Princess Bride

王馬が入間の研究室を訪ねると、金髪の幼女がそこにいた。
実は彼女は薬のせいで子供になった入間だと分かり……。

注意
・幼児化
・DICEメンバーが出ます(性格等ねつ造しています)


 ここまでのあらすじ。
オレは超高校級の総統、王馬小吉。同級生かつ恋人の入間美兎と遊園地に遊びに行って、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。取引を見るのに夢中になっていたオレは背後から近付いて来るもう一人の仲間に気付かなかった。オレはその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら……。体が縮んでしまっていた!!
嘘だけどねー。遊園地には行ってないし、黒づくめの男の取引現場なんて目撃してもない。だから毒薬だって飲まされるわけがないんだ。それに、オレのことを狙う奴らがいたとしてもそんな目立ちやすい格好するお馬鹿さんは返り討ちにしちゃうよ!
でも、体が縮んだのはホントだよ。オレじゃなくて入間ちゃんだけど。ついでに言うと恋人なのもね。

せっかくの休日だっていうのに暇を持て余していたオレは何か事件が起こらないかと学園内をくまなく探索していた。だってこの学園には小説家兼殺人鬼や呪術で人を殺しそうな民俗学者、誘拐するには打ってつけの王女様、その上探偵は二人もいる。事件が起こらない方がおかしいよね。
そんなことを考えながら意気揚々と研究棟を闊歩していたら、遠くから子供の泣き声が聞こえた。
その一、暗殺者もとい保育士の春川ちゃんが子供を連れ込んで拷問をしている。
その二、イカれた性癖の持ち主こと花村ちゃんがついに犯罪に手を染めた。
その三、十神ちゃんと腐川ちゃんの隠し子。
三つの仮説を立てたオレは子供の居所を探るべく耳をそばだてながら、廊下を歩き始めた。三番目ならともかく前者二つは最悪だ。悪の総統といえど、子供が傷つくような展開は許せないからね。だって子供の命を助ける悪党ってみんな惹かれるでしょ?
でも、オレの推測は全部外れた。春川ちゃんも花村ちゃんも今日は出かけてるし、十神ちゃんが隠し子なんて作るわけないのだから当然の結果だった。
オレがたどり着いたのは入間ちゃんの研究室。分厚いドアの向こう側で女の子の泣き声が聞こえる。このドアを通してもはっきり聞こえるなんて相当な声量だ。まるで入間ちゃんが泣いてるみたい。
「……子供を実験台に何かやってるんじゃないのぉ。入間ちゃんだったらありえるし」
 侵入せざるを得ないよね、なんてそれらしい独り言をつぶやきながら得意のピッキングで閉ざされたドアを開けた。
 そこにいたのは金髪の幼女だった。かろうじてキャミソールを纏っているものの、ほとんど脱げかけていて真っ白な肌が露出している。児童ポルノだと叫びかけて、オレはぐっと堪えた。 
ほぼ全裸の幼女。床に座り込んで大声を上げて泣き叫ぶ姿はどう考えてもただ事じゃない。誘拐、人体実験、入間ちゃんの妹?脳内を不安が駆け巡る。幼女はオレに気が付いたのか、怯えた表情を浮かべて後ずさった。
「だれ?」
「えっと……」
「ここどこ?パパとママは?」
 言い淀んでしまったことがより不安を駆り立てたのだろう、幼女は再び火が付いたように泣き出した。咄嗟のことにオレも考えがまとまらないものの、彼女が座っている場所に入間ちゃんの制服と見慣れないが落ちていることに気が付いた。
 ド派手なピンクの制服に下着まで落ちている。さすがの入間ちゃんでも全裸で駆けだしていくわけがないだろうし……あるかもしれないけどそんな変態がいたら今頃誰かにしょっ引かれているはずだ。この学園には妙に規則に厳しい生徒が大勢いるからね。
 オレは眼前に広がる光景を見て、一つの仮説を立てた。この幼女は何らかの方法で体も思考も幼くなった入間ちゃんじゃないだろうか。
「おうちに帰りたいよぉ」
 オレは近くに置いてあった仮眠用のタオルケットで彼女の体を包んだ。突然触れられて驚いたのか、その可愛らしい顔を歪めてオレを睨みつけている。青色の瞳。ふわふわとした金髪。確かに入間ちゃんらしき特徴はある。オレは目の前の幼女を落ち着かせるために目線を合わせた。
「ごめんね。びっくりしたよね。パパとママは今お仕事をしてるんだよ」
「そ、そうなの?お仕事?」
「うん。大事なお仕事」
「そんなこと言ってなかったよ」
「急にお仕事になっちゃったんだって」
「……そっか」
「でもすぐに戻ってくるから大丈夫だよ」
 大人なら信じなさそうな嘘だけど、子供はとても素直だ。疑わしそうな目付きが徐々に崩れていきすぐに納得してくれた。怪しい人に騙されて連れ去られてしまいそうなほどちょろい。
「お名前言える?」
「いるまみう……」
「……入間美兎ちゃんね。何歳?」
 入間ちゃんは手を広げて五歳と言った。ちっちゃい手のひらはぷにぷにしていて触り心地がよさそうだ。
「そっかそっか。お名前ちゃんと言えて偉いねぇ」
「だ、だれですか?」
「オレは王馬小吉っていうんだ」
「お馬さん?」
 オレの名前を聞いて首を傾げる様子は絵画に描かれた天使のようだ。
「んー…惜しいな。王様に馬って書いて、おうまって読むんだよ」
「難しいよぉ」
「あはは。難しかったか。ごめんね」
「んー……お兄ちゃんは王様なの?」
 今の入間ちゃんは天才的な頭脳を手に入れる前の状態なのかもしれない。話し方も幼いし、普段の入間ちゃんなら間違ってもオレのことを王様だと勘違いするはずないからだ。
「そう、オレは王様なんだよ」
「ほんとぉ?!王様に会うの初めて!」
 オレの嘘に頬を紅潮させ、目を輝かせる様は新鮮で可愛らしい。いつもの入間ちゃんもこんな風に素直だったらいいのになぁ。
「王様だから、パパとママのことも知ってるの?」
「正解。王様は何でも知ってるからね」
 とりあえずこのままの恰好じゃかわいそうだ。それに何故こうなったか解明しないといけない。念のため体調も見てもらおう。お腹はすいているだろうか?
「家来を呼ぶからキミの服を持ってこさせよう」
 オレは今頃眠っているのであろう最原ちゃんに電話をかけ始めた。
 
 ***
  真新しい子供服を着た入間ちゃんに罪木ちゃんが聴診器を当てている。保健委員じゃなくてもはや医者だ。
「心音も正常ですぅ。じゃあ次はあーんして、お口の中を見せてくださぁい」
 入間ちゃんはそれに従って口を開けている。罪木ちゃんは口内を見ながら頷いていた。扉が開いてピッチャーと人数分のグラスを持って、東条ちゃんが入ってきた。
「入間さんの服は部屋にかけておいたわ」
「ありがとう。さっすが東条ちゃん!」
「それにしても困ったわね。子供のお世話はしたことあるけど……子供になってしまった人に接するのは初めてよ」
「オレもだよ。こんな漫画みたいなことが現実で起こるなんて、世界はホントにつまらなくよね!」
 オレは部屋の端で電話をしている最原ちゃんを見つめた。
部屋の隅に転がっていたボトルから心当たりのある人物を探して、電話をかけている。優秀な探偵さんだなぁなんて考えていたら罪木ちゃんがオレの元へやって来た。
「今のところ体に影響はないみたいです。ほ、本当はお医者さんに診せた方がいいんですが……」
「医師に診せるとなると、入間さんがこうなってしまった経緯も話さなくてはならないわね」
 東条ちゃんは深刻な表情を浮かべたものの、すぐに子供へ向ける笑みへと切り替わって入間ちゃんへジュースを手渡した。鮮やかな色のオレンジジュースを与えられた入間ちゃんは、よっぽど喉が渇いていたのか瞬く間に飲み干してしまった。
「もっとちょうだい!」
 東条ちゃんは優しく微笑んで、差し出されたグラスにジュースを注いでいく。東条ちゃんは優しいけど、入間ちゃんとオレに対しては少し厳しい。でもこんな風に優しくしてもらえるならずっと子供のままでいいんじゃないかな。
「みんなもどうかしら?」
 東条ちゃんに尋ねられた時、電話を終えた最原ちゃんがオレ達の方を向いた。
「花村君に連絡ついたよ」
「どうだった?」
「元超高級の薬剤師って分かるかな。ほら、僕らが入学した年に退学になった先輩」
「あぁ、木村さんだっけ」
「うん。あの人が調合した薬を飲んだみたい。ほら、このボトルにもKってサインがある」
 英語の薬名がついただけの簡素なラベルの隅に掠れかかったサインが見えた。こんな薬が作れるなんてオレの組織に来て欲しいな。
「元々、花村君が子供の味覚について研究するために作ってもらったらしいんだ」
「ふゆぅ。どういうことですかぁ?」
「記憶や知識は元のまま体だけ子供になる薬を望んでいたみたい。子供の味覚を大人の正確な言葉で伝えて欲しかったんだろうね。入間さんはその技術を応用して若返りの研究をしていたみたいだけど」
「ふぅん。二人でこそこそ何かやってると思ったら、そういうことだったんだね」
「でも、どうして入間さんは頭脳まで子供に戻ってしまったのかしら」
 オレ達の会話を不思議そうに眺める入間ちゃんを一瞥する。
「試薬だったんだよ。木村さんは自分で実験をしてから渡すつもりだったけど、せっかちな入間さんは試薬でいいからと欲しがったんだ」
「それで記憶も子供に戻っちゃったってわけだ」
 入間ちゃんらしい失態だ。本人があの(自称)天才的な頭脳を失ってしまったなんて知ったらこの部屋が沈むほど大泣きするだろう。
「い、入間さんはちゃんと戻るんですかぁ?」
「うん。ゴミ箱に薬に関するメモが捨てられてたよ」
 最原ちゃんから受け取ったメモ用紙にはこの薬を使う際の注意点が書かれていた。効果は約一日。腕力・体力等も幼少期の状態に戻る……など。入間ちゃんのことだから読まずに捨てたんだろう。白ヤギさんじゃあるまいし、ホントに仕方ない人だな。
「一日で戻るならそんなに心配しなくても大丈夫じゃないかな」
「そうだよ!ていうか入間ちゃんがこのままの方がみんなも快適でしょ」
 オレは声を潜めてそう囁く。彼氏のオレだって彼女のことを不快に感じる時もあるんだから、みんなは余計にそう感じるはずだ。
「そんな言い方は酷いですぅ」
「王馬君は入間さんとお付き合いしているんでしょう?恋人がずっとこのままでいいのかしら」
 なんだよ。オレが悪いみたいに言っちゃってさ。罪木ちゃんも東条ちゃんも入間ちゃんに散々迷惑をかけられてるんだから、いい子ぶらなくてもいいのに。
「ていうか王馬君も手伝ってよ」
 椅子から動かずにいるオレに最原ちゃんは呆れた視線を向けた。
「オレは王様だからねー。ねー、入間ちゃん」
 大人しくジュースを飲んでいるかと思ったら、椅子の上には空のグラスしかない。本人は座っていることに飽きたらしく、机の引き出しを開けてアダルトグッズを不思議そうに眺めていた。
「これ何ー?」
 グロテスクなバイブを手に取り、無垢な手でべたべたと触り始める。スイッチに触れたらしく突然震えだしたバイブがよほど面白いのか、入間ちゃんは笑い転げていた。
「あっ。入間さん、それは……」
 見かねた最原ちゃんが奪い取ろうとした途端、お腹のあたりに抱え込んで逃げだしてしまった。
「追いかけっこ!」
「ま、待って!」
 脚は速くないけど小さな体を活かして最原ちゃんの手から逃れようと走り回る。探偵には運動神経も必要だってつくづく思うよ。
「こ、これからどうするんですかぁ?」
「この部屋は工具もあるから怪我をするかもしれないわ。でも学園内は階段も多いし……あまり安全な場所とはいえないわね」
 体力のない最原ちゃんに子供は任せられないし、この二人も忙しい合間を縫って来てくれたんだ。そうなるとオレが入間ちゃんのお世話をするしかないよね。
「よーし、ここはオレが一肌脱ごう!」
 ちょこまかと走る入間ちゃんの前に立ち塞がりオレよりもずっと小さな彼女を抱きあげた。
「捕まえた!」
 入間ちゃんはきゃははと鈴が転がるような笑い声を上げてオレにしがみついてくる。細くて、軽くて、力強く抱きしめたら壊れてしまいそうだ。それに体からミルクみたいな匂いがする。
「これなぁに?」
 紫色のバイブを振りながらオレに尋ねてきた。そんな真っすぐな視線を向けられてもさすがに本来の意味は教えられない。
「それはねぇ。入間ちゃんをいじめるために使うんだよ!」
 瞬時に奪い取ったバイブを彼女の小さな体に押し付けた。変に隠したりしないで、テキトーな嘘をついちゃえばいいのに。最原ちゃんってホントに真面目なんだから。案の定入間ちゃんは楽しそうな悲鳴を上げて、腕の中でじたばたと暴れまわる。
「くすぐったいよぉ」
 細い手足をばたつかせる度に金色の髪が揺れた。素直で、擦れてなくて、まさに純真無垢な入間ちゃんはとても新鮮だ。薬に改良が加えられればこんな状態になることは二度とないかもしれない。だったら楽しまなきゃ損だよね。
「せっかくだし、外に連れてくよ」
「だ、大丈夫でしょうか……」
「入間ちゃんもお外行きたいよね?」
「お外?行きたい!!」
 もう興味は『楽しいおでかけ』に移っているらしい。入間ちゃんはオレの脚に捕まって催促してくる。
「王馬君、楽しそうだね」
「まぁねー。こんな入間ちゃん超レアじゃん」
「気を付けてね。何かあったら連絡してちょうだい」
「大丈夫大丈夫。だってオレは王様だからねー。この街の住人はみんなオレの支配下にあるんだよ!」
 入間ちゃんはオレを見上げて難解そうに眉を顰めた。言葉の意味を考え込む姿はあどけなくて思わず頭を撫でてしまいそうだ。ずっとこのままでいてほしいな。そうしたらオレが品行方正ないい子に育ててあげるのに。
「王様は強いってこと?」
「そう、オレはとっても強いんだよ。だから入間ちゃんのこと守ってあげる」
「うん!」
「そういう設定なんだ……」
 呆れたように目を細める最原ちゃんに向かってオレは目くばせをした。オレが王様なら入間ちゃんはさながらお姫さまってとこかな。キミが元の野蛮な性格に戻るまで、オレがエスコートしてあげるよ。
「じゃあ行こっか」
 手を差し出すと、彼女は輝かしい笑みを浮かべてオレの手を握ってくれた。小さな手。いつもみたいに骨ばった薄い手のひらではない。子供独特の柔らかさを感じて、悪いことをしているような気持ちになる。
「いってきまぁす」
「いってらっしゃい」
 三人にひらひらと手を振る入間ちゃんを連れてオレは研究室を出た。

  ***
 抜けるような青空の下をゆるやかな足取りで歩く。学園から電車で二駅。デパートや商店街が連なる比較的にぎやかなこの街は入間ちゃんの興味を惹きそうなもので溢れていた。
「さぁ、どうするお姫様?」
「おひめさま?」
「王様とお出かけできるんだからお姫様じゃないの?」
 世紀の大発見でもしたかのように目を丸くして、入間ちゃんは大声を上げる。
「そっかぁ!アタシお姫様なんだ!」
 さんさんと輝く太陽の下で幸せそうに笑う。建物のガラスで反射して映る光の粒が彼女をより輝かしく見せていた。入間ちゃんはワンピースの両端をつまんで静々と歩き出す。
「何してるの?」
「お姫様だから」
 見れば顔も心なしか澄ましている。隣を歩くお姫様を見守っていると突然困惑した表情でオレを見上げた。
「お姫様の服じゃない……」
 東条ちゃんが買って来てくれたものはストライプ柄のワンピースだ。確かにお姫様らしくはないかもしれない。オレは俯く入間ちゃんの前にしゃがみこんで、しょげかえってしまった瞳を見つめた。
「お姫様はどんな服着てるの?」
「ふわふわがついてて、ピンク色なの」
 ふわふわというのはフリルかレースのことだろう。ピンクが好きなのは昔から変わらないらしい。映画で見るようなドレスが着たいのかな。幸いにもこの街には子供服を取り扱っていそうなデパートがいくつかある。しらみつぶしに探していけば、入間ちゃんのお眼鏡にかなう服もあるはずだ。
「そうなんだぁ。じゃあ、デパートに買いに行こっか」
「でぱーと」
「うん。デパート知らない?」
 入間ちゃんは首を振って自信満々な顔で答えた。
「知ってるよ。でぱーとはなんでも屋さんでしょ?」
「あはは。すごいなぁ」
「すごいでしょ」
 胸を張る姿が微笑ましい。自慢の巨乳だってもはやまな板のようだ。頭を撫でてあげると入間ちゃんは満足気に頷いて駈け出した。
「早く!」
 お姫様は走らないんだけどなぁなんて野暮なことは言わないでおこう。ワンピースを翻して走る彼女を追いかける。笑いながら走る入間ちゃんはいくら子供になっているとはいえまるで別人で、なんだかいつもより物足り様な気持ちになった。……嘘だけどね。
 
 よく吟味して決めたドレスワンピース。レースのスカート部分が大きく広がって確かにお姫様のためのドレスのようだ。腰にはいくつもの花がついたリボンが結ばれている。
 せっかくだからと美容院で髪も結ってもらった。頭に被せられた造花の花冠がよく似合っている。日本人離れした顔立ちと相まって異国のお姫様のようにしか見えなかった。
服を選んだ後、パフェが食べたいという彼女の要望に応えてカフェに赴いた。服が汚れないように前掛けをかけたお姫様はおいしそうにいちごのパフェを頬張っている。口元についた生クリームを拭ってあげると、たどたどしい声で「よきにはからえ」と言った。そんな言葉どこで覚えたんだろう。時代劇でも見たんだろうか。
「王様は?」
「ん?」
 半分ほど食べ進めたパフェをもういらないと押し付けられたついでにそう尋ねられてオレは首を傾げた。
「王様はお着換えしないの?」
「オレはいいの」
「なんで?」
「クールビズ」
「くーるびず」
 子供の入間ちゃんは知らない単語を聞くと、分かりやすく困った顔をする。お姫様に合わせるならスーツやタキシードを着るべきなのだろうけど、そんなものを着たら暑さでどうにかなってしまいそうだ。
「涼しい方が好きなんだ」
「ふぅん」
興味なさげに瞬きをした彼女はペーパーナプキンを弄んでいたが、何やら思いついたらしく楽しそうに体を揺らしてオレの顔を見つめてきた。
「じゃあね、これあげる」
 白い花冠を頭から外してオレに差し出してくる。美容室で貰った時はあれだけ喜んでいたのに、オレに渡していいのだろうか。
「いいの?」
「王様は特別だから」
 特別。嬉しい言葉だけど、それに反して表情が曇っている。オレは首を振って入間ちゃんの頭に花冠を戻してあげた。
「ありがとう。でも、入間ちゃんの方が似合うよ」
「で、でも」
「気持ちだけ貰っておくね」
「それは、おきもちだけいただきますのやつ?パパがよく言ってる」
「うん。それだと思う」
「じゃあしかたないね」
 両親が話しているのを聞いたのだろうか。入間ちゃんは納得したように頷いて頭の花飾りを大切そうに触った。器の底にシロップを残さずにパフェを食べる方法を思案していると、今度は腕をつつかれる。子供の動きは予想以上にせわしない。
「特別だからねぇ、アタシのことも名前で呼んでいいよ」
「いいの?」
「仲良しのお友達はみんなアタシのこと名前で呼ぶよ?あかりちゃんも、ななちゃんも……」
 指折り数えて名前を呼びあげる。あの性格になる前は友達もいたらしい。初対面とはいえオレのことをかなり気に入ってくれてはいるらしい。期待を込めた視線を向けられれば応えたくなるのが人間というものだ。
「……美兎ちゃん」
 囁くように名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに目を見開いた。興奮しているのか頬が桃色に染まっている。こういう分かりやすさは子供の時から変わらないみたいだ。名前で呼ぶのは、これが初めてだ。声が震えていなかっただろうか。
「じゃあさ、オレのことも名前で呼んでよ」
 どうせなら彼女にも名前を呼んでほしい。今より少しだけ高くて甘やかな声で、オレに囁いて欲しい。しかし入間ちゃんはオレの名前を完璧に覚えられなかったみたいだ。
「お、お……お馬さんのお兄ちゃん」
「お兄ちゃんでいいよ」
「……お兄ちゃん」
 おどおどとそう言った彼女の頭を撫でて、オレは微笑みかける。お兄ちゃん。ロリコン趣味はないつもりだったけどなかなかいい響きだ。つい顔がにやけそうになるのを堪えて、オレは次のプランを決めることにした。
「美兎ちゃんはどこに行きたい?お買い物する?」
「んー……お買い物はやだ」
「やなの?じゃあ、映画とか見る?それとも水族館行く?デパートの中にあるからすぐ行けるよ」
 入間ちゃんはもうデパートに興味を失ったのか、少しふてくされたような顔をして首を振った。どうしてこんなふうに興味の移り変わりが激しいのだろう。子供だからなのか、元々そういう性格なのか。いずれにしろ今の入間ちゃんへの繋がりを感じる。
「遊園地」
「ん?」
「遊園地行きたぁい」
 入間ちゃんはオレに抱き着いて、そうねだった。甘えた声に上目遣い。自分の可愛さを理解しているからこそできるおねだりに舌を巻いた。
「遊園地か……」
 時計は二時を指している。休日だから混んでいるかもしれないが、少しならアトラクションも楽しめるかもしれない。
「うん。行こっか」
「ほんとぉ?!」
さすがに子供相手に嘘はつけない。もしここで嘘だよなんて言ったら、泣かれてしまいそうだ。ホントだよ、と優しく呟くと渾身の力を込めて抱きしめてきた。
「えへへ。お兄ちゃんありがとうー」
そう簡単に抱き着いてしまっていいのだろうか。いつもの入間ちゃんとは違う、凹凸の少ない体に悪いことをしている気分になり抱きしめ返すのを控えてしまう。
「ドレスが皺になっちゃうよ?」
 そっと引きはがして伝票を取った。気が変わらない内に遊園地に行かなくては。入間ちゃんがどこか不服そうな顔をしたので、もう一度頭を撫でてあげた。

 ***
 予想通り遊園地は人であふれていた。エントランス付近にある電光掲示板を見ると、待ち時間が表示されている。絶叫系は数時間待ち。身長と年齢の制限があるから、乗れるものは限られているだろう。
 マスコットキャラクターであるうさぎが大きく書かれた子供向けのエリアを指さした。
「ここにいこうか」
「らびちゃんいる?」
「いると思うよ」
 ラビィと名付けられたうさぎが各エリアを回ってグリーティングを行うらしい。入間ちゃんは可憐な花のような笑顔を見せ、駈け出した。こんな場所では迷子になってしまうに違いない。
「待って!手を繋がない?」
 早く行きたいらしい入間ちゃんはその場で足を踏み鳴らす。お姫様じゃなかったのかな。オレはその場にしゃがみ込んで、恭しく手を差し出した。
「お姫様、お手をどうぞ」
 入間ちゃんは頬を染めながら手を握ってくれる。
「よきにはからえ!」
「それはどこで覚えたの?」
「にこにこハッピー」
 入間ちゃんが好んで見ている幼児番組の名前に、昔から好みは変わらないんだなと安心して、目的のエリアへと向かったのだった。
 家族連れで賑わうキッズエリアを、入間ちゃんはかなり楽しんでいるようだった。ジェットコースターを降りて開けた場所に出ると、ちょうどグリーティングが始まったところだった。水兵服を着たうさぎが子供たちに囲まれている。
「らびちゃん!!」
 子供とは思えない力で引っ張られ、囲う子供たちに混ざり込んだ。うさぎの耳をつけている子供が目立ち、羨ましいのか入間ちゃんはしきりに周りをきょろきょろし始めた。
「カチューシャ、あとで買いに行こうか」
「……いいの?」
「勿論」
 ありがとう、という元気な声。こんなに素直な入間ちゃんは珍しいからもっと優しくしてあげたくなる。
 年相応にはしゃいで、素直に感情を表して、着ぐるみが生きていると信じて疑わない。そんな彼女が愛おしくてたまらなくなるのに、ほんの少しの寂しさも感じてしまうのは確かだった。
うっすらとした寂しさを感じつつも、遊園地で過ごす一日は外の世界より速い速度で時間が経過していく。非現実的な世界に夢中になっている内に、気づけば陽が沈み始めていた。パレード見物へと向かう人々に紛れて歩みを進める。地面を踏むたびに、うさぎの耳が揺れて可愛らしかった。
「パレード見る?」
「んぅ」
 今にも解かれそうな手をしっかりと掴む。それに対して、入間ちゃんは手元のぬいぐるみを力強く握った。うさ耳のカチューシャと一緒に買った、ラビィのぬいぐるみ。しかしそれを離さないようにすることが最優先で、他に意識は行かないらしい。足元もおぼつかなくなってきた。
「美兎ちゃん、おんぶしてあげる」
「……うん」
 人の波から外れてしゃがみ込むと、緩慢な動作で背中にしがみついてくる。当然のことだけど、驚くほど軽かった。身長も百センチを少し超えるくらいしかない。体重だってオレよりずっと軽いのだろう。押し付けられた胸元もまな板のように平らだ。こんなに小さな子が、グラビアアイドル並の体へと成長するなんて女の子は不思議な生き物だ。
 エレクトリックな音楽が聞こえて、周囲の人々が沸き始めた。パレードが始まったらしい。
「始まったかな。ごめんねー。オレ、背が低いからよく見えないよね」
 背中越しに首を振るのを感じる。見ている余裕もないくらい疲れているのかもしれないが、感嘆の声が聞こえた。立ち止まる人々の間を縫うようにして歩き、出口へと向かう。
「わー。お姫様、綺麗だね」
数メートルはありそうな巨大なユニコーンに跨り、顔立ちの整った女性が手を振っている。きらびやかなネオンを浴びて、金色の髪が輝いていた。それがまるで入間ちゃんのようで、ぼうっと見惚れている小さな手がオレの鎖骨のあたりを叩いてくる。
「なぁに?」
「アタシの方がきれいだもん」
 子供ながらに嫉妬しているのだろうか。
「……そうだね。美兎ちゃんの方が、綺麗だよ」
 安心したのか、何かしゃべろうとしても徐々に語尾が消えていき、規則正しい寝息が聞こえ始めた。人々が立ち止まり美しい姫君とパレードに目を向ける中、オレ達は遊園地を抜け出して帰路についた。
 しかし、首尾よく学園に帰れるわけではなかった。希望ヶ峰学園まであと二駅というところで入間ちゃんは目を覚まし、そこからが大変だった。
 寝ぼけながらもオレの背中から降りて、まだ帰りたくないとごねる。電車の中ではなだめきれないとその場で降りて、駅のホームであやしたはいいけど、最終的に泣き始めた入間ちゃんを抱きかかええて繁華街を歩き回る羽目になったのだ。
 学園の門限は十時。あと二駅とはいえタイムリミットは一時間を切っている。元々高校生とはいっても、子供の体で無理をさせるのは忍びなかった。手を握る弱弱しい力に不安を感じ、居酒屋の派手な看板を見つめる彼女に目を向ける。
「……美兎ちゃん。帰らない?」
 首を振り、歩みを進める姿にオレは頭を掻く。散々遊んだはずなのにまだ体力が残っているって言うのか。入間ちゃんは薄暗い路地を覗き込み、様々なネオンが自己主張をするのを見て目を輝かせている。確かここはホテル街だったはずだ。止めようとしても、入間ちゃんは人々を誘う外装に目を奪われている。
「み、美兎ちゃん。ここじゃなくて、どこか別のところに――」
「あっ。お城!!」
 入間ちゃんはオレの言葉を遮るようにして、目の前を指さす。そこには北欧の古城を彷彿とさせる建物がそびえたっていた。怪訝な表情で周囲を見回すと休憩・宿泊と書かれた看板を発見し、こんな外装も客を誘うための手段なのだと思い知らされる。
「美兎ちゃん、帰ろう?」
「どうして?」
「どうしてって。美兎ちゃんは今日、泊まる場所があるでしょ?」
「お城じゃなきゃやだぁ……」
 今にも泣きそうな顔でぐずる入間ちゃんにオレはハッとした。今日は完全にお姫様として過ごすつもりなのだ。戸惑っている内に入間ちゃんはエントランスに向かって駈け出していった。どこか気だるげに開いた自動ドアの間から、クラシックが流れてくる。作曲家たちもこんな下世話な場所のBGMに使われたくなかっただろう。
「こら!!いい加減にしなさい!!」
 つい口から出た言葉にフロント係が顔を出したが、見慣れた顔にオレは目を丸くしてしまった。
「総統?」
 ワックスでスタイリングされた、まぶしいくらいの金髪。眠そうな顔つき。そして何よりオレを総統と呼んだこと。間違いなく部下だった。
「なんでここにいんの」
「それはこっちのセリフだよ」
「俺はバイト。ここの経営者と顔見知りでさ」
 表向きにはフリーターだというこの男は職を転々としている。オレはタイミングの悪さを呪った。軽薄そうな瞳を入間ちゃんに向けて、眉に皺を寄せる。
「……あ?何、その子。誘拐?」
「ちがう」
「児童ポルノ案件か」
「おい」
「あんたの性癖に興味はねーけど、さすがに幼女はなぁ。あ、警察呼んでやろうか?駅前に交番あっから、すぐ来るぜあいつら」
「ふざけんな!!」
 へらへらと笑いながら困らせることを言う部下にオレは顔をしかめた。的確に嫌な言葉を投げかけてくる。さすがに人の様々な表情が見たいという理由で、裏カジノのディーラーを本業にしているだけあるよね。性格の悪さはDICEの中でもずば抜けてる。
 奴はフロントから窮屈そうに身を乗り出して、怯えるような所作を見せる入間ちゃんに微笑んだ。
「この人に嫌なことされてない?」
「……されてないよ!」
 そう答えた入間ちゃんは奴の粘ついた視線から逃れるようにオレの背後へと隠れる。へぇ、というつまらなそうな返事が聞こえてフロントのドアが開いた。
「部屋は開いてるけど、あんたはいいのかよ。他人がヤった場所に子供泊めるのってキツくねーか?」
「それは、まぁ……」
 オレの服を握ったまま微動だにしない入間ちゃんを一瞥し、こいつに真実を話すことに決めた。年齢を操作できる薬が実在するなんて本当に信じがたい話だけどね。
 これまでの経緯を説明すると、目の前の男は訝しみながらも納得してくれた。口も性格も悪いけど、物分かりはいいのがこいつの長所だ。顔見知りだという経営者に連絡を取ると、あっさりと承諾してくれた。
「お城に入れる?」
 待ちくたびれてしまったらしく、催促するようにオレの脚を叩いてくる。その力の弱さにオレがこの子を守らなくてはという庇護欲が強まっていった。
「入れるよ。ごめんね、疲れちゃったよね」
「ううん。大丈夫……」
「念のため清掃入れるから少し待ってろ。あ、その子の着替えとか持ってんの?」
「……持ってない」
 寄宿舎に帰るつもりでいたのだから、下着類は一切持っていない。つい悩まし気な顔をしてしまったのだろう、やれやれと頭を振って奴はからかうように笑った。
「じゃあ、うちの誰かに持って来させろよ。あんた、その子のことで頭がいっぱいみたいだな」
 言い返そうとすると逃げるようにスタッフルームへ入ってしまった。奥から誰かと話している声が聞こえる。入間ちゃんはオレの脚にしがみついて、まだかなぁと独り言を呟いている。メニューパネルのライトはほとんど消えていて、このホテルの中で人々が愛し合っている事実が愛おしい。
 入間ちゃんとは、あまりこういう場所に来たことがなかった。高校生は入店を禁止されているし、彼女はともかくオレはどう見ても大人には見えない。だからセックスをする時はどちらかの部屋が多かったのだけれど、初めてラブホテルに入った時の入間ちゃんの興奮した様子は忘れられない。
 SMが楽しめるというコンセプトの部屋で、真っ赤な拘束具や使ってくださいと言わんばかりにベッドの上に置かれた枷。人の欲望が押し込められた部屋に入間ちゃんは頬を紅潮させ、セックスそっちのけで写真を撮っていた。勿論やることはやったけどね。
 法律は守れよなんて冗談と共に鍵を渡されて、オレ達はエレベーターに乗り込む。そんなものはオレもお前もとっくに破ってるのによく言うよ。さすがにこんな小さな彼女に手は出さないけどさ。
 新設のホテルなのだろうか。汚れがほとんどない真っ白な扉を開け、明かりをつける。ピンク色の照明に目をすがめながら部屋を見回すと、そこはまさにお姫様が住まう一室だった。
 装飾が付いた革張りのソファ。レースがたっぷりついたピン色の天蓋ベッド。バスルームへ続くドアや壁にもレースをモチーフにした装飾が施され、おまけにシャンデリアまでついている。
「わーーっ!!お姫様のベッド!!」
 オレは思わず感嘆のため息を漏らし、駈け出した入間ちゃんはベッドへと飛びこんだ。小さな体がピンク色のベッドに沈み、スプリングを軋ませる。遊んでいたいだろうけど、おお風呂に入ってもらわないと困る。わざわざ着替えまで持ってこさせたんだから。信じられないような顔をしてオレ達を交互に見つめた、背の低い彼女のことを思い出すとつい笑ってしまう。
「あっ。手洗わなきゃ……」
 思い出すように言ったことが、よく躾けられていることを伺わせる。その習慣は高校生になっても変わらないようで、手洗いうがいは欠かさないし、基本的には早寝早起きも守っている。発明に熱中しているときは別だけどね。
 しかしこの部屋がよほど気になるらしく、洗面所に連れて行ってもずっとそわそわしている。
「お風呂沸かすね」
返事はなかった。もう洗面所から飛び出して、部屋を探索しながらうさぎのぬいぐるみに向かって話しかけている。未だ頭につけたままのうさぎの耳が揺れている。子供の彼女には欲情しないけど、あの時と変わらず興奮する姿は懐かしさを思い起こさせた。
清掃を入れた際にアダルトグッズの類は片づけてくれたらしく、ただの可愛らしいホテルにしか見えない。安心して部屋に戻ると、入間ちゃんは目を丸くしてテレビを見ていた。
食い入るように見つめる画面の先には裸で交わり合う男女の姿が映っている。
「ダメ」 
 考えるより先に手が動いた。リモコンを奪い取り、適当にチャンネルを回す。人気のバラエティ番組に切り替わり、オレは安堵のため息をついた。
「……どうして?」
「どうしても」
 怯えた表情で距離を取られ、彼女を怖がらせてしまったことに気が付く。ごめんね、と呟いて汗で濡れた髪を撫でた。
「パパとママもしてたよ?仲良しの人がするんでしょ?」
 悪いことじゃないのに、とでも主張するような声色。確かに悪いことではないけれど、今の彼女にとっては教育に良くない。犯罪者のオレが教育云々を気にするなんて思わなかったな。
「パパとママは結婚してるでしょ」
「けっこんしてないとダメなの?さっきの人たちもけっこんしてるの?」
「……うーん」
「なんでダメなのー」
 妙に追及してくる入間ちゃんから逃れるべく、オレは再びチャンネルを変える。子供の頃に見ていたアニメが映り、手を止めて入間ちゃんを促した。
「ほら、このアニメ面白いよ」
「面白くない!」
「怒ってるの?」
「お兄ちゃんが答えてくれないから」
 唇を尖らせる彼女も可愛らしいけど、出来れば機嫌を直してほしいな。オレはベッドに寝かされたぬいぐるみを手に取った。
「ごめんね?」
 オレの言葉を聞いてくれないなら、この子を通せばいい。予想通り入間ちゃんの表情は和らいだ。
「答えられないこともあるんだよ」
「……知らない」
 そっぽを向いた彼女にぬいぐるみを近づけるとくすぐったそうに身をよじった。
「許してくれないかな」
「……やだ」
「……悲しいなぁ」
「ゆるしてもらえないとかなしい?」
「うん。美兎ちゃんもそうじゃない?パパとママがずっと怒ってたら悲しいでしょ?」
 両親が怒っている姿を想像したのか、さっと青ざめて俯いてしまった。
「かなしい……」
「でしょ?オレも美兎ちゃんが許してくれないと悲しいんだよ」
「うん」
「許してくれる?」
「……よきにはからえ」
 きっと、許してくれるという意味なのだろう。
「ありがとう」
 オレはそう言いながら、入間ちゃんの手を取って甲に口づけをした。小さくて、真っ白な手。あの薬の効果はすさまじいものだ。手についていた傷跡も消えてしまっている。だからこそ、少し寂しいのだ。入間ちゃんが発明家であったことの証が見当たらないのだから。
「チューしたの?」
「そうだよ」
 手の甲へのキスは敬愛の意味があるのだと、彼女と一緒に観た映画で知った。お姫様に敬意と感謝を示す意味を込めて、キスをしたんだけど。入間ちゃんは顔を赤くして、何度も瞬きをしている。その度に金色の睫毛が揺れるから見惚れてしまう。神様が一切手を抜かずに作った女の子ってこんな感じなんだろうな。
「……お風呂沸いたかな。一人で入れる?」
「入れない」
「ん。じゃあ、一緒に入ろっか」
 一日中歩き回ったおかげで、体中汗でぐしょぐしょだった。
バスルームも部屋と同じく可愛らしいデザインで、入間ちゃんは気に入ってくれたようだ。バスチェアに座らせて、金色に光る髪を触る。よく手入れされた艶やかな髪。付き合い始めてから飽きるほど触ってきたけど、子供の頃と手触りはあまり変わらない。
「熱くない?」
「うん」
 ぬるめの温度に設定したシャワーを浴びせると入間ちゃんは目をつむった。本来ならブランドもののシャンプーを使うべきなんだろうけど、今日は我慢してもらおう。
 そういえば、入間ちゃんはこうして髪を洗ってもらうのが好きだったな。部屋のシャワールームは二人で入るのには狭くて、オレは苦手だったけど。
「体は……自分で洗う?」
 リンスのバラの香りが鼻をつく。入間ちゃんは小さく首を振った。
「じゃあ、失礼します……」
 申し訳ないような気持ちになりながらも、オレは泡まみれのボディタオルで彼女の体を洗い始めた。どこもかしこも白くて、細くて、神聖なもののようにさえ感じる。胸元へと手を回して優しく洗うと、入間ちゃんは身をよじった。
「んっ……」
「くすぐったい?」
「う、うん……。あっ、やだぁ……」
 変な気を起こしそうになったから手早く終わらせることにした。子供の体、子供の声。それなのにどうしてこんなにオレを興奮させるんだろう。
「お兄ちゃんに洗ってもらうと、なんかドキドキする……」
「……そ、そう」
 そんなことを言われたらオレがドキドキしてしまう。いつもの入間ちゃんだったら絶対に言わない言葉だ。敏感な部分にはあまり触れないように洗い終えると、入間ちゃんは楽しそうに振り向いた。
「アタシも洗ってあげる」
「え……」
 その善意を無下にするわけにもいかず、オレは背中を流してもらうことにした。親にもそうしているのだろうか。入間ちゃんは鼻歌を歌いながら、気持ちいい?と尋ねてくる。
「気持ちいいよ」
「えへへ。嬉しい」
 柔らかなタオルが滑る感覚が心地よかったけれど、突然それが止まった。どうしたの、と言う前に彼女がオレに抱き着いてくる。背中越しに伝わる心音と、高い体温。
「お兄ちゃん……」
「どうしたの?」
「ドキドキしてるの、分かる?」
「分かるよ」
 腰に手を回して、柔らかい体を押し付ける彼女は可愛らしい幼女ではない。淫靡な女性そのものだ。
「どうして。どうして、お兄ちゃんと一緒だとドキドキするの」
 あどけない声でそう尋ねられてもオレには分からなかった。彼女の脳が、高校生だった時の記憶を覚えているからなのか、体が自然と反応するのか、非日常的な体験から来るものなのか、オレには分からない。分からないけれど、オレに好意を抱いてほしいとは思っている。ただ、こうして密着していると変な気分になってくるから離れて欲しいな。そうは言っても質問に答えてあげないと、また怒ってしまうかもしれない。
「……あとで教えてあげる」
「後で?」
「うん。それじゃダメ?」
「……いいよ」
 するりと腕を離したのを見計らって、彼女にシャワーを浴びせかける。入間ちゃんはきゃあと悲鳴を上げたものの楽しそうに顔を覆った。
「ほら、美兎ちゃんも泡だらけになっちゃったじゃん。流してあげる」
 抱き寄せた体の小ささに、こんな子供に欲情しそうになった自分を心の中で戒めたのは秘密だ。

 ラブホ特有のジャグジーとレインボーライトは、入間ちゃんを大いに楽しませたらしい。入浴中も髪を乾かしている間もずっと、自宅のああいうバスルームがあればいいという話をしていた。オレはバラの香りを漂わせる金髪を乾かしながら、いつかそんな家を建ててあげる未来を想像していたんだけど、入間ちゃんは知る由もないだろう。
 天蓋付きのベッドは二人で寝るのにも十分すぎるほど広い。クラシカルなレースがピンク色の光を遮って、まるで二人だけの秘密の小部屋にいるかのようだ。
 眠いのに眠りたくない。そんな表情でうとうとする入間ちゃんは可愛らしくてたまらない。ぬいぐるみを抱く手が緩んではまた握り返す、些細な動作さえ愛おしい。このままずっと見つめていたいけど、朝からずっと感じていた寂しさが募ってきて仕方なかった。
「……美兎ちゃんがドキドキする理由、教えてあげようか」
「ん……おしえて……」
 目を開けることすら上手くできない。今すぐにでも眠ってしまう彼女になら、この寂しさを打ち明けられるはずだ。
「オレのこと好きだからだよ」
「すき……?」
「そう。好きだから、ドキドキするの」
 彼女の胸元に手を当てると心拍数が上がるのを感じた。キミがどんな姿であってもオレのことを好きでいてほしいと思うのは、悪いことだろうか。
「そっかぁ。お兄ちゃんのこと、すきだからドキドキするんだ」
 合点がいったように、穏やかな笑みを見せる入間ちゃんをオレはそっと抱きしめる。体温が上がって、湯たんぽみたいに温かかった。
「王様なのに、すきになってもいいの」
「うん。オレのこと、好きになって」
「……お兄ちゃんは、アタシのことすき?」
「好きだよ。……大好き」
 耳元で囁くとくすぐったそうに笑う。そして眠たそうに、深く瞬きをしてオレの頬を撫でた。
「さっきの、しないの……?」
「しないよ」
 テレビの中で見た、男女の性交のことを思い出す。
「すきなのに?」
「好きだからしないんだよ」
「どして?」
 好きだから大事にしたいとか、好きだから傷つけたくないとか、キミは高校生になってもあまり理解を示さなかった。セックスや、好意を示す直接的な言葉だけが愛情だと信じていたから。
「例えば、楽しいけど怪我をしちゃう遊びがあったら美兎ちゃんはどうする?」
「こわいかも……」
「怖いでしょ。あれはね、それと同じなんだよ。楽しいけど、傷つくかもしれない。痛いかもしれない」
「そっか……。いたいのは、やだな」
 少し怯えたような声でオレに抱き着く彼女からはバラの匂いがした。その小さな体を抱き寄せて、背中を撫でてあげる。こんなにか弱そうな少女が、あの豊満な肉体を手に入れて、その上オレに抱かれてくれるなんて信じられないな。
「……でも、美兎ちゃんが大人だったら、もっと体も大きくて頑丈だったらどうする?」
「大人だったら……するかも。大人はなんでもできるし」
「ふふ。だから、大人になったら出来るようになるよ」
 そっかぁと、言った入間ちゃんの声がほとんど聞こえなくてもう睡魔が限界なのだと知る。音が飛んだCDのように、ぷつぷつと途切れながらも言葉が届いた。
「おとな……なっても、アタシの……すきでいてくれる?」
「うん……約束する。ずっとずっと好きでいるよ」
 もうほとんど眠りに落ちている彼女が薄く微笑んで、はつこいだねと言った。そのまま規則正しい寝息が聞こえ始め、それにつられてオレにも眠気が訪れる。
そういえば彼女が薬を飲んだのは何時だろう。チェックアウトは十二時だ。薬の効果は一日だったはずだから、切れる前に寄宿舎へ帰らなければならない。
 寄宿舎、という単語にオレは大切なことを思い出した。外泊届を出していないのだ。慌てて携帯を見ると、最原ちゃんから二通のメッセージが来ていた。一件目は時間内に帰って来られるのかという確認。二件目はオレと入間ちゃんの名義で外泊届を出しておいたと言う内容のものだった。さすがは最原ちゃん。オレの組織に来て欲しいくらい優秀だ。
 でも、オレが必要なことを忘れるなんて珍しいことなのだ。それくらいこの子に必死だったってことなんだろうな。オレは目の前で眠る少女を見つめた。
キミは大人になったら、今よりもっと美しくなって、唯一無二の才能を手にする。その代償みたいに恐ろしく性格が悪くなってしまうんだけど、今ならその性格さえ愛おしい。破天荒で、予想がつかなくて、世界中が驚くような発明をやってのける、キミはとても魅力的な女の子に成長するんだよ。
「オレはやっぱりそんな美兎ちゃんが好きだな」
 すやすやと眠るお姫様の前髪をかき分けて、小さな額にキスをした。おやすみ、お姫様。今度はオレの方からキミの名前を呼べたらいいな。そう願って、オレは瞼を閉じた。

   ***
 目を開けると、真っ白なカーテンのような布が目に入った。体が重い。目だけを動かして辺りを見回すと、寄宿舎ではないことだけは分かった。ゆっくりと上半身を起こすと、自分が何も身に着けてないことに気が付く。ベッドの周りには布切れが散乱していた。女児向けの服のようなそれを拾い上げて、アタシは思わず首を傾げる。
そして、横には恋人である王馬が眠っている。ということは、ここはラブホテルの類なのかもしれない。この人はアタシのことを無理やり犯すことなどないから、何か事情があって来たんだろう。
昨日ことを思い出してみる。アタシは確か、元超高校級の薬剤師――木村という女からもらった薬を飲んだはずだ。子供になれるというその薬を飲んでからの記憶は曖昧……というよりも皆無に等しい。そういえば、あの女がちゃんと説明書を読むようにとかなんとか言っていた気がする。これはアタシのミスだ。この、せっかちな性格が祟ったに違いない。
詳しい話を聞こうと王馬を揺すってみたものの、一向に起きない。いつもはアタシよりも早く起きているのに珍しいこともあるものだ。
「王馬。起きて。ねー。起きてってば。……起きろこの短小野郎!!」
 脇腹を思い切り蹴り飛ばすと、王馬は呻きと悲鳴が入り混じった声を上げて飛び起きた。
「今、何時……?美兎ちゃ……うわっ戻ってる!!」
「うるっせーな!!声でけーんだよ!!」
 王馬はアタシの裸体を眺めて、遅かったかぁと額に手を当てた。
「……キミが元の体に戻る前に帰る予定だったんだけど」
そんなことを言われてもアタシには分からない。とにかく今は体がだるくて仕方ない。喉も乾いている。冷蔵庫の中にあった水を飲んで、アタシはやっと息ができた気がした。
 ぼうっとする王馬をよそに部屋を探してみても、アタシに合うサイズの服は見当たらない。とりあえずバスローブを羽織って、袋の中に入っていた子供服を引っ張り出してみる。可愛い、お姫様みたいな服だ。王馬が選んでくれたのかな。アタシが欲しがったのかな。どちらにしても、恥ずかしい。だって普段のアタシはこういうものは選ばないから。
 子供の頃はお姫様になりたかった。なれると思っていた。でも、成長するにつれてお姫様ではいられないと知って諦めたんだ。希望ヶ峰学園で「本物」を見た時は、負けたと思った。どこにいたって後光がさしているような神聖さをたたえた彼女を見て、血に勝るものはないのだと思い知らされた。
 ピンク色のドレスワンピースを袋の中にしまって、アタシはため息をつく。昨日は何をしゃべったんだろう。どこに行ったんだろう。アタシは失敗しただろうか。王馬に嫌われることをしていないだろうか。
「ごめん。キミに合う服を買って来るよ」
「どこで」
「駅ビル。あと三十分もすれば開くでしょ」
 時計を見ると十時半を指していた。チェックアウトまで余裕があるのだろうか。そんなことよりもこの場所と、アタシ達がいる理由を知りたい。
「……そうかよ。つーか、ここどこだよ」
 ベッドに腰かけて王馬を見やる。学園から二駅離れた街の名前を言われ、アタシは小さく頷いた。ついでに小さくラブホテルだよと言ったのも聞き逃さない。
「昨日のこと覚えてないよね」
「覚えてねーな。でも、あの薬は効果あったんだろ?」
「うん。あの人……木村さんだっけ。すっごいねー。オレの組織に欲しいくらいだよ」
「……オレ様は昨日、何をしたんだ?」
「何って?」
「オメーが一日一緒にいてくれたんだろ。あっ、まさか持ち前の変態性を発揮してオレ様にあんなことやそんなことを……?!」
「やっぱ向こう一ヶ月は子供のままでいて欲しいなぁ」
 やれやれと頭を振った王馬は、アタシの隣に座って別に大したことはしてないよと呟いた。服を買い、遊園地に行き、アタシの希望でこのホテルへ泊まることになったという。差写真も何枚か見せてもらった。子供の頃のアタシも綺麗だ。ただスタイルは子供のそれだから、欲情する方が難しいだろうな。こんな美少女とデート出来たんだから、この小男はひれ伏して喜ぶべきだっての。
入間ちゃん・・・・・、可愛かったよ」
「はぁ?!今も可愛いだろうが!」
「性格の話だよ」
 性格。あの事故以来、アタシの性格は変わったとよく言われる。自分でもそう思うし、パパもママもなんだかアタシを持て余しているような感じだった。だから実家には少し居づらくて、寄宿舎があると聞いた時にはホッとした。
 王馬は、アタシのこの面倒くさい性格が嫌いだったのだろうか。本当は子供の頃のように素直な子が好きなのだろうか。
「……子供の頃の方が良かったのかよ」
「うん」
 はっきりとそう告げられ、アタシは思わず掴みかかる。
「じゃあなんでオレ様なんかと付き合ったんだよ!」
「嘘だよ!!……どっちがいいとかないから。入間ちゃんは入間ちゃんだし」
「……それが嘘だろ」
「何。珍しく自信喪失してるね。アタシなんか、なんて言う性質だっけ」
「うるせーな」
 手の力を緩めた途端、王馬がアタシの肩を抱いてそのままベッドに倒れ込んだ。眠そうな表情で、何落ち込んでるのなんて微笑む。
「素直な女の方が好きなんだろ」
「拡大解釈しすぎ。そんなこと誰も言ってないでしょー?」
 優しく頬を撫でられて、思わず目をつむる。この人の温かい手で触られるのが好き。優しく撫でられると、動物が甘える時のような声が出てしまう。
「入間ちゃん、可愛い」
「……う、ぅ」
「それに、ベッドの中では素直でしょ?」
「オッサンみたいなこと言うな」
「酷いなぁ。本気でそう思ってるんだけど」
 からかうような笑顔を向けられて、何を考えているのか分からなくなる。心臓が高鳴っていく感覚。アタシは王馬の笑顔に弱いのだ。全てを照らす光のような、そんなあたたかな笑み。愛おしくてたまらなくなる。
「……素直じゃない入間ちゃんじゃないと、ダメなんだよ」
「な、んだよ……それ」
「ちゃんと言わなきゃ分かんない?天才のくせに察しが悪いなぁ。素直でかわいいだけのキミじゃ物足りないってこと!」
 力強く抱きしめられて、アタシの鼓動が跳ね上がる。嘘だよと続かないことに安心して腕の中で頷いた。こんなに、めんどくさいアタシなのに、それでいいって、そうじゃなきゃ物足りないって言ってもらえる幸せ。王馬に抱きしめられながらアタシは全身でその幸せを感じている。
「……ねぇ、名前で呼んでもいいかな」
「名前で……?い、いいけど。恥ずかしい」
 頬が熱くなる。今までずっと苗字で呼び合って来たのに、下の名前で呼び合うなんて、恋人同士だと再確認させられるようで緊張してしまう。しかし、王馬はにやにやと意地の悪い表情を浮かべた。
「恥ずかしいんだ?昨日はあれだけ、名前で呼んでっておねだりしてきたのに」
「そ、そんなこと言ってたのかよ?!」
「そうだよ。あー、可愛かったなー」
「黙れ!!オメーのことだからまた嘘なんだろ!!」
「どうかなー」
 突き放そうとしても、王馬の方が力が強くて上手くいかない。そのまま腰に手を回され、体が震えた。
「美兎ちゃん」
 聞こえてしまいそうなほどに鼓動が高鳴って、体中に血が巡っていく。たった数文字のその響きだけでこんな風に体の制御が利かなくなるなんて。もっと呼んで欲しい。王馬のその少年みたいな声でアタシの名前を呼んで。
「……美兎ちゃん。大好きだよ」
 空いた手でアタシの手を握る。心臓が巨大なスピーカを通したような音で鳴ってアタシの体を震わせる。
「ね、ほら。美兎ちゃんもオレの名前呼んで」
絞り出すような声で、彼の名前を呼んだ。
「……小吉」
 小吉・・の目が弧を描く。アタシに名前を呼ばれて嬉しいのかな。もう一度名前を呼んで、同じように好きだよと囁いた。こんな風に名前を呼ぶだけで幸福になれるなんて知らなかった。小吉に体を引き寄せられたかと思うと、紫色の瞳がアタシを捉えた。宝石みたいなその瞳はアタシの心を見透かしているように、鈍く光る。
「美兎ちゃん」
「何?」
「ずっと、オレのことを好きでいてね」
「……どうしたの?」
 嘘つきの小吉がこんなことを言うなんて明日は雪が降るかもしれない。でも、その表情も声色も確かに本心を表しているように思えた。
 ずっと、なんて。理性的でどこか浮世離れした小吉から発せられるなんて思いもしなかった。普段は隠れている彼の心に触れられそうな気がして、アタシは黙り込んでしまった小吉の肩を抱く。
「……ずっと好きでいるよ」
「約束して?」
「約束する」
 安堵したような表情にアタシも少し甘えたくなった。小吉の首筋に顔を埋め、猫がするようにすり寄ると小吉がくすくすと笑った。
「美兎ちゃん、お姫様になりたいの?」
「……子供の頃の話。昨日のアタシはそう言ってた?」
「うん。お姫様にしてはおてんばだったけどね」
「うるさいなー」
 言葉尻の軽やかさで怒っているわけではないと察したのか、小吉はまた楽し気に笑ってアタシの髪を撫でた。お姫様にはもうなれない。なるつもりもない。だって、そんな風に誰からも愛される人ではないから。
「……もうお姫様にはなれないよ」
「どうして?」
「どうして、って。そんな柄じゃないし」
 みんなから守ってもらえる愛らしいお姫様には程遠いから、この才能を使って自分の身を守るしかないのだ。しかし小吉はアタシの想いとは裏腹にそんなことないよ、と言った。
「美兎ちゃんはお姫様だよ」
「ば、馬鹿言わないで」
「ひどいなぁ。……他の人からしたら馬鹿で愚鈍でド変態な雌豚かもしれないけど、オレからしたら可愛いお姫様だよ」
「ひぐぅっ」
 優しいんだか意地悪なんだか分からない。そういうどっちつかずの人間である彼が好きだった。優しく頭を撫でながら、ホントだよと呟く姿に思わず頷いてしまう。
「なんか今日はやけに素直だね」
「んー……子供の頃のキミに当てられたのかもね」
「……そっか」
 目を動かして真っ白な天蓋を見つめる。お姫様だけに許されたようなレースがアタシ達を包んでいた。目の前にいるこの人は、アタシのためにどれだけ奔走してくれたんだろう。
子供を連れて街を駆けずり回るだなんてきっと大変なことだ。ここに泊まるのだって苦労したはずだ。
 こんなアタシのことを好きだと、お姫様だと言ってくれて、心の底から幸せだった。
「キスして……」
 無意識のうちにそう口にしていた。小吉はずっとそれを望んでいたかのように微笑んで、アタシの唇を奪う。初めてキスした時みたいな、不器用なキス。初心な子供同士がするような唇を合わせるだけのそれがどうしてか心地よかった。
 唇を離すと再び小吉が微笑む。いつもみたいに意地悪なものではなくて、優しい、甘やかすような笑み。
「小吉。大好きだよ。これからも、ずっと」
アタシ達はもう一度キスをした。それはやっぱり子供のようなキスだったけど、愛を誓い合う時のそれに似ていた。