螢は本当につまらない男だ。顔も性格もぱっとしないし、一緒にいるとわけもなくイライラしてくる。この前も彼はしょうもない尻軽女に騙されてやけ酒した挙句私まで巻き込み二人で泥酔。起きたら螢と裸だった。だから螢が嫌いだ。本当にどうしようもなく嫌い。それだのにあんまり彼がマヌケだからついつい気にかけてしまって何年も経ち気づけば齢二十六。畢竟ろくでもない腐れ縁だと思う。

ある日、ベタ惚れしていた職場の先輩がすでに同僚の女の子と付き合っていたという事実を知った私は焼酎やらワインやらを机に並べて螢を自宅に呼びつけた。そしてたっぷり愚痴をぶちまけながら螢のグラスに酒を注ぎ、すると彼も「おい、注ぐなら同じ量かそれ以上だろ!」とヤケクソに大声だして私の口に瓶を突っ込む。二人きりの飲み会には大学生以来ちょっとしたルールがあって、相手に注ぐとき自分も同じ量かそれ以上を飲まねばならないのだった。だからまぁ、二人とも潰れてしまうのは至極当然の事なのである。

その先輩のことを嘘偽りなく好きだったせいか、とても螢とおっ始める気にならず、先に潰れた彼をベッドに放置して自分はソファーに横になった。先輩の優しい笑顔を思い出すとおセンチになってしまうので、それを振り払うように螢の間抜け面ばかりを脳内に描いていく。高校時代にカラオケで五時間も下手な歌を聞かせてきた螢、大学時代に童貞が露呈して私に散々おちょくられた螢、エトセトラ。こうして振り返ると、なんて無垢で楽天的な日々だったことか。
しかしながら学生時代にぶつけられた螢の熱い告白を受け入れなくてよかったとは常々思う。だってこんな腑抜けた小説家、無理だ。きっと螢を弄ぶ女達もこの冴えない男とお付き合いはおろか結婚なんてしたくもないに違いない。仕方ないことではある。でも結局のところ、こうして隣に居続ける私もたぶん相当冴えない女なんだ。

「いいよ、ベッド使って」
呆けた頭に突然声が投げかけられびくつきながら瞼を開いた。額面通りすぐ目の前に螢の足が伸びている。なんだよ、今更ベッドを譲り合う仲でもなかろうに、傷心だからって要らない気でも遣ってんのか、とイライラしながら螢を見上げると、彼はぼんやりした酔っぱらいの瞳に僅かながら戸惑いの色を浮かべてそばにあるティッシュを箱ごと私に差し出した。
「それ、拭いてくれ」
じゃないと抑えられそうにない、なんてこぼしながら紅潮した頬を誤魔化すように残っていた日本酒の瓶を仰ぎ、そのまま床に座り込む。
私はそんな彼を眺めながらふと視界が酒に関係なくぼやけていることに気づいて、ティッシュで顔を何回も拭った。そしてあっという間に箱が空になりゴミ箱が山になった頃には自分の袖でそれを拭いた。いつまでもどこまでも溢れるせいで袖もびしょびしょになって、やり場のない思いは床に垂れ流されていく。

このまま私たちが何も変わらないのなら、私は独りで生きて独りで死んでいくのかも知れない。いや、別に一生独りだろうと私は平気だ。けれどそうじゃなくて、誰かと恋愛したいとか結婚したいとか、そういうのじゃない、そんな能天気な話ではなく、もっと難しい問題がここにはあるのだ。親とか、お金とか、現実とか、とにかく諸々の障害に因り叶わないであろう夢。もし私がその諸々を何もかも投げうって等身大の彼を選べたなら、もし私がそんなうつけだったなら、今頃二人は、比翼連理の仲みたく寄り添えていたとでもいうのだろうか?

「ベッドで寝た方がいい」
知らぬ間にそばへ寄ってきた螢が無理やり腕を引いて私の体をベッドに投げる。こういうデリカシーのない所作は嫌いだ。デリカシーのない言い草も。おまけに小説家。まったく、どうして。
「どうしてこうなっちゃったの、螢……」
それは螢の現状に向けて投げつけた台詞だったのに、螢はバカだからそんなのわかるはずもなく、
「失恋なんて人生に数えるほどあるもんだよ」
などとお門違いも甚だしい慰めの雨を降らせる。そして困ったように笑い私の髪を撫でるのだ。そうだ、螢はいつもそうだった。私が泣くたび見違えるように優形で。だから私は、その指先だけは、その優しさだけは、何年も前からずっとずっと大好きなのに。……ああでもどうか勘違いしないで欲しい。彼のことなんか依然大嫌いだ。今だって、こんなに胸が震えるのは酔ったせいなんだから。酔ったのはきみにじゃない。酒にだよ。バカ。