殴打する青春
ツイッターの王入版深夜の60分一本勝負
お題「空耳」に向けて

※死ネタ注意  お墓参りの話です

 耳障りな蝉の鳴き声、肌を焼く太陽、熱気、萎れかけた花。すべてが入間のことを苛つかせる。夏は嫌いだ。歩くことさえ億劫になってしまうから。
日傘で作り出した影を頼りにただ黙々と歩く。額から伝い落ちる汗をハンカチで何度も拭う度に、念入りにしてきた化粧も落ちてきているのだろうと思ってつい顔をしかめた。
やたらと勾配が急な坂を上り切ったところには霊園が広がっていた。水桶と柄杓を持ち、死者たちが眠る墓の群れの間を縫うように歩く。山の上に築かれたこの霊園は町並みが一望できることで有名だという。死んだ人間がそれを喜ぶのかは全く不明だが、美しい街を見下ろすことで墓地特有の陰鬱とした空気が晴れるような気がした。
入間は少しくすんだ色の墓の前で立ち止まり、よく手入れたその場所を見て感嘆のため息をつく。雑草もほとんど生えておらず、生けられた花もまだ生命力を感じる。死してなお愛されていることをこの男は知っているだろうか。
「よう、元気か?王馬」
 墓に話しかけても答えるはずもない。入間は唇を噛んで、柄杓で掬った水を彼の墓にかけてやった。

 恋人だった王馬が亡くなったのは三年前のことだ。敵対していた組織を壊滅状態にまで追いやったところ、腹いせなのか発狂したのかその組織に忠誠を誓っていたという男に刺されたのだ。その日は徹夜で仕事があったらしく、王馬も瞬時に判断できなかったらしい。まるで抵抗などできなかったように心臓を一突きにされ、ほぼ即死だったそうだ。幸い、逃げていく男の目撃者がいたこと。残された部下達と最原の捜索により犯人は捕まり組織自体も完全に鎮静化した。
 その話を聞いた時の衝撃や王馬の死体と対面した時の悲しみは今でも入間の心に巣くっているが、もう昔のように泣いたりはしない。当時はその犯人に対する恨みが限界値を超え、王馬を守れなかった部下達にさえ怒りをぶつけた。彼らは酷い言葉をぶつけて泣きじゃくる入間を決して責めたりはしなかった。本当は誰もがつらく、苦しい時期だったというのに。
 感情は少しずつ風化し、記憶は薄れていく。王馬の死体とまみえた時のあの心臓の強張り。周りの風景が砂のように崩れていく錯覚。それらを体感することはもう滅多にない。体に対して心は強いものなのだとひしひしと実感していた。
 線香を上げながら、入間は彼が確かに人間だったことを思い出していた。いつも飄々として、嘘ばかりつき、たくさんの顔を使い分けてその素顔を隠す。
総統――王馬小吉。恋人であっても彼の全貌を知ることは許されず、その人間味のなさは彼が人ならざるものであるような不穏感を与えていた。刺されても、撃たれても、車にはねられても、平然と立ち上がってくるのだと思っていた。あの屈託のない笑顔を浮かべて、痛いなぁとかなんとか言ってさっさと歩き出すのだと信じていた。殺されても死なないような、そんな気がしていたというのに、彼はあっさりと死んだ。ナイフ一本で、たった一人の手によって。
「そっちはどうだよ。オメーみてーな馬鹿は地獄にいるんだろうけどさ。まぁ……オメーは地獄も楽しめるタイプだもんなぁ」
 どこにいたってその場を自分の遊び場にしてしまえる彼の機転や、楽天的な姿勢が好きだった。今頃は鬼を従えて地獄を闊歩しているのかもしれない。想像しただけで笑いが込み上げてきた。
「そうだ。こないだ、最原をモデルにした推理ドラマがやってたんだぜ。ウケるよな。なんかあいつ超有名人になっちまって全然会えねーんだよ。ダサい原のくせによぉ。キーボとジジイも表彰だかなんだかされてて、笑っちまうぜ。あと……あぁ、赤松は最近は欧州ツアーに行っててあのアジの開き…じゃねぇや、夢野と向こうで会ったってよ。なんか夢野も調子いいらしいぜ」
 入間はかつての同級生の話をし始めた。希望ヶ峰学園に集った、類まれなる才能を持った友たちのことを。彼らの話ならいくらでもできた。やはり才能を持つ者達の話題には事欠かない。
 置いた線香が燃え尽き、自分が思いのほか長い間話していたことに気が付く。入間は彼の名前が刻まれた墓を見つめた。部下でさえ彼の親族を知らなかったため、個人の名前で墓を建てたと言っていたことを思い出す。そのミステリアスな言動で大勢を魅了していた彼だったが、実際は孤独だったのかもしれないと後から思い知らされた。
 自分は、そんな彼の支えになれていただろうか。心の拠り所であっただろうか。そんなことを今更考えていても仕方がないというのに、何度も後悔してしまう。持てる全ての愛情を捧げたつもりだったのに、もっとしてあげられることがあったはずだと時折考え込んでしまうのだ。
 入間はそんな思考から逃げるようにして研究と発明に没頭した。賞も取った。自分が理想とする発明品も完成した。憧れだった飯田橋博士に認められた。左右田と共同で作ったものもある。世間的に成功しているはずなのに満たされないのは、その成果を離したい人物がもうこの世にいないからだ。
「オレ様も……あいつらみたいに……」
 話したいことならたくさんあったはずなのに、胸を張って報告できることができたのに、頭の中に浮かぶのはたった一つの言葉だけだった。
「王馬……。会いたいよぉ……」
 会いたかった。触れたかった。もう一度彼の嘘に騙されたかった。あのいつものようなあどけない笑顔で、嘘だよと言って欲しかった。子供のような体温を感じたかった。獣のように交わりたかった。
 行きたいところも、やりたいことも山ほどあって、それでもまだ自分たちには時間があるのだと後回しにしてきた。こんなことになるなら無理やりにでも時間を作って全てを成し遂げてしまえばよかったと、いつまでも後悔してしまう。
財産も、賞賛も、権力も入間はこの三年で全て手にした。しかし王馬がいなくなった後の心の隙間はいつまでも埋まらない。きっと、誰か別の人間を好きになったとしてもそこだけがぽっかりと開いたままなのだろう。
 十七の時に出会って、そこから六年付き合って、多感な時期を一緒に過ごした王馬は入間にとっての青春だった。特に高校での三年間は彼が全てと言っても良かった。手を繋ぐのも、キスも、セックスも、たくさんの初めてを彼に捧げた。彼もまたそうであった。薄れゆく記憶の中にいる彼が、体が覚えた衝動が、入間の脳みそを揺さぶる。それはほとんど殴打に近く、入間は立ち上がれないまま泣いていた。
――なに泣いてんの
「……王馬?」
――入間ちゃんの泣き顔ってホントにブスだなぁ。そんな顔面人に見せられないでしょ?ほら、こっちおいで
 「そこにいるの……?」
 それは記憶の中にある彼の声を再生しているのか、ただの空耳なのか、すっかり参ってしまった入間の妄想なのか分からなかった。入間が泣いているときは必ず抱きしめて、泣き止むまで背中を撫でてくれたことを思い出す。こっちにおいでなんて言われても、入間はただこの場でその声を受け止めるしかなかった。
 ゆっくりと立ち上がり、目の前の墓を見つめる。王馬がそこで笑っているような気がした。
――ずっとそばにいるから。ね?
 嘘。それは王馬小吉がついたひどく残酷な嘘だ。しかし入間はそれを信じたかった。姿はもう見えなくても、二度と抱きしめられなくても、王馬小吉の思い出を抱えている限り彼は死なない。ずっと入間の中に生き続けるのだ。
「……本当、オメーは嘘つきだな。どうしようもない嘘つきで、馬鹿だよ」
 入間はハンカチで涙を拭った。汗と涙できっとメイクが取れてしまっている。駅ビルのトイレに治せるスペースはあっただろうか。そんなことを考えてしまえるくらいにはもう立ち直れていた。時計を見ると、予定していた時刻を過ぎてしまっていた。入間は慌てて桶とゴミを抱える。この後に会議が入っているのだ。遅刻するわけにはいかない。入間もまた才能を持つ人間の一人である。多忙を極める彼女には悩んでいる暇などないのだ。
「また来るからよ。その時にはちゃんとオレ様の功績を聞かせてやるよ。あの世でちゃんと称えろよな?」
 もう二度と会えないけれど、入間の声が聞こえていたなら上々だ。もう一度親指で涙を拭い、彼が眠る墓に笑みを向けた。
「王馬、愛してるぜ」
 今までもこれからも、ずっとずっと愛してる。それだけは何も変わらないと確かに誓えるのだった。オレもだよなんて都合のいい声はさすがに聞こえなかったが、涼やかな風が吹いて花が揺れた。さっさと行けと手を振っているようにも見え、入間は苦笑しながらも来た道を戻っていく。
 夏は嫌いだ。歩くことさえ億劫になってしまうから。
 夏は嫌いだ。メイクだってすぐに落ちてしまう。
 夏は嫌いだ。愛している人の死を突き付けられるから。
 夏は嫌いだ。これからも、ずっと。しかし永遠に夏は巡ってくる。逃げることは出来ない。だから悲しみも喜びも何もかも忘れないように、この世にしっかりと足をつけて生きるのだ。それが残された人間の仕事だから。入間はそう思って、力強く歩みを進めいく。耳元でまたねと囁かれた気がしたが、きっと空耳に違いなかった。