おまえが愛か


「国見、あつい」

ぎゅうぎゅう押さえ込むように抱き締めているとみょうじにそう言われる。俺の腕のなかにすっぽり納まってしまうぐらいしかない細っこい体がもぞもぞと動くのがよくわかった。
「子供体温だからかな」
「そういう問題じゃないけど。っていうか意外…国見ってなんか低体温っぽい」
「あーよく言われるけど普通に偏見だから。俺からしたら、みょうじのほうが意外。体温高そうなのにな」
「心があったかいから体温は低いのよ。だから国見の体温ちょうだい」

みょうじは俺と同じようにどこか冷めた部分を心に飼っている人間だ。男子とも女子ともよく喋るし友達も多いし、大人からの評判だって高いのだけれど、どこか俗世とは一線を引いているところがあるのだ。俺は別に友達が多いわけじゃないし教師に好かれているわけでもない、みょうじとは逆のタイプに近い人間なんだろうけど、そこだけはみょうじとどうしようもなく同じだった。
好きだとかそういう感情ではないのだと思う。俺とみょうじの関係は普通に生きているやつらからしたらひどくおかしなものに見えるんだろう。好きなわけでもなく、付き合ってもいないのに恋人に限りなく近いことをする、そんな関係。告白とかそんなものもなしに、まるでなるべくしてなったかのようにキスをしたあの日から繰り返すようにみょうじは俺に体温をくれと言う。それにつけ俺は、むずがゆいような、よくわからない感情を抱くのだ。中学の頃はそれなりに好きで付き合っていた女子はいたけれどこんな感情にはならなかったから、みょうじに恋をしているなんてあり得ない。みょうじと触れあうたびに雪みたいに積み重なっていくこの感情の正体を、俺はどうにも掴みあぐねていた。


「寒い」
あの日みょうじはひどく弱々しく呟いた。月曜日の放課後、なんとはなしにみょうじと話し込んでいたらいつの間にか教室には俺たち以外いなくなっていて、俺はそれでも良いと、もう少しだけでもみょうじと共有する時間が欲しいと、そう思っていたときにぽつりと、彼女がそう呟いた。夏から秋への変わり目のような時期だったから肌寒くはなってきていたのだが、みょうじの口ぶりからそういう意味ではないことは察することができた。折り目のきっちりしたスカートの上で揃えられて置かれていたみょうじの手をなんとはなしに包み込むようにして握ってみるとみょうじはひどく安心したような顔をして、何故だか俺にはそれがとても綺麗なものに見えた。
「国見の手、あったかい」
「みょうじの手は冷たいな」
そこから先の会話とまったく同じことを話した。体温ちょうだい。ふたりの間でお決まりになったようなみょうじの言葉で締まる一連の会話だった。

みょうじの家には父親と母親とそして彼女自身が暮らしていると聞いた。仕事から帰ってくると自室にこもってしまう父親と、家事を黙々とこなす無口な母親。決して不仲なわけではない、よくあるような家庭かもしれないのだけれど、何故だかぬくもりが欲しくなるときがあるのと言った彼女がひどく悲しそうな顔をしていたのが痛ましかった。俺の体温で良ければいくらでもくれてやるから、そんな顔するなと言うとまた彼女は安心したような顔をする。綺麗だ。気がつけば俺はみょうじの唇を食んでいた。柔かいそれに自分の唇をどこまで押し付けていいものかどうか悩んだが、みょうじがきゅ、と俺の手を握り返したのが分かっていけるところまでいってしまえ、堕ちるところまで堕ちてしまえと思った。好きとかそういう感情など持ち合わせていないはずなのに、みょうじの口元から漏れる熱い吐息に気が遠くなりそうな劣情が競り上がってきて止められなかった。

抱き締めたりキスをしたり、もう何回目かも分からない。ただみょうじに触れるたびに、彼女が周囲に対して引いている一線を越えることができるのは俺だけだと思ったし、逆に俺が引いた一線を容易く越えられるのはみょうじだけなのだと内心で笑んだ。
「国見、私告白された」
「へぇ。付き合うの?」
しかし唐突に、腕のなかでもぞもぞと動きながらみょうじが言ったひとことに、少なからずも動揺した。こんな気持ちになるのは何故だ?思いつつもそれをひた隠して、そうして俺は抱き締める腕の力を少し強めた。
「付き合わない。だって私に体温をくれないもの」
「判断基準そこかよ」
「そこ。私は私に体温をくれる人を愛してるもの」

国見を、愛してるもの。
そう彼女は確かに言った。愛してる。好きとは言わなかった。キスをしたときに抵抗されなかった。抱き締めると嬉しそうにしていた。それは、全部彼女の愛の現れだったのか。

「国見は私のこと愛してないでしょ、好きでもないでしょ?ただそこに私がいたってだけでしょう」
ぱす、と体重をかけられる。大して重くもないけれどないよりは重い。そのぐらいだった。何よりも、あたたかい。
俺はみょうじのことをどう思っている?好きではないけれど、その表情を綺麗だと思う、告白されたと聞いたらむずがゆいような気分になる。
ああ、簡単なことだ。俺は、みょうじなまえを、愛している。


「俺は、みょうじのことを愛してる。そこにみょうじがいたからじゃなくて、みょうじを愛してるから、体温をみょうじにあげてるんだよ」


みょうじの髪をさらりと鋤くと、くすぐったそうに、だけど嬉しそうに彼女は身をよじる。分かってしまえば単純なことで、みょうじがそこにいることがとても愛しい。


title 不眠症のラベンダー