「まんば、あのね……っ」
「ん、なんだ」
「ごめんなさい、なんでもないわ」

気にしないで。
もう何度繰り返したかわからないこのやり取り。
1度だって彼は無理矢理私からその続きを聞き出そうとはしなかった。今日もそう。いつもと同じように、何か言いたげな顔をしながらもそうか、とだけ呟くと私の部屋を後にする。
布団の上で、まんばが肩にかけてくれた羽織の裾をきゅっと握りしめた。

『そんな、どうして……納得できません!』
『決定事項です。それに、ご自分の事なのですからご自覚はおありでしょう。まさか、そのようにやつれていらっしゃるのに分からないとはおっしゃりますまい』
『それは……!でも、私ならまだ……!』
『いいえ。もう貴女は限界です。それはこの本丸の様相を見れば一目瞭然でしょう。四季の現出はおろか、御殿の修繕すらままならないのでは貴女に残されたお力はもはやないに等しいと言わざるを得ない』
『そんな!お願いですから私をここにいさせて下さい!』
『了承致しかねます。それとも貴女は、貴女の宝とも言うべき彼らをその手で破壊したいとおっしゃるのですか』
『違います!そうじゃない、そうじゃないのっ……げほっげほ』
『お身体に障ります。私はこれにて失礼致しますのでどうぞごゆっくりなさって下さい。それと……期日までに身辺整理をよろしくお願いします』

無情にも告げられた審神者解任の知らせ。その事実を私が受け入れられたのは10日経った頃のことで期日まで残り数日と迫っていた。というのにも関わらずまんばはおろか他の刀剣男士にも告げることができずにいた。
ひとまず彼らには悟られない範囲で身辺整理を始めた。とは言っても、私自身の私物などあってないようなものだからすぐにまとめることができた。仕事の引き継ぎも問題ないだろう。結局すぐに私のやるべき事は残り1つとなってしまったのだ。
最もつらく、最も言い出しにくくて、最も告げなければならない言葉。それを伝えれば彼らは悲しんでくれるだろう。でも、私は彼らの涙やそんな顔を見たくはないのだ。なんて独りよがりなわがままなんだと思うけれど、どうしても、告げられなかった。
でも、それももう終わり。明日1日、最後まで私は何も言わずに、笑っていようと決めたのだ。彼らが少しでも笑顔の私を覚えていてくれるようにと願いながら。


翌日、いつもと同じように目覚めて、まんばが私を呼びに来て、みんなで朝餉を食べて、出陣や内番の割り振りをして、笑顔でみんなを見送って、笑顔でみんなを迎えて、笑顔で報告を聞いて、みんなで夕餉を食べて、1日が終わろうとしていた。
どこも不自然なところはなかったと私は思う。最後までみんな笑ってくれていた。これ以上に嬉しいことはないと素直に思えた。

「まんば」
「なんだ」
「今日もありがとう」
「ふん……俺は近侍としての務めを果たしているだけだ。それに、写しに礼を言うなんてあんたはやっぱり変わってるな」
「そうかしら?でも貴方は私の最初の刀だからやっぱり特別なのよ」
「こんな俺でいいと言ってくれるのはあんたぐらいなものだ。そら、身体に障る、早く寝ろ。また明日迎えに来る」
「……ええ。ありがとうまんば」

そっと障子戸を閉めていく彼の背中を見ながら私は必死に漏れ出しそうになる嗚咽をこらえた。それでも気づけば笑顔を浮かべていたはずだったのにぼたぼたと涙が頬を伝って布団にしみを作っていた。
途端に激しい後悔が襲ってきた。なんで、素直に彼らに打ち明けることができなかったのだろう。私ただ1人のエゴできっと彼らは明日、激しく傷つくことになるだろうということに今頃気づいた。
打ち明けてさえいれば、こうして一緒に泣いてあげることだってできただろうに。涙をすくってあげることも、背中をさすることもできた。でも、私はもう彼らに触れることはおろか会うことも叶わないのだ。
ごめんなさい、愛してるよ。そう呟いた言葉は湿った部屋の空気に滲んで溶けていった。



翌朝、いつものように主を迎えに行くべく中庭に面した廊下を歩いていた。久しぶりに感じる温かい空気に主の調子がいいのだろうと思った。こころなしか、御殿も少し綺麗になった気がする。これなら短刀たちが廊下を走り回っても問題ないだろう。
もう半年ほど、主の体調は思わしくなかった。俺と共にこの本丸に着て、新しい刀が増える度に主は弱っていっていた。気づけば美しかった庭の景色は晩秋さながらにもの悲しいものが常となっていて、それにつられるように御殿もあちらこちらで綻びが出始めていた。主の体調が思わしくないことと、本丸の様子がおかしいことはきっと関係があるのだろうと薄々気づいてはいたが誰も言い出すことができなかった。
きっと、主のことだから聞いたところで認めたりはしないだろうからそれでよかったのだと思う。
ふと、庭先に視線を止めるとこんのすけと見知らぬ審神者らしき人物がいた。

「山姥切国広、随分早いのですね。丁度いい。こちらが本日よりこの本丸に着任なされた審神者殿です」
「何を言っている?審神者なら主がーー」
「先代殿は昨日付でその任を解かれています」
「そんなはずないだろう。第一、あいつはそんなこと一言も……」
「きっと言い出せなかったのでしょう。政府の命が下ったのが2週間前のことでしたから」

嘘だ。ただそう信じたくて知らず俺は駆け出していた。でも現実は無情にもこんのすけの言葉が真実であると告げるのだった。
昨夜最後に主と言葉を交わした審神者の私室はもぬけの殻だった。あの温かい笑顔の主も、この本丸で暮らすうちに知らず知らず増えていっていた写真立ても、主が気に入って使っていた羽根のついた筆も、何もかもがなくなっていた。ただ1つ、文机にぽつりと置かれた文以外は何もなかった。ここに主がいたなんて信じられないほどに。
文をそっと開けば見なれた主の美しい文字が並んでいた。たくさんの思い出を書こうと思ったけど上手く言葉にできなかったとか、黙っていなくなることを許してほしいとかそんなことがどこか他人事のように書かれていて、きっと主も苦しんだんだろうと思った。いつだって俺たちを何よりも大切にしてくれていた主が、つらくないはずがない。そんな確信があった。
何かほかに痕跡はないか、と再度がらんどうの部屋を見渡せば綺麗に畳まれた布団の上にさらに綺麗に畳まれて置いてある羽織を見つけた。これは俺が初めて給金をもらった日に風邪をよく引くという主の為に贈ったものだ。それ以来毎日休む前はこれを肩にかけてこの部屋にいた。そっと持ち上げれば主の優しい匂いがして、つんと鼻の奥が痛くなった。はらりはらりと目から何かがこぼれていく。ぎゅっと抱き締めた羽織は袂の当たりが既に湿っぽかった。


BGM:vivi/米津玄師