今から私は死にに往く。未練ではないが、この心を一人秘めて死ぬには惜しい。だからこうして手記を残そうと思う。これを読むそこの人。最後まで目を通して頂けたら嬉しい。

 私の住んでいた村は小さな農村で、実家も農家として細々と暮らしていた。私はそれが嫌だった。町に出て、豪華とまでいかずとも華やかに生き生きと暮らしてみたいと思っていた。
 ある日、村に立ち寄った旅の行商人が、町商人たちが町と村を橋渡しする役目のものを探しているという話をした。詳しく聞けば、何日かに一辺ほどの割合で近隣の村と町を回り物流の手助けをするという仕事だという。私はその話に乗った。村から出て、町に向かう名分も出来、賃金も貰える。まだ若い私には体力的な心配もなかったので喜んで引き受けた。
 仕事を始める時。雇い主から一つ、忠告された。
「夏の、文月の始めころ、嵐の日。その日は往き来してはならないよ。山に住む神様に出会ってしまうからね」
 信仰深い訳ではなかった私は、それを話半分に聞いた。それよりもきらびやかな町に興奮して落ち着かなかった。
 一言で言ってしまえばその仕事は楽しかった。今まで村への物流は気ままに訪れる行商人にのみ行われていた。それが私が定期的に運ぶようになったので、近隣の村人たちには感謝された。町の商人たちも新たな市場が見つかったと喜んだ。私の賃金も畑仕事とは比べものにならない位良いものになった。
 やりがい、称賛、金。それは確かに私の原動力となり、山道を越えるのも苦にはならなかった。
 雪解けと共に始めた仕事もしばらくすれば慣れてくる。効率良くより物を運べばその分稼ぎが良くなる。それを知った私は、多少無理をしても荷を運ぶようになった。

 それは夏の日のことだった。荷を受け取り村に向かう途中、天候が崩れた。嵐が来たのだ。
 すっかり油断していた私は、頭の先から爪先まで濡れた。背負った荷までぐずぐずになってしまった。山中、雷がバリバリと鳴り響くのは恐ろしく、しかし煙ぶるほど打ち付ける雨に前が見えない。がむしゃらに進んだ先、唐突に開けた場所に出た。見知らぬ一軒家が、ぽつんと建っている。明かりが灯っているのが雨の隙間から見え人がいるのだと分かり、形振り構っていられないとその戸を叩いた。
 そこから出てきたのは、驚くほど整った顔をした長身の男だった。切れ長の目は片方しかなく、もう片方は眼帯に覆われていた。見慣れない変わった服を着てこちらを見下ろすその姿に一瞬恐怖を感じたのだが、彼はすぐさま目を丸くさせ、慌てて家の中に招き入れたのだ。
「大変だ、ずぶ濡れで可哀想に。今、拭くものを持ってくるから此所で待っていてくれ」
 紡がれた言葉は慈しみが込められていて、その声は今まで聞いたことがないほど美しいものだった。
 呆然と立ち竦む私に、戻って来た彼はその顔をふわりと緩ませて言った。
「きみ、村の人だね。お仕事かな。こんな嵐だから、帰るのは大変だろう。泊まって行ったらいいよ」
 外からはごうごうと吹き荒ぶ雨音とバリバリと雷音が鳴り響いている。有難い申し出にお願いしますと頭を下げると、彼は嬉しそうに笑った。
「お客様なんて久しぶりで嬉しいな。先にお風呂に入って来たらいいよ。僕は食事を用意するからね」
 今考えれば可笑しなことだと分かる。しかし当時の私にはそんな考えは持てなかった。彼はとにかく美しかった。決して中性的、ましてや女性的ではない。立派な男なのだが、完成された造形の美しさがあった。何よりそこから紡がれる言葉と柔らかく微笑む表情が彼の魅力を増していた。
 だから純粋に、もっと彼を見ていたいと、彼と過ごしてみたいと思ったのだ。

 風呂に入り冷えた身体を温め戻ると、彼が食事を用意して待っていた。
「急なお客様だから大したものを用意できなかったけど」
 と前置きされたが、こちらにしてみれば祝い事の時にしか見ないような立派な膳だったので驚いた。もしや旅宿の類いなのかと問えば「たまに迷う人たちをおもてなししたりするんだ」と彼は笑う。
 ここの御主人なのかと聞けば首を横に振られた。
「主は他にいるんだ。ただ今は眠ってしまっていて……明日の朝には挨拶に出てくるかと思うよ」
 そうして出された膳は見た目に違わず心底美味いものだった。素直に口に出せば目の前の美丈夫は照れたように、しかし酷く嬉しそうにはにかむので目眩がした。
 男は、美しかった。

 食事も済み茶を振る舞われ、村と町の様子を聞く男に答えているうちに夜が更けた。案内された寝室にはふんわりと柔らかい布団が用意され、極楽のようだった。
 すぐさま眠りに就いたのだが、どのくらい眠ったのだろう、深夜に目が覚めた。
 厠へ行こうと廊下を歩いていると、小さく明かりの点いた部屋がある。もしやあの美しい男はまだ起きているのだろうか、それとも行灯を点けたまま転た寝でもしているのだろうか。どちらにせよ、見たいと思った。あの美しい姿を、何度も見たいと思わせるあの形を目に入れたかった。
 部屋の前に立ち、ほんの少しだけ障子をずらし、左目で覗いたその部屋の中に彼はいた。しかし、一人ではなかった。いや、正しく言えば、一人で大きな人形を抱きしめていた。
 何やら話し掛け、髪を撫で、小さく笑い口づける。それは確かに睦み事だった。人形は動かない。じっと天井を見ている。しかし彼はそれをいとおしむように見つめて触れている。はだけて露になった素肌を触れ合わせ、まぐわっている。
 その時の私の心をどう表したらいいのだろう。恐怖はあった。しかしそれ以上に、美しいと、ただただ美しいと、感動さえ浮かんで来た。一瞬も見逃したくはなかった。障子の隙間、瞬きも忘れるほど左目を開き、その姿を見続けた。
 どのくらい経ったのだろう、男は人形と自らの服を直し、行灯の火を消した。真っ暗になった部屋の真ん中で二人は抱き合い、そして「おやすみ」と小さく男の声がして、それきり動かなくなった。
 私はそのまま部屋に戻った。そして布団を被り、今まで見た光景を思い出し、一人耽った。

 朝が来て、嵐は去ったようだった。明るい日の射す広間に行くと男はおらず、代わりに一人の見知らぬ少女がいた。
「この家の主です」
 そう頭を下げる娘はどう見てもまだ成人しておらず、幼く見える。しかし主だと言うからにはそうなのだろう。私は一宿の礼を述べ、頭を下げた。彼女はころころと少女特有の笑いを溢した。
「いいえ、わたしは何もしておりません。彼がもてなしたのでしょう」
 そういえばあの彼はどうしたのだろう。此処を辞する前に一度挨拶がしたい。それにあわよくばもう一度その姿を見たい。目に焼き付けたい。
 彼女に尋ねると、その瞳がすうと細くなる。
「あなたは、彼が美しいと思うのですか」
 素直に頷いた。
「欲しいと、手元に置きたいと、そう思うのですか」
 迷って、頷いた。おおよそ立派な男に抱く感情ではない。しかしそういうことではなく、これは人に対する欲というよりは、まるで、まるで。
「だめよ」
 凛とした少女の声が響いた。
「だめよ、あげない。どんなにあなたが欲しいと請い願っても、例え奪って走り回っても、嫁に欲しいと言っても、あげたりしない」
 少女の黒々とした瞳が輝く。どこかで見たと思った。
「彼はね、人間が好きだから、こうして時々道楽に付き合ってあげてるの。けどね、だあめ。みんな結局彼を欲しがるから。いつになっても、何百年、何千年経っても、あの人は欲しがられてしまう『もの』だから、わたしはこうして、主として、断らなくちゃいけないの」
 黒い髪が揺れる。ぱちりと何処かで火のはぜるような音がする。どこかで。
「でも、見せびらかしたくなる時もあるの。彼はわたしのものよ、って。他の誰のものでもない、わたしのもの」
 それから彼女は笑う。少女の顔で、何千年も生きてきたかのように。
「昨夜、あんなに見せてあげたのにまだ欲しがるなんて、あなたも強欲ね」
「あっ」
 ようやく私は気づいた。この少女は昨日男が抱いていた人形と瓜二つなのだ。
 いつの間にか彼女は左手にひと振りの刀を持っていた。鋼の色ではない。真っ黒に焦げた、それでも美しく美しく生きている刀の成れの果て。
「彼は人間が好きだけど、わたしは違う。本当は彼を見せたくもないの。本当はあなたを殺してやりたいくらい」
 ふふ、と少女は軽やかに笑う。
「でも殺すと彼、悲しむからだめね。優しすぎて、かわいそう」
 一歩、一歩と近付いてくる少女。私は動くことが出来ない。
「よかった、あなたが覗いたのが左目で。右だったら彼とお揃いになってしまうところだった。そんなことになったら、許せなくて、殺してしまうところだった」
 私の目の前で少女は止まる。黒い刀の切っ先が私の左目の前にある。
「ねえ、ほら、彼よ。あなたが欲しがってしまった彼よ。美しいでしょう、焼けてもこんなに。本人はもうこの形では斬れないと嘆くけど……突き刺すことはできるのよ。この眼球が最後に見たものが彼だなんて、あなた、しあわせね。うらやましい、殺したいくらい。次、わたしたちの前に現れた時は、ちゃんと、斬ってあげる」
 ああ、ああ、切っ先が、目に。
「――彼はわたしのものだ。誰にも渡さない」


 気が付くと自分の家にいた。荷もあった。どうやって帰ってきたのか、この一晩は夢だったのか、分からないことばかりだったが左目は見えなくなっていた。
 片目では仕事は出来なかった。何よりあの嵐の夜に見た光景が忘れられなかった。きらめき、美しさ、性と恐怖、死。覗き見た光景、興奮と欲。
 私はそれから他人の家を覗くことに没頭した。村でも町でも小さな隙間から他人の家を覗き見た。当然のことながら住民にばれ、袋叩きに合い、信用も信頼も無くなった。それでもあの時突き付けられた切っ先ほどの死と恐怖を感じなかったし、家々の覗いた先に美しい世界はなかった。
 もう駄目だと思った。もう一度、あの美しい光景を見たい。刀と人形の交わりを、残された片目で見たい。
 一年、私は一年待った。そして今日。文月の始め、外の風は強くなり戸を叩き始めている。そろそろ家を出ようと思う。
 彼らは神様なのか、それともあやかしなのか、狂った只の人間なのかは分からない。恐らく私も狂っているのだろうが、それもどうだっていい。
 ただ、ただ、あの美しいものたちを覗く素晴らしさを知ってしまったのだ! 私は、知ってしまった! 忘れられるものか! 例え死のうとも、あれほどの快楽の代わりなどあるものか!

 これを読んだそこの貴方。何を馬鹿なとお思いだろう。貴方は知らないだけだ。片目で見た隙間の世界が美しいことを。性と死の交わりの目映さを。私は、あれを、知らねば良かったなどとは思わない。あれを見て、死ねるのなら、私はその為に生きていたのだと思う。
 なあ、そこの貴方。もし貴方が命の先にある性を覗き見たいのなら、この先にある山の――

(以降は何かに燃やされて読めなくなっている)