ゆく年くる年

王入が年を越す話  

とても短いです
こういう構成を一度書いてみたかったのですが、難しいですね


 衣食住が人間の生活の三本柱だとよく聞くが、それが満たされている自分はきっと幸せなのだろう。美兎はこたつの中でそう思った。向かいの王馬とお揃いのはんてんを羽織って、かき揚げ入りのカップそばが出来るのを待つ。暖かい家、暖かい服そして暖かい食事。(たとえそれがスーパーでたたき売りされていたカップそばであっても)完璧だ、と美兎は静かにうなずいた。
「一年早かったね」
「そうだな」
「年を取るにつれて時間が経つのが速くなってる気がする」
 へへ、と王馬が笑う。テレビでは往年の人気アイドルが大晦日限定復活と銘打って、ミリオンヒットを成し遂げた曲を歌っている。知っている曲だから少し音量を上げた。
「三分経ったかなぁ」
「うん」
 カップ麺は便利だ。お湯を入れるだけで食事が出来上がるなんて、出来た当時の人間は魔法か何かだと思い込んだに違いない。食欲はあまりないような気がしていたが、甘いつゆの香りを嗅ぐときちんと腹の虫が鳴いた。
「お蕎麦、作れなくてごめん」
「いいよぉ。大晦日に蕎麦を食べるっていうミッションを達成できればいいんだから」
 微笑む王馬の目尻に深く皺が刻まれる。王馬の微笑みに釣られるように笑い返して、目の前の蕎麦に手を付ける。小さな頃からの変わらない味が口の中に広がり、美兎の胃の中を満たしていった。

 食べ終わった時には、もう年越しまで十分を切っていた。眠気が襲ってきて、会話もおぼつかなくなる。いつもはこんな時間まで起きていないのだ。うとうととしていると王馬に揺さぶられた。王馬は相変わらず夜更かしが得意だ。夢と現実のはざまを漂っているうちにテレビからぼんやりとカウントダウンが聞こえてきた。気づけばチャンネルは男性アイドルのカウントダウンコンサートに切り替わっている。 
 五・四・三・二・一.テレビの中で派手な花火が打ちあがるのをBGMに、二人は互いにお辞儀をした。
「あけましておめでとうございます」
「はい。あけましておめでとうございます」
「眠いわ」
「もうちょっと頑張って」
 王馬の励ましに頷いていると、机の上にあった携帯電話が震えた。
「来た」
 慌てて電話を取る。画面にはテレビ通話を許可しますか?の文字が表示されていた。勿論だ。許可をタップするとそこには、愛しい天使の姿が映っていた。
「おじいちゃんおばあちゃん!!あけましておめでとう!!」
 王馬も慌てて美兎の隣に座り、へへへと顔を緩ませている。かつて悪の総統を名乗っていた男も孫娘の前では形無しだ。
「元気?」
「元気元気」
「東京寒い?」
「んー。そんなでもないよね?」
「そうだなぁ」
「そっかぁ。こっちは寒いの!早く東京行きたぁい!」
「うん。待ってる」
「あ。おせち、作れなかったからデパートで買ったんだ。お母さんにも伝えといて」
「分かった!でもアタシ、二人に会えるだけで嬉しいんだ!」
 画面の中で笑う愛おしい孫娘。その笑顔はどこか、王馬に似ている気がすると美兎は思った。年が変わったら電話するから起きててねという約束をきちんと守るのも、この笑顔が見たいからだ。それから少しだけ話をしたが詳しい近況報告はまた会った時にねと言って彼女は電話を切った。

今日の昼にはもう遊びに来るというのに、随分と遠い未来のように感じられる。
「美兎ちゃん」
あくびをしていると王馬に呼びかけられた。向こうは自分のことを美兎と呼んでくれているのに、結婚しても未だに苗字で呼び続けているのは、そっちの方が呼びやすいからだ。
「……何」
「幸せだね」
「……うん。幸せ。すごい、幸せ」
 足腰が弱くなって台所に立てなくなっても。知ってる歌手がどんどん引退していっても。顔がしわくちゃになっても。昔のように夜更かしできなくても。
この人がいて、子供がいて、孫もいて。こんなに幸せなことはないだろう。自分の生活には愛が溢れていると美兎は思った。
「あ、そうか」
 ぽつりと呟く。衣食住が満たされているだけではなく、愛があるから幸せなのだ。もし自分が独りぼっちだったら、こんなにあたたかな気持ちにはなれなかっただろうと美兎は隣にいる男を見た。
 自分を選んでくれて、愛してくれて、老いて美しさを失ってもそばにいてくれて……この歳になれば、もう感謝の言葉を告げるのも恥ずかしくはない。
「王馬、ありがとう」
「え?何?」
「ありがとうって言ったんだよ」
「にしし。何急に」
「いや、何か……色々」
 いろいろかぁと呟きながら王馬は手を差し出してくる。
「お礼を言うなら金をくれぇ」
「最低だなお前」
「年金少ないんだもん」
「ジジイジョークかよ」
 素直に言葉を受け取ってくれないところは昔から変わらない。変わらないものがあるのは良いことだと、美兎は歳を取ってから理解した。変わらないからこそ安心できる、王馬はそんな存在だ。唯一無二の大切な人。
「寝る?」
「寝る。あ、歯磨かないと」
 腰を叩きながらゆっくりと立ち上がる。立ち上がるのすら億劫だがこたつで寝られるほどの体力はもうない。
「今年もよろしく」
 言っておかなくてはと言葉にする。
「生きてたらね」
「うわ。だからジジイジョークやめろって」
「ジジイなんだから仕方ないじゃん」
 二人してくすくすと笑う。今年も、来年も、その先も、こうして笑い合えたらいい。美兎は切実にそう願った。