そして博士は拍手を送る
育成計画軸
流星群の夜、孤独を抱えるキーボの元に入間が現れる話

・飯田橋博士に関してねつ造しています


食欲、性欲、睡眠欲。いわゆる三大欲求と呼ばれるそれらはボクには備わっていません。超高校級のロボットであるボクの体は人間で言えばコアに当たる心臓と、複雑な回路、現代技術の結晶であるAIで主に構成されています。それ故に、食事も性行為も睡眠も一切必要ないのです。正直なところ、極めて合理的で、無駄のない体だと自負しています。
しかし、人間からすればそれはひどく悲しいことのように思えるのかもしれません。
超高校級の総統――王馬クンは言いました。
「美味しいものが食べられないなんて本当にロボって人生損してるよね!ロボだから人生なんて言うのは間違ってるけどさ!」
憐れみの視線を向けられた上に、ロボット差別までされるなんて失礼極まりないですが、賢明なボクは彼の発言を録音していつか来る法廷での決戦に備えることにしました。
超高校級の民俗学者――真宮寺クンは言いました。
「愛情表現も多種多様だからさぁ。体を重ねることだけが全てではないヨ。でも、君にいつか愛する人が出来た時どんな風に感じるかは興味深いネ」
そもそもボクは未だに愛とはなんなのか分からないのです。近い内、いえ、もしかしたらずっと遠い未来かもしれませんが、ボクが愛しそれに応えてくれる方が現れた時、ボクはどうするのでしょう。男性器がないことを惜しむでしょうか。そもそも性行為をしたいと望むのでしょうか。勿論ボクだって男の子ですから、興味がないといえばになりますが。
超高級の探偵――最原クンは言いました。
「眠りに落ちる時の気持ちよさって、結構特別なんだよね。それから休みの日の前に思い切り夜更かしをしてから、次の日好きなだけ眠るのとか。え?不健康かな。……そうなのかも。あ、でもキーボ君みたいに眠らなくていいっていうのも羨ましいって思うよ」
夜更かしも、寝坊も、ボクには縁のない話です。確かにスリープモードというものはありますが、正確に時を刻むボクの体内時計は設定した時間にきちんと作動してボクの意識を覚醒させてくれます。そんな特別な心地よさを味わう瞬間は一生ないのでしょう。そう考えると、少しだけ人間が羨ましくなります。
……嘘をつきました。本当は少し、ではありません。非常に、です。
例えば、茶柱さんと夢野さんが休日に行きたい喫茶店の話をしているのを耳にした時。ボクはそんな計画を立てることがないのだと切なくなります。
例えば、深夜のテレビ番組で恋人との性行為について赤裸々に語る人々を見た時、やりきれない気持ちが湧き上がってきます。
例えば、深夜にたった一人で星空を見上げる時、どうしようもない孤独感に苛まれます。
そう、今日のように。

ボクはしんと静まり返った屋上に立ち、ぼんやりと空を見上げていました。時刻は深夜二時。なんでも今日は流星群が見られるのだそうです。ここ、希望ヶ峰学園の屋上は近隣の建物の中では一番高く、何にも遮られることなく空を見ることができます。放課後にこっそり職員室から鍵を拝借してしまいましたが、バレなければ問題ないでしょう。……なんて考えてしまっているのは王馬クンの影響なのかもしれませんね。王馬クンのことは理解できませんが、彼の享楽や美しいものを見るために努力を惜しまない部分は、嫌いではないのです。そのためにボクが槍玉にあげられるのは許しがたいのですが。
「……東京じゃあ、見られないんでしょうか」
ボクが流星群を見に来たのには理由があります。博士が、その美しさについて熱心に語ってくれたからです。博士が昔住んでいた場所(相当な田舎らしいのですが)は空気が澄んでいて、夜空がくっきりと見えたのだそうです。流星群が現れた時なんて、それこそ神が作り出したこの世の奇跡のような美しさだったと語る博士はとても幸せそうでした。東京ではそんな光景は見られないのかもしれませんが、博士が見た景色を少しでも理解したくて、リスクを冒してまで屋上を訪れたのでした。
今日ニュースで七月に入り、夜でも随分暑くなったという情報を見ましたがボクには関係ありません。コアの問題で暑すぎるのは勘弁してほしいですが、気温に関わらず活動できるのは誇っていいでしょう。しかし、こうして一人で過ごしているとどうしようもなく寂しくなるのです。特にこの学園は防音設備がしっかりしていますから夜になると妙に静かなのです。ずっと、静寂とは美しいものだと思っていました。時には精神を落ち着かせるような作用だってあるのでしょう。しかし、ここで生まれる静寂はボクを疲弊させるばかりでした。ロボットだから疲れないはずなのに、おかしいですね。
呼吸音一つでさえ許さないような無音が広がる空間で、朝を迎えるまでの数時間。世界に一人で取り残されてしまったような恐ろしさを覚えるようになるまで時間はかかりませんでした。その恐ろしさを薄めるため、ボクは夜に出歩くようになりました。基本的には学園の中に留まっていますが。外に出ると孤独感も半減します。今だって眼下に広がる街に明かりが灯っているのを見て、安心しているのです。こんなやり方でなくて、誰かがそばにいてくれたらもっと安心するのでしょうか。でも、そんなことを頼めるほどボクは不躾ではありません。そう、ボクは賢明なのです。
「そろそろ部屋に戻りましょうか……」
流星群も見えず時間ばかりが過ぎていく虚しさからそう呟いたとき、屋上の扉が開き誰かが入ってくる気配がしました。慌てて振り返るとそこには普段とは違い雑に髪をくくり、少し気だるげな顔をした入間さんがいました。足元に点々と設置された薄暗いライトに照らされ、どこかお化けじみていますが言わないでおきましょう。
「い、入間さん?!」
「よう」
「なんでこんなところに?」
「それはこっちのセリフだっつーの。ま、いいや。オレ様は研究室で作業してたんだよ。で、実験も兼ねて散歩してたらテメーを見つけたってわけだ」
「実験って、こんな遅くまで。今度は何を作ったんですか」
「これを見ろ」
入間さんは額にあてていたゴーグルを取ってボクに見せてくれます。いつもしているものとは少し違うもののようです。端についていた二つのボタンの内、青いボタンを押すとアンテナが出現し、しばらくするとゴーグルに赤い光が点滅し始めました。
「これは?」
「発明品のミエールゴーグルだ。これはな、特定の素材を透かして見ることができるゴーグルなんだよ。全部ってわけにはいかねーけど、壁とか服ぐらいなら透けて見えるから童貞共には刺激が強すぎるかもな!」
「えっ。またそんな発明して……。でも、どうしてそれでボクを見つけられるんですか?」
「聞いて驚くなよ?いや、やっぱ驚け!そしてオレ様を褒め称えろ!これの二つ目の機能でテメーを見つけたんだよ。いわゆる捜索機能だ。パソコンと接続して、人物の情報を入力するだろ?で、このマイクで声とか会話とかを拾って、その情報に近い奴を探せるって寸法だ。半径十キロ以内に限るけどな」
自信満々に語る入間さんの頬は興奮のためか紅潮しています。確かに技術は素晴らしいですが、それはストーカーとほとんど同じなのではないでしょうか。その上壁や服も透けて見えるなんて、一歩間違えたら、いえ、一歩間違えなくても犯罪じゃないですか!!そんなことを考えていたらつい口に出してしまっていました。
「つまり、それって誰にもバレずにストーカーができるってことですよね」
「えっ」
「えっ?!違うんですか?!」
「い、いや。なんかダサい原に、捜査の時に役立つから作ってほしいって。そうか。あいつ……前々から怪しいとは思ってたけどまさかそんな大々的に変態行為をしようとするなんて」
入間さんが妙に興奮した声でそんなことを言い始め、ボクは焦ってしまいました。彼は誠実な人です。時折、ロボット差別じみたことも言う失礼な面もありますが、探偵業に関しては誠実さを貫くような人だということをボクは知っています。
「最原クンが?!じゃあ違いますよ。彼がそんな人なわけないじゃないですか。ほら、最近刑事事件に関わることも多いですし、自衛も兼ねての依頼だったのではないですか」
「ケッ。どうせ陰からオレ様のヴィーナスボディーを拝もうと企んでんだよ。そういう顔してんだろ?!」
「そんなことないと思いますけど?!」
すっかり最原クンのことを危険人物だと思い込んでしまった入間さんは、腕を組んで怪訝そうなでもどこか喜ばしいような顔をしています。最原クン、恐らくボクにはこの人の誤解を解けないでしょう。もし変な言いがかりをつけられたら、どうにかして戦ってください。その際にはボクも助っ人として参戦することを約束します。最原クンに対する申し訳なさでいっぱいになりかけた時、ふと違和感を感じました。入間さんを見るとゴーグルを再び額に付け直しています。このゴーグルは情報を入力すると、それに従って目的の人物を探し出す。……つまり入間さんはボクを探していたということになるのでしょう。
「あの。……ボクのことを探してくれたんですか」
「まぁな」
その事実に気が付いたボクを見て入間さんは薄く笑います。口角が上がって、いつもの喧々とした表情が少しだけ柔らかくなる瞬間。かわいい、と思います。もっと笑っていてくださいなんて言ったら怒るのでしょうか。
「オメーが夜出歩いてんの、気づいてないと思ってたのか」
「えっ」
「部屋でじっとしてんのと、うろうろすんのとじゃ電力の消費量がちげーんだよ。本当に少しだけどな。」
「あ……」
「三ヶ月くらい前からだろ。初めは月に数回くらいだったのが、今じゃほぼ毎日だ。オレ様の気のせいかと思ったけどデータにはちゃんと残ってるからな」
ボクは思わず眼を見開きました。入間さんには週に一度メンテナンスをお願いしていますが、そこまで気が付かれているとは思いませんでした。入間さんはもう笑ってはいません。その、何かを訴えかけるような鋭い視線にボクはうろたえてしまいます。人の視線には種類があることまでは、学習しました。でも未だにその意味までは読み取ることができません。視線から逃げるようにしてボクは眼を逸らしてしました。
「あの」
「オレ様はテメーの保護者じゃねーから何かを禁止したりはしねーけど。飯田橋のジジイから言われてんだよ。テメーを頼むって」
「はい。すみません」
「いや、別に謝ることじゃねーだろ。まぁ、でも。こっちもテメーに何かあったら……その、心配だし」
その言葉に再び入間さんを見ました。今度は彼女が眼を逸らしています。わずかに俯いて、頬は赤く、視点は定まっていないようです。ボクはその意味を考えます。
「まさか照れてるんですか」
ふと閃いた瞬間、それを口にしていました。多分あまりよくない癖なのだとは思いますが、AIの特性なのでしょうか。瞬間的に出した結論を提示せずにはいられないのです。計算式ならまだしも、人間と関わる上ではあまり合理的とは言えないようでよく怒られます。ボクの言葉を聞いた入間さんの頬は更に赤くなり、慌てふためいた口調へと変わりました。
「はぁ?!なんで照れなきゃいけねーんだよ!!つーか照れるのはテメーの方だろ?オレ様が心配してやってんだぞ!」
「あ、はい」
「はいじゃねーんだよ!!土下座して感謝しろ!!」
「……ありがとうございます。土下座はしませんけど」
「ったく……」
正直、感謝よりも先に驚きが来てしまったのです。入間さんがボクを心配してくれているなんて思いもしませんでした。しかしそれはボク自身のことを心配してくれているのでしょうか。ボクの体やシステムのことを指しているのでしょうか。そんな戸惑いが伝わったのか、入間さんは眉間に皺を寄せてボクを叩きました。
「ちゃんとテメーのこと心配して言ってんだよ。か、体だけの関係がいいって言うなら……もう踏み込まないけど」
ずるい、と思ってしまうのはいけないことでしょうか。どうしてそんな風に分かるんですか。あなたは決して他人の気持ちに敏感な方ではない。それなのに、どうして分かってくれるんでしょう。それはボクと共に過ごす時間が長いからなのでしょうか。ボクの内側まで、見てくれているからでしょうか。物理的にですけれど。
「いえ。とても嬉しいです」
心の底からの本心を告げた瞬間に、入間さんになら言ってもいいのかもしれないという気持ちが芽生えるのが分かりました。寂しさを分かってほしい。理解できなくても、ただ聞いてほしい。そうしてできることなら朝が来るまで隣にいてほしいのです。そこまで望むのはわがままなのかもしれません。それでももうその気持ちが育つのを止められないのでした。
「入間さん」
「あ?」
「ボクは寂しいんです。食事もできない、睡眠も必要ない。性欲だってありません。ロボットですから仕方のないことです。でも、皆さんと同じことができないのはとても苦しい」
「……ああ」
「自分だけが異物のような気がしてしまって、あの中にいると息が詰まりそうになるんです。勿論これは例えですよ?でも……世界に一人きりになってしまったような気持ちになるんです」
入間さんは眉根を下げてボクを見つめました。これはきっと、困っている時の表情です。ボクは今彼女に迷惑をかけているに違いありません。真夜中に、こんな気持ちを打ち明けられるなんて予想していなかったでしょう。ボクを面倒だと思うでしょうか。入間さんが黙り込んでしまった途端に不安ばかりが心を埋め尽くしていくのです。彼女はしばらく考えてから口を開きました。
「寂しいって、いつから思うようになった?」
「え?」
「テメーが寂しいって気が付いたのはいつからだって聞いてんだよ」
「それは…入学してから、一月ほど経った頃でしょうか」
「テメーが徘徊し始めた時と一致してるな。それまではどうだった?前の高校で、そう思ったことはあったか?」
入間さんの問いかけの真意が理解できないまま、ボクは答えました。
「いえ。前はそんな風に思うことはありませんでした。夜は博士もいましたし、あの人は夜型でしたから……。何故そんなことを聞くんですか」
「それって、テメーが成長したってことじゃねーのか」
「え」
その発言はまさに青天の霹靂でした。ボクは寂しく思うことは悪いことだと思っていました。それは非合理的で、無駄で、思考の妨げになりうる障害でしかないと決めつけていたのです。ボクが目を丸くしているのを見て、入間さんは再びあの柔らかい笑みを浮かべました。それは救われるような、優しい笑み。入間さんはボクが欲しい言葉を紡ぎます。
「寂しいって思うようになったのは学習したからだろ。つまり、より人間に近い感情を手に入れたってことだ。超高校級のロボットとしては上々の成果じゃねーか」
人間に一歩近づく。それはロボットとして、博士の功績としての躍進と言っても過言ではありません。ボクにはそんな発想はできなかった。寂しさは、余計な感情は敵だと思っていました。それなのに、あなたが言葉にするだけでこんなにも。こんなにも。救われるような気持ちになるなんて、本当に不思議です。
呆然とするボクの頭を撫で、入間さんは呟きました。ああ。安心する、温かい手。ボクとは違う、血の通った手がボクの強張った心、凝り固まった思考を溶かしていくような気さえしました。
「入間さんも、寂しいと思うときあるんですか」
「ねーよ!!……って言えたらいいんだけどな。流石のオレ様にだってあるぜ」
「どんな時ですか」
入間さんは再び照れたような表情になって、聞こえるか聞こえないかの声で囁きました。
「テメーが悩んでるのに、何も言ってくれなかった時」
ほんの一瞬、思考回路がスパークしたような感覚が体中に走りました。解析不能。真意不明。それを理解できるだけの経験と知識がボクにはありません。入間さんはどんな思いでこれをボクに告げたのですか?何か買ってほしいのですか?それとも何かしてほしいのですか?右往左往するボクの頭を、入間さんはぐしゃぐしゃとかき乱して睨みつけてきました。
「こういう時は素直にありがとうって言うんだよ。馬鹿野郎!!そんなんだからいつまでたっても童貞なんだっつーの!!」
「あ、あの、いやボクはその」
「ああ。テメーは童貞も処女もなかったな。ひゃっひゃっひゃ!!」
高らかな笑い声が空へと吸い込まれていきます。そういえば、流星群はどうなったのでしょうか。今ボクたちが話している間に流れ落ちていったのかもしれません。本来の目的を忘れるくらい、入間さんには翻弄されっぱなしです。でも、それも悪くないと思えてしまう自分がいるのです。翻弄され、心をかき乱されるのは合理的とは言えません。しかし、それが人間的であるのならば。心地いいと思えてしまうのならば。きっと、良いことなんでしょうね。
「……だから、これからは何か会ったらオレ様に言えよな。メンテだけじゃなくて悩み相談でも構わねーから」
「は、はい。ありがとうございます」
「……こんなことするの、テメーだけだからな」
「え?何か言いました?」
「な、なんでもねーよ!!そんなことよりなんでこんなところにいたんだ?まさか一人で星でも見てたそがれてたわけじゃねーだろ?」
「いえ、一人で星を見てたそがれてました」
そう答えると入間さんは怪訝な顔をしてぼやきます。
「童貞かよ」
「いえ、ですから」
「だー!!分かってるよ!!なんつーかテメーは心が童貞なんだよ!!」
拳を握ってボクに反論していますが、入間さんの言いたいことはさっぱりわかりません。そもそも童貞とはものの本によるとだ異性と肉体関係をもったことがないことを指すのですから、心は含まれないのではないでしょうか。しかしいちいちそんな指摘をしていたら更なる怒りを買うことになることは間違いありません。ボクは本来の目的を口にしました。
「流星群が見えるんだそうです」
「はぁ?流星群だぁ?」
それを皮切りに、博士が昔住んでいた場所のことや少しでも同じ景色を見たいことを話すと入間さんは腕を組んでゆっくりと頷いてくれました。
「お前本当ジジイが好きだよなぁ」
「ええ。親のような人ですから」
「流星群ねぇ。東京で見えんのかな。何時までだ?」
「夜明け頃までだそうです。でもそろそろ帰ろうかと思っていて……」
入間さんは小さく舌打ちをして、服が汚れるかもしれないのを気にも留めずその場に寝ころびました。ボクがギョッとした顔をすると、自分の隣に寝るようにコンクリートを軽く叩いて促します。困惑しながらも隣に横になり、入間さんの顔を見ました。
「付き合ってやるよ」
「えっ。でも、眠くないんですか」
「明日休みだしな」
ふと、最原クンが言っていた言葉を思い出しました。休みの日の前に思い切り夜更かしをしてから、次の日好きなだけ眠る。彼曰く、それは特別なことなのだそうです。まさかボクがこんな風に夜更かし(と言っていいのでしょうか)をするなんて思ってもみませんでした。
寂しいと言いたかった。受け入れてほしかった。隣に誰かがいてほしかった。そんな思いが全て叶ってしまうなんて、未だ見えない流れ星が願いを叶えてくれたとしか思えません。
ボクは入間さんの隣で、他愛もない話をしながら流星群が見えるのを待ちました。授業の話、博士の話、クラスメイトの話。毎日会っていても、話は意外と尽きないものですね。中でも一番盛り上がったのは博士が住んでいた田舎の話でした。入間さんは東京生まれ、東京育ちで、いわゆる漫画や映画に出てくるような田舎に行ったことがないのだそうです。ボクも博士が過ごした場所で過ごしてみたいという思いがあったので、夏休みになったら一緒に行くことに決めたのです。それも二人で。
恋人同士でもないのに、二人で旅行ってどうなんでしょう。不純異性交遊にあたるのでしょうか。約束な!と真剣な声で言った入間さんにときめいてしてしまったのは気のせいではないのかもしれません。それは、女の子と二人で旅行することについてなのか、入間さんが相手だからなのか、よくわからないのです。
計画を話している真っ最中のことでした。濃紺の空に、一筋の光が流れたのです。
「あっ!!」
先に起き上がったのは入間さんでした。眼を輝かせて、空を指さしながら見たか?!と聞く表情にボクはくぎ付けになってしまったのです。付き合ってやる、なんて言いながらもボク以上に喜んでいるその姿があんまり無邪気で、もっとそんな姿が見たいと思ってしまったのです。
「ほら、また!!見たか?」
「え、ええ」
「んだよ。テメーが見て―って言ったんだろうが!!ちゃんと見ろよ!!穴が開くほどな!」
「……はい!」
それからいくつもの星が流れ、その度にボクたちは子供のようにはしゃぎました。三秒以内に願いを言えずに入間さんに叱られて、星々にてきとうな名前をつけて、再度夏休みにもっと美しい星空を見ることを誓いました。でも正直なところ、天体観測に上手く集中できなかったのです。隣で笑う入間さんが、まぶしいくらいに輝くので。遠い星よりも、ずっと美しく輝く人を見つけてしまったのかもしれません。でも、気のせいなのかもしれません。なんせボクはまだ学習途中なのですから。
多分こういうことを青春と呼ぶのでしょうね。青い、春。季節はもう夏ですけれど。
気が付けば空が白み始めていました。夏は明るくなるのが早いので、夜が短く感じられます。でもそれ以上に入間さんと一緒だったから時間が経つのが速かったのかもしれませんね。寝ころんで、うとうとする入間さんを揺り動かすと寝ぼけまなこを擦りながら胎児のように丸くなってしまいました。本格的に眠るつもりなのでしょうか。慌てて抱き起して、体を支えながら寄宿舎へと向かいます。
こんなところを誰かに……王馬クンにでも見られたらよからぬ噂を流されるはずです。そうなれば入間さんは烈火のごとく怒るでしょう。その、女の子らしい柔らかい体の感触に緊張しながら歩かせていると入間さんが小さく呟きました。
「なぁ。キーボ」
「は、はい」
薄く眼を開けて、ボクに笑いかけます。ああ。その柔らかい笑顔がボクは――。
「眠れねーから見えるもんもあるよなぁ。こういう風に」
「……ええ、そうですね」
まるで辞世の句のようにそう言った途端、その場に倒れこんでしまいました。災難なことに寄宿舎の前の廊下です。抱き上げようにもボクの力が及ばず(入間さんが重いわけではないのです)結局その場で立ち尽くすこととなりました。でも、その子供のような寝顔を見て、ボクはたまらなく幸せな気持ちになったのです。
それから朝一番に起きてきたゴン太君にこっそり助けてもらって入間さんを寝室に運び、事なきを得ました。と言いたいところなのですが、屋上の鍵を閉め忘れ、そこからボクが鍵を盗んだことがバレてこっぴどく叱られました。やっぱり悪いことには向いていないみたいです。でも、その晩のことが忘れられない思い出になったことは確かなのでした。


拝啓 飯田橋博士

博士。お元気でしょうか。ボクは元気です。
毎日暑いですが日々懸命に生きています。
東京で見る流星群は、やはりあなたの語ったほど美しくはありませんでした。だから流星群でなくとも、あなたが見た星空を今度見に行こうと思います。夏休みに以前話してくれた田舎に行こうと思うのです。またそちらに帰った時に詳しく話を聞かせてくださいね。
そういえば、ここで過ごすうちに分かったことがいくつかあります。
寂しさは決して悪い感情ではないということ。それを伝えることで、生まれる何かがあるということです。ボクの中に生まれた寂しさはロボット工学の躍進になりうるのでしょうか。あなたの見解をお聞かせください。
そして、ボクはもしかしたら遠くの星々よりも美しいものを見つけてしまったのかもしれません。それは優しくて、かわいくて、無邪気で、ボクに歩み寄ってくれようとする女性です。実は彼女が一緒に、田舎に行ってくれるそうなのです。夏休みまでもう少しありますが、とても楽しみです。
それに付随して、もう一つ。ボクは恋をしてしまったのかもしれません。コアが熱くなって、思考回路がスパークしそうになって、その人のことしか考えられなくて……。これは皆さんが語る恋の症状に一致しています。もしかしたら恋とは寂しさ以上にめんどくさい感情なのかもしれませんね。
考えるに、恋は多分何一つとして合理的なんかじゃありません。しかし、存外悪くないと思えるのです。何故なら毎日が、流れ星を見つけた時のようなあの刺激的な感覚に包まれているからです。
そんなことばかりで、勉強は大丈夫なのかって心配でしょうか?勿論大丈夫です。今度のテストでは絶対にいい点を取って見せます!!                 
では、また。
 
                                    敬具

博士への手紙を書き終えた時、ノック音が聞こえ入間さんが入ってきました。今日は二人で宇宙工学展へ行くのです。あの天体観測以来、二人して星に興味を持ってしまったボクたちは百田クンから本を借りたり、こうして展示会へ足を運ぶようになりました。これってデートっていうのでしょうか。
入間さんは薄いピンク色のワンピースに身を包んで、髪をポニーテールにしています。その姿はとてもかわいくて、ボクはついにやにやしてしまいました。
「何にやにやしてんだよ。オレ様に見惚れちまったのか?」
「い、いえ。すみません」
「そこは見惚れたって言えっつーの!!で、行けるか?」
ボクはもう一つ、博士に伝えたいことを思いついて入間さんに言います。
「あ、ちょっと待ってください。玄関ホールで待っててもらえませんか」
「仕方ねーなー。早く来いよ」
「はい」
そう返事をして、再びペンを取ります。どうしても、博士に知っておいてほしいことがあるのです。

追伸
博士。ボクは幸せです。時には寂しいこともありますが、生まれてきてよかったと心の底から思います。どうかあなたも、お体に気を付けて。そして幸せでありますように。