それでも殺す
 

4章の話です




初めから終わりまで、入間は繰り返しシミュレーションを行う。計画に寸分の狂いもないように想像して穴がありそうな部分は補完して再び想像へとダイブする。
計画は大まかに分けて三つ。最初は全員をコロシアイシミュレーターの中に誘い込むこと。次に標的である王馬小吉を殺し、百田解斗を犯人として偽装すること。最後は何食わぬ顔で学級裁判を乗り切って学園を卒業すること。
脳内で文章にしてしまうと平坦なものに感じられるが、入間はその合間を完璧に埋めなくてはならない。発明よりもずっと難解な計画の仕上げとしてシミュレーションを繰り返し、輪郭を確かなものへと変えて想像から現実へと引き寄せていく。
しかし、想像力が優れているということは時に残酷だ。入間の頭の中には王馬の苦しむ表情や、百田が糾弾される姿、学級裁判で敗北した彼らが泣き崩れる未来が鮮明に浮かび上がってきてしまう。
「……クソッ」
 回数を重ねるごとにそれらははっきりと現れるようになり、入間はついに音を上げた。卒業するためには殺人者に徹するしかないというのに入間の脆弱な精神はもはや限界に近いらしい。こみ上げてくる吐き気を抑えるようにミネラルウォーターを口にした。徐々に引いていく不快感に安堵して、入間は吐息を漏らす。
「あいつら……凡人だけどここまで一緒に生活してきたんだよな」
 これまでの共同生活を振り返る。天海の殺人を皮切りにいくつもの殺人と学級裁判を乗り越えてきた。この学園は地獄の縮図のようなもので、団結しようとすればするほど空回っていく。しかしその中でも築かれたものは確かにあるのだ。
 絆なんていう大層なものではないだろうが、窮地に陥っているからこそ生まれるものはある。真宮寺はそんな暗闇に生まれた小さな光を見たかったのかもしれないと入間はふと考えてしまった。
 疑心暗鬼に陥り、自ら壁を作っていた入間にも光はあった。脱出を諦めなかった赤松や、メンテナンスを頼みに来るキーボ、自分のことを気にかけてくれる最原、そして発明家としての才能を存分に発揮させてくれた王馬。中でも王馬はこの生活の中で最も関りが深い人物だ。
 彼が初めて自分の研究室を訪ねてきたことをはっきりと覚えている。第一の学級裁判が終わった翌日のことだ。
殺人に加え、凄惨な処刑を目の当たりにした入間は王馬が自分を殺しに来たのかと怯えたが、彼はその疑念を払拭するような清い態度で接してきた。
――簡潔に言うね。キミの才能を借りたい。この紙に描いてあるものを作って欲しいんだ
 そう言って渡された紙には落書きじみたイラストが描かれていた。曰く、モノクマに一矢報いるための発明品らしい。
半信半疑ではあったがその時は殺人からの逃避も兼ねて承諾したのだった。
 それから王馬は頻繁に研究室を訪ねてきた。進捗状況を確認することが主な目的だったが他愛のない話もした。何を言っても冗談で返してくるような、飄々とした語り口だからかもしれない。入間は自分の心情を吐露することを厭わなかった。
 発明品に関する話や、コロシアイ生活の中で増大する不安感、他のメンバーへの所感など王馬はどんな話でも聞いてくれた。それに対する返答がまともなものだったかは別として。
 時にはきつく罵倒されることもあったが入間にとっては心地よいものだった。精神的な安寧と一種の性的興奮。それを同時に満たせる相手は王馬だけだったのだ。
 打開策が見つかるまでこの関係が続けばいいと思っていた。しかし、どんな世界に閉じ込められても入間は『超高校級の発明家』としてしか生きられなかったのだ。
 王馬に依頼された物が完成に近づくにつれ、自分の才能がどれだけ偉大なものか再認識してしまった。自分は素晴らしい。だから迅速に外の世界に出て、才能を使わなくてはならない。こんな小さな箱庭で消費されていいはずがない。
 首をもたげた発明家としての本能を抑えることは困難だった。コンピュータールームやキーボの研究室の開放がそれに拍車をかけて、気づけばどんな手を使ってもこの学園を出たいという意識が頭の大半を占めていたのだ。
 そもそも、王馬の発案にも疑問があった。果たしてモノクマを倒せるのか。モノクマだけを倒したところで、また別の何かが現れるかもしれない。倒しても出られる保証なんてない。何より、自分たちの中に裏切り者が紛れ込んでいたら?
確実に脱出する方法はただ一つ。誰かを殺して卒業すること。結局はその結論に辿り着いてしまった入間は自分が得意なフィールドを舞台にすることを決めた。
現実世界で殺せるほどの腕力も、度胸もない。臆病者には臆病者のやり方がある。自分にそう言い聞かせてシミュレーターの改造にあたり、今に至る。ふと時計を見ると夜時間を過ぎていた。
「決行は……明日の夜だな。それまでにあいつに会わねーと」
 入間はこれまでの思い出を胸にしまい込み、改めて殺人を犯す決意をする。神経が張り詰めた状態が続いているせいか、突然響いたノック音に心臓が跳ねた。
 扉を開けるとそこには王馬が立っていた。それが初めて研究室を訪ねてきた時の姿と重なってめまいを感じる。
「よ、よう。何か用か?」
「様子を見に来ただけだよ。悪い?」
「悪かねーけど」
 不満そうに唇を尖らせる彼のあどけない目が全てを見透かしているように思えて仕方ない。逃げ出したい気持ちを隠して無理やり笑ってみせた。
「何か作ってるんでしょ?オレにも見せてよ」
「だ、ダメだ。これは完成してからじゃねーと。貧弱ロリボディより巨乳のヴィーナスボディの方がそそるだろ?!」
「そんなことないけど」
「なっ、実はロリコンだったのか?!」
「嘘だけどね!」
 変わらない王馬に安堵しつつ、この会話ももうできなくなるのかと思うと決意が揺らぎそうになる。
「まぁ、入間ちゃんの働きに免じて今回は許してあげるよ」
「あ、あぁ。でもオレ様がコロシアイのない世界に連れていってやれることは約束する」
「期待しないでおくね」
 その答えを聞いて会話を打ち切ろうとすると、王馬はため息をついて小さなバスケットを渡してきた。
「……これ」
「え……?」
 上にかけられた布を取り払うとラップに包まれたおにぎりや小さなペットボトル、チョコレートなどが入っている。お世辞にも形がいいとはいえないおにぎりは、彼が作ったものかもしれない。
「少しくらい休んだ方がいいよ。夕食も食べに来なかったし」
 食事をすっかり忘れていたことを自覚すると、途端に空腹感が襲ってくる。入間はそれを素直に受け取りつつも、王馬をじっとりと睨んだ。
「毒とか入ってねーよな」
「オレがそんな単純な方法で殺すわけじゃん」
 それを理由として挙げる辺りおぞましいが、彼の性格からすると納得できた。王馬小吉はここに集められたメンバーでも群を抜いて性格がねじ曲がっているのだ。
 だから入間は殺す対象として選んだ。王馬はひどく嫌われている。比較的邪険にされている自分よりもずっと他者からの印象は悪い。裁判すら引っ掻き回し、場をかく乱するいわば不穏分子だ。
 だからきっと殺したってみんな許してくれる。殺した後の罪悪感が少ない。仕方なかったと言い訳できる。そんな理由から、入間は彼に白羽の矢を立てたのだ。
「オレ、結構キミのことは気に入ってるんだよ」
 思いもよらない言葉をかけられて入間は後ずさる。そんな風に、素直に誰かを称賛するなんて王馬らしくない。
「なんだよ急に」
「にしし。だって、オレが思い描いたものを作り上げてくれる人なんてそれこそアニメや漫画の世界にしか存在しないと思ってたからさ」
「ま、まぁ。オレ様は天才だからな!もっと敬え!」
 入間が胸を張ると王馬は普段のような罵倒はせずに、小さく俯いた。
「キミと話すのってつまらなくなかったし」
「……うん」
「コロシアイがなかったら、もっとちゃんと、正しく仲良くなれてたのかなって思っちゃった」
 正しく、人間関係が築けていたかもしれない世界。そんなものはないものねだり以外の何物でもない。コロシアイそのものが存在しなければ、この場所に集められることもなかったというのに。
 妙に感傷的な王馬を見つめていると、彼は再び顔を上げた。
「嘘だよバーカ!!入間ちゃんみたいな豚便器と仲良くなれるわけないじゃん」
 王馬はそう叫んで駈け出していく。その小さな後姿に、入間は声を張り上げた。
「ま、待って!!明日の朝には完成する。終わったら話したいことがあるから、またここに来てくれないか。つーか来い!」
 王馬は片手を上げて了承の意を示した。明日になればすべてが終わる。彼が持ってきたバスケットに目を落として、震えそうになる心を必死に殺した。臆病なやり方で、最低の理由で、心を許した相手を殺すことを許してほしいと願うように呟く。
「……ごめん。王馬。でもアタシはどうしても外に出たいの」

     ***
「……キミのことを気に入ってるっていうのは嘘じゃないんだけどなぁ」
 廊下を駆けながら王馬は彼女のどこか泣きそうな表情を思い出していた。今までの思い出も、自分がしようとしていることも。
「だから、ホントに残念だよ。入間ちゃん」
 そう呟いたことを入間美兎は決して知ることはない。