黒い着物を着た妖艶な少女だった。
 電話口では、男だと思っていた。少女は「ボク」といい、男のように振る舞っていたためだ。しかし今目の前に佇む子どもは、どこをどう見ても少女であった。とはいえ、年頃からして、顔立ちがこうも整っていると、骨格や肉付きでは簡単に性別を判別はできない。女のような恰好をしているだけで、「ボク」というにふさわしい男かもしれない。あるいは、やはり見た目通り女で、「ボク」などと紛らわしい一人称をしているだけかもしれない。
 男なのか? 女なのか? しかし実際、どうでもいい問題であった。
 依頼をきちんと完遂しさえすればいいのである。
 あのゾルディックの人間である。たとえ年端もいかない年頃の少女(少年)であろうが、実力は本物のはず。
「なんだ……? このガキ」
 それが、男の最後のセリフとなった。
 少女は依頼人が依頼した通り、依頼人の目の前で対象を殺害した。
 対象の男の首がころりとテーブルに落ち、あらわになった首の断面から血飛沫があがる。
 少女はちらりと依頼人の男を見た。
 テーブルを挟んでソファーに座る依頼人は、少女の人形のように端正な顔と、爬虫類のような瞳を見下ろした。
「ああ……依頼通りだ」
 依頼人がいったが、少女はふと視線をそらすと、まだ血を流す頭のない死体に近寄り、なにかをした。すると首から血がぴたりと止まり、死体は少女にぐったりと寄りかかった。
「カルト=ゾルディック、約束通り入金しておく。あとで口座を確認しておいてくれ」
 自分には興味がないようすの殺し屋に、依頼人は声をかけた。
「わかった」
 カルトは返答しながら死体の胴体と頭を抱えると、そのままあっというまに部屋を出ていった。
 想定はしていたが、あまりにも人間味がない。時間と場所を指定し、自分の目の前で殺すことを依頼の条件としたので、依頼人はもちろん辺りには注意を払っていた。けれども今の少女は、気がつけば対象の隣に立っていた。物音など一つもしなかった。少女が去っていく際にさえ、衣擦れの音の一つも聞こえなかった。気配がなかったのだ。
 しかし、死体を持っていったのはなぜだろう。依頼人は血で汚れたソファーと絨毯を見つめてぼんやりと考える。相手があのゾルディックであることで、なにか邪悪な想像をしてしまう。
 ともあれ、とにかく依頼は遂行された。目的は達成したのだ。次の仕事へ頭を切り替える。
 依頼人はふと思い立ち、少女が出ていった窓を振り返り、そばへ寄ったが、もちろん、少女の姿は広大な邸の敷地内のどこにもない。



「お帰り」
 邸に帰宅すると、長兄がなまえを出迎えた。なまえは予期せぬ人物の出迎えに、少しだけ意表を突かれた。なにしろ長兄は仕事で邸にはいないと思っていた。いつも出迎えるのは執事か母親だし、彼らはなまえの完璧な絶には気づかない、だからこの窓から帰宅すれば、誰にも見つからないと思っていた。
「ただいま。兄さんこそお帰り」
「ああ。思ったより早く終わってね。それ、今回のオマケ?」
 長兄は、なまえの抱えた胴体と頭に分かれた死体を見ていった。
「そう。なまえにあげようと思って」
「そうか」
 それからなまえは自室へ向かうべく窓辺から廊下に降り立ち、兄の横を通りすぎようとしたが、
「なまえ。また兄さんをからかおうとしたね。母さんと違ってオレは騙されないぞ」
 すれ違い様、兄が能面のような顔で、それでいて冗談めかして、なまえのいたずらを咎めたので、なまえは表情を崩した。
 カルトのふりをして人形のような無表情を繕っていたが、意味がなくなった。
 これだから兄弟は嫌だ。あの実戦に関してはてんで無能な次男のミルキでさえ、案外鋭く見抜いてくる。それに比べれば、母親と執事たちの大半は、騙されてくれるのだが。
「ちぇ。オーラまで変質させてるのにな……」
 なまえは口を尖らせてわかりやすく拗ねる。それでも、五回に一回くらいの割合で、イルミ以外の兄弟ならば騙されてくれるのだ。けれどもイルミを騙せたことは、まだない。
「でもちょっと危うかったよ。最初は、カルトだと思った。すぐ気づいたけどね。オーラの質を操作するの、ずいぶん上手くなったんじゃないか。カルトそのものだった」
「……本当? じゃあ次はもっと上手くやるよ」
 カルトそのものだったなら、どうして兄は見抜いたのか。なまえは納得がいかず、不満であった。やはり念がまだ未熟なのだ。カルトのオーラを完璧にコピーできていないから、優れた実力の長兄には敵わないのだ。
 正直、オーラさえどうにかできれば、なまえはカルトに化けるのは容易い。
 なまえとカルトは、双子である。
 それも一卵性双生児だから、細胞レベルで成り立ちが同じだ。性格はよく似ているようで全く違うが、見た目は完全に同じ。ほくろの位置、睫毛の長さに至るまで同じだ。
 なまえにとっては双子であるカルトの性格を真似し、口調や仕草態度、雰囲気までコピーすることなど造作もない。息をするのと同じくらい自然にそれができる。カルトとてそれは同じことだろう。別にお互い好んでそうしているわけでもないが、お互いのことは感覚的に知っているのだ。
 俗にいう双子が持つテレパシーなどはない。けれどもそれによく似た感覚ならば確かに共有している。だからお互いの考えていることは手に取るようにわかるし、相手の癖も誰よりも知っている。母の胎内で育ったときから同じだった。逆にいえば、二人はお互いのことでわからないことなど一つもない。卵子と精子がくっついた、その瞬間は、二人は一つだったのだから。
 なまえは部屋に戻り、持って帰ってきた死体をいつものように片付けた。
「カルト」
 そして自室の床から繋がる地下室のドアを閉め、そこに正座したまま唐突に呟く。顔をあげると部屋の窓辺にできた陰を見た。
 なまえの視線の先、大きな家具の陰のなかから、なまえと同じ顔、背丈、出で立ちの少年が現れた。
「やっぱりわかるか」
「当たり前でしょ。だって感じるんだから」
 双子のカルトだった。
「そうだね……でもなまえにさえ悟られないようにならないと、ボクの絶はいつまで経っても不完全ってことになる」
「そうだね。ボクとカルトは隠し事ができなくなっちゃうんだ。厄介だよ。でもそれって、今わかったことじゃないけど」
 カルトはなまえの恰好を見て、本当にかすかに、眉をひそめた。母親が二人に揃いの服を着せたがるのは事実だが、それを口実にどこへ行くにもなまえが好んでカルトと同じ服を着るようになったのも事実だった。カルトとなまえで示しあわせて同じ恰好をしているわけではない。母親にいわれたわけでもなく、なまえが勝手にカルトの恰好をするのである。しかも悪意から。
「なまえ、またボクのふりをした?」
「……だってボクたち同じ顔だし、間違われてる可能性はあるね」
「なまえ、ボクの名前を使ったろ」
「どうだったっけ。多分ちゃんと名乗ったよ。多分ね」
 仕事に支障が出たことはない。殺しの対象は自分たちが何者かもわからず死ぬのだし、依頼人も自分たちがカルトであろうがなまえであろうが依頼をこなしさえすれば満足する。
 けれども勝手に自分のふりをして人前に出られるのは、不愉快だ。カルトとしては、なまえに自分のふりをされるのはあまり気に食わない。
 しかしなまえは、カルトが嫌がっていても気にも留めていない。むしろ少し愉快なくらいだ。
「ところで、また女だと思われたよ。ボクも今カルトのこと見て、アレ、ボクの半身は女だったっけ? と思ったよ。カルト、そんな恰好するから女だと間違われるんだ。母さんは相当女の子が欲しかったんだろうけど、なにも常に女の子のふりしてなくていいんじゃない?」
「嫌なら、なまえもボクの真似をしなけりゃ女に間違われないよ」
「やだな、真似なんて別に……してないよ。母さんはボクたちが揃いの服を着てると喜ぶだろ?」
「でも近頃は見分けがつかないからって、髪留めを変えたり、色違いを着せるようになったじゃない」
「それじゃまるで仲良し兄弟でしょ。ボクはそっちのほうがよっぽど嫌だよ」
 この話はいつも平行線で終わる。どちらも引かないので。
 なまえは地下に繋がる扉のそばから立ち上がった。
「次の依頼があるから行かなくちゃ。ボクがいないあいだに、勝手に入らないでよ。カルト」
 なまえが微笑むと、カルトも全く同じ顔で微笑んだ。
「気をつけるよ」



 林のなかを飛びながら、おかしいな、とカルトは思った。殺し屋なのであちこちで恨みを買っているし、日々命を狙われるのは当然なのだが、今回の刺客はやけにしつこい。
 何度殺しても新たな刺客を送り込んでくる。それに毎回、カルトの能力や実力を分析しているのか、少しずつ対応が改善されてきている。それでもカルトを殺すには全然実力が足りていないようだが。
 どうも同じ組織から刺客は送り込まれているようだ。面倒なので大元を潰そうか、とカルトは考える。隠しているわけではないが、こうも的確に自分を狙ってくるということは、どこかでカルトの存在が知れ渡ってしまったということだ。ゾルディックはその程度で揺らいだりしないが、せっかく世間では正体不明ということになっているのだから、それはそのままにしておこう。
 カルトは途中で立ち止まり、気配を絶ってその場へ隠れた。
 カルトの絶は優秀である。ゾルディックではなまえを除き一番年下だが、兄たちにも負けていないつもりだ。
 案の定、刺客はカルトが消えたことに気づかずカルトのそばを通り過ぎていった。
 では今度は、カルトが追う番である。
 実はカルトは、弱者を追い詰めるのが大好き。殺し自体はどうでもいいが、どうせ殺すなら、楽しいほうがいいと思う。
 そして今回は仕事の殺しではないので、楽しんでも全く問題ないのだ。
 いったいどうやって遊ぼうか……



「お帰り」
 カルトが帰宅すると、母親となまえが邸の玄関で出迎えた。母親はいつも通りの様子だが、なまえは違う。カルトと違って、なまえは少しだけ母親に反抗的なところがある。おとなしく母親に付き合って、カルトの帰宅を待つということは、まず滅多になかった。
「ただいま。母さん、なまえ」
「お帰りなさい。カルトちゃん、用意した服に着替えたら、居間にいらっしゃい。お菓子を用意してあるのよ」
「わかった。ありがとう、母さん」
 なまえは珍しくカルトと違う恰好をしていた。それは母親に用意された服を着たからのようだ。
 カルトは素直に服を着替え、母親のおかしなお茶会に付き合ったあと、なまえとともに部屋に戻った。
 デザインは全く同じだが、一部色違いの服を着て二人で歩いていると、確かに気持ち悪かった。なまえのいったように、これでは仲良し兄弟に間違いない。今さらだが、違和感がある。母親のように思考の一部が砂糖やお茶菓子でできていたらいいが、カルトたちはそうでない。
「見てよこれ。ボクら、お人形さんみたいだ」
「そういうのがいいんだね、母さんは。今わかったことじゃないけど」
「カルトはボク以外の前では無口になるよね。本当に人形なのかと思って、心配しちゃうよ」
 なまえの戯れ言をカルトが無視して、二人の部屋に着くと立ち止まる。
 部屋は双子よろしく隣り合わせになっていて、内装も左右対称になっている。ドアの装飾も、全く同じ。母親の趣味嗜好がとてもよくわかる。
 いつもならここで別れるが、なまえがカルトについてきた。
「なに?」
 カルトはドアを少し開けた状態で止まる。
「話があるんだ。すごく大事な話」
「どんな?」
「カルト、ボクの依頼人に命を狙われてるみたいなんだ」
 カルトは一瞬考え、即座に理解した。
「ああ……アレ、そういうことだったんだ」
「そう。ごめんね。まさか依頼人に命を狙われるなんて思わなかったんだ」
「よくあることでしょ」
「まあ確かに、そうかもね」
 カルトがドアから手を放したので、なまえが先に立って、なまえの部屋へカルトを招き入れた。
「やっぱりボクの名前を使ったんだね」
 部屋に入るなり、カルトがいった。なまえの部屋の調度品は、カルトの部屋にあるものと全く同じである。一部違うのは、床の中央が地下室に続く扉になっていて、隠されることもなく、鉄が剥き出しになっていること。
 カルトの部屋には、地下室はない。
「うん。どうせ依頼人にはボクたちの違いなんてわからないでしょ? だからいいかなって思ったんだけど」
「ボクの情報、どれだけリークしたの?」
「リークなんて嫌ないいかただね。世間話なら、少しだけしたよ。電話でね。まさかあれだけの会話から、ボクのことを突き止めるとは思わなかったんだもの。それにゾルディックに殺し屋を仕向けるなんて、そんな命知らずは、今時いないと思ってたから」
 カルトが黙ったので、なまえは笑みを深めて、謝罪した。
 そしてその場でにわかに服を着替え始める。
「ごめんね。でも面白いことを思いついたんだ。きっとカルトも気に入るから、ボクに付き合ってよ。悪いようにはならないよ」
 いったいどうやって用意しているのか、なまえは服を着替え終わると、全く同じ服を、もう一枚クローゼットから取り出した。
 それをカルトに差し出す。
「取引しない?」
 カルトは差し出された服を見つめた。この片割れがなにを考えているのかは大体わかる。わかってしまう。いやがおうでも。それはこの片割れも同じこと。お互いにお互いの思考がわかるので、いつも結果は見えているのだ。
 それをカルトは退屈でつまらないと思うが、なまえは愉快で楽しいと思う。それも、わかっている。
「いいよ。条件と対価によってはね」



 男は、なかなか思わしい報告が上がらないので、少しだけ焦れていた。けれども相手はかのゾルディックである。そう容易に仕留められるとは思っていない。猫の世話は手間がかかるほど、愛しいのと同じ。
 いずれ犯して壊す愛猫を膝にかかえながら、考える。
 あれはなかなか奇麗な顔をしていた。まさに人形のようである。
 あれは恐らく金になる。いつも殺し屋を雇うとき、必ず自分の前に現れることを条件にしているのは、その殺し屋がどのくらい価値あるかを見極めるためだった。
 この業界には、趣味のいい連中がわんさかといる。殺し屋の死体だけを好んで収集するような人間もいるのだ。
 雇っては殺し、雇っては殺す。男はそうやって、自分と似たような趣味嗜好を持つ人間に商品を用意し、稼いでいる。
 偶然ゾルディックと関わりを持てたときは柄にもなく緊張したが、そこから殺しの依頼をし、実際にやってきた暗殺者を見たときには、おのれの運のよさを誉め称えたくなったものだ。
 あれは金になる。それもこれまでの稼ぎぶんを一度に補えてしまうような、大金になるだろう。
 だから多少の苦労は仕方ない。新たな殺し屋を雇うのも金がいるが、結果を考えれば、雀の涙のようなものだ。
 そして殺し屋を十一人も替えて、最初の殺し屋を雇ってからひと月も経った頃。
 男は念願の死体を手に入れることができた。
 自宅で愛情を込めて育てた猫を解体しているときに、知らせが届いた。
 男の悦びは絶頂に達していた。そこに待ち望んだ朗報が届き、さらなる快感を味わった。
 その幸福がまもなくあっさりと崩れ去ることも知らずに。



 男が幸福に達している数日前、双子はとある湿地にいた。
 双子の片割れ、カルトは殺した刺客の死体の懐から、あるファイルを抜き取った。それは、殺しの対象であるなまえに関する資料のようだった。
「……ネクロフィリアの少女あるいは少年」
 カルトは資料の一部を読み上げた。まずは相手を知るために、二人で刺客を殺して、情報を集めているところだった。
 ろくな情報はなかったが。第一、すでに誰が刺客を仕向けているのかは知れているのだ。要するにこれは、双子のたわいない遊び、余興であった。
「だってさ、なまえ。よく調べられてるじゃない。でも名前がボクになってる……ボク、死体には興味ないのに」
「ネクロフィリア? それって屍体性愛者のことでしょ? ボク、死体にコーフンしたりしないよ。もっと狭義の、そうだな、愛好家とかにしてほしいね」
「それってどう違うの?」
「全然違うよ」
「まあよく知らない人間からしたら、性愛者も愛好家も同じさ」
「だから全然違うよ」
 それにボクの死体収集の意図は、能力の延長線上にあるんだ、となまえは続けたが、カルトは無視した。
 計画はもう整っているが、なまえもカルトも遊ぶのが好きなので、こんなことをしていた。カルトも今になって乗り気になっていて、二人して同じ恰好をして、同じ表情で、一つの死体を漁っている、このへんてこな状況にも若干の楽しみを覚えていた。
 なまえの計画に付き合う対価は、金と、それからカルトの好きなときにタダでなまえをカルトの身代わり、影武者にしていいというものだった。なまえはといえば、いつもカルトに許可なくカルトの姿と名前で身内やら依頼人やらを騙して遊んでいるので、カルトにとっては馬鹿な対価ではあったが、正式になまえを使っていい許可が下りているのは、案外都合がよさそうだと思ったのだ。これまでもごくまれに、金を払って、どちらかの都合が悪いときにどちらかに成り済まして、つまりなまえはカルトの、カルトはなまえの役を演じることがあった。けれども無料ではなかった。
「ボクが性的倒錯者だっていうなら、カルトだってサディスト、つまり加虐性愛者ってことになるんだよ」
「ふーん……別にボクはそれでいいよ」
「くそ。ボクはカルトと違って拘りがあるんだ。軽々しく決め付けないでほしいよ」
 そういいながら、なまえは死体を大事に持ち上げる。多分なまえは、カルトの名前を使いながら、毎回死体を持って帰っているのだ。今回の依頼人がそのシーンを見たとしたなら、ネクロフィリアの勘違いも頷ける。ゾルディックについては正体が掴めないかわりになにかとよからぬ噂で常に賑わっているし、ゾルディックの一人がネクロフィリアでも、世間的にはおかしくないのだろう。実際問題、ゾルディックには案外そういう嗜好の持ち主はいなかったりするのだが。
「ソレも持って帰るの?」
「うん。死体だからね」
「見境ないよね。ボクだったら、強いやつの死体だけにするよ」
「馬鹿だなあ、カルト。ボクは死体だったらなんでもいいんだ。なにしろ死体そのものに価値があるんだよ。生きてたときのことはどうでもいいのさ。強かろうが弱かろうがね」
「なんで? 強いほうが使うのも便利なんじゃないの?」
「よく聞けよカルト。死体は、魂というけがれをなくした状態なんだ。つまり無機物と同じ。だから死体は美しい。ボクは死体そのものを愛しているから、死体を選んだりはしないよ。そりゃ損傷が激しかったりすると、使えないから、泣く泣く捨てて帰るけどね。弱くても強くても、ボクは彼らを平等に愛してるのさ」
「よくわからないや」
「だろうね」
 そして二人の愛らしい双子は、お互い別々の笑みを顔に載せ、まったく同じ顔をして、その場を同時に立ち去った。



 闇市で、ゾルディック家の死体のホルマリン漬けが商品として出されている。そんな情報が、どこからともなく、長兄の耳に入った。
 イルミは不思議に思った。溺愛している小生意気な三男以外の動向は、あまり把握していない。もしかして本当にうちの弟のうち誰かが死んでしまったのか。そんなことを考えながら邸に帰ったが、全員無事だった。
 そこで偶然、ゾルディックの隠れた問題児、なまえに出会った。そのとき、合点がいった。多分間違いなく、この双子の片割れの仕業だ。カルトはそこまで馬鹿なことはしないだろう。と、イルミは少なくとも思っている。カルトはいい子である。殺しにも向いているし、口答えもしない。なにを考えているのかわからないところはあるが、それは自分を見ても同じこと。むしろ冷酷無慈悲な殺し屋としては、長所だろう。
 しかしこの双子の片割れ、なまえは違う。
「お帰り兄さん」
「ただいま。なまえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「いいけど、ボクはカルトだよ、兄さん」
 ほらきた。
 イルミは弟たちのことは意外と愛していた。才能のある三男はもちろんだが、引きこもりの次男も、精神は幼稚だが存在自体が危険な四男も、末っ子で厄介な双子も。愛情に差はあるし、明らかに一般的な愛情の概念からは外れているが、愛は愛だ。
 だからこの、隙あらばこちらを騙そうとしてくる双子の片割れも、かわいくないわけではないのだ。
「なまえ、オレは少し大事な話がしたいんだ」
「……なに? 珍しいね、イルミ兄さんが大事な話だなんて……」
「いや、ちょっとした確認さ。また、依頼人で遊んだりしてないかと思ってね」
 なまえは黙りこんだ。自分とよく似た真っ黒な目は、恐れもなくじっと自分を見てくる。けれども沈黙が答えを語っている。イルミはわかりやすく溜め息をついた。でもなんだかそれも、演技のように、嘘っぽくなってしまった。
「闇市でゾルディックの死体が売られてるそうだ。ウチでそんなことができるのはなまえくらいだからね。今度はなにを企んでるのか知らないけど、程々にしないと、兄さん怒るよ」
「ねえ、それって、心配?」
「ん……そうだな、心配。心配」
 なまえは整った口唇を真横に伸ばして歪めた。自分と違って、笑顔が得意だなあとイルミは見つめる。その笑顔の真意は明らかに好意的なものではないが、イルミはさして気にも留めない。
「なにをやってるのかわかんないけど、なまえがまた依頼人で遊んでるのはわかるよ。なまえ、殺しは遊びじゃないんだ。それが必要な理由でもない限り無駄な手間を増やすのは賢いやりかたじゃない。手順が増えるほど危険も増えるんだ。カルトにもそういう癖があるのは知ってたけど……なまえにはカルトより危機管理能力がない。つまり身の程を知らないってこと。殺しを好んでするのはいいよ。仕事は嫌いより好きなほうがやりやすい。でもそこに遊びが入ってきて、遊びのほうが勝っちゃったら駄目なんだ。わかるね?」
「うん」
「まあなまえは跡継ぎってわけじゃないからとやかくいうつもりもないんだけどさ……それでも問題を起こされると困るんだ。兄さんも忙しいしね。特に最近は、キルが反抗的で手を焼いてるんだ。それはなまえも知ってるだろう?」
「うん。わかった。もうしないよ」
 イルミはなまえの小さな頭に手を置いた。笑うなまえはやはりかわいい弟なのだが、その笑みからは愛らしさというより悪意を感じる。
「わかったらよし。あ、そうだ。カルトにも一応、同じこと伝えといて」
「わかった」
 それでも、優先順位は才ある三男が一番である。たとえばなまえたちが自分のよからぬ遊びのせいでことを起こし、最悪死ぬことになっても、問題はない。
 イルミは、すぐになまえの頭から手を離した。
 なまえの笑みは、面白い獲物を見つけたときのそれと同じだったが、イルミはすでにどうでもよかった。



 案の定、カルト=ゾルディックの死体は、まれに見る高額で売れた。
 死体の美しさだけではなく、ゾルディックの名によるものも大きいだろう。
 さすがに高過ぎるかと思った金額を提示したら、さらにその倍を出すと、先方から申し出たのである。
 男は幸福の絶頂であった。
 金は元々腐るほどあったが、いくらあっても困らないのだ。それに、男にとっては金を所持することそのものが快感になりつつあった。
 けれども、そんな幸せも長くは続かない。人生は、バランスが大事だ。あまりに大きな幸せを手にすると、しばらくは絶望の日々が続く。そうでなければ、絶対的な幸福も、いつしかただの日常になってしまうからだ。
 この日も男は、殺し屋を雇い、自分に都合の悪い相手を殺させていた。都合の悪い人間は、殺しても殺しても出てくる。もちろんこの日も、殺し屋には顔出しを命じた。前の殺し屋のように、金の卵の可能性もある。どちらにせよ雇う殺し屋の姿は一目見ておかないと落ち着かない性分なのだ。
 そして殺し屋が現れ、ターゲットを暗殺し終わるのを確認すると、いつものように上機嫌で自宅に戻る。
 その途中、男は道で奇妙なものにすれ違った。
 男は車に乗っていた。後部座席でスモーク越しに眺める車窓の向こう、小さな人影が見えたのである。
 場所は高速。車以外は通らない道だった。そこに、人影が見えた。おかしい、と思いながら、注意深く外を見た。
 黒い着物を着た、人形のような少女が、一瞬、こちらを見た。
 目があった。けれどもすぐに、見えなくなった。
 幻かもしれない。しかし夢にしてはハッキリしていた。
 少女には見覚えがあった。男は眉をひそめた。
 ひっそりと、男のうなじを汗が伝っていった。



 カルトはしばらく待っていた。計画に付き合い始めて、丸三か月。まだ計画は完遂されていなかった。
 ある男が自分の命を狙いに刺客を放ってくるはずだった。手間取っているのかどうか知らないが、それがなかなかこない。
 男の前には念押しとばかりに四回も姿を現したし、向こうは必ず焦っているはずだ。あるいは、喜んでいるかもしれない。また金になる、と。そこまで馬鹿だと、ある意味面白いが。
 カルトが頻繁に外出しているのに対して、なまえはここのところ、邸でおとなしくしている。依頼がくればそつなくこなすが、前のように遊んだりしないし、淡々と仕事をやり遂げることだけに集中している。どうも長兄に説教されたようだった。そんなことで素直に真面目になるようなたまではないが、これも計画の一端だろう。なるべく今はなまえは目立たないでいなければならない。
 それで、カルトが待ちくたびれた頃、ようやくそいつはやってきた。
 前にもカルトを殺しにきて、確かにそのときカルトを殺したはずの、殺し屋である。殺し屋からしても、殺したはずの標的が生きているのは奇怪な話だろう。
 同じ依頼人からもう一度雇われたときには、馬鹿な、と思ったはずだ。しかも依頼人の依頼内容まで同じ。ふざけているのか? と思っただろう。
 カルトは殺し屋を確認すると、いつものようにまずは逃げた。
 肉食獣に追われ逃げ惑うあわれな小動物のように、相手を観察しながら、巧妙に獲物の振りをする。
 本来であればそこから立場を入れ替え、驚きおののく相手をからかいながらなぶるのが好きなのだが、今回はそれはなしだ。
「お兄さん、どうしてボクに付きまとうの?」
 適当に逃げたあと、適当なタイミングで追い詰められ、カルトはなにも知らない少年の振りをして、殺し屋に尋ねた。
「おかしいよな、オレは確かにおまえを殺したはずなんだ。それなのにおまえは生きてる。オレのほうが聞きたい。おまえはいったいなんで生きてる?」
「……ああ、もしかして、カルトのことをいってるの?」
 殺し屋は、カルトの発言に眉をひそめた。
「ボクはなまえ。カルトとは双子なんだ。ああなんだ、お兄さんが、カルトを殺した人なのか」
 殺し屋は少し面食らっていたが、信じないわけにはいかなかった。双子ならば、殺したはずの相手が生きていると勘違いしても、おかしくはない。殺し屋としても、ターゲットを殺し損ねたとは思わないだろうし、思いたくないだろう。
「そういうことか。納得がいったぜ」
 殺し屋は安心したようだった。
 カルトはふっと微笑んだ。彼はどうも、遊び甲斐のありそうな獲物だった。カルトのことを追いかけながら、彼はかすかに不安に駆られていたのだ。殺したはずの相手が生きている不思議、自分よりも一回りも二回りも小さい子どもがこの業界で生きている不思議……そんな不思議に、意味もなく襲われて。
「気味の悪ィガキがいたもんだ」
 そんなことをいいながら、彼はやはり、知らぬうちにうなじに汗をかいている。
 カルトは、残念だ、と思った。もったいない。こいつを、なまえにやるのはもったいない。
 しかし計画は計画だ。対価を支払われた以上、完璧にやり遂げる。
 カルトはネタバラシをすると、その場から再び逃亡した。



 そういえば、いつのまにか、カルトの振りをして周りをからかうのが愉しくなっていた。殺しやいたぶるのも愉しいが、それ以上に愉快で気分がいいのが、カルトの振りをして周りを混乱させることだ。そしてそれを嫌がるカルトを見るのが一等面白い。
 カルトのことは嫌いじゃない。むしろ好いている。なにしろ半身なのだ。もはや自分自身といっても過言ではない。自分を嫌いな人間などいない。
 それにしても近頃になって、カルトもあまり嫌がらなくなってきた。今もなまえの提案した計画にはわりと乗り気のようだし、まあもとからカルトも人をいたぶるのが好きだから、今回の計画は性分に合っているのだろう。
 カルトは一通り、予定通りのことをこなしてくれた。あとは、カルトの役となまえの役を交換して、もう一度やってくるであろう刺客を殺すだけ。
 大事なのは、刺客を雇った依頼人の前で殺すことだ。それでどうやってその依頼人の前に現れる機会を作るかだが、そこは今回の依頼人が勝手に段取りをしてくれるだろう。
 そして予想通り、なまえは依頼人に呼び出された。今度はカルト=ゾルディックではなく、なまえ=ゾルディックとして。
 あの依頼人は、とても強欲な男のようだ。依頼人のことはつぶさに調べあげたが、それはそれは薄っぺらい中身であった。しかし遊ぶ相手としては、非常に都合のよい相手でもあった。
 なまえは最後の計画を実行する直前、地下室で死体を整理しながら想像していた。想像だけでおかしくなるほど、そのときが楽しみだった。
 さてどうやって遊ぼうか……



 カルト=ゾルディックに関わったことは、男にとって人生最大の幸運だと思った。実際は男にとって人生最大の不運であるわけだが、そんなことは当人は知らない。
 男はなまえに適当な人間の殺しを依頼した。その後いつものように別な殺し屋を雇い、なまえを殺させる気である。
 その日、邸は静まり返っていた。なまえがいつ依頼した殺しの対象を殺りにくるのかは知らないが、なまえの姿を自分に見せてから殺ることを条件にしているので、そのときがくればすぐにわかる。
 男は依頼をしてからの数日、とても気分がよかった。新しい猫も手に入れ、丁寧に育てているところだ。
 猫を膝の上に乗せ、真昼の日差しを浴びながら、猫の喉を撫でる。瑕一つない素晴らしい午後。
 ふと窓際に影ができたと思ったら、次の瞬間、足下に死体が落ちてきた。
 男が驚いて窓を見やると、なまえ=ゾルディックが窓辺に立っていた。
 以前邸で会った、カルト=ゾルディックと瓜二つだった。顔形はもちろん、態度も眼差しも、表情も、仕草も。自分が金に替えたあの死体と同じ姿をしているので、なんだか奇妙な気分にさせられ、少しゾッとしたほどだった。
 けれども着ている服は、カルト=ゾルディックとは趣が違うようで、それで見分けがついた。
 男の足下に落ちてきた死体は、依頼した殺しの対象であった。
「なまえ=ゾルディックだな。依頼通りだ」
 男は以前、カルトにいったように、話した。
 やはりなまえは、こちらには興味のなさそうなようすで、窓辺に人形のように立っているだけだ。
「約束の金額は入金しておく。後日口座を確認してくれ」
「わかった」
 なまえはそれだけいうと、踵を返した。窓枠に手をかけ、消え去ろうとする。
「死体はいいのか?」
 男は藪から棒に、そんなことを尋ねた。華奢な背中は振り向きもせず、「なんのこと?」と尋ね返してきた。
「君は死体を集めてないのか?」
「……」
 妙な沈黙が流れた。男はもしかして少女の気に障ったかと考えたが、少女がちらりと振り返ったので、返答を待った。
 沈黙が長引くほど、男のうなじには汗が溜まっていったが、男はそれに気づいていない。穏やかな気候の麗しい午後、気温も湿度も高くはないのに、男の皮膚はなにかを感じ取ったかのようにしっとりと湿っていく。
 それまで人形のように表情を変えず、窓辺に背を向け佇んでいた少女は、にわかに、ふと微笑った。
 少女の横顔の口許が美しく弧をえがいたのを見て、男はなにかとてつもない感慨に駆られた。
「死体はボクには必要ない。死体集めをしているのはなまえだからね」
 今度は男が黙る番だった。
 男の思考が停止し、少女の言葉の意味を理解できていないうちに、少女は続けた。
「ボクがなまえ=ゾルディックだなんて、いついった?」
 男が反応を寄越すまもなく、少女は窓辺から飛び去った。
 残された男は、急に猫が膝から降りて、死体を踏み越え、部屋の隅へ逃げていくのを見ていた。風が死体のにおいを運び、部屋に腐臭が漂い始める。
 少女のセリフの意味を考えているうちに、また一つ、風が吹いた。死体の頭髪がさらさらと風に靡いた。
 そしてまた、音もなく窓辺に影ができた。そちらを見ると、黒い着物を着た妖艶な少女が、まるで端正な絵画のように、静かに立ち、男を見下ろしていた。
 先程の少女と同じ顔形、表情も、眼差しも。しかし服装が違っている。
 殺したはずの、カルト=ゾルディックが、そこにいた。
 困惑する男の前で、人形のように冷たい無表情でいた少女が、おもむろに、唇で弧をえがいた。
 汗が皮膚を嘗めながら流れていく。死体の腐臭が肺を埋め尽くす。猫が部屋の隅で狂ったように鳴き始めた。
「やあ、おじさん。また会ったね」
 目の前で黒い目を細めて微笑んだ少女は、確かに男が売った死体の少女だった。
 そしてこの少女が、あの日依頼を遂行しにきた少女だ。理由はわからないが、もう一人、先程消えた瓜二つの少女とは、確かに違うとわかった。
 ……カルト=ゾルディックと、なまえ=ゾルディックという双子が存在するのは事実なのだろう。しかしカルト=ゾルディックは殺したはずだった。けれどもそのカルト=ゾルディックが、今まさに目の前にいる。幻ではなく。そして先程消え去った少女がなまえ=ゾルディックだったはずなのに、その少女は否定する意味のセリフを残していった。そして入れ代わるように、死んだはずの、カルト=ゾルディックであるはずの、少女が現れた。しかし少女らのセリフをたどれば、今目の前にいる少女は、カルト=ゾルディックではなく、なまえ=ゾルディックということになる……
 ……いったい、どこから入れ替わっていたのか? 高速で男が見た少女は、カルトだったのか? なまえだったのか? 男が売り捌いた、あの死体は? 三人目がいたのか? ……そんな馬鹿な……
 男は全身の筋肉が痙攣し、硬直するのを感じた。生ぬるい空気を裂いて、心臓を握り潰す死の予感がした。殺気ではない……自分を殺す気など、目の前の子どもにはない。
 アリの体をちぎって遊ぶ幼児のそこには、微塵も殺意などないのだ。
 あるのは楽しみと、興奮だけ。
「ボクはここに死体があるってカルトに呼ばれてきたんだけど……どうして生きてるほうもいるのかな。……ああ、おじさんは……もしかして……」
 少女がさらに深く目を細めて微笑んだ。
 男は悟った。
「ボクにいたぶられにきたの?」
 もう、逃げられない。