Dead game of xxxxx

王入がポッキーゲームをする話
・育成計画軸
・付き合ってません



 窓を開けると澄み切った空気が部屋を満たしていく。王馬は寝ぼけたままの思考を叩き起こそうと小さな体をぐんと伸ばし、深呼吸をした。昨夜の疲れが残っているが、それは心地よいものだ。王馬は鼻歌を歌いながら身支度を整えていく。
食堂に行って東条にコーヒーを淹れてもらおう。そして談話室でニュースを見るのだ。そうすればきっと、今日一日が素晴らしいものになる。王馬はそんなことを考えながら自室を出た。
 コーヒーを片手に談話室へ入ると先客を見つけた。同じようにマグカップをテーブルに置いた最原がテレビから目線を外し、王馬に微笑みかけてくる。
「おはよう」
「おはよう、お寝坊さんの最原ちゃんが珍しいね。気になる事件でもあった?猟奇?連続?どんな殺人事件の話が聞けるかワクワクしちゃうなー!」
 呆れたようにため息をつく最原の隣に座り、王馬もテレビへと目を向けた。ちょうど七時のニュースが始まったところだ。女性アナウンサーは今日も変わらず、笑顔を振りまいている。
「……たまたま早起きしただけだよ。王馬君はいつもこの時間に起きてるの?」
「そうだよ。今日はむしろ遅いくらい」
 そうなんだ、と最原はさして興味もなさそうに呟いてコーヒーを口に運んだ。目ぼしいニュースはないのかつまらなさそうに瞬きを繰り返している。王馬は彼の眠そうな表情が変わるのを今か今かと待ち望んでいた。
「なんか機嫌いいね」
「気のせいじゃない?」
 王馬はそう答えたが最原の指摘は当たっていた。昨夜、長い間温めていたDICEの計画を実行したのだ。王馬にとっても、部下にとっても、手ごたえはあった。朝刊の一面を独占。ニュースは計画に関する話でもちきり。帰りがけにそんな話で盛り上がったものだ。しかし王馬の期待に反して、世間の反応は芳しくなかった。
今週のニューストピックスの中の一つとしてまとめられ、話題は先日起きた殺人事件へとすみやかに移っていく。評論家や芸能人のコメントはにわかに活気づき、画面下部に表示されているSNSと連携したメッセージも物騒なものが多くなってきた。
人々を夢中にさせるのは人の死、行方不明の犯人、解けない謎。それを覆すのにはどれほどの時間を要するのかと王馬はため息をつく。
ただ一つ、隣の最原が目をすがめ昨夜の計画について興味深そうな声を上げたことが救いだった。
「探偵さんはこういう事件が起きて嬉しいんじゃない?」
「馬鹿なこと言わないでよ」
「意外だなぁ。探偵といえば難事件を解決したがる生き物でしょ?この事件なんか打ってつけじゃん!」
 芝居がかった口調で両手を広げると最原は露骨に顔をしかめた。綺麗に歪んだ眉に彼が端正な顔立ちであることを再認識する。
「僕は、事件が起きる前に解決するような探偵になりたいんだよ」
「へぇ。随分殊勝な心掛けだね!」
「それに……どちらかといえばさっきの事件の方が気になるな。都内各所に残された規則的な絵文字なんて、踊る人形みたいじゃない?]
 かの有名な推理小説の暗号に例えられれば王馬も悪い気はしない。興奮気味の思考を鎮めようと口にしたコーヒーは既に冷めかかっていた。
「最原ちゃん、なかなか見る目あるじゃん。オレも血みどろフィーバーな殺人より、そっちに興味津々だよー!暗号なんてぜーったいつまらなくないよね!」
 ねぇねぇと顔を寄せると、最原は苦笑する。
「やっぱり機嫌いいんじゃないか」
 あからさまに喜び過ぎたかと王馬は慌てて身を引き、暗号について思案し始めた最原の横顔を一瞥した。綺麗な凹凸のラインに、探偵にしておくにはもったいない男だと考えたが口に出すはずもない。
 わずかな沈黙を破ったのはアナウンサーの明るい声だった。今日は何の日?という掛け声の後に、ポッキーの日というテロップが表示される。
 アラビア数字で書かれた11月11日が某製菓会社のポッキーに酷似していることから、非公式に制定された記念日だ。企業への取材から始まり、レシピ紹介や街中を歩く恋人たちへのインタビューとDICEが起こした事件よりも格段に時間を割いて紹介されている。
「王馬君はこういうイベント興味ないの?」
「はぁ?ただのイベント商戦じゃん。いや、製菓会社の陰謀かもしれない。購入した人の脳に微弱な電波が流され、気づかない内に暴力的な性格へと変貌してしまう。そして最終的には人類は淘汰され選ばれし者だけが生き残る世界になるのだ」
「何の話さ」
 わかってないなぁ、と王馬は頭を振った。鬱陶しそうなため息を無視して王馬は再び彼に詰め寄る。
「そんな最原ちゃんは興味あるわけ?むしろありまくり?ポッキーゲームとか期待しちゃってる感じ?むっつりスケベだなー、ホントに」
「何言ってるんだよ。そ、そんなことする相手もいないし」
 彼の頬に赤みがさす。ポーカーフェイスを保つことも探偵における重要な要素だ。王馬は更に顔を近づけて耳元で囁いた。
「いるじゃん。ここにさ」
「お、王馬くん?!」
 あからさまに驚いてのけ反った最原は、目を大きく見開いていてもやはり綺麗だった。世の中の犯罪者に立ち向かうには推理力以外も鍛えて欲しいところだ、と王馬は舌を出す。踊る人形を解読した、あの高潔な探偵のように。
「嘘だよ!キミとするぐらいならだったら、市中引き回しの刑にでもされた方がよっぽどマシだね」
「それはこっちのセリフなんだけど」
 王馬は肩をすくめて、冷めきったコーヒーを飲み干した。そろそろ食堂へ向かわないと朝食を食べ損ねるだろう。
「お腹すいちゃった。先に行ってみんなに最原ちゃんがいかにド変態か伝えておくね」
「さっきより酷くなってるじゃないか!!」
 後ろから追ってくる悲痛な声を振り切るように王馬は足早に廊下を駆けていく。途中で壁に貼られたポッキー半額セールという購買部のポスターを見て、ふてくされたように呟いた。 
「ポッキーの日、ねぇ」
 この学園の奇人変人たちはそんなものに興味があるのだろうか。王馬は最原の足音が近づいてくるのを感じ、その場から離れた。

   ***
 王馬の疑問はその日の放課後には解消されることとなった。閑古鳥が鳴いているのであろう購買部を冷やかしに行くと、予想外に店内はごった返していた。
 ただ事ではない状況に顔をしかめていると店内に見知った生徒の姿を発見する。
ソニア、東条、不二咲。購買部もイベント商戦に乗り出したらしい。三人とも可愛らしいエプロンになぜかうさぎの耳をつけて接客している。彼・彼女らの新鮮な姿に興奮した生徒たちの叫び声が上がる。
「きゃーっ!ちーたんのエプロン姿!!」
「レアだ!小泉はいないのか?!撮ってくれ!」
「そして売ってくれぇ!」
「うおーっ!ソニアさーん!!」
 最後は左右田の声に違いなかったが敢えて聞かなかったことにした。喧騒に乗じることもできず、静かに立ち去ろうとすると肩を叩かれた。
「白銀ちゃん」
 振り返ると、白銀が微笑んでいた。揺れる濃紺の髪はよく手入れされ艶やかな輝きをまとっている。王馬の表情から察したのか、彼女は薄く微笑んだ。
「掲示板見なかった?ポッキーの日にかこつけて、色々割引してるんだ」
 王馬は小さく頷いたものの横目で騒ぎ立てる生徒たちを眺める。白銀はそれらしく手を打った。
「アルバイトを募ったんだよ。ソニアさんはアルバイトを経験してみたいから。不二咲さんはポスターを見てたら強引に誘われたって。東条さんは依頼されたみたいだけど」
「なるほど……」
 妙に詳しい白銀に疑問を抱きつつ、王馬は相槌を打った。白銀は人ごみの向こうで甲斐甲斐しく働く登場を見つめ、うっとりとしたため息をつく。
「メイド服もいいけど、ああいうエプロンこそむしろ家庭的なイメージを掻き立てられるっていうか。そこにうさ耳という伝統的な萌え要素が加えられることで、より……高みへ……」
「出たよ。オタク特有の自己満足トーク」
 王馬は身震いをして一歩下がった。すると白銀はそれを見逃さず、一歩詰めてくる。そんなことを繰り返してついに壁際まで追い詰められた王馬は真っ赤な箱菓子を手渡された。ポスターで大々的に謳っていた半額のアレだ。
「というわけではい、これ」
「え」
「私も地味に店員なんだよね。一名様お買い上げでーす。最後尾にどうぞー」
「ちょっと」
 器用なもので白銀は後ろ手に隠していたうさ耳をつけ、同じく背後に隠していたかごから製菓類を出し、客に手渡している。促された客が王馬の後ろに並んでいく中、嘘つきめと小さく悪態をついた。目の前には左右田が並んでいる。気づかれないように小さくなっていたが、王馬の悪運は機能しなかった。
「王馬!」
「左右田ちゃん……」
「へへっ。俺もう三回目なんだ。やっぱ好きな人から直接買えるってのがいいよなぁ!」
 彼のお目当てであるソニアがあと何回可哀そうな思いをするのかと思うと王馬はゾッとする思いだったが、満面の笑みを浮かべる左右田にそんなことは言いだせなかった。

 購買部を抜けだす頃には王馬は疲弊しきっていた。白銀が列整理をしていたものの通常時の数倍は客が訪れていたのだ。
左右田を筆頭としたファンを名乗る生徒陣、取材に訪れた新聞部に、写真家の小泉まで駆り出されていた。この学園にあれだけの生徒がいたのかと慄きながら、王馬はふらふらと廊下を歩く。
 思えば今朝から最悪だった。世間はDICEよりも殺人事件に夢中。白銀には騙され、買いたくない菓子まで買わされ、人々にもみくちゃにされる。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことだった。
素晴らしい一日になる、という予感は一体何だったのか。腹いせに誰かをいじめてやりたい。王馬はそんな欲望を抱えて歩みを進める。苛立ちのあまり赤い箱が軋むような音を立てた。
少し先に見覚えのあるピンク色の何かがちらついた。俊敏な蛇がそうするように、音を立てないように近づいていきゆったりと歩く彼女の肩に手を置いた。
「ひゃんっ!!」
 嬌声にも近い声が響き、王馬の鼓膜に収束していく。そのまま恐る恐る振り返った彼女――入間は王馬の顔を入るや否や、害虫にでも触れてしまったかのように飛びのいた。その反動に廊下に転げ、尻もちをついてしまう。ビビットピンクのスカートが捲れ上り、真っ白な太ももと黒い下着が露わになっている。そのコントラストが意外にも扇情的で、王馬はつい目を奪われた。
「お、驚かせんじゃねーよ!!このチンカス!!」
「酷いなぁ。驚きこそが人生を豊かにするんだよ?」
「屁理屈言ってんじゃねぇ!」
 自分よりも背の高い彼女を見下ろしているからだろうか。王馬は高揚感に包まれていたが、恋人でもない女性の下着を見続けるほど悪趣味ではなかった。
「まったく……これが舞園ちゃんだったら最高なのになぁ」
 王馬はしゃがみ込んで入間のスカートを手早く直してやる。今更だというのに、入間は慌ててスカートを押さえつけた。座り込んだままの入間に手を差し出して微笑みかけた。
「手を貸そうか?一回十万でオレの手に触り放題!」
「シコりまくった手なんか触るか!むしろオメーがオレ様の、その、パ、パンツ見たんだから金払えよ!」
「冗談!むしろ慰謝料を請求したいぐらいだね」
 スカートをはたきながら立ち上がる入間を見つめ、王馬は口端を持ち上げた。需要と供給は一致した。ストレス解消の相手ならば目の前の人物が最適に違いない。
「ねぇ、入間ちゃん。ここで会ったのも何かの縁ってことで、ゲームしない?」
「やらねーし、オメーとの縁なんかさっさと切りてーよ」
「そんなぁ。勝ったら……そうだ、一つだけキミの言うことを聞いてあげる」
「嘘だな。そんなもんに騙されねーぞ!オレ様を上手く言いくるめてドスケベゲームをさせるつもりだろうが!」
「気持ち悪い妄想しないでよ、豚便器が」
 罵倒に酔いしれる入間に軽く舌打ちをして、王馬は真剣な表情を作り上げる。ひとまずゲームに乗ってもらわなければ意味を成さないのだ。
「嘘じゃないよ。……ところで入間ちゃんって、今とってもお金に困ってるんだってね」
「……あ?」
「開発費、全然足りてないらしいじゃん」
「な、なんでそれを……」
 彼女の顔からは血の気が引き、青ざめていく。確証はなかったのだが、ここまで分かりやすく反応してくれるとは王馬も思ってはいなかった。
「オレは悪の総統だからねー。みんなの懐事情くらいは把握してるってわけ」
 入間は悔しそうに俯き、前髪が目を覆った。王馬は彼女の視界に入る位置に陣取って畳みかける。
「もしキミがゲームに勝ったら、オレのプライベートマネーから援助してあげることもできる。キミの発明の大半や役に立たないガラクタだけど、中には光るものもあるからね。別にそれ以外のお願いでもいいんだけどさ」
 ガラクタと称されたのが気に入らなかったのか、入間は鋭い眼つきで王馬を睨みつけてきた。しかし彼女が置かれている立場を考えると、すごまれてもまるで怖くない。
「勝ったらの話だけどね。負けたらオレの言うことを聞いてもらうよ。人前を歩けないぐらい恥ずかしいことをさせてあげる」
 入間の指先が何かを求めるように空を掻いた。王馬は彼女から言葉を切り出すまで待つつもりだった。このゲームに乗ることを確信していたからだ。
「ま、マジで言ってんだろうな」
 数十秒の沈黙の後、入間はそう尋ねた。
「信じるか信じないかはあなた次第ってやつだね。ちなみに三秒以内に返事をしないとゲーム自体破却しちゃうよ!さん、にぃ――」
「わーーっ!!やるやるやる!!」
 威勢のいい小学生を彷彿とさせる挙手と共に入間はそう宣言した。王馬はほくそ笑み、満足げに頷くと先導するように歩き始めた。
「とりあえずオレの部屋に行こうよ」
「オレ様と二人きりになりたいからっていきなり部屋に誘うのはどうかと思うぜ」
「汚い顔から汚い声で汚い言葉を吐き出すのをやめてくれる?オレまで汚れそう」
 鳴き声のように罵倒と喘ぎ声を発しながら王馬の後をついて来た入間だったが、個室に迎え入れた途端にしおらしくなってしまった。
 座るように促すと彼女はベッドの端に腰かけ、居心地が悪そうにそわそわとしている。王馬は彼女と隣り合うように位置取り、ゲームの主役となる真っ赤な箱を真ん中に置いた。様子を見る限り土壇場で逃げ出しそうにはない。
「今日は何の日か知ってる?」
「勃起の日だろ!!はっ……まさか……オレ様にフェ――」
「その汚い口を縫い付けてやろうか」
予想の範疇だった回答を聞き、王馬は反射的に彼女を小突いた。くすぐったそうに脇腹を抑えると髪が乱れ、甘い林檎のような香りが漂ってくる。整髪剤か、シャンプーのそれかは分からないが彼女との距離を実感して胸の辺りがぞわぞわと疼いた、
「勃起の日じゃねーのかよ。今朝赤松が言ってたぜ」
「耳腐ってんじゃないの?ついでに頭も腐ってんだろうね」
 露骨に嫌悪感を示すように彼女の顔が険しくなる。黙っていれば、それなりに綺麗だと思う。王馬の趣味ではないが顔立ちは整っている方だろう。せめて最原のような、知性を感じさせる喋り方をしてくれればと考えたが、それはある意味アイデンティティの消失だろう。入間美兎は麗しいが、同時に下劣で、低俗である。だからこそ王馬が好意や友愛を向ける相手には成り得ないのだ。最原とは、違う。
 それ故に、これからすることもあくまでゲームでしかないのだ。
「今日はポッキーの日なんだって。だからそれにちなんだゲームをしよう」
 王馬は赤い箱から、チョコレートで彩られたポッキーを一本取り出して入間に向けた。
「咥えて」
 頬をわずかに赤らめながら、彼女が戸惑い交じりの視線を向けてくる。
「……互いに食べ進めていって、先に口を離した方が負けっていうゲームなんだ」
「そ、そんなの……」
 ゲームの概要を聞き、彼女は耳まで真っ赤になる。貞操観念が低そうな言動が目立つがまともに交際をしたことすらないはずだ。その様子をからかうように王馬は目をすがめる。
「何?恥ずかしい?入間ちゃん、こういうゲームは得意なのかと思ってたけど」
「お、おう!この手の勝負じゃオレ様は負け知らずなんだ!!」
 強がる姿に意地の悪い笑みを浮かべ、ポッキーを突き付けた。入間は餌を待つ雛のように小さな口を開けてそれを受け入れる。王馬は距離を詰め、恋人にするかのように優しく肩を抱いた。
「顔を背けたりしてもダメだからね」
 少しばかり伏せられたまぶたが、了承の意を示していた。瞳を縁取る長いまつ毛が瞳の動きに合わせて揺れる。王馬は彼女の瞳をしっかりと捉えてもう片方の端を咥えた。
 必然的に会話が途切れ、噛み砕く音だけが響く。しかしそれも長くは続かない。入間が先に顔を背けてポッキーが折れてしまったのだ。王馬が残されたそれを咀嚼する間、彼女はか弱い少女のように俯いていた。
「入間ちゃん弱いなー」
「い、今のは練習だろ?!」
 王馬は少し間を置き、身を乗り出して反論する入間に同意した。たった一度で決まってしまってはつまらない。ゲームは楽しく勝たなければ意味がないのだ。
「分かった。そういうことにしてあげよう。じゃあ、今から三回勝負で決めようか」
「ぜってー勝ってやるからな」
 入間はやる気を取り戻したようで、自らポッキーを咥えて顎をしゃくる。これが恋人相手ならばキスをするための前戯のように、甘い言葉を囁いてあげるかもしれない。しかし相手は恋人ではない。友人とも認めがたい入間だ。
 別段照れるような相手でもないというのに、王馬は再び心臓の辺りが疼くのを感じた。普段とは異なる姿を前にしているからだろうか。吊り橋効果に近いものなのかもしれないと、自分の胸のあたりで蠢く何かを押し殺して顔を近づけていく。半分辺り食べ進めた辺りで入間が唇を離した。一度目のゲームは王馬の勝利だ。
「また負けちゃったね」
「うるさい!あと二回残ってるだろ!!」
 この部屋に入った頃よりも二人の間の空気が和らぎ、そして徐々に艶めかしいものに変わっていくことを感じていた。入間は言葉少なにポッキーを咥えて催促するような表情を見せる。今までと同じように王馬は端を咥え、彼女の目をじっと見つめた。潤む瞳の瞬きを眺めながら、そっと手を握る。
 入間が驚いて顔を背けることを期待したのだが、彼女は臆せずぐっと顔を近づけてきた。キスができそうな距離まで近づいて、先に顔を背けたのは王馬の方だった。
「なーんだ。キスするのかと思っちゃった」
 入間は黙り込んだまま、髪をかき上げる。あの香りがもう一度王馬の鼻孔をくすぐった。
「これで引き分けだね」
 入間は沈黙を保ったまま、勝敗を左右する一本を王馬に差し出してきた。気迫が増しているのは大きな瞳のせいだろう。
 王馬はその瞳を見つめて、最後のゲームを始めた。これで勝てばいいだけだ。そう考えて、今度は彼女の腰を抱き寄せる。嫌がる素振りを見せないどころか、ぎこちない手つきで肩を抱かれた。思いのほか度胸のある女だ、というのが正直な印象で、そんなことを考えている内に二人の距離は縮まっていく。
 本当にキスでもするつもりだろうか。こんなゲームにファーストキスを賭けるほどの性格ではないはずだ。
 焦る。焦る。焦る。押し殺したはずの心臓の疼きが、一口ごとに強くなる。彼女の灰色がかった瞳に映った自分はどんな顔をしているのか、想像もしたくなかった。
 もう僅かと言うところでぱきり、と音が鳴りポッキーが折れた。しかし、ほぼ同時に入間に唇を奪われる。彼女の唇は少しかさついていて、それでいて柔らかい。
嘘だろと心の中で呟きながらも、腰に回した手に力を込めて彼女を引き寄せる。
 突き放せばいいはずなのにそうしなかったのは、彼女の度胸に敬服したからだけではない。そのキスが心地よかったからだ。口の中にチョコレートの甘さが広がる。世の中の恋人たちは、こんな馬鹿げたゲームすら駆使してキスを果たすのだろうか。
 そんな滑稽な人々のことを思うと、王馬は少しだけこの世界のことを許せるような気がするのだった。
 互いの唇がゆっくりと離れていく。俯いた彼女が唇を舐める姿が官能的に映り、王馬は自分たちがしてしまったことの余韻を感じていた。
「……キスしちゃったね」
 入間は数拍置いて、小さく唸った。
「……オレ様の勝ちだよな」
「……そうだね。悔しいけど、オレの負けだよ。さぁ!煮るなり焼くなり縛るなり嬲るなり好きにしろ!エロ同人みたいに!!」
 王馬の冗談に入間はクスリとも笑わない。顔を覗き込むと、これまでとは比べ物にならないほど頬を赤らめて唇を噛んでいる。好きでもない男とキスをしてしまったことを悔やんでいるかもしれない。王馬が慰めようとした時、彼女がようやく口を開いた。
「あ、のさ……お願いってやっぱり一つだけなのか」
 ゲームに興じる前はそう提案したが、大切な初めてを奪っておいて出し渋るほど王馬は子供ではない。
「キミのファーストキスに免じて、もう一つだけ聞いてあげよう」
「ファーストキスじゃ…」
 言い淀んだものの、王馬の視線に耐えかねたのか入間は枕を投げつけてきた。それをかわしてにじり寄るとついに観念したような声を上げる。
「う、うぅ……。そうだよ!!悪いか!クソッ!!なんでオメーなんかと!!」
 かけ布団を引っ張って隠そうと奮闘する彼女を妨害し、沸騰しそうなくらい赤い顔を見つめた。それほどまでに勝ちたかったのだろうか。勝負にこだわらないタイプだと考えていたが、王馬の見込み違いだったようだ。もしくは、その場の空気に当てられたのかもしれない。
「それで?オレにどんなことをしてほしいの?」
「まず開発費を援助してほしい。さっきも言ってたけど、正直全然足りねーんだよ」
「お金が欲しいと」
 率直な物言いに入間は眉をひそめたが王馬は素知らぬ顔をしてみせる。もう一つの願いを促すと、入間は仰々しく咳ばらいをした。
「二つ目は……わ、笑うなよ?」
「爆笑してあげる」
「この童貞野郎!!短小!!包茎!!早漏!!」
「よく喋る肉便器だなぁ」
「ひぐぅっ」
 いつものやり取りだ。キスをしたからと言って、何が変わるわけでもない。突然恋に落ちるわけでもなければ、運命を感じるわけでもない。しかし嫌悪感を抱くかと言えば決してそんなことはないのだ。
「ほら、早く言いなよ。気が変わっちゃうかもよ」
 入間は気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして、王馬の眼を捉えた。覚悟を決めたような凛とした表情をしている。
「オレ様とデートしろ」
「……はぁ?」
「はぁ?じゃねーよ!!」
 予想だにしていなかった言葉に王馬は驚きを隠せない。デート。そんな甘美な響きが、自分たちの間で交わされるとは思いもしなかった。
「オレ様の初めてを奪っておいてデートの一つもできねーのかよ。マジモンの童貞かテメーは?童貞モンスターなのか??パンツも見たくせによー」
「下着の件はむしろ謝ってほしいくらいだけど、キスはキミからしてきたよね?」
「それはそうだけど!!」
 入間は唇を痛いほどに噛み、今にも涙が溢れそうに瞳を陰らせている。可愛らしいほどに機嫌を損ねてしまった彼女を元気づけるべく、王馬は努めて明るく振舞った。
「はいはい。デートね。今度の土曜日でいいよね?」
「勝手に決めんな!別にいいけどぉ……」
「入間ちゃんって友達いないから予定ないもんね」
 痛いところを突かれたのか入間は再び俯いてしまった。今度は彼女の手を取り、優しく語り掛ける。 
「……ちゃんとエスコートしてあげるから、楽しみにしてていいよ」
 そう望まれたからには一人の女性として扱ってあげなくてはならない。入間は目を丸くして、小さく頷いた。
「……もう帰る」
「うん」
「開発費のこと忘れんなよな」
 学内で気を付けてね、と言うのもおかしいためそれ以上は何も言わなかった。そそくさと部屋を出ていく彼女の後姿を見送り、王馬はこんなことになってしまった元凶を手に取る。
 ストレス解消のつもりだった。からかって、いじめて、辱めてやりたいだけだった。それがこんな形でゲームに負け、あまつさえデートの約束まで取り付けられるなんて自分らしくないと頭を振る。
 それでもやはり嫌悪感はなかった。王馬は片手で自分の心臓を抑えてまだ止まらない疼きを、動悸を感じ取る。これは好意ではないのだと、頭の中で唱える。勿論友愛でもない。
では、何か。一種の『興味』や『好奇心』なのかもしれないと可能性を探ってみる。きっと誰も知らない入間美兎の姿を見たから、自分の中にある好奇心が刺激されたのだ。
たかがゲームのためにファーストキスを賭けてしまえる、そんな勝負強さに興味をそそられただけにすぎない。王馬は自分を納得させて、ベッドに倒れ込んだ。そして冷たい指先で唇を撫でながら、苦笑する。
「……オレも初めてだったんだけどなぁ」
 恋なんて始まらない。運命なんかではない。そう言い聞かせながらも、王馬はデートプランを練り始めた。
彼女の笑顔を引き出せるような、完璧な計画を。