扉を開けた二人
アニメ5話で描かれていた、詐欺師と御手洗が出会った日の話

・出会う前の詐欺師の行動捏造注意
・御手洗は「御手洗」、詐欺師は「彼」で統一しています


運命の出会い なんて唐突に訪れるものだ。
例えば古い寄宿舎の中で。例えば昨日まで姿も知らなかった隣人同士で。
予兆も予感もなく、何でもない日の真夜中に、そういうことは起きるのだ。

**
煌々と光る画面の中で少女が滑らかに動くのを確認し、データを保存して機材の電源を落とす。安堵のため息をつきながら肩を何度か回し緊張していた筋肉を解きほぐすと、ふとひどく空腹なことに気がついた。
ここ何日かまともに食事を摂っていないことを思い出し、冷蔵庫を開ける。しかし中は空っぽだった。
いくら疎ましいとはいえ、買い物すら怠っていた自分を呪う。それは既に1つのサイクルと化していた。身体が限界を迎えるまで製作に没頭し、必要に駆られて睡眠をとり、食事をする。御手洗亮太が希望ヶ峰学園に来てから、幾度も繰り返されたサイクル。
またやってしまった、こうなる前に買い物に行こうって決めたのにと生活に対する意識の低さを再認識した。

「なにか・・・」
うわ言のように呟き、近所のコンビニへ行こうと廊下へと続く扉を開く。すると御手洗の目の前が歪んだ。目眩。床に崩れ落ちそうになるが、ドアノブを掴んでいた手に力を入れて立ち上がる。空っぽのはずの胃からは胃液がこみ上げ、身体は冷え冷えとしている。進もうと踏み出す足には力が入らず、視界はちかちかと点滅し始めた。
やばい、そう思ったと同時に御手洗は意識を手放して床に倒れ込んだ。



カーテンの隙間から差し込む月光から逃げるようにして、「彼」は暗闇の中に座っていた。
目の前で眠る御手洗を見つめて、これまでのことを考えていた。

「十神白夜を78期生としてスカウトする」
彼が、担任である黄桜からそう連絡を受けたのは少し前のことだった。それはつまり、十神白夜の姿ではいられないということであり、代わりの人間を見つけなければならないということでもあった。
連絡を受けて以来、彼は成り代わることが可能な人物を探すことに時間を費やしていたが、この学園において都合よくそんな人間がいるはずもなかった。

――御手洗亮太を除いては。

クラスに一度も顔を出さず、学園内で活動しているという噂も聞かない。無料で借りられる寄宿舎にも名前はなく、幽霊部員ならぬ幽霊学生のような存在。
しかし十神のように遠く離れた存在ではなく、成り代わったとしてもいつ遭遇するともしれないため、彼はその姿を借りることを躊躇していた。かと言って直接話をしようにも肝心の住まいは分からず、知っているはずの黄桜も多忙のため連絡がつかない。
だから倒れた御手洗を見た瞬間、目当ての人間を見つけられたという喜びに、彼の胸は高鳴った。勿論喜んでいられる状況ではなかったし、同時に隣人の可能性に思い当たらなかった自分に呆れることとなったのだが。

この数週間の出来事に思いを馳せていると、彼はふとインターネット上で見た御手洗のインタビューの一文を思い出した。
「出来ることならば、生活の全てを放棄して製作に専念したい」
まるで生活感のない部屋。隣室であったにも関わらず、ほとんど出入りする様子がなく、物音も聞こえなかったこと。目の下に浮かぶ隈や、痩せた身体。現在の生活は御手洗が望んだ生活そのものなのだろうと、彼は結論付けた。
しかしそれが幸福だとは思えなかった。

彼は考える。いかにして御手洗に伝えるか。
彼は考える。この孤独で、がむしゃらな男を懐柔し、まともな生活を送らせる方法を。

**
夢。御手洗が目を覚ました時に真っ先に抱いた感想はそれだった。目の前には見知らぬ男。倒れたはずの自分はベッドに横たわっている。頬を抓って確かめたかったが手に上手く力が入らず、諦めて「彼」に尋ねた。
「君は……」
御手洗が声をかけると彼――超高校級の詐欺師は名前を持たない存在であること、それゆえに他人に成り代わらなければならないことを話し始めた。
まるで現実味のない話であるが、希望ヶ峰学園という様々な才能を持つ者が集まる場所ではそんな人間がいてもおかしくないと御手洗は思った。同時に、これが夢ではないと確信した。
「お前はアニメを作ること以外の全てを疎ましく思っている。……できるならずっとアニメを作り続けていたいと」
「ああそうだよ。僕はもっとアニメを作りたいんだ」
それは紛れもない本心であり、同時に悲願でもあった。御手洗が学園に入学した最大の理由は、それを叶えられるからということがあったからに他ならない。
「ならばお前の名前……御手洗亮太という存在。俺に任せてみないか」
その言葉に御手洗は息を飲んだ。
ずっと待っていたのかもしれない。自分の代わりに自分を生きてくれる存在。
アニメを作ること以外の全てを背負ってくれる存在。
暗がりに座る彼は、御手洗には救世主のように見えた。

「いいよ。僕の名前を君にあげる」
御手洗の言葉を聞いた彼は安堵したような表情で、感謝すると告げた。
御手洗はゆっくりと体を起こして彼に尋ねる。
「君は隣に住んでる人……だよね?」
「ああ」
「そうか…。こんなことで顔をあわせるなんて、なんだか不思議だな」
「そうだな。だがよかった。俺はお前をずっと探していたんだ」
探していた。頭の中でその言葉を反芻する。それはお互いに探していた存在に巡り会えたということで。
それはまるで物語のようで。御手洗は自分の頬が紅潮するが分かった。
それに、物語然としていることを除いても単純に嬉しかったのだ。
彼にとって都合の良い存在だからだとしても、誰かに求められるのが。

「……そういえば、助けてくれてありがとう。」
「いや、礼を言われることではない」
「ううん。僕、軽かったでしょ」
そう言ってやせ細った手首を見つめる。生活を疎かにしてきた結果、随分と貧相な身体になってしまったと御手洗は思う。しかし命を削った分だけ作品に灯る光が増えていくようでそんな自分の身体に愛しさも感じるのだった。
「軽すぎるくらいだ。信じられん」
御手洗のどこか恍惚とした口調や、まじまじと手首を見つめる姿に彼は怪訝そうに答える。現在の体型になるに相当な労力を要した彼にとって、御手洗の表情の意味は決して理解できそうにないような気がした。その返答を聞き苦笑する御手洗に彼は尋ねる。
「その様子だと食事もほとんど摂っていないようだな」
「う、うん。特に最近は作業に集中しすぎて食べてない……かも。さっきもご飯買いに行こうとして、その、倒れちゃったみたいで」
その言葉を聞いた彼は立ち上がり、電気をつけた。そして御手洗に断って冷蔵庫を開ける。本当になにもないよという言葉通り、冷蔵庫の中には調味料の1つすら入っておらず彼は溜息をついた。御手洗亮太は想像以上に生活に興味がない。常に食料を切らしたことのない自分の部屋のことを考えると、やはり御手洗のことは理解し難かった。
「……とりあえず何か食べたほうがいいな。簡単なものならば俺が作るが」
「え?!いいよ。自分で買いに行く」
「ダメだ。また倒れたらどうするんだ」
「でも、悪いし……」
「人の好意は素直に受け取っておいた方が良いぞ」
「ん……じゃあお願いしようかな。お粥とかなら食べられるかも」
空腹のためにきりきりと痛む胃を案じながら御手洗は答えた。
彼はそうかとだけ返事をし、各室内に申し訳程度に存在するキッチンの収納部を開けて不満そうな口調で問いかける。
「お前の部屋には鍋もないのか」
その様子をぼんやり見ている御手洗を尻目に、彼は一度コンロの火がつくことを確認し、少し待ってろとだけ言い残して部屋を出て行った。
随分なお人好しだな、と御手洗は思った。自分のことは放っておいてくれれば良い。そうしていてくれた方がずっと楽だ。そういう風に生きてきた。
優しくされるということは、未開の心に踏み込まれるということだ。足跡がつくということだ。御手洗は、それが怖かった。
心がかき乱されることも。いつか足跡だけ残して、当人が消え去ってしまうかもしれないことも。何よりも土足で踏み荒らされる可能性に恐怖していた。しかし今はその恐怖心と共にどこか安心感も覚えていることも確かだった。
少し強引ではあるが、彼が粗暴に心を荒らすようには見えなかったし、何よりも眼鏡の奥の鋭い瞳に、寂しさが宿っているような気がしたのだからだ。

御手洗がそんなことを考えていると、彼がペットボトルと小さな土鍋、箸や鍋つかみなどを抱えて戻ってきた。土鍋の中には冷凍した米や卵や顆粒だしが入っている。彼は土鍋と箸をキッチンに置き、ベッドへと歩み寄りペットボトルを差し出した。
「とりあえずこれでも飲んでいろ」
差し出されたのはスポーツドリンクだった。それを受け取った御手洗の手にはぬるい温度が伝わっていく。
「卵は食べられるか」
「・・・うん」
彼は黙って頷いた後キッチンへ立つ。
土鍋の中のものを出し、流しに置いてあった新品同然のスポンジで土鍋を洗い、水を注いで火にかける。持ってきた小さな器に卵を割り入れ、箸で溶いていく。
まるで自宅のようにキッチンを占領している彼を眺めながら、御手洗は彼にある疑問を投げかけた。
「でも大丈夫なの。その・・・僕と君は全然似てないように思うけど」
御手洗が不安げな視線を向ける。
すると彼は振り返り、口元を釣り上げて御手洗とは対照的に自信ありげな笑みを浮かべた。
「安心しろ。俺は対象の声や性格、雰囲気すら真似ることができる」
「でも体型は?どうするの?」
「何を言ってるんだ。そのままに決まってるだろ」
「ええ?なんで?それで大丈夫なの?」
御手洗は更に不安げな声をあげて追及するが、彼の表情は変わらず自信に満ちたままだ。
「体型に左右されるような才能だと思ってるのか?」
反論を辞さないその口調に御手洗はたじろぎ、そんなことないよと返す。彼が希望ヶ峰学園に入学したことがその証拠なのだろうと御手洗は自分自身を納得させた。彼はその答えを聞いて満足したのか、御手洗に背を向けた。
御手洗はその背中を見ながら深いため息をついた。初めて会った人間のためにキッチンを占領する男。言葉だけ見れば実に奇妙なシーンであるのだが、御手洗の頭にふと浮かんだのは「穏やか」という言葉だった。
御手洗が1人で過ごした時間は、製作による切迫感と緊張で埋め尽くされていた。しかし今はそのどちらでもない、御手洗が感じたことのない、ゆるやかな時間が流れている。
不思議なことになってしまったと考えながら受け取ったスポーツドリンクを飲むと、生ぬるい温度が御手洗の胃を満たしていった。
沈黙した2人の間にあるのは、音と香りだけだった。お湯が沸騰する音、だしの香り、シンクに水が滴る音…。
御手洗の頭の片隅で、遠い昔の記憶が蘇る。キッチンに立つ母の背中を見ながら、夕飯が出来るのを待っていた時代。まだ「普通に」アニメが好きなだけだった時代。
「お母さん……」
そうつぶやいてみるが、キッチンにいるのは母と似ても似つかない彼。御手洗は寂しいような面白いような気持ちで、彼を見つめていた。
それからしばらくは無言の時間が続いたが、突然彼が振り返った。
「おい」
「何?」
「机を片付けてもいいか」
「え」
「そこで食べるわけにはいかないだろう」
「ああ、自分で片付けるよ」
御手洗がベッドから降り、物が置けるようなスペースを作ると、鍋敷きが手渡された。御手洗はそれを机に敷き、椅子に座る。一人用の小さな土鍋が目の前に置かれ、彼が何か言っているのを聞き流しながら御手洗は何気なく土鍋に触れた。
「あっつ!!!」
御手洗が慌てて手を引っ込めると彼は再び怪訝そうな顔をしていた。
「何をしてる」
「な、何が?」
「鍋が熱いから気をつけろと言ったんだが」
「ああ、ええと、うん……」
「……話が耳に入らないほど体調が悪いのか?」
彼の気遣いに御手洗は、あまりにもぼんやりとしていた自分が恥ずかしくなる。
彼に安心しきっているから?
御手洗の中に浮かぶ疑問符を押し殺す意味も込め、そんなことないよと言い胸の前で手を合わせる。
「いただきます…」
卵によって薄く黄色がかった粥をレンゲで掬う。卵と出汁のふんわりとした香りが御手洗の鼻をくすぐり、思わず喉を鳴らした。火傷するなよ という言葉が聞こえ、御手洗は子供扱いするなと思いながらも、ふぅふぅと冷まし、口へ運ぶ。
何度か咀嚼して飲み込むと、御手洗は小さな声で言った。
「美味しい」
「そうか」
「……こんなに美味しいもの、久しぶりに食べた」
「腹が減ってるからそう感じるだけだ」
「……ありがとう」
彼は、礼はいいと言ってベッドに腰掛けた。
御手洗は一口、また一口と遠慮がちに食べていたがそのうちに食を進め始めた。
その様子を見て、彼は内心ほっとしていた。半ば強引に食事を用意したことを非難されるかと思っていたのだ。
御手洗の後ろ姿を見ながら安堵のため息をつく。彼は御手洗に拒絶されなかったことが嬉しかった。
たとえ拒絶されたとしても、どうにか居座って、御手洗を1人にするつもりはなかった。

孤独でいるということは、脆くなるということだ。脆くなればいつか壊れてしまう。
だが孤独であれば、壊れた時に、誰も手を差し伸べてはくれないのだ。

誰かの名を騙ることでしか生きられない彼の人生は常に孤独だった。彼の孤独は、寂しい で表せるものでなくもっと本質的なものだった。誰も自分のことを知らない。何十億人という人間がいるこの世界で、誰一人として存在証明をしてくれない。それはもはや恐怖を抱えて生きていると言ってもよかった。
例えどれだけ慕われても、人と関わろうと、それは彼が演じる人間が得た結果であり、「本当の彼」―はたしてそんなものがあるのかすら彼ははなはだ疑問だったが―には誰も触れてくれない。
だが彼はそれで十分だった。演じている間だけはこの世に存在できるだけで幸福だと信じ込んだ。
信じ込み、言い聞かせることで自分を保つことができた。

例えば、高く頑強見える壁があったとする。人はそれを崩せるはずがないと遠ざかる。しかし、近づいて触れてみると、それは簡単に崩れてしまう。彼が持つ脆さはそれに近かった。触れさせないように、懸命に取り繕う。
そうして人を遠ざけ、一線を引く。

そういう風に生きてきた彼は、他人の孤独にはひどく敏感だった。
だから御手洗に会った時、もっと言えば調べている時から、助けたいと思ってしまった。
お節介だ とは自覚していた。クリエイターが、あえて1人になることなんて珍しい話ではない。だが御手洗は、共同製作が基本のアニメにおいて、まるっきり1人で走っているように見えてしまったのだ。
そして同じ空間にいて、彼が感じていることは御手洗は1人にしてしまえば今にも壊れてしまいそうな危うさを孕んでいるということだった。そして、御手洗が壁を作ることすらせずに、その身一つで逃げることしかできないような脆さを持っている、とも。
もちろん彼はそれがただの勘で、間違っているかもしれないとも思ったが、完全には否定もできないままでいた。
だから彼は、御手洗を1人にはできない。1人でいることが、どれだけ恐ろしいことか知っているから。

そんな哲学じみたことを念頭に置きながら彼が考えていることは、御手洗の生活習慣がめちゃくちゃらしいということに関してだった。明らかに寝不足気味で、栄養失調気味で、かつそれを望む人間にまともな生活を送らせるのは至難の業だ。
(お節介だとは分かっているが、このままではまた倒れかねんな…)などと考えていると、御手洗が振り向いた。
「ごちそうさま。……美味しかった」
「それは、まあ、良かった」
御手洗は椅子ごと彼の方へ向き直って、そっと微笑んだ。
「本当にありがとう」
「礼はいいと言ってるだろう。飲むか?」
彼はベッドに置いてあったペットボトルを渡すと、立ち上がって土鍋をシンクへと運んだ。土鍋に水を入れながらふと思い浮かんだ疑問を御手洗にぶつける。
「お前、まさか俺が帰ったら作業をするつもりじゃないだろうな」
「えっえーと、うん……。続きを書かなきゃいけないし」
やはりと彼は心の中でつぶやいて盛大なため息をついた。
「お前は明らかに睡眠不足だ。今日は何もせずに寝ろ」
その言葉を聞いた御手洗の顔には不満そうな表情が浮かんでいる。
「でも」
「倒れたらどうするんだ」
御手洗の言葉を遮るように言うと、御手洗は目を泳がせながら小さな声で言った。
「……そうしたら君が助けてくれるでしょ」
御手洗の中には、緊張感も恐怖感もほとんどなくなっていた。利害関係の一致があるとはいえ、わざわざ食事を用意してくれた上に、自分の身を案じてくれた人間ならば信用することができるとさえ思っていた。そして頭の片隅で、まるで餌付けされた動物みたいだと思い、打ち払うように首を振る。
しかし彼はそんな御手洗を見ながら、やや語気を強めてきっぱりと言った。
「もしそんなことがあったら病院に連れて行くぞ」
「えっ」
「場合によっては点滴を打つことになるかもしれん」
「う……」
「いや、入院という可能性もある。それはお前が一番困るんじゃないか」
「わ、わかったよ
次々と畳みかける彼に御手洗はたじろぐ。そんな御手洗の様子に彼は、御手洗は押しに弱いことを覚えておこうと思うのだった。
数秒の間があり、御手洗は彼の目を見て言う。
「……本当にありがとう」
そして続けてこう言った。
「これから、よろしくね」
差し出された手を握り、彼は言う。
「こちらこそ」

そうして奇妙な交換生活は始まりを告げた。

運命の出会い なんて唐突に訪れるものだ。例えば古い寄宿舎の中で。例えば昨日まで姿も知らなかった隣人同士で。
予兆も予感もなく、何でもない日の真夜中に、そういうことは起きるのだ。
それが世界を変える鍵になりうるなんてことは誰も知らない。
そして、この後に待ち受ける、もう一つの運命の出会いなんて予想だにしないのだ。
2人も、江ノ島盾子という少女も。