元来僕はめんどくさいことは嫌いだ。めんどくさい人も。
だけど僕の彼女は「めんどくさい」の体現者だった。
まず時間には必ず遅れる。遅れてきたかと思えば待ち合わせ場所には合流できない。出かけて少しトイレにでもよろうものならふらふらとどこかへ行ってしまい迷子になる。お酒は半端なく弱いくせに酒の場が好きでほぼ100%酔い潰れる。ストレス社会で戦う中年サラリーマンよろしく途中で力尽きて警察官に保護されたことだってある。はっきり言ってどうしようもない。
だから僕はいつも来て欲しい時間の30分前に待ち合わせの時間を設定するし、道に迷ったら僕が迎えにいく。トイレは必ず同時に入って彼女が出てくる前に用を済ませようと急ぐし、飲み会の後は迎えにいく。
めんどくさいこと、この上ないのだけれど僕にとって彼女は唯一無二のかけがえの無い存在なのだ。

例えば彼女が泊まりに来た翌朝、僕より後に起きたあと「おはよう」っていう掠れた声とか、はぐれたあと不安そうな顔から僕の顔を見るなり顔を輝かせて安心したとばかりに走り寄ってくる姿とか、酔っ払って赤くなった顔もいつもより素直になって「蛍、大好きなの」って言ってくることとか、そういう彼女を形成する全てと、自分の中のめんどくさいことを天秤にかけた時に圧倒的に彼女の方が重くて大きくて。最初は彼女から「好きだよ」と言われて、なんとなくで付き合っていたくせに知らぬうちに俺は彼女に溺れて沈んで、彼女は俺の中に根を張っていた。

”危うくて放っておけない。”
それがめんどくさいというかわりに、僕が彼女に下した評価だった。

今日彼女は僕に連絡もせず自力で家に帰ろうとした。お酒を飲んで。
一応セーブしたようで電車には乗れた。友達と別れ乗り換えをする時に行き先とは反対方向の電車に乗ってしまい気付いたら知らない駅で泣きながら電話がきたのだ。僕はバイト終わりでドロドロに疲れていたけれど自転車で30分。彼女の待つ駅へと向かった。
そして泣きながら僕を待っていた彼女を乗せて、また帰路へついた。

迎えに行った僕をみるなり泣いていた。
「もう二度としないよ」彼女は言った。
「あと三回か四回か五回はあるかもしれないけど六回目はないから」そうとも言った。確信を孕んだ瞳に僕は随分弱いのだ。
「じゃあ絶対だよ」僕はそう言うことにしている。絶対の意味なんてこれっぽっちも知らないくせに。
今日だってそのセリフをため息混じりに彼女に告げた。

「なんで今日は電話しなかったワケ?」
僕は前だけを見て自転車を漕ぎながらそう言った。
化粧はぐしゃぐしゃに泣いたせいでほとんど落ちていたし、お酒のせいも相まって背中から伝わる彼女の熱はいつもよりも暖かかった。ぎゅっと腰に腕をまわして「ごめんね」と消え入りそうな顔で小さくつぶやいた。そして私ね、とさらに小さな声で続けたのだ。

「私ね、蛍のこと大好きなのに全然ちゃんと彼女出来ないの。蛍と会うんだって思ったら未だにドキドキしちゃって今でもうまく眠れないし何着ようかとか色々と考えちゃって。それで寝過ごしちゃうとか本末転倒なんだけどさ。
蛍はカッコイイのに、蛍の隣にいるのが私って釣り合わないよなってみんなに思われてる気がして一人でいると不安になって逃げ出したくなるの。
蛍がいない夜が寂しいから、蛍のこと考えないで済むようにお酒飲んじゃう。
結果的に全部蛍に迷惑かけてるってわかってるんだよ…。わかってるんだけど。
今日ね、飲み会でもみんなに言われたの。愛想つかされちゃうよって。だから電話出来なかった。でもまた迷惑かけてる。ほんとごめん。」

僕の背中は少しだけしっとりとしてきて、それは彼女が新しい涙を流しているということの確固たる証拠だった。
「ねえ。」
「なに?」
「じゃあ君が僕に迷惑かけないで済む方法教えてあげようか?」
小さな声でも夜にはよく響く。
僕が言葉と一緒に吐いた息は一瞬で白に変わった。彼女は身をこわばらせて返事の代わりに背中で頷くのを感じた。

「一緒に住めばいいんじゃないの?」

「なんで?」
「なんでって言われても、僕は君が好きだし。出かける時は一緒に出れば遅刻も待ち合わせの心配もないデショ?
そもそも人目が嫌なら出かけなくたっていいし。
ちゃんと毎晩僕がうちに帰れば寂しくてお酒飲むこともなくなるんデショ?じゃあその方が合理的なんじゃないの?」

そんな事言っても僕だって一緒に住んだとして、また違った面倒なことがでてくることは目に見えて明らかだ。彼女だって「でも、」と言葉を濁している。
でも僕はここまで来たら彼女から離れることも離すことも出来ないのだ。好きだから。
「嫌?」と聞けば「嫌じゃない。住みたい。」って声がする。
僕はその意味なんかはっきり言って理解しているとはいえない。本来の意味よりもずっと僕らの絶対は薄っぺらくて彼女のように危ういものだということは分かっているのだ。
それでも彼女はそれを言えば、その約束を果たそうと一生懸命になることを知っている。自信がなくとも、その約束が守れなくても、いつだって彼女は僕のことを考えている。いいんだ。意味なんてわからなくても。

「じゃあ、絶対だよ。」
改めてそう僕が言えば彼女は必ず「うん」と言うのは分かっている。
ずるくてごめん。でもそう言ってくれたからこの自転車の行き先は君の家じゃなくて僕の家に進路を変えることにする。

僕はめんどくさいことが嫌いだ。だけど、これから始まるであろうめんどくさい日々がとても楽しみだ。
気づいたのだけど、そんな言葉を直接言ってあげられなくて、ほんとはそんなことどうだって良くて、僕が君と一緒にいたいだけだということを君の話題にすり替えて回りくどくしか言えない僕のほうがずっとずっとめんどくさい男だね。