きっとあなたは天国へ行く
リクエストでいただいた「薄っぺらな、嘘つき愛言葉」に向けて
・本編軸の話(3章終了後〜4章殺人前まで)
・ディープキスと軽い愛撫のような描写があります


王馬が入間から好意を抱かれていることに気が付いたのは、3度目の殺人が起きる少し前だった。入間の研究室やコンピュータールームに足しげく通っていた彼は必然的に彼女と過ごすことが多く、彼女の些細な変化にも感づいていた。入間の元に入り浸っていた理由は、首謀者乗っ取り計画を完遂させるための発明品を作らせる以外にはなかった。しかし、何度も会話を重ねていく内に彼女の気持ちは王馬に向いてゆき、気が付いた時にはすっかり王馬への恋心を抑えられなくなっていた。コロシアイという非日常の中で、不安定な気持ちを共有できる異性の存在は入間にとって大きかったらしい。
彼女の好意を無視することもできた王馬だったが、よりその思いが強固になるようにわざとらしく密着したり、優しい言葉をかけることを心掛けた。好きな人に尽くしたいという心理が、作業効率を上げることを狙ってのことだった。
平たく言えば入間の好意を利用したのだ。コロシアイを終わらせるという、たった一つの目的のために。
しかし恐怖心は好意を上回る。3度目の学級裁判や取り戻した記憶により、狂乱状態に陥った入間はプログラム世界内での殺人を企てた。しかし元々隠し事が苦手だった入間の計画など、王馬は簡単に見抜いてしまう。自分が狙われているということさえも。勿論死ぬわけにはいかない王馬は、返り討ちにするつもりだった。たとえ最終目的のためとはいえ、罪悪感は湧くばかりで。だから彼は嘘をついた。彼女に一晩でも幸福を与えてやるために。

**
時刻は既に十時を回った頃、頼んでいた発明品の経過を見るために王馬は入間の研究室を訪れていた。入間が明日には完成することを告げると、彼は再び共闘を提案してきたが即座に断った。自身の計画が成功してしまえば、モノクマと戦う必要もない。そして、目の前にいる男とも二度と会うこともない。回らない頭でそんなことを考えていると、王馬が入間に尋ねた。
「そういえば、何度も確認するようで悪いんだけど。プログラム世界の中は安全なんだね?」
「あ、あぁ。武器になりそうなものは全部消したし…。そっちも明日には完成するはずだからテメーらを天国にイかせてやるぜ!!そんなことより……これを使ってモノクマに勝てたら絶対助けに来いよな」
「分かってるよ。キミには随分負担をかけちゃったしね。必ず助けに来るよ」
その言葉は入間の胸にちりちりと焼けるような痛みを与えた。今まで、今でも、抱いている焼けるような恋心とはまた違う痛みが胸に走る。二つの痛みを抱えながら入間は口の中でつぶやいた。
「……まぁ、そこにテメーがいるかどうかはわかんねーけどな」
「ん?」
「い、いや。なんでもねーよ。つーか帰らなくていいのか?もう夜時間だろ?もしかしてオレ様とエロエロしてーのか?ケッ、これだから童貞の考えることは……」
入間が罵倒を吐き始めた瞬間、王馬は手の中で弄んでいたエレクトボムを起動させた。それまで聞こえていた機械の稼働音が止まり、研究室は静寂に包まれる。入間は隣に腰かけていた王馬を押し倒さんばかりの勢いで掴みかかった。
「テメー!!4個しかねーのに何やってんだ?!」
「いやー。ちゃんと使えるか確認しておきたくて」
「このオレ様が失敗作なんて作るわけねーだろ?!それに実験くらいしてるっつーの!くっそ、オレ様の苦労を無駄にしやがって」
王馬はソファから立ち上がり室内の機械を確認して、成功みたいだねと笑った。入間は当然の結果を述べる王馬に対して正直怒り心頭だったが、あまりの疲労にソファにそのままソファにダイブした。大きめのソファは身長が高い入間でも十分脚を伸ばせるスペースがあり、仰向けになって目をつむる。やけに明るい蛍光灯の光が薄い瞼を通して目の奥でチラチラと光った。ふと頬をつつくような感覚があり、目を向けると王馬が入間の顔を覗き込んでいた。その近さに入間は思わず目を細めた。
「寝ちゃうの?」
「ん……少し、寝たい。テメーももう帰れよ。でっかくなれねーぞ?あ、身長の話だけどな」
おぼつかない口調で話す入間を見ながら、王馬は彼女の太もものあたりに乗っかった。そして少し前かがみになって、その重さに顔を歪める入間の頬を撫でる。入間は目をぎゅっとつぶっていたが、暗闇の中では頬に触れる温度がはっきりと分かることを知り、慌てて目を開けた。目の前にいる王馬は無表情で何を考えているかは読み取れない。
「何だよ」
「入間ちゃんにオレの秘密を教えてあげようと思って」
「秘密だあ?どうせ無修正のAVを裏ルートから仕入れてるとかだろ?悪の総統なんて言ってもやることはちっちぇーよな!どーせテメーのナニも「キミは脳みそまで発情してるわけ?むしろ蒸発しちゃった?」
入間の言葉を遮るように軽口を叩く王馬だったが、すぐに真剣そのものといった表情に変わり入間に告げた。
「あのね、オレはキミのことが好きだよ」
ひゅっ、と息を飲む音がした。一瞬大きく見開かれた目はすぐに王馬を射抜くような鋭い目つきになり、疑いと少しの怒りをたたえた眼差しが王馬に向けられていた。入間はゆっくりと息を吐き出し、まるで自分に言い聞かせるように嘘だ、と言う。王馬は困ったように笑って嘘じゃないよと返した。
「オレ様は疲れてんだよ。からかうなら夢野にしといたらどうだ?ツルペタとツルショタでお似合いだぜ?ひゃっひゃっひゃ!!」
「本当に好きなんだよ。……それに、入間ちゃんもオレのこと好きでしょ?」
「は?う、自惚れんなよ。だ、だ、誰がテメーみてーな虚言癖を好きになるか!!」
「ふーん。嘘つくんだ?オレ、人の嘘は嫌いなんだよねー」
「ち、ちがう。嘘じゃねーよ。オレ様をからかうのもいい加減にしろ!!」
入間の動揺は口調だけではなく、表情からも、わずかに震える身体からも明白だった。揺れる瞳には戸惑いが浮かび、どうにか言葉を紡ごうとする唇からは吐息が漏れるばかり。王馬は可愛いねと微笑んで、唇を奪った。触れるような口づけをしただけだというのに、入間は肩をびくりと跳ね上げる。唇を離した王馬はその初心な反応に加虐心を煽られ、形の良い唇を舐める。入間は喉の奥でくぐもった声を出した。とろんとした瞳には戸惑いと情欲が同居しているようで、一切抵抗しようとしないという選択が王馬の行動を受け入れている証拠だった。王馬は柔らかい唇をついばむような優しい口づけを何度か繰り返すと、小さく開かれたそこに舌をねじ込んだ。歯並びを確かめるようにゆっくりと口内を探り、舌を絡ませる。恐らく初めての口づけであろう入間も必死にそれに応えた。静かな部屋は二人の息遣いと、貪り合うような口づけが生み出すリップ音が響いて、一気に淫らな空間へと変わった。
どれくらい経っただろうか、王馬が唇を離し、彼女を見下ろしながら微笑んだ。
「ね……わかってくれた?」
入間は小さく頷き、腕を持ち上げて瞳を隠した。頬は赤く染まり、その息遣いはまだ少し荒い。王馬はその姿を見ながら、こうすることでしか彼女に幸福を与えられない自分を呪った。そしてそれもすぐに奪ってしまう未来も。
「……いつから?」
「え?」
「いつから気づいてたんだよ?」
「秘密」
「じゃあ、いつから好きだったかくらい言え」
「うーん。ずっと?」
「嘘」
「ホント」
王馬は入間の制服の間に手を滑り込ませ彼女の肌に触れた。あ、という声だけが聞こえたが咎めるような言葉はなく、王馬はなめらかな肌の感触を指先で楽しむように撫で回す。入間はその身を小さくよじった。王馬のあたたかな指先が、手のひらが、自分の肌に触れている喜びと単純な気持ちよさで声が出てしまう。腹部を這い回る手が、もう少し上を触れようとした時、入間はようやくその手を拒否した。
「は、あ……。それ以上は、あっ、ダメ、だから」
「ダメ?」
「こ、恋人じゃないと、ダメ……」
王馬はそっか、と呟いて制服からするりと手を抜いた。入間は自分がそれより先の行為を欲していることに気づき恥ずかしさに襲われ、王馬の顔をまともに見ることができなかった。
「ごめんね。女の子が嫌がるようなことしちゃいけないよね」
入間が言葉を濁すと、王馬は甘やかすような口調で言う。
「ふふ。お腹なでなでされて気持ちよかったんだ?」
「う、うるさい!!」
王馬は優しく微笑むと、入間の体から離れた。感じていたぬくもりが遠ざかり寂しさを感じる入間に対して、王馬は余韻さえ感じていないような雰囲気を醸し出していた。ゆっくりと歩き、ソファの背もたれによりかかった王馬は深い溜息をつく。入間は起き上がり、その背を見つめるも振り返ろうとしない彼がどんな表情をしているのか想像できなかった。
「ねぇ、恋人にしてよ。オレはつまらなくない男だと思うよ?」
「はっ。こんな生活しててよくそんなこと言えるな」
「えー。オレのこと好きになっちゃったくせによく言うよねー」
「う……。で、でもテメーもだろ?!まぁオレ様は世界中の男どもから好かれてっから、慣れっこだけどな!」
「ふーん。キスは初めてだったのに?」
王馬に揶揄されるも否定できずに顔を赤くする入間だったが、静かに呟いた。
「恋人になったら、もう戻れなくなるから」
何かを決意するような重みを含んだその言葉について、自分を殺す決心がつかなくなるという意味なのだと王馬は知っていた。
「……どこに戻るんだろうね」
「え?」
「オレたち、もう戻れる場所なんてないんだよ」
「どうしたんだよ」
それは外の世界のことを指す言葉でも、自分たちの状況を指す言葉でもあった。一度坂道を転がり始めた石が、何かにぶつかるまで止まらないように、自分たちは踏みとどまることができなくなってしまっていることを王馬は理解していた。それゆえに自分自身が障害物になって全てを止めることを決意したのだった。
「ううん。そうだね、恋人になんてなったら、きっとオレは入間ちゃんを殺せなくなっちゃうしね」
「え、え?冗談でしょ?」
「にしし。嘘だよ。オレがキミを殺すわけないじゃん。……大好きな人を、殺せるわけないよ」
その言葉に入間は安堵のため息をついたが、相変わらず背を向けたままの王馬がどんな表情でそれを語っているのか分からなかった。大好きな人という言葉がやけに頭の中で反響して、入間は無意識のうちに尋ねていた。
「本当に、オレ様のことが好きなんだよな」
「本当だよ。好きだからキスしたり、それ以上のことがしたいと思ったんだし」
「……こっち向けよ」
王馬は入間の方に向き直る。彼は穏やかな笑みを浮かべていたが入間にはどこか悲しそうに見えた。
「もう一回キスして」
「うん」
それに応えて王馬は再び入間に口づけをする。しかし先ほどのような、何かを奪い合うようなキスではなく、唇を押し当てるだけの優しいものだった。
「大好きだよ、入間ちゃん。……もう行くね。オレもまだやることがあるからさ」
唇を離した王馬は再び穏やかな笑みを浮かべてそう言った。入間は無言で頷いて王馬が扉へと向かっていくのを見送る。じゃあねと言って王馬は出て行き、入間は一人になった。閉ざされた扉を見つめて入間は呟く。
「……嘘つき」
口づけの感触を思い出すように唇をそっと撫でて、入間は王馬のことを思った。彼が「好き」だなんて嘘をついた理由も、口づけをした理由も考えたくなかった。ただの気まぐれでも、からかいでも、同情でも、なんだってよかった。ただその事実だけを噛みしめていたかった。自分と彼だけの秘密が成立した瞬間をずっと覚えておこうと思った。
「……ごめん、王馬。好きな人に裏切られるのがきっと一番耐えられないから。許してね」
愛してるからこそ殺してしまいたかった。いつか訪れるかもしれない彼の裏切りを恐れて過ごすだけの精神力は入間にはもう残されていなかったのだ。目をつむると王馬の穏やかな笑みがよみがえってきて、入間の心は再び焼けるような痛みを覚えた。

**
研究室から出て、中庭で星を見上げる。星たちは明日も明後日も、誰かが死んでも、煌々と光を放ち続けるんだろうと思うとなんだか無性に虚しくなった。入間ちゃん。キミは明日、オレを殺そうとするだろう。残念だけどそれは失敗に終わるし、キミはオレに間接的に殺される。オレはここで死ぬわけにはいかないから。
きっとキミはオレの嘘を見抜けないだろうね。それでいい。それでいいよ。どうか少しの間だけは騙されていてくれ。さっきのキスを思い出しながらオレは自分の唇を撫でる。柔らかくて、あたたかくて、きっと初めてだっただろうに必死に応えてくれた純粋な好意をオレは踏みにじってしまう。それでも、この嘘で、キミが幸福を感じられていたなら許される気がするんだ。お願いだから許してほしい。これからオレがする全てのことを。
けれど。全て嘘だったはずなのに、キミがオレを求めてくる姿を誰にも見られたくないと思ったのは確かだった。おそらくどこかに隠してあるはずの監視カメラを封じるために、貴重な発明品を使わせてもらったけれども後悔はしていない。オレだけが知っていればいいんだ。あの声も、揺れる瞳も、最初で最後のキスも。
「好き。大好き。愛してる。……嘘だけど」
そっと呟いた言葉が、夜に溶けて消えてしまえばいいと思った。