて自覚するくらいならこんな夢見なきゃよかったよ」
「よくわかんないんですけど…」
 確かにこいつには難しかったのかもしれない。けれど口が勝手に動いていたのだ。
 よくよく考えればこれは遠回しに告白をしたようなもので、けれどこのクソ生意気な後輩はそれすらに気づいてなかった。もしかしたら今までされてきた告白も全てわからなかったのではないだろうか。そう考えると告白した相手が気の毒だ。取り敢えず頬に触れていた手を離して伝えたかった言葉を伝えておこう。明日学校に行ったら本当に影山飛雄が居なくなっていたら困るから。
「好きだよ」
 好きだと言ったって返答は素っ気のないもので、きっとそれより頭の中はバレーでいっぱいなのだろう。熱を測って平熱なのを確認してからジャージに着替える。どうしたのだろうという表情のトビオは放っておいて、バレーボールをかばんの中から取り出す。
「これから自主練しようと思ってるんだけどトビオちゃんはどうする?」
 答えなんてわかってるくせにわざわざ聞くのはなぜなんだろう。口角が思わず上がってしまうのはしょうがない。
「! 行きます!」
 目をキラキラと輝かせていそいそと準備を始める。こんなバレー馬鹿な天才のどこが好きなのだろうかと不思議にもなるけれど、きっと全部好きなのだろう。知ったからには目を背けられない。どんどん好きが溢れ出てくる。なんて愚かなんだろうと笑いたくなるくらいだ。取り敢えず近くの公園でこいつとするバレーは一体どれくらい楽しいのだろうかと、俺は目をキラキラと輝かせているクソ生意気な後輩を見て胸を高鳴らせているのだ。

実に滑稽/150210



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