先に続く道の上で

12月〜1月初旬の拍手お礼SSでした

付き合い始めの王入の話です 

 白い欠片がはらはらと落ちてきて入間は空を見上げる。絵具で塗りつぶしたような黒い空に欠片は一つ二つと増えていき、気づけば世界は降りしきる雪で白に染められつつあった。隣を歩く王馬が子供っぽくはしゃぎながら、天を仰いでくるくると回る。
「初雪だね!」
 舗装された道に彼の靴が擦れて耳障りな音が鳴ったが、それ以外の音は届かない。夜の住宅街はこれほどに静かだろうか。先ほどの角を曲がった際に別世界へと迷い込んでしまってはいないかと入間は想像してみる。昼間見た映画の影響が残っているらしい。数メートル先を歩く王馬は、相変わらず楽しげに雪と戯れている。ふとついたため息は驚くほど白く、瞬く間に虚空に溶けていった。冬の訪れを実感して入間は無言で瞬きをする。
今日は紅鮭団卒業後、数えて五度目のデートだった。夏にあの番組に出演したもののお互いに多忙であり、月に二度も会えれば多い方だった。先月は一度も会えず、今日は久しぶりのデートだったのだ。だから入間は期待していた。セックスまではいかないまでも、手を繋いだり、キスをしたり、そういった恋人らしいことがあるのではないかと。
 しかしその期待は大きく裏切られた。昼に待ち合わせをし、気になっていた新作映画を見た後に買い物をして、夕食をとって気晴らしにボーリングをした。結果は王馬の圧勝だったことは悔しいが、楽しかったことに間違いはない。
ただそれは友人間でもできるような内容だ。先を歩く王馬を見つめながら入間は不満そうな表情を浮かべる。二人きりになれる場所は少なかったが、映画館の中でくらい手を繋いでくれても良かったはずだと顔をしかめた。自宅まで送ってくれると言いだした時にはようやく手が繋げると叫びそうになったというのに現実はこの有様だ。  
自分に魅力がないせいかと唸り始めた時、王馬が雪の中を駆けてきた。歩くのが遅いと叱りつけに来たのかもしれない。思わず身構える入間を見て、彼は不思議そうに首を傾げた。
「もう、入間ちゃん遅い!とろとろ歩いてると風邪ひいちゃうよ」
「悪い」
 思いのほか低い声が発せられ、王馬は困ったような表情を見せた。
「あー、オレの方が早かったのか。そうだよね。鈍くさい入間ちゃんに合わせてあげるのが彼氏の務めってやつだよね」
 これ見よがしにそう言って、彼は小さな手を差し出してきた。
「はい」
「え」
「手つないであげる」
 常套句が続くのを恐れたが彼は大きな瞳で見つめたままじっと待っている。王馬の骨ばった手を欲するように入間の右手は熱くなる。
「い、いいのかよ」
「なんで?ダメなの?あ、オレと手つなぐのがそんなに嫌なんだ!そっかー。残念だなぁ」
 引っ込められそうになった手をやっとの思いで掴む。小さくて骨ばっていて、それでいてあたたかい手。初めて知る感触に入間の鼓動は高鳴ってしまう。
王馬はニンマリ笑い、ゆっくりと歩き出した。騙されているのではないかと心臓の辺りがざわついたが彼は本気のようだ。
「入間ちゃんの手、すべすべだね。発明ばっかりしてるくせにちゃんと手入れしてるんだ」
「……ん」
 普段のようにすんなりと言葉が出てこない。言葉少なになった入間をからかうこともせず、王馬はただ隣を歩いた。
「今日、楽しかった?」
「楽しかった。……けど」
「けど?」
 そう促され、内側でくすぶっていた思いの丈をぶつけてみる。もっと二人の間に進展が欲しいことや、恋人らしいことをしてみたことを素直に話した。笑われるかと思ったが、少なくとも表面上は真剣に聞いてくれている。
「そっか。入間ちゃんはせっかちさんなんだね」
 聞き終わった彼が放った言葉に入間は目を見開いた。恋人の要望を聞いておいて、最初に言うことがそれかとつい歩調も速くなる。しかし王馬はきちんとそれについてきた。
「やだ、怒らないでよ。貶してるわけじゃないんだよ。ホントだよ」
「うるせー」
「……入間ちゃんって、オレ以外の人と付き合ったことないでしょ」
「はぁ?!」
 確かに王馬が初めての恋人だ。だから多くのことを求めるし、彼も求めて欲しいと思う。これを肯定するのは正直な話恥ずかしい。これまでずっと、多くの男性に愛される入間美兎を演じてきた。セックスシンボルとしての自分を披露してきた。だからいくら王馬でもはっきりと答えるわけにはいかないと言い淀んだ時、王馬が肩を震わせた。
「にしし。隠さないでいいよ。紅鮭団の時から処女だってバレバレだったしねー」
「ぐぅ……っ」
 処女という単語の圧力に思わず唸る。王馬はそれを見かねたのか、優しく指を絡ませてきた。入間は恐る恐るそれを受け入れる。ぴったりとくっついた手から伝わる熱が入間の心をあたためていった。
「頻繁に会えるわけじゃないし、その上処女だし、オレとしては時間をかけて仲を深めたかったわけ。あの番組だけじゃお互いに分からないことも多かったしね。まぁ、オレなりの優しさだよ」
「……そうかよ。どうせオレ様は鈍感だよぉ」
「ひねくれてるなぁ。いや、こじらせてるのか」
 王馬がくすくすと笑う度に吐息が雪に混じって消えていった。寒さを理由にもう少し密着しても構わないだろうと彼との距離を詰める。
「でも、オレの優しさは結局エゴでしかなかったんだね。その辺りは謝るよ。……ごめん」
「いや、別に……謝らなくても……」
「だよね!別に謝る必要なんかないよね!あー、損しちゃったなー」
「何なんだよオメーは」
 しおらしくなったかと思えば揚げ足を取る。いつもと変わらない姿に安心感を覚えていた。正しく優しいくせにそれをひた隠しにして、あくまでも冷淡な人間を装う。そんな彼に入間は心を奪われたのだ。
「ていうか入間ちゃんはオレとあんなことやそんなことがしたいんだね。分かりきってたけど」
「あぁ?!あ、あんなことやそんなことぉ?!」
「したくないの?」
「したくねーわけじゃ……!」
 戸惑いがちに応えると彼は入間の顔を睨んだ。
「はっきりしろ!豚便器!!」
「ひゃうぅっ!したいですぅ!!」
「わー。筋金入りの変態だなぁ」
「オメーが言わせたんだろうが!!」
 住宅街に決して上品とは言えない掛け合いが響く。その心地よさを入間はずっと感じていたいと思い、王馬に気づかれないようそっと微笑んだ。
 気づけば、二人の肩には雪が薄く積もっていた。次の十字路を曲がれば入間の自宅だ。自宅に近づくにつれて歩みが重くなっていることに気が付いたが心の中に留めておくことにする。
「……じゃあ、オレはここで」
 あっという間に玄関の前に辿り着き、王馬はするりと手を離した。名残惜しいがいつまでもここで話しているわけにはいかない。
「気を付けて帰れよ」
「うん」
 そう答えたものの王馬は何か言いたげに爪先で雪を掻き、パッと顔を上げる。
「ねぇ、次はオレの家で会おうか。自宅デートってやつだね」
「う、あ……」
「ふふ。顔赤いよ。何想像してるのかなー」
「うるせーな!!オメーこそオレ様とエロエロしたくて仕方ねーんだろ!!むっつりスケベ!!」
 嬉しさのあまり入間の体は燃えるように熱くなり、脳内は彼としたいことで埋め尽くされる。やれやれと首をすくめた王馬は歯を見せて笑った。
「答え合わせは次回のお楽しみということで」
 軽やかな口調でそう言い、少し背伸びをして入間の耳元に顔を寄せた。
「またね、美兎ちゃん」
 その響きを反芻している間に彼は白の世界へと消えていった。美兎ちゃん。美兎ちゃん。美兎ちゃん。何度も何度も、甘い声が繰り返される。そして、誰もいなくなった道路を見つめて入間は小さく呟いた。
「またね、小吉」
 二人の恋はまだ始まったばかりだ。