なまえ姉が結婚するらしい。
 ずっと憧れていた人だった。大人になったら隣に並ぶんだ、と夢を見ていた人だった。

 わいわいとはしゃぐオジさん達に囲まれて、嬉しそうに笑う顔が急に遠く感じて泣きそうになった。

***

 数日しか休みが取れなかったらしいなまえ姉が帰る日がきた。
 それでも、やっぱり何も言えない僕の所になまえ姉の方からやって来た。

「ねえ、佳主馬君。今回はお話してくれなかったね」
「……別に、たまたまだよ」

 無難にそう返した僕に「そっか、たまたまか」となまえ姉が寂しそうに笑う。

「でも、佳主馬君、私に何か言いたい事あるんじゃない?」
「え、何で」

 そして、困ったモノを見るような目で続けられた台詞に思わずそう返してから、しまった、と思った。嬉しそうに笑ったなまえ姉が「やっぱり」と言う。

「佳主馬君、今、聞くよ」
「いい。別に、大した事じゃない」
「私が気になるから。ね?」

 それでも、意地を張る僕になまえ姉が促す。言葉をさがすように視線を彷徨わせる。
 寂しいなんて言ったら、きっとなまえ姉は困ってしまう。

「……結婚、おめでとう」

 けっきょく、僕の口から出たのは思ってもいない言葉だった。
 子供っぽい本音なんか言えないと意地を張った僕が選んだのは優しい嘘だった。驚いたようになまえ姉が目を瞬く。

「え。今?」
「……うん、何か言うタイミング逃しちゃったし」
「そっか。……ありがとう」

 そうお礼を言って、僕の頭を撫でるなまえ姉の手の暖かさに何だか鼻の奥がツンとした。
 だって、笑ってるのになまえ姉の目が寂しそうだったから。

***

「……良かったの?」

 いつからいたのか、お母さんが困ったように笑って僕を見る。

「何が」
「なまえちゃん、寂しそうだったよ」
「……結婚するんだから、いいんだよ」

 言った声が拗ねているようで、口を閉ざす。そんな僕の頭を困ったように一度撫でて「そう」とお母さんが囁くように言った。

「でも、お母さんも何だか寂しいな」
「どうして? おめでたいことでしょ」
「佳主馬のこと、可愛がってくれたから」

 お母さんの言葉にまた鼻の奥がツンとする。

 ――なまえちゃん、寂しそうだったよ

 行かないで、なんて言ったら困らせる。好きだったのに、なんて言えるほど僕の気持ちは確かなモノじゃない。
 それでも、何か僕にしか言えない言葉があるんだろうか。なまえ姉にあんな寂しそうな目をさせない、何か。

***

「2日だけだけど、お世話になりました」

 来年は旦那連れて来なさいよ、とか、また来年ね、とか、まだ行かないでよー、とか皆が口々に言う中、僕は未だに言葉を見付けられずにいた。

「佳主馬君」

 それなのに、なまえ姉が僕を呼ぶから気持ちが焦る。

「な、何」
「君はもっと、ワガママを言ってもいいと思うよ。まだ中学生なんだから」

 大人の顔をして、なまえ姉が諭すように僕へ言う。それは僕が子供だからで、前はそういうところが嫌いだった。でも、今はそんなに嫌じゃなかった。

「なまえ姉」
「うん」
「辛くなったら、いつでも帰って来ていいよ」

 そう言うと、なまえ姉が驚いたように目を瞬いてから嬉しそうに笑う。

 ごめんね。優しい嘘なんかじゃない、ただ臆病だっただけだ。
 なまえ姉が他の家の人になることを認めるのが怖くて、嘘を吐いただけだったんだ。

「じゃあ、その時は佳主馬君もこの家で待っていてね」

 その笑顔を見た今なら、分かるよ。