今日は天気が良かったので、お昼ご飯は中庭で食べた。暖かい日差しがとても気持ち良い。ぽかぽかしていて、思わず眠ってしまいそうになる。食べ終わった後にゆっくりしていると、急激な眠気が襲ってきた。これはやばい。寝過ごして5限が始まってしまいそうだ。
自分自身を叱咤して、ベンチから立ち上がる。もう教室に戻ろう。そのまま歩いて行き、昇降口に入ろうとする手前で、東門付近に小さい何かが動いた気がした。少し気になってそっちに近付いてみれば、小さな黄色の瞳と視線がぶつかった。


「にゃあ」
「あ、可愛い」


それは一匹の可愛い猫だった。私はしゃがんで、おいでおいでと手を揺らすと無邪気に近寄って来てくれた。そして私の手に頭を押し付けるようにしてすり寄って来た。まるで、撫でろと言わんばかりである。仰せのままにとそのまま頭や喉元を撫でてあげると、気持ち良さそうに目を細めて喉を鳴らす。なんとも社交的な猫ちゃんだ。可愛い奴め。


「なんじゃ、先客がおったんか」


猫を撫で続けていると、後ろから声が聞こえてきた。驚きつつ後ろを振り返って見ると、見知らぬ銀髪の男子が猫背気味に立っていた。
彼は手に何か袋を持っていて、それを上下に降る。すると私に撫でられていた猫はその音に反応し、するりと私の手を抜けて行った。あ、せっかく撫でていたのに。私の元を離れた猫の行方を目線で追っていくと、銀髪の彼の足元にすり寄り始めた。


「にゃあ」
「まぁ待ちんしゃい」


その猫は私の時よりも、一段と甘えた声を彼に出していた。まるで早くくれ、と催促しているように見える。
彼は袋から何かを取り出して猫に与える。よく目を凝らして見れば、それは煮干しだった。餌付けしてるのか。しかも手慣れているのを見ると、一回や二回じゃないんだろう。煮干しを美味しそうに食べる猫をじっと見ていると、何を勘違いしたのか彼は煮干しを一つ出して私に差し出してきた。


「お前さんも食うか?」
「…いや、いらない」
「つれんの」


煮干しなんかで私がつれてたまるか。彼はその手に持った煮干しを自分の口へ運ぶ。お前が食べるのかよ。
彼の足元にいる猫は、ずっと彼の下で喉を鳴らし続けている。私の元に戻ってくる気配はこれっぽっちもない。この男子と話す必要もないし、そろそろ教室に戻ろう。煮干しを食べている猫に近寄り頭をひと撫でして、猫ちゃんまたねと声を掛けて昇降口に向かう。そこにいた男子は無視だ。
数歩ほど歩いた先で柳くんとすれ違った。柳くんはクラスメイトだけど、特に親しく話す仲でもない。お互い挨拶も会話も無しに歩みを進める。


「仁王、野良猫に餌付けはするなと言っただろう」


後ろから柳くんの声が聞こえる。あの銀髪の彼は仁王くんというのか。まぁ知ったところで関わることなんか無いだろうな。同じクラスの柳くんでさえ必要最低限でしか会話をしないんだ。最後に彼と会話をしたのはいつだったっけか。ぼんやりとそんなことを思いながら進む。


「俺じゃなか。あの女子が最初にやりよったんじゃ」
「…みょうじが?」


ふと聞こえた自分の名前。え、私呼ばれた?深く考えずに思わず振り返ってしまって後悔した。ニヤリと笑う彼に嫌な予感しかしない。仁王と呼ばれた彼は、緩む口元を隠しもせずに私に近付いてくる。煮干しを食べていた猫は、彼が動くと同時に足元にまとわりついたまま一緒にやってくる。


「俺に責任なすり付けて何逃げようとしとるんじゃみょうじ。参謀、みょうじには俺がしっかりと言っとくけ。ほら、行くぜよ」
「え、あ、ちょっと」


彼は私の手を掴むと、私の前をずんずんと歩き始める。ちょ、そっち昇降口じゃない。彼はどこに行こうとしているのか。彼の手に引かれる形で私の自由は利かず、合わない歩幅に少し息が上がってきてしまった。足元には私と同じように小走りに着いてくるさっきの猫が見えた。


「ここら辺でいいじゃろ」
「…ちょっと、どういうつもりよ」


彼は人気のない校舎裏まで来ると私の手を離した。少し息が上がってしまった私に対して、彼は平然としていて飄々としている。そして壁に寄り掛かりつつ座って、ここまで私達へと着いてきた猫を撫でる。


「参謀の話は長いからのう。それに、そろそろ説教されそうじゃったから逃げてきたんじゃ」
「それで私を利用したってわけ」
「人聞きの悪いこと言いなさんな。ちょっと名前を借りただけじゃろ」
「名前どころか、私が主犯みたいな言い方したよね?餌あげてたの仁王くんなのに。私、仁王くんと初対面だよね?」
「お前さん、帰り際に俺を無視したじゃろ。それにムッとして思わず」


何だその理由。まるで自己中な子供のような言い分に呆れていると、チャイムの響く音が聞こえた。やばい、これ授業が始まったやつだ。途中から授業に入る程の勇気はない。ああ、これはサボるしかなくなった。溜め息を吐きながら、ズルズルと壁に添って座る。隣りには猫とじゃれて遊ぶ仁王くん。こうなった原因も全てこいつだ。仁王くんの顔を見て、更に溜め息が零れた。


「なんじゃ、授業出らんのか?」
「…サボる。そういう仁王くんは?」
「みょうじと一緒じゃな。それにしても、人の顔を見て溜め息吐かれると良い気はせんの。幸せが逃げるぜよ?」


誰のせいだと内心苛立っていると、ふに、と柔らかい感触が頬に感じる。疑問に思い横目で確認してみると、小さな肉球。ピンと伸びる前脚。仁王くんに脇を抱えられて、私の頬へと向けられ猫の意思と反した猫パンチ。その柔らかい肉球に、苛立っていた感情が落ち着いてくる。猫の前脚へと手を伸ばす。肉球を触ると程よい弾力、そして期待を裏切らない気持ちよさ。ぷにぷにとその感触を満喫し、肉球を押すと隠れていた鋭い爪が顔を出す。これで攻撃されたら間違いなく流血沙汰になりそうだな。


「引っかかれたら痛そうじゃの」
「にゃあ」
「プピーナ」


仁王くんは猫と会話が出来るのだろうか。存在が胡散臭いから会話出来ても不思議ではなさそうだな。そんな考えの中で肉球を楽しんでいると触りすぎたのか、猫は嫌がるように暴れ始めた。突然の事で仁王くんも驚いたのだろう、仁王くんは思わず猫から手を離した。暴れたまま手を離されたため、飛び出た爪が私の脚を掠って猫はひらりと華麗に地面に着地をした。そして猫は脱兎の如く逃げ出して行った。
脚を引っかかれたけれど、皮膚に傷が付く事はなかった。流血沙汰にならなくて良かったとひと息を吐いたがその代わり、着用していたタイツが犠牲になってしまった。ささやかな猫の反撃か。黒タイツから覗く一筋の白い肌。肌の透けないデニールに反して見える対照的なそれは、一層白い肌が強調される。
最悪だ、購買部にタイツって売ってたっけ。頭を抱えていると隣りからじっとりと感じる熱い視線。


「何」
「いやぁ、そそるのうと思って」
「変態か」
「プリ」


一瞬目の奥に獣のような蠢く何かを感じ、ごくりと喉を鳴らす彼はまるで猫のようだった。