剣を受けながら、私の目の前で敵国の王はわらった。

吐き出す吐息が頬にあたるほどに近い距離で、王がわらう。所詮人はひとりだと言いながら。お前らもオレと変わらないと言いながら。愉快そうに、わらう。ああ、その表情がとてもきらい。だいきらい。一度距離を取り、もう一度斬りかかっていく私に向かって王はわらい、その足で私を狙う。不意の攻撃に体制を崩して砂の上に倒れ込む私に馬乗りになったかと思えば、片手で首を、ぐ、と締められる。逃げようとすれば、王が己の武器であるサンダーソードを私の頬の真横に突き立てた。何人もの仲間を斬ったその刃先は赤く染まり、ぎらりと不気味に光る。逃げることのできない私を見て、ぎゃはは、と愉快そうにわらいながら、王は私の首を絞める。ぎりぎりと音がしそうなほどに締められて、喉の奥から空気に近いような、変な声が漏れた。すぐ近くでクロムさんが私を呼ぶ声がする。クロムさん。名前を呼ぼうにも、声が出ない。至近距離で、王が言う。

「クロム君はうちの兵士に囲まれてお忙しいようだぜ。残念だなぁ?軍師さんよォ」

吐息が頬にかかる。苦しくて、目の奥から涙が溢れる。涙で歪み、霞む視界の向こうで、敵国の王は変わらず楽しそうにわらっている。その表情が、きらい。だいきらい。首を絞められているからか、胸が苦しい。苦しくて、私の首を絞め続けるその手に、自分の手を重ねる。触れた瞬間、その手が震えたように感じたのは私の気のせいかもしれない。

「…なんだ。何か言いたそうだな。命乞いなら、聞いてやるよ」

一瞬、首を絞めていた手の力が緩まった。緩まったその瞬間、どっと肺に送られてきた砂粒混じりの酸素に噎せる。剣と剣とがぶつかる音が聞こえる。仲間たちの声が聞こえる。クロムさんの声が聞こえる。私の目には、わらっている王と、不気味なほどに青い空とが見える。私は、あなたのそのわらった顔、が、大嫌いです。たったそれだけの言葉を、吐き出すことができない。胸の奥が痛い。痛くて、痛くて、苦しい。私の首を絞める王の冷たい手に触れながら、唇を動かそうとするのに、言葉にならない。

「…つまんねェな。ギャンレル様なんでもしますから助けてください、…とでも言えば考えてやろうと思ったが…やっぱ止めだ」

酸素の供給を断つように、首がまた圧迫される。唇からは音にならない空気ばかりが漏れていく。意識を手放しそうになるのと、霞む視界の向こうでクロムさんのファルシオンが王の腕を切りつけるのとは、ほぼ同時だった。王の悲鳴が聞こえて、クロムさんの目を閉じてろ、という声が聞こえて、私がその言葉に反応して目を閉じるよりも早く、目の前が赤く染まる。赤く、赤く、赤く、赤く。聞いたこともないような鈍い音が聞こえて、頬に生ぬるい飛沫が掛かった。体に掛かっていた重みが消えて、代わりに、錆びたような匂いが私に纏わりつく。一瞬のことだった。けれど、その一瞬の出来事を理解出来ない訳がなかった。悲鳴と、歓声と、静寂と。私はただ、砂粒混じりの酸素を求めて、荒い呼吸を繰り返していた。





「立てるか」

どのくらい、そうしていただろう。砂の上、倒れ込んだままの私を、クロムさんが起こしてくれる。私の頬に、クロムさんの手が触れた。私の首を絞めていた王の手よりも白く、とても優しい手が、私の頬をなぞっていく。慈しむようなその手は、王のものとはまるで違っていた。

助けてくれた、お礼を言わなくては。ああ、それよりもまずは、戦いへの勝利を祝わなくては。おめでとうございます、を。私の頬をなぞるクロムさんに向かって戦いの勝利を祝う言葉を吐き出せば、胸の奥が少しだけ痛んだ。戦いの最中にどこか痛めたのかもしれない。あとで誰かに見てもらわなければと思いながら、クロムさんに向かってわらう。その瞬間、生ぬるい液体と共に、冷たいものが頬を伝っていった気がした。クロムさんの優しい指が、そっと私の目元に触れる。

「…ああ。みんなのおかげで、勝てたんだ」

クロムさんは、わらっていた。王とは全く違う、やさしい微笑み。けれどその微笑みは、王のわらった顔と少しだけ似ている気がした。だいきらいな、あの表情と似ている気がした。そんなことを言うとクロムさんはきっと怒って否定するだろうけれど、とても似ている気がした。全く違う雰囲気の二人なのに、どうして似ているように感じるのだろうと、目の前のクロムさんを見て考える。優しい色の瞳が、揺れている。

…ああ、クロムさんの今の微笑みも、どこか悲しそうだから、かもしれない。

あの王には、そんなつもりはなかったのかもしれない。けれど私には、あのわらった顔が、どうしても、泣いているように見えた。狂気をにじませた残虐なその表情は、どんなにわらっていても、とても悲しそうに見えた。人はひとりだと。仲間なんてクソ食らえだと。そう言いながらわらう王はいつもどこか悲しそうだった。私には、そう見えた。だから、嫌いだった。あの表情が本当に大嫌いだった。悲しそうにわらう彼を、救いたいと思ってしまったから。悲しそうにわらう彼と、戦いたくないと思ってしまったから。だから大嫌いだった。大嫌い、だったのだと、思う。ちり、と胸の奥が痛む。さっきから何度も何度も何度も何度も痛む。おかしいなと外套の胸のあたりを強く握った。痛くて、痛くて、泣いてしまいそうだ。

「…きっと、俺は勝利してはいけなかったんだろうな」

クロムさんが私の頬を包む。勝利してはいけなかったんだろうな。そう言ったクロムさんは、泣いてしまいそうな顔をしている。微笑んでいるのに、泣いてしまいそうな、そんな顔をしている。敵国の王を倒せたんですよ。泣くことなんて、ないじゃないですか。胸の痛みは激しくなるばかりだった。クロムさんは、私の目元をまた親指でそっとなぞってくれる。

「…そう、か。そうだな。泣くことなんて、…ないんだよな」

まるで自分自身に言い聞かせるように、消え入りそうな声でそう呟いて、クロムさんが私の体を抱きしめた。クロムさんの体は、小さく震えていた。そっとその背に手を回せば、クロムさんは「すまん」と、私の耳元で小さく謝る。敵国の王を倒したのにどうしてクロムさんが謝るんですか。そう聞こうと思ったけれど、クロムさんがあまりにも強く私を抱きしめるものだから、苦しくて声が出なかった。首を絞めた王のあの冷たい手とわらった顔が頭の奥にこびり付いている。胸の痛みは、おさまらない。