瓶詰めの虎猫が、殺した獲物を地に投げる。それは口が大きくて金色の鱗をもつ淡水魚だった気がする。きみは鱗で切れた擦り傷だらけの腕をかざしたけれど、白銀の月がきみに微笑むことはなかったし、神様はきみに祝福の花と愛の名前を与えてはくださらなかった。
それでも私だけはきみの肩に凭れ、きみを愛し、共に流星を数え、果てない幻想に揺蕩った。
きみ曰く、私の肉体の生者らしからぬ冷ややかさが心地よいのだそうで、私自身も自分の命の意義は彼そのものでしかないと理解していたから、二人の望みの一致は天地を創造した神々の存在のように当たり前の概念だったのだ。
二人は確かに幸福だった。もし、永久にそうしていられたならば。
突然、虎猫の親は死んだ。きみは夜空の片隅で叫んだ。そして旗を振り上げた。私は黒曜石でできた足枷が冷たくて、きみがひとり瑠璃色の海に沈んでいくのをただ見ていることしかできない。
星たちが「今日も平和ですね」と言って微笑みあっている。海はあくびをした。きみはもうどこにもいなかった。
私は毒空木の実をひとつ飲みこむと、草原に横たわって、夜空に散らばった石榴を数えながら死んだ。

お城を囲う湖に美しい睡蓮が咲いた頃、絶えずさえずっていたはずの小鳥たちがいっせいに姿を消した。途端に響く雷鳴。槍のような豪雨を裂き、馬を馳せたきみが城へ迷いこむ。
重い扉が押し開かれ、吹き込む風に蝋燭の炎が揺れた。
泊めてくれないか、と味気ない言葉で、けれど慇懃に、この高貴な人は尋ねた。
「ええ、待っていましたよ、ずっと」
と私は答えた。しかし、訝しげに眉をひそめたきみを見て、私の心は崖へ突き落とされ、二度と戻らぬ濁流の渦に消えた。予想など、毛ほどもしていなかったのだから。
二人で深紅の食卓を挟み、触れ合う銀の音を背景に、きみの口から宝石を孕む夢の話が語られる。それは私をしばしの微睡みへ誘い、雨音など聞こえなくしてしまうのだった。
しばらくして時計の讃美歌が流れ、耐えられなくなった私は涙をこぼした。それを見たきみが息を飲んで、
「お前、昔……どこかで……」
と呟き、手をのばして私の頬に触れた。懐かしい互いの熱の味がそこにはあった。それからきみは、はっとしたようすで、何か言いたげに薄い唇を開く、けれど、刹那。すべてを砕く絶対の審判が舞い降り、あたりは音もない白の世界へ変わり果てた。私ときみの視線が交わる。きみは何を思ったのだろう。
私はここにきてようやく、自分の歩む道が永遠的であったことを悟ったのだ。
光が消えた後、遅れて降ってきた雷鳴と共に城は崩れた。瓦礫に押し潰れた身体は石となり、きみがどこで眠っているのかももはやわからず、知る術もない。太陽が昇ろうとして空は虹色に染まる。私は恐れと悲しみに身を投じ、絶命した。

何重にも羽織った布が重苦しく、女はひきこもって暮らすような小さな島国だった。私は暗い障子の奥で殿方を待つことが退屈すぎて、引きかえに得物を握った。けれどそれを一度だって後悔しなかったし、こうなることは生前から決まっていたのだ。
あるとき、私はきみと相見えた。きみは相変わらずえも言われぬ儚さを携えていた。私は当然のように幾度目かの恋に落ちたけれど、二人の時間はまるで蝉の命みたいで、たちまちきみの髪が向かい風に揺れ始めたので、「ああ、やはりこうなってしまうのだなあ」と思った。でもそのことにきみが気づくはずもないのだから、今回も私はきみの死体を抱けずに次が訪れるまでの茶番劇を踊るのだ。
運命は少しも歩を緩めず私たちを分かちに来る。
二分した世界で支配者が決する日。数々の旋律が最期には叫喚して消えていく中、私たちを殺しにくる敵兵の目を免れ、背の高い草むらに逃げこんだ。するときみが、きみの心臓ももうすぐ鳴り止むのだと小さく呟いたので、私は硝煙が目に染みると嘘をついた。
「遠い遠い昔、蛍が飛び交う琥珀の草原で、真っ白な石にもたれて流れ星を数えた夜のことを覚えてる?」
と私が聞いた。疲れた瞳できみが笑って
「すまない」
と答えた。
私は涙を隠すために、きみの胸に飛びこんだ。きみが強く私を抱き締めた。ほんの数秒の、半ば儀式的な行為だった。少ししてから、きみは私に森へ逃げるよう言って、自身は赤く燃える殺し合いの世界へと走っていってしまった。一緒にいたら捕らえられて死んでしまうからに違いなかった。しかし、そんなのは馬鹿な話だ。きみの死は私の死に等しいのだから。
私は言われた通り足を押し出す。振りかえっても、ざわめく枯れ草の中にきみの姿はもはや無い。煌々たる月がじっと私を見下ろしている。
ああ、これでこの幕もお仕舞い、お仕舞い。またすぐ出逢えるその日まで。
私は腹を掻っ切った。体温が死へ溶けていくのを感じた。白詰草の香りが、私を安らかに眠らせた。

コンクリートの隙間から辛うじて星の瞬きが見える真夏の深夜二時。
気だるい身体を起こし、汗まみれの私は無いはずの日々を映した幻から目覚める。その悪夢はまさしく輪廻にのまれた私たち自身の叙情的戯曲に他ならない。
窓の向こうに月を探しても、そこには物言わぬ侘しさが満ちるのみである。
隣で三成が眠そうに目を擦りながら私をちらりと見て「大丈夫か?」と聞いた。魘されていたんだということは自分でもわかった。逆に三成は何一つ気づいていないようで、いつもの通り悠然としていた。
「大丈夫。…ごめん、起こした?」
「…いや」
私はいつだって生の実感が沸かず、存在意義は唯一無二、目の前のこの人だけだと終始考えていたから、今もこうして彼と寄り添っているわけだが、実のところ、それは定めだったのかもしれない。
息を吹き返してもなおぬるいままであるこの身体が、三成に愛されないはずがなかったのだ。
それに気づいた今、私は胸が潰れる思いだった。
結句、私たちは救われない。彼は魚になれないし、私も星にはなれない。もしこの足を切り捨てることができたならば、繰り返しの舞台を抜け出せるのだろうか。もしこの背に純白の羽が宿ったならば、私の足は大地を捨てて、果ての聖地へ辿り着けるのだろうか。
私は汗のしずくをぬぐい、もう一度三成の横に寝そべる。ひっつくと、互いの脈拍が伝わる。感覚はとっくに鈍麻しているのに、不思議だ、まだ私は生きていて、躍り続けているらしい。
私はかたく目を閉じた。もうここが神話の理想郷でも浮き世の地獄でもなんだって良かった。今はただ、次こそ二人が往生しますようにと、それだけを強く願っているのだから。
すぐに聞こえだした三成の寝息と並んで、私も意識を闇に溶かした。しんと落ち込んだ夜の底には、よもや数多の追憶が漂うのみであった。