勤め先である小間物屋の引き戸の立て付けが、だいぶ前から悪くなっていた。年季の入った店であることは承知していたけど、非力な女性の客層が多いことから戸を軽くする必要があると思った。毎日明け閉めしているとコツが掴めてくるものの、初めて来たお客様に「ずいぶん重い戸ね」なんて言われたら今日明日にでも直しておかなければならない。店主であるおかみさんに相談したら、歌舞伎町になんでも屋があるからそこに頼んでみようと言われた。電話番号がわからないから直接行くしかない。地図を渡されて訪れた場所にはなるほど「万事屋銀ちゃん」という看板があった。世の中にはいろんな職業があるんだな。引き戸の修理なんて朝飯前なんだろうか。

「いらっしゃい」

玄関先でチャイムを押した瞬間は、なんだか普通に人の家にお邪魔しに来た気分だった。だけど顔を出した家主の風貌はとてもじゃないけど一般市民には見えなかった。

「とりあえず中どうぞー、散らかってますけど」
「……お、お邪魔します」
「え、何かびびってる?これ?天パ珍しい?お姉さんサラッサラの直毛だもんな羨ましーわチクショー」
「や、そうじゃなくて、銀色だから」
「あそっちか」

銀色のふわふわ頭に赤くてやたら眠そうな瞳、私よりずっと高い背丈。小間物屋で女性ばかり相手にしていると忘れてしまいそうになるけど、そうだった、男の人って大きくてがっしりしてる。まともに話すのなんて久し振りだ。

「引き戸の修理っすね、わかりました」
「今からでも大丈夫でしょうか」
「大丈夫っすよー、暇なんで」

ソファに座って渡された名刺には「坂田銀時」と書いてある。依頼内容も手短に、私は坂田さんと一緒にお店へ戻った。



引き戸の傍に道具を広げた坂田さんは手際よく作業を進めていく。本当になんでも屋さんなんだな。毎日ぼんやり小物を売る私より、よっぽど大切な人材だ。しゃがんだ大きな背中はせっせと働いている。ただ眺めているのも何だと思って、私は店番の時によく読む本を開いた。しおりを挟んでいなくても開いたところで何となく内容を思い起こせる。そのくらい読み込んで、好きでいた。表紙には繊細で平明な文字が連なる。心の中で何度も唱えた『銀河鉄道の夜』。



「終わりましたよ」

顔を上げると、さっきより少し冴えた眼をした坂田さんが引き戸の横に立っていた。二、三度引いて見せた戸は軋む音一つせず滑らかに動く。あんなに古びていた引き戸がそこだけ真新しくなったような気がした。

「すごい、さすがなんでも屋さんですね」
「いーえ、朝飯前ですよ」

思っていたことが実際に言葉になって、少し笑ってしまった。それを見た坂田さんがつられて微笑んで、「なに?」と言う。

「……髪に木屑付いてます」
「うおっ、早く言えよ!」

キメ顔で朝飯前とか言っちゃったじゃねーか、と小言を言いながら坂田さんは恥ずかしそうに髪をかき混ぜる。ふわふわの銀色が軒先から差し込む太陽に反射して、揺れる度にキラキラと光っていた。それがとても綺麗だった。坂田さんは話題を変えたかったのか、私の手元に視線を落として崩した口調のまま尋ねる。

「本好きなのか?」
「ええ、坂田さんは」
「俺ジャンプ以外の活字読まねーんだ。ていうかなんで坂田さん?銀さんでいいよ」
「じゃあ銀さん」
「ん」
「修理代、おいくらですか?」
「あー、考えてなかった」

今度は木屑を払うためでなく、無意識に髪をかき混ぜた銀さんは本や棚や引き戸に視線を泳がせた後、私に向かって言った。

「じゃ、パフェ付き合ってくれや」
「え?」
「期間限定のマロンパフェが食いてえ」

堂々と言った銀さんに思わず笑ってしまって、それから私は本を置いて立ち上がった。

「私もちょうど食べたいと思ってたところです」
「よしきた」

おかみさんにお昼休みを貰って銀さんと外へ出る。滑りのいい引き戸も秋を迎えた往来も、隣の大きな温かさも、なんだか全てが真新しく感じて胸が高鳴った。昨日まで知らなかった世界が、軽やかに晴れ渡ったまま眼の前にある。