偽物なんだよなあ。暗がりに溶けた小さな声を追いかけると、わたしを見下ろす瞳がぬらりと光るのが見えた。秀星の明るい髪色の後ろに広がる天井の銀河はとてもとても綺麗に、輝いている。わたしがひとめぼれした一面の星空のホロは、秀星の部屋に泊まる日の夜には必ず起動されている。それは今夜も皆の知る星空を忠実に再現していた。異常なほど鮮明に、揺るぎなく。これは本物だ。わたしの知っているそれからかけ離れていても、そう思わなけらばならない。わたしたちの神さまが選んだ間違いのない星空を疑う人間なんて、きっとこの世界の何処にもいないから。

絡めた指先が解かれて、探るように頬をなぞった。触れられたところを追うようにぞわぞわと何かが込み上げてくるような錯覚に囚われて、それが嫌で小さく身をよじる。気に食わなかったのか、それとも楽しんでいるのか分からないけれど、秀星はそれでもしつこく手を伸ばしてきた。

「…さっき何か言った?」
「なーんも」

その手を大人しく受け入れながら、やっぱりわたしは秀星とともに視界いっぱいに広がる夜空から心を離せないでいた。きらびやかに天井を覆う星たちは空調のファンだけが響く空間にあまりにも不釣り合い──いや、むしろ嘘だらけのこの場所には案外合っているかもしれない。わたしの身体を好き勝手に弄ぶ長い指を再び絡め取って、空いた右手でわたしに覆いかぶさる秀星の背中を軽く叩く。

「ねね、秀星。上見て、上」
「いまいいとこなんだけど…」

不満を洩らしながらも秀星は愛撫の手を止め、ほっそい身体を起こして、わたしの隣に横になった。その拍子に、ぽすんと僅かにベッドが揺れる。わたしは人差し指をまっすぐ夜空に向けた。

「銀河の水はさ、水素よりももっと透き通ってるんだって」
「また始まった。それ、いつの小説?」
「二百年前。ねえ、行って確かめてみたいと思わない?」
「そういうのはコウちゃんと話した方が盛り上がるんじゃね?」

狡噛さんと仲良くしたら怒るくせに。すんでのところで喉の奥で止まったひとことを呑み込む。秀星にはわたしが感じる言葉の美しさが分からないみたいだ。だけどわたしはいつも秀星に自分が美しいと思った言葉を投げる。それはわたしが物語の中で見つけた言葉を美しいと感じたように秀星を美しいと感じるからで、美しいものに美しいものを飾りつけたいからだ。そして世界はふたりだけになる。ひどい戯言。愛なんてもの知らなきゃよかった。

「その話さ、どんな話なの」

彼は珍しくわたしの戯言に付き合ってくれるようだ。「えっとね」頭の中で言葉たちを整理していると、秀星は仰向けの体を裏返して頬杖をついた。じっとこちらを見る瞳は優しげで、紛いものの空間にはひどく場違いだった。
 
「カムパネルラとジョバンニっていう男の子ふたりがね、銀河鉄道に乗って旅するの」
「銀河鉄道?」
「星空の上を走る汽車のこと」
「ふーん」

すっかり声のトーンを下げてしまった秀星は向きを変えてわたしを向く。もう飽きたのだろうか。空の上を走る汽車みたいに少しの迷いもなくわたしに伸びてきた手は、思い出したようにわたしの頬を撫でた。偽物の美しさから本物の美しさに目をやってみると、ああ、やっぱり秀星は美しい。薄暗さにすっかり慣れた目は凝らさずとも、しっかりとわたしの愛を映してくれた。

「秀星はカムパネルラで、わたしはジョバンニね」
「へ?」
「笑えない冗談だよ」
「なに、もしかしてカムパネルラが死ぬとか?」
「…秀星、この話ほんとは知ってるでしょ」

やはり美しく唇の端を吊り上げてくすりと笑った秀星は慣れたように再びわたしの上に体重を乗せる。頬を撫でていたはずの指先はいつの間にか首筋をなぞっていた。秀星はカムパネルラで、わたしがジョバンニ。──秀星、カムパネルラはね、死んじゃうの。あの銀河のはずれにしか、いなくなっちゃうの。秀星の頬に指を這わせると、くすぐったそうに笑った。そして今日もわたしは紛いものの銀河の下で、本物の愛に抱かれてねむるのだ。


引用―『銀河鉄道の夜』宮沢賢治