肩越しの温もりにじんわりとした切なさを覚えた。
たった二人だけの車両は、音など存在するはずもなく、ただ静まりかえっている。
視線をわずかに逸らせば眠る彼の姿が見える。
暗い空の色と同じ、ミッドナイトブルーの瞳は瞼に隠され見えなかった。

 がたん、ごとん。

 電車は人の意志など知らないように闇を駆けていく。
 確かなものは隣の彼の温もりだけ。
それでも、皮膚の下、骨に守られた内側は冷たく凍りついたまま。
皮膚という隔たりがある限り、彼の体温でもこの冷たさを無くすことは出来ないだろう。
 ガラス越しに見える秋の星はあんなにも遠い。
群青の空と相まって、この電車は海に沈みこんでいるようだった。
電車は波、線路は海、私達は魚。
冷たい体を揺らめかせてただここにいる。
明確な目的もないまま流れに身を任せたこの体は運ばれる。
 自分で泳がないから、この体はこんなにも冷たいのだろうか。
かじかむ指先に息を吹きかけても、刹那の温もりしか与えることが出来なかった。


「寒いのか?」
「あ、起きたんだ。……うん、寒いよ」


 現し身の物となったミッドナイトブルーにゆるりと微笑むと、彼はいつも通り、ほんの少し唇を尖らせる。
そうして、一回り大きい手に私のか細いものは攫われてゆく。
 先程よりも伝わる温もり、生きていることの何よりの証明。
私の冷たい両手に浸透させてくるように、彼の熱が私に分け与えられる。
寡黙な人だった、そして優しすぎる人でもあった。
その優しさは骨格の下の核をも溶かしてしまいそうで、本当に怖い。
溶けてしまったら、水になって海の一部と同化するだけで、何も残らない。

 がたん、ごとん。

 体を運ぶ鉄の箱が水を切って深海を進んでいく。
あの星、この海に落ちてくればいいのに。


「なぁ」
「うん、なぁに」
「難しい顔してっぞ」


 難しい。
やや疑問を強めて彼の言葉を繰り返すと、彼は視線を彷徨わせて、探し物を見つけてから真っ直ぐに私を見る。


「余計なこと考えてるだろ」
「余計、じゃないよ」
「余計だ。どうせ頭の中ぐちゃぐちゃで、自己満足の答えを出してるんだろ」


 彼に言わせると私の思考はうずまきで、暗い面倒な物らしかった。
多分、それであっている。
君の温かさが私はいつも怖いんだよ、自分が空っぽになりそうで怖いの。
だからこの体が冷たくありますように、って落ちてきそうにもない星に願う。
この体が冷たければ、ずっと温めてくれるでしょう?
 矛盾したこの二つの感情が終わらない螺旋を巡っている。
彼にいらない心配を掛けるくらいなら、私しかいない、どこか遠い所に行ってしまいたかった。
終点を超えたその先、誰もいない冷たい場所。
それならば、夜鷹のように星になってしまえばいいのだろうか。
 手が温まって、彼の血潮と鼓動を感じた。


「あのね、誰もいない場所に行きたいなって思ってたの」


 私が不安を覚えないで済む、終点の先にもきっとない場所。


「俺を置いてってか?」
「そうだね。君とバイバイするのは悲しいけどね」


 嫌いだから別れるのではなく、愛しさ故の離別。
海底から見上げる群青はきっと、得も言われぬほど美しい。


「でも過去形だから安心してね」


 きっと、彼はもう置いてどこかに行ける程、私の中で小さなものではない。
唯一無二の私の星、幸せを願う一等星。
 もし、一緒に来てと言ったら、その輝かしい光を捨てて海に沈んでくれるだろうか。
電車は私達を目的地へと運んでいく。
 彼と私の生きる街。
小さな陸の、小さな街で、私が見つけた幸せ。
優しい温もりと、空虚になることへの恐怖。


「もし、私がいなくなったら探してくれる?」
「当たり前のこと聞くなよ、ボケ」


 ぎゅうっ、と強く握られた手。
この手が彼に繋がれている限り、私はどこにも行けないのだろう。

 がたん、ごとん。

 波となって、私と彼が生きてゆく街に帰ってきたことをアナウンスは告げた。
立ち上がっても、電車から降りるときでも繋がれているこの手。
私の幸いはここにある。
 ぎゅっ、と手を握り返して、愛おしいミッドナイトブルーの星に囁いたなら、瞬いてくれるのだろうか。


「私達、どこまでもどこまでも一緒に行こうね」