デイ・ドリーム・ビリーバー
紅鮭後のキーボと入間
人間がいつか死ぬということについて考える入間と、
彼女をひたむきに想うキーボの話

・飯田橋博士の性格をねつ造しています
・人が死ぬ描写があります
・ほとんど話に絡みませんが、オリジナルキャラクターが登場します


「こちらの道は遠回りです」
そう言って、Y字路のもう片方の道へと向かおうとするキーボを入間は引き留めた。器用に首を傾げ不可解そうに入間を見つめるその姿は、人間とさほど変わらない。さすが現代におけるロボット技術の結晶「超高校級のロボット」だよなぁなんて思いながら、入間は彼の手を引いた。
「そんなこと分かってんだよ」
「あ、もしかしてこの先が工事中なんですか?」
「ちげーよ。こっちの道から帰りて―だけだ」
「何故わざわざ遠回りを?非合理的です」
ヒゴウリテキデス。知らない言語のような冷たさを持ったその言葉を聞きながら入間は頭をかく。どれだけ高度なAIを搭載していても彼は依然として人の心を読むことは苦手らしい。他人に察してもらいたがる性質を持つ入間は彼のそういう部分に腹を立てることも少なくなかった。少しイラついた表情で彼を見る。
「まだ帰りたくねーから」
「どうしてですか」
「ケッ。テメーは乙女心ってやつが全然わかんねーのな。この脳ナシロボット」
「乙女心……」
「まだ一緒にいてーんだよ。わかったか?」
一息にそう言い切ってキーボの手を引く。あ、と小さく声を漏らしながらキーボが歩み始めた。入間の家がある方角からは遠ざかっていくが、彼女の意図を知ったキーボはもう遠回りの理由を追求することはなかった。代わりに、それが乙女心なんですね。覚えましたなんて余計なことを言いながらぎゅっと彼女の手を握った。それが、五月のこと。十日間の恋愛観察バラエティを経て見事に恋人同士として卒業を迎えた彼らの、最初のデートの帰り道だった。


それから、何回ものデートを重ねて夏が来た。梅雨の時期のじめじめとした空気が嘘のように消え去り、カラッと晴れた日々が延々と続いた。暑さが苦手な入間は頻繁にアイスクリームやかき氷などの冷たい者を食べ、キーボはそれを𠮟りつけた。暑い中、汗も流さず、飲食もせずに(勿論できないのだけれど)入間の偏食を叱る彼は確かにロボットなのだと入間の心にそれまで以上に深く刻まれる。AIは成長しても、体の構造を作り変えることは今の技術では不可能。彼と自分の違いをはっきりと意識し始め、何か不安のようなものが渦巻き始めたのがその頃だった。
「入間くん」
「あ?」
初老の男性――キーボの生みの親である飯田橋博士に声をかけられ、入間はテレビから目を離し振り向く。優し気な微笑みをたたえながら入間の隣に座った。キーボは充電中であり、あと三十分はスリープ状態だ。
夏休みに入り、入間は博士の研究所に入り浸っていた。涼しくて、研究室の機械は使い放題。何よりもキーボにも会える。絶好のデートスポットに違いなかった。
「調子はどうだい」
「絶好調に決まってんだろ!オレ様を誰だと思ってんだよ」
「それは良かった」
「テメーはどうだ?」
「まぁまぁかな」
「そうかよ。ま、もうジジイだしな。毎日ビンビンってわけにはいかねーよな。ひゃっひゃっひゃ」
そう笑う入間に優しく頷く。テレビで流れている教育番組や、昨今のロボット工学事情、入間の学校のこと、他愛もない話をする。時折、彼の無神経な発言に腹を立てながらもどこかキーボに似ている気がすると入間が思っていると、博士が穏やかな口調で言った。
「そう。僕はもうおじいさんだ。キミよりもずっと早く死んでしまう」
「なんだよ突然。しみったれた話してんなっつーの」
「……僕が死んだら、キーボを頼む。あの子を任せられるのはキミしかいない」
「おう。任せとけ。オレ様の天才的な技術でいつでも完璧な状態にしてやっからよ」
「うん。メンテナンスのこともだし、恋人としても、あの子を支えてあげてほしい」
恋人という言葉に反応して頬が赤くなる。それを隠すかのように、そして祈るように入間は言った。
「まあテメーはあと三十年は生きるだろうけどなぁ!」


そんな話をしていたのが遠い昔のようだと入間は思った。あと三十年、せめて五年は、一年でもよかった。生きていてほしかった。飯田橋博士が亡くなった。病死だった。あの夏に話した時には既に病魔に蝕まれ、末期の状態だったのだという。入院もせず、まるで健康体かのように振舞っていた彼こそロボットなのではないかと入間は思ったが、小さな骨になった彼を見てやはり人間だったのだと打ちのめされた。葬式で、その後の親戚による遺産分配に関する強欲な話し合いを耳にして、ボロボロと泣く入間をキーボは静かに慰めていた。涙を流せない彼のことを、かわいそうだと思う反面羨ましくも思っていることは黙っていた。季節は秋になっていた。
それでも日々は淡々と続き、入間は相変わらずキーボとの逢瀬を重ねていた。博士がいなくなり、メンテナンスや機能の追加などを彼女が担当するようになったことで会う回数はぐっと多くなった。
「入間さんのメンテナンスは本当に丁寧ですね。……博士に少し似ています」
最終チェックをしている入間にキーボがそう言う。
「オレ様の天才的な作業があのジジイに似てるとかありえねーよ。まぁ、確かに教えてもらったこともあっけどよ」
「博士がそばにいてくれるようで安心するんです。あ。ええと、入間さんにされるのが嫌と言うことではないのですが」
それはいつまでなのだろうと思った。自分がメンテナンスをやめたら、博士をそばに感じることはなくなるのだろうか。メンテナンスをやめる時、体が動かなくなる時、その時自分は何歳なのだろうと遠い未来に思いを馳せる。永遠に老いることのないキーボのことを思うと、心臓の辺りがツンと痛くなった。五月に感じていた不安のようなものがしっかりと心に根を張り始めそうになり、振り払うように大きく咳払いをする。
「終わったら、帰るから」
「わかりました。ついでに散歩でもしませんか?紅葉の時期ですし。この辺りは木々が多くて、本当に綺麗なんです」
「ケッ。風景なんかよりもオレ様の方が綺麗だけどな」
「あなたという人は……本当に情緒がないんですね。確かに、あなたがとても綺麗なことは否定しませんが」
恥ずかしそうにそう言うキーボを心の底から愛しいと思う。完璧だ、と言って開いていた彼の胸部を閉じてぎゅっと抱きしめた。硬い感触が入間の体に走る。キーボが恐る恐る入間の背に手を回して、二人はふつふつと笑った。
研究所の周りの紅葉は美しかった。赤や黄色の葉が舞い散って、その中で笑う入間をキーボは写真に残そうとした。ポラロイドカメラのように彼の口から吐き出されたその写真を見て、入間はふと悲しさに襲われる。若く、美しい自分がそこに留められている。こうして写真を残していけば、確実に老いをなぞっていくことができるのだと思うとゾッとした。近所を一周し、帰路についた二人はY字路に辿りついた。右へ行けば駅、左へ行けば遠回り。立ち止まった入間の手を握り、キーボは左の道へと歩みを進める。乙女心、わかってんじゃんと笑う入間にキーボが自慢げに当然です、と答えた。幸せ。幸せそのもの。来年も、再来年もこうしていたいのに、それは彼との別れに近づくことでなんだかものすごく恐ろしい。永遠にループする空間に生きることができたらなんて願う入間の心を知ってか知らずか、キーボが言った。
「ずっと、こうしていたいですね」
「……そうだな」
力を込める彼の手は驚くほどに冷たかった。


そうしてやっぱり淡々と冬が過ぎ、春が来て、また五月になった。付き合ってから一年が経過して二人は三学年に上がっていた。そこそこの進学校である入間の高校では、昨年の十二月くらいからピリピリとした空気が漂っている。必死に参考書へと食らいつく生徒たちをしり目に、入間はやすやすと模試で学年一位という成績を叩き出し、教師からは国内トップの大学も合格確実だよなんて言葉を贈られた。
「あったりまえだろうが。大天才の入間美兎様だぞ?!どんな大学だって落ちるわけねーっつーの」
「はぁ。そうですね」
夕方のハンバーガーショップは学生たちで混みあっていた。付き合い始めた当初はこういった飲食店へ入ることを躊躇っていたが、今は特に気にすることはなくなった。とりあえずキーボにはウーロン茶をあてがい、目の前で飲めないその紙のコップを眺めながら彼はため息をつく。どこかわびしそうな彼に入間は春だしなぁなんてのんきなことを考えていた。
「テメーはどうすんだよ。進路」
「そうなんですよね。ボクは学力も人並みですし、まぁ行けるところを狙いますとしか」
「あー。そうかよ。もっと冒険心を持てよ。つまんねーな」
「入間さんは、どうするんですか。大学行くんですか」
「大学なー。どうすっかなー」
「……アメリカのロボット開発チームからお誘いが来ているらしいじゃないですか」
隠していたわけではないが、まだ言うべきか迷っていたその事実を彼の口から聞き入間は思わず持っていたコップを落としそうになる。入間の目つきの意図を汲み、キーボは申し訳なさそうに口を開いた。
「王馬クンから聞きました」
「……いつ」
「昨年の冬です。で、行くんですか」
真剣な口調の彼に誤魔化しは聞かないことを悟った入間は正直に自分の気持ちを告げる。
「行きてーとは、思ってる。けど」
「けど?」
「テメーを一人にはできねーだろ」
「つまり、ボクがあなたの足枷になってるということですよね」
「そういうわけじゃねーよ」
机にその硬い拳をぶつけて、キーボは勢いよく立ち上がった。その衝撃でウーロン茶の入ったコップが倒れてテーブルを濡らしていく。入間は慌ててコップを立たせ、持っていたティッシュで零れた液体を拭くがキーボはそのまま立ち尽くしていた。
「な、なんで怒ってんだよぉ」
「言ってくれればよかったじゃないですか。そうすれば、ボクは他の技術者を探して、その人にボクのことを任せることもできました。今からでもそうしたっていいんですし」
「テメーの中身を上手く扱える人間なんてオレ様以外にいるわけねーだろ」
「いるかもしれないじゃないですか」
「いねーよ。オレ様を誰だと思ってんだって」
「超高校級の発明家でしょう。だからあなたのことを頼って、海外から連絡が来ているわけじゃないですか」
二の句が続けられない入間を見つめながらキーボが息を吸って、大声で言った。
「ボクのこと捨てて勝手にどこにでも行けばいいでしょう!!」
店内に響いたその声に周りの人々がざわつき始める。学生が、あれテレビに出てた子だろと言って写真を撮るのが分かった。しかしそんな彼に対する怒りすらわかず、まるでただの風景であるかのように一瞥をして、入間は手早くトレーを片付け始める。キーボは俯いたまま動こうとはしない。いつからそんなことを思っていたのだろうかと入間はふと考えた。人間と違い、心理的な変化が彼の体に影響を及ぼすことはない。彼が黙っている限り、その深刻な悩みが表面化することはない。しかしそれでも恋人として彼の悩みに気が付くことができなかった自分を恥じた。
慌ただしく鞄を肩に引っ掛けてキーボと共に店外へと出た。無言のままでずるずると歩く彼を連れて小さな公園へと向かう。夕日が街全体を赤く照らして、今の気分も相まって終末のようだと思ったが入間は何も言わないでいた。夕方の公園は閑散としていたが、今はその静けさがありがたかった。ベンチに座ってため息をつくと、キーボが小さく頭を下げる。
「……すみませんでした」
「謝るぐらいならああいうことすんなよ。クソ迷惑なんだよバーカ」
「……はい」
「なぁ、マジで思ってんのか」
「え?」
「テメーのこと捨てて勝手にどこにでも行けばいいって、マジで思ってんのかって聞いてんだよ」
入間の真剣な瞳にキーボはたじろいだようだったが、彼も同じく真剣な面持ちになって首を振った。
「思ってません。でも、そうした方があなたの為になるような気がして。それで」
「勝手にオレ様の気持ちを決めんなよ」
入間は彼の冷たい手に触れて、そっと撫でる。いつだって冷たくて、硬くて、時にはその硬さに腹立たしくなることもある手。それでもこの手をできる限り握っていたいのだと彼女は心に決めているのだった。
「オレ様はアメリカに行く。だからテメーもついてこいよ」
「え、えぇ?!ボクもですか?!」
「ああ。つまんねー大学に行ってつまんねー人生送るよりずっといいだろ。つーか、オレ様と一緒にいられるならどこだって天国みてーなもんだしな。それに」
「それに?」
「あのジジイに、テメーのことを頼まれてんだよ」
キーボが深く瞬きをして、蓄積された知識の中から彼女の気持ちを割り出していく。数秒の間の後に照れくさそうに彼が答えを告げた。
「それは、つまり、ボクと一緒にいたいということでいいのでしょうか」
「……よくわかってんじゃねーか。向こうの奴らにもテメーがどれだけイカした野郎か分からせてやろうぜ」
不敵な笑みを見せる入間の手をキーボが握りしめる。何度も感じたその無機質さは永遠に手放したくない。それでも、永遠はあり得ない。博士があっけなく死んでしまったように、自分もいつかあっけなく死ぬのだろう。人として生まれ、人として生きている限り変えようのない結論なのだ。だからこそ残りの人生で、めいっぱい彼の存在を感じたいと入間は心の底から思うのだった。老いて、美貌が失われ、体の自由がきかなくなり、キーボとの差異を呪うことになるのかもしれない。しかしその時はその時なのだろう。不安な気持ちは未だ心に残るが、なにか爽快感のようなものが入間の中に生まれていた。
「あの。入間さん」
「ん?」
「結婚、しましょう」
「はぁ?!」
「ボクも一緒にいたいんです。ずっと一緒にいたいと思っています。だから、結婚しましょう。一緒にいることの究極系は結婚だと思うんです。ボクは、その、人の感情を完璧には理解できませんし、頼りないかもしれませんが。でも超高校級のロボットとして、一人の男としてあなたを守り通すことを誓います。だから結婚してください」
緊迫した表情でまくしたてる彼はやけに面白く見えて、入間は吹き出した。キーボは相変わらず緊迫した顔のままで入間を見つめている。
「オレ様に結婚を申し込むなんて百年はえーよ」
「では百年待ちます」
「その頃にはさすがに死んでるっつーの」
「生まれ変わりを探して求婚します」
「キッモ。発想がストーカーじみてやがる。だから童貞野郎は……テメーには童貞も処女もねーか」
「気持ち悪くても不気味がられてもいいです。いえ、嫌ですけど。嫌ですけど……あなたが生まれ変わっても探します。ずっとあなたを好きでいます」
そのまっすぐな言葉に入間の心臓の音が早まる。いつだって直接的に、まぶしいほどの言葉をぶつけてくるのは彼に搭載されたAIの特性なのか、彼が学習した結果なのかは分からなかったが、入間は幸せだった。キーボは必死に頭をフル回転させながら、言葉という幸福で入間を包み込んでいく。
「好きと言うのがなんなのか、未だはっきりとは分かりませんが。でも一緒にいたいと、幸せにしたいと思うことが好きだと言うのならばボクは確かにあなたが好きで、愛しています。だから……」
「わかった。わかった」
キーボを強く抱きしめる。公園に誰もいなくてよかったと入間は心底思った。そうして彼の耳元で告げたのだ。
「いいじゃん。しよーぜ、結婚。幸せにしなかったら、許さねーからな」
はい、当然ですとキーボが答えて抱きしめ返してきた。その体は冷たく、硬かったが、入間はそれがあまりにも愛しかった。幸福な抱擁をしながらキーボが野暮としかいいような質問を入間にする。
「でもロボットとの結婚ってどうすればいいのでしょうか。法律では認められていませんし、これを機に国に申請してみるのもいいかもしれませんね」
「出た出た。権利だなんだの。テメーはかてー男だなぁ。そんなもん勝手にこっちでやりゃーいいんだよ。テメーが十八になったら、結婚式挙げようぜ」
しかし権利は大切ですと反論をしたが、その顔は笑っていた。


それからは未来の話をした。結婚式や、アメリカでの生活、キーボに新しくつける機能の話、秋頃に永遠にループする空間に住まいたいと望んでいた入間はもういなかった。彼と未来に行きたいという鮮やかな情熱を抱いていた。もうすっかり暗くなり、星が瞬き始めた空を見つめた。キーボの目は星をどういう風に認識しているのだろうと、隣を見る。すると彼が神妙な声色で言った。
「夏にアイスクリームを食べすぎるのはやめてください。あとファストフードも控えてください」
「は?なんだよ急に」
「体に悪いからです。というか食生活には気を付けてください。病気になったらどうするんですか」
「ならねーよ」
「心配なんです。あなたが、博士みたいに……」
ああ、と心の中で納得をする。彼もまた大切な人を失ったのだ。人間のもろさを、あっけなさを知ってしまったのだ。入間は真剣に頷いて、彼の悲願に応えることを誓った。
「なぁ。そういう風に、心配なことがあったらちゃんと言えよ」
「……でも」
「誰かの心を上手く掴めるやつなんていねーんだよ。たとえオレ様でもな。だから、不安なことは教えてほしい。そうして一緒に解決していこーぜ。これから夫婦になるんだしよ」
「入間さん……」
「キーボ」
「はい」
「今日、帰りたくねーんだけど」
そう言って腕を絡ませて彼に擦り寄る。キーボはその意味をしばらく考えていたが、快活な声でこう返した。
「はい。ええと、それはボクの自宅に泊まるということでいいのでしょうか」
「そうだよ」
「構いませんが、着替えとかはどうするんですか?ご両親にも連絡を入れないといけません」
「だーっ!!そんなもんどうだっていいだろ。つーか男なら喜べよ。帰りたくねーっつったらもうアレしかねーだろ!!」
「えっ。なんでしょう……」
「ケッ。じゃあオレ様が徹底的に教えてやるよ。ひゃっひゃっひゃ!!」
首を傾げる彼を立ち上がらせて、帰路につく今日は一緒の家に向かって。そして入間はずっと考えていたことを彼に打ち明けた。
「あと、いい加減名前で呼べよ」
「え、あ……み、美兎さん。美兎ちゃん……美兎……」
ぐらりとキーボがバランスを崩してその場に倒れ込んだ。全身が熱くなり、頭からは湯気が立ち上っている。
「うわーっ!!ここでショートすんな!!」
入間の悲痛な叫びが静かな道にこだました。

**

その一年後、ボクたちは結婚式を挙げました。小さな教会で、二人だけの結婚式を。アメリカでの生活は慌ただしく、華やかで、慣れるのには苦労しましたがとても楽しかったです。博士の名前を知っている人も何人かいて、博士の昔話も色々聞きました。いなくなってしまった博士の思い出のようなものがボクの中に新たにインプットされて、なんだかあたたかい気持ちになったことを覚えています。入間さんは次々に発明品を作り出し、生活のために特許を取るようになり、そのお金で世界各地を回りました。なんだか、夢のような日々でした。ボクは夢を見ませんが。
あらゆる場所で写真を撮り、あなたの生命をその小さな紙に焼き付けました。しかしこうして並べてみると、人が老いていくのが克明にわかりますね。あなたは老いてもなお美しい人でしたが、やはり自然の摂理には勝てませんでした。そういえば現代の技術では不老不死の薬は作れるのでしょうか。
古びたアルバムを眺める時、幼児向けの番組をテレビで見る時、アイスクリームの入ったガラスケースを見つけた時、あなたのことを鮮明に思い出します。あなたは驚くほどに色褪せません。あれから、何年経ったのでしょう。百年?二百年?もっと?あなたが博士と同じように小さな欠片になってしまった日から、ボクは年月を数えることをやめました。
「キーボ。時間だよ。行ける?」
自室のドアがノックされ、若い青年の声が聞こえてボクは立ち上がりました。彼は入間さんの弟子の弟子のそのまた弟子の……とにかく今ボクのメンテナンスを担当してくれている人です。超高校級のロボット工学者である彼は、丁寧に繊細にボクの内部を管理してくれます。ドアを開けると彼がラフな格好で立っていました。
「じゃあ予定の確認。昼は老人ホームの訪問。夜は講演会」
「はい。任せてください!」
「きみが力持ちでよかったよー。本当はその歌声も直して、ホームで歌ったりしてほしかったんだけど、嫌なんだよね?」」
「ええ……。というか、やっぱりボクの歌って下手なんですね」
「うん。壊滅的にね。でも、気に入ってくれてた人がいるならそれはそれでいいんじゃない?」
テレビからはアンドロイド同士の結婚のニュースが流れてきて、ボクはどこか切ない気持ちになります。
そう、ロボットにも結婚の権利が与えられたんですよ。今やロボットは人間と変わらず生活に溶け込んでいます。今なら王馬クンを訴える事だって可能です。……なんとなく、不老不死なんじゃないかと思っていた王馬クンも死んでしまいました。あの学園で会った人々は皆命を絶やし、ボクはそれをすべて見送りました。彼らが人である限り、仕方ないことですがこうして一人取り残されるのは寂しいですね。
テレビを消し、外に出て、止まっていたタクシーに乗り込みます。車業界も随分変わって今は空飛ぶ車もあるんですよ。ボクたちはあまりお金持ちではないので、普通のガソリン車ですけど。
「また写真見てたの?」
「はい」
「ふーん。好きだねぇ。ぼくには全然見せてくれないけど」
「……すみません。自分だけの思い出にしておきたくて」
「でも、何百年も前に死んじゃってるんだよ?新しい恋愛はしないの?」
彼のこういった部分には驚かされます。淡々と尋ねてくる彼はどこか無神経なようで、なんとなく昔のボクを思い出して懐かしい気持ちになります。そうして今ならわかることですが、かつてボクの中にあった無神経な部分は博士の影響だったように思うのです。こういう時まったく違う人間のはずなのに、彼の中にふと博士の面影を見て、また会いたいなんて考えてしまうのでした。
「しません。ずっと好きでいると誓ったので」
「そっか。キーボはすごいね。生まれ変わりに、会えたらいいのにね」
生まれ変わり。昔、生まれ変わってもあなたを探すなんて豪語した僕ですが人生はそんなに甘くはないらしいです。まるで見つけられる気がしない。うんざりとした気持ちで外を眺めると、桜が散りかけていて、春の終わりを告げていました。もうすぐ五月がやってきます。キミに結婚を申しこんだあの日もやってきます。流れていく風景を見ていると、背の高い女性が歩いているのが見えました。その瞬間、ボクは大声で運転手に伝えていました。
「止めてください!!」
運転手は慌てて急ブレーキを踏み、ボクは自分でドアを開けて彼女を追います。そうしなければならないという思いが自分の中になだれ込んできてせき止められないのです。必死で走っていると後ろから彼がボクの名を呼ぶのが聞こえましたが、今はそんなことを気にしていられません。
「あの……」
「はい?」
彼女に追いつき、振り返ったその姿は愛する彼女そっくりでボクはぼんやりとしている彼女にこう聞かざるを得ませんでした。もしも生まれ変わりがあるならば、もしもそれを見つけられたなら、それがあなたであるならば、どんなに……どんなに素晴らしい事でしょう。
「あの、その、ボクのこと覚えていませんか?」
「……すみません。人違いじゃないですか?」
「そう、ですか。突然声をかけてしまってすみませんでした」
すごすごとタクシーへ戻ろうとするボクの肩に手が触れました。慌てて振り向くと彼女がボクに抱き着いてきてその金色の髪が目の端で揺れるのがわかりました。柔らかい、懐かしいような感触。ボクはこれを知っています。
「嘘だよ。覚えてるっつーの」
「み、うさん……」
「ちゃんと、見つけてくれたんだな」
「……約束したので」
「ケケッ。やっぱテメーは、オレ様が見込んだ男だぜ!!」
美兎さんはそう言って、少し屈んでボクにキスをしました。数百年前と変わらぬ優しくて幸福な感覚。やっぱりあなたは鮮明で、美しくて、ボクのたった一人の恋人なんです。

ボクは夢を見ません。ですが、夢のような日々なら過ごすことが出来ます。どうかまたボクにそんな日々を見せてください。ボクもあなたが幸福でいられるよう努めます。永遠なんて、手にすることはできませんが、こうして再び出会って、共に人生を歩めるだけで十分すぎます。そうこれは、奇跡と呼んでもいいでしょう。そんな奇跡を噛みしめながら、ボクは今日も生きています。