私が入学したこの高校はいわゆるマンモス校で、クラスの数は片手におさまらないし、同級生の名前だって聞いたことがあったりなかったり、学年が違ったりするとそれこそ他人も同然だ。部活もしていない私は、同学年の数人の友達と何でもない高校生活一年を終えて、何の問題もなく二年生になった。否、二年生になるまでは良かったが、二年生になってからが問題だった。多くない友達と、また同じクラスになれる可能性は一般的な生徒数の学校でも高くはないのにこの人数だ。呆気なく違うクラスになった。また一から人間関係を築くのは私には難しかった。やれやれ。
この教室で共に授業を受けているクラスメイトも半数以上が知らなかった人間だ。ちらほら去年のクラスメイトもいるが喋った事すらない。他人だ。
他人に囲まれる教室で生活することになった私は、人間観察という趣味を持った。人間観察と言っても、探偵のように鋭いものではない。クラスメイトというくくりの他人達をボンヤリ眺めて、会話を盗み聞き、表情や仕草を見ているだけだ。それだけだが結構面白くて、四月のはじめは友達と集まって取っていた昼食を教室に一人残って取るようになった。
そんな楽しい趣味の時間、私は勝手に心情をアテレコするようになっていた。
「ごめんって」なんて言っている人間がいれば、その態度によって(お前も謝れ)と続けたり、(どうしよう、許してくれるかな)と当てたりしている。正解は分からないが、あながち外れてもいないと思う。正解しているのか気になりはするが、まさか本人に確かめるなんて事も出来ないので取り敢えず全て正解としている。
そんな事を続けていた私は、このクラスに一人異常な人間がいる事に気が付いた。
出席番号一番、荒井昭二。一見暗そうで友達もいなさそうに見えるが、明るいかはさておきこのクラスにも友達がいる。いや、いた。彼の周りにはそれなりに人がいたのだが、だんだんと減っているのだ。この学校は平然と行方不明者を出すので誰かがいなくなる事はそう珍しい事ではないのだが、荒井昭二の周りの人間の減り方はそれを考慮しても異様だ。
敬語がデフォルトの荒井昭二は物腰も柔らかい風に見える。だが気性はそうでもないらしく、ふとした時に何とも言い難い、最早恐怖すら覚えるような表情をする。
するとどうだろう、一週間かそこらで荒井昭二を不快にさせたと思われる人間がすっかり姿を消してしまうのだ。とても気持ちが悪い。それでも何故か、私は荒井昭二の観察をやめられない。今日は誰が気分を害するのだろう?そんな事ばかり考えているせいか、最近では昼休みでなくても、教室の外でもすぐに荒井昭二に気がつく始末だ。

「……みょうじさん、ですよね」
私が目にした範囲では怒っていなかった、と下駄箱で今日の荒井昭二を振り返っていた私に声をかけて来たのは、その荒井昭二だった。うっかり叫び声を上げそうになる程驚いたが、平静を装うよう努める。
「そうだけど……?」
こんなにも近くで見るのは初めてだ。
何も言わない荒井昭二の暗い瞳に、ぞわりと背筋が寒くなる。この感覚は二度目だ。荒井昭二の周りの人間が姿を消してしまう事に気がついた時に覚えたものと、同じ。とても良い気分とは言えない。折角話しかけてもらったが、荒井昭二の不気味さを助長させている夕日が沈みきってしまう前に帰りたい。
「あの、荒井くん……、用がないなら私帰りたいんだけど」
何を考えているのだろう。改めて対面してみると分からない。
「……えぇ、そうですね。引き止めてすみません」
私の抱える言い知れぬ不安とは裏腹に、やっと口を開いた荒井昭二はあっさりと引き下がった。
背中に突き刺さる彼の暗い視線を感じながら、荒井昭二の観察をやめる事を決め、家路を急いだ。どうやって消えていくのか興味はあったし、荒井昭二という人間も気になるが関わらない方が良い。私の中の何かが遅すぎる警鐘を鳴らしていた。


あの日から三日が経った。
私はもう日も落ちてしまった校舎を必死に駆けずり回っている。帰宅部になんて事をさせるんだ、と名も知らない眼鏡に悪態をついてみても事態は好転などしない。
誰もいないのだろうか?教師は?分からない事もあるが、少なくともあの謎は解けた。
勝手に消えたり、不思議な力でいなくなったりしたのではなかった。荒井昭二が消していたのだ。気に入らない人間を、殺していた。なんと明快な答えか。
そして彼が今一番気に入らない人間は私なのだろう。暇さえあれば観察していた訳だ。気に障ったのかもしれない。だからと言って殺すなんてあまりにも飛躍していると思う反面、流石だとも思う。今までだって大した事ないきっかけで彼は不快さをあらわにしていたし、私を殺すには十分だろう。しかし気になるのは私を呼び出した眼鏡や、嬉々として襲いかかってきた先輩と思われる美人達だ。あの人達の恨みまで買っていたのだろうか?まあ平気で人を殺して来たのだろうし、多分全員荒井昭二みたいな思考回路なのだろう。考えても分かるまい。
「こんなところにいたんですか」
こうやって明確に声をかけられるのは二度目である。二度しか話した事のない人間に殺されるなんて人生は分からない事ばかりだ。
「何なんですか貴方」
暗い廊下にさしこむ月明かりに照らされている荒井昭二は、夕日の中で見た時よりもきちんと存在している感じがする。人間がそこにいると思える。
「ジロジロと人を見て……僕を馬鹿にしていたんでしょう!」
襟元を掴み、私を壁に押し付ける荒井昭二の顔には私が憎いとありありと書いてある。苦しいし、痛い。でも、また一つ、謎が解けた。
「僕を馬鹿にした貴方が悪いんだ」
振り上げられた拳には、鈍く光る何かが握られている。いま、今言わなくてはいけない。
「私、荒井くんのその顔、好きみたい」
痛い。それに熱い。ドクドクなんてものじゃない。もっと凄い勢いだろう、と他人事のように血が噴き出していくのを感じる。
別にこうして死んでいく事に後悔はない。今さっき気がついたとはいえ、最後に見たのは好きなもの。それってきっと幸福だ。ただ、私の短い間の幸福であったこの記憶を来世に引き継げないのが心底残念でならないと思う。