そして二人は歩き出した
王入ワンドロからお題だけお借りしました。
お題 「ゲーム」に向けて
入間が朝目覚めると王馬から不可思議なメールが届いていた
解読するために赤松と共に奔走することに……
※百春・最赤要素があります

ベッドの中で大きく伸びをし、入間美兎はゆっくりと起き上がる。時計の針は10時を指していた。絡み合った髪をぐしゃりとかきあげ、洗面台へ向かった。顔を洗い、髪をとかし、歯を磨き、慣れ親しんだ服に着替える。いつもと変わらぬ手順で身支度を終え、オレ様は今日も美人過ぎるぜなんてつぶやきながら朝食を準備する。お気に入りの厚切りトーストと、昨日作っておいたスープが食卓に並んだ。
その日もいつもと変わらない、けれどもゆったりとした休日が始まる。はずだった。
メールの着信音が鳴り、入間はトーストを口に運びながら確認する。差出人は恋人である王馬だった。王馬とはもう5年の付き合いになる。デートの誘いかもしれないと初心な少女の様に緊張しながらメールを開くと、そこには奇妙な文章が書かれていた。

「おはよー!天才美人発明家である入間美兎ちゃんにオレからささやかなプレゼントを用意しました。さぁ、このゲームをクリアして無事プレゼントを手にできるかな?ゲーム開始時間はメールを受け取った瞬間から。終了時間は17時。 待ってるから。

↑とういうぢうぎけみおはぬすわてきーはきぐ

追伸:郵便受けを見てね」
入間の頭の中は疑問符だらけだった。暗号、プレゼント、ゲーム、どれも王馬の好みそうなものだったが入間にこんなゲームを提示してきたことは一度もなく、最原と間違えているのではないかと入間は思った。しかしわざわざ天才美人発明家とまで打っている以上、間違いではないのだろう。とりあえず入間は郵便受けを見に行くことにした。
郵便受けの中には6と刻印された鍵が入っていた。どこかのロッカーの鍵のようだ。
「ケッ。脳ナシのツルショタがくだらねーことしやがって。なんでオレ様がこんなもんやらなきゃいけねーんだ」
入間は鍵を机の上に放り出し再びトーストを食べ始める。しかし王馬の行動に意味がないとは思えず、待ってるからという言葉が頭にこびりついて離れない。入間はしぶしぶ暗号の意味を考え始めた。
「まるで文章になってねーな。・・・この記号はなんだよクソが!!オレ様の黄金の脳細胞をこんなことに使わせるんじゃねぇ!こうしてる間に人類の進歩を遅らせることになるかもしれねーんだぞ?!」
暴言を吐きつつ、食事を進めつつ入間は考える。しばらく考え、王馬にスパムメール爆撃でも送ってやろうかとメールを打ち始めたところでハッとした。
「・・・ひらがな・・・上・・・1つ上?」
書かれている文字の1つ上のひらがなに当てはめると、答えが現れた。
「ていあいだいがくまえのにしろつかーのかぎ。帝愛大学前の西ロッカーの鍵か!!クソッ相変わらずめんどくせーこと考えやがるな、クソガキ。つーかオレ様に足を使わせるつもりか?舐めやがって。まぁ舐められるのは嫌いじゃねーけどな!!!」
入間は慌てて残りのトーストを口に押し込む。慌てて茶色いコートを羽織り、最低限の持ち物と鍵を持って入間は玄関を飛び出す。時刻は11時を過ぎたところだった。タイムリミットは17時。王馬のゲームは始まったばかりだ。

**

休日の帝愛大学前駅は閑散としていた。入間は暗号に書いてあった西ロッカーへと向かう。6番のロッカーには鍵が刺さっておらず、ここに間違いないと鍵を差し込んで回した。小さな扉を開けると紙袋が入っている。怪訝な顔をし、取りだした紙袋を覗き込むと大量の楽譜が入っていた。
「はぁ?!楽譜?!なんだよこれ・・・」
楽器経験のない入間は楽譜が全く読めなかった。全ての楽譜を確認したが先ほどのような暗号めいたものは書いておらず、そして奇妙なことに曲名が全て真っ白に塗りつぶされていた。入間は頭をフル回転させて考えるが、大量に並ぶ音符に頭がくらくらし、ついにはロッカーの前で大声を上げていた。
「このうんこ製造機が!!!この入間美兎様の手を煩わせてんじゃねーぞ!!!」
通りすがる人たちが入間を奇異の目で眺め、その視線に気づき入間は顔を真っ赤にしてうつむいた。そしてはた、と気づく。楽譜といえば赤松楓しかいないと。
その1時間後、赤松楓は帝愛大学前駅にいた。入間に呼び出され(勿論赤松の予定など一切確認しない一方的な呼び出しだった)慌てて家を出てきたのだった。急ぎ足で入間に指定された西口前のベンチへと向かった。赤松の姿を見るやいなや入間は大声で叫ぶ。
「おせーじゃねーか!オレ様を待たせやがって!」
「なにそれ?!うちからここまで1時間かかるんだからしょうがないじゃない!急いできたんだから怒られる筋合いないと思うんだけど!!」
「な、なんだよぅ。怒らないでよぉ。・・・ま、感謝してやらねーでもないけどな・・・」
「もう。それでどうしたの?」
入間は隣に座った赤松に先ほどの楽譜を見せる。赤松は曲名が隠された大量の楽譜を眺め、首を傾げた。
「これ何?あ!もしかし美兎ちゃんもピアノに興味持ってくれた?今から弾きに行く?!」
「はぁ?!なんでオレ様の奇跡的な指先をピアノなんかに使わなきゃいけねーんだ。そんなことも分からねーのか?ケッこれだから貧乏胸は」
「胸は関係ないでしょ!!ところでこれはなんなの?」
入間は赤松にこれまでの経緯を説明した。それを聞いた赤松は柔らかな微笑みを浮かべ、王馬くんらしいねと言い、その後に愛されてるねっと付け加えた。愛されてるという言葉の甘美さに入間は内心悶絶していた。愛されている、自分が思い人に愛されている、こんな幸福なことがあっていいのかと知らず知らずのうちに口角が上がり、頬は赤く染まっていた。
しかし愛されているとはいえこんな謎を提示されていいのだろうか、それは愛されているのだろうか、からかわれているのではないかという疑問が浮かび上がり、すぐさまげんなりとした表情を浮かべる。コロコロと表情を変える入間を見て赤松は優しく微笑んだ。
「一緒に考えるから、王馬くんのところに行こう!」
「あ、あぁ・・・。オレ様の黄金の脳細胞にかかれば一発なんだけどな!せっかくだからテメーに解かせてやるぜ!土下座して感謝を述べやがれ!」
「で、楽譜なんだけどね。正直分からないものもあるけど、これは大丈夫!パッヘルベルのカノンだね」
赤松に無視をされた入間はしょげ返り、泣きそうな表情をしている。赤松はそんな入間を再度無視し楽譜をめくり始めた。時折これは・・・と曲名を挙げそのついでに楽曲に関する豆知識を述べている。入間にはさっぱり分からず、赤松が目を輝かせて楽曲について語る度に舌打ちで返していた。
「パッヘルベルのカノン、アレルヤ支度をせよ、2声のカノン、今日親友クローゼがガウゼに・・・やっぱり。これはカノンだけを集めてあるよ」
「カノン?」
「うん。ルネサンス時代に特に頻繁に用いられた様式で・・・ってこんな説明よくわかんないよね。ほら、教会とかでよく流れる曲って言ったらいいのかな。パッヘルベルのカノンならきっと聴いたことがあると思う」
そう言って赤松は歌い出した。確かに入間にも聞き覚えがあり、それなら知ってると頷いて見せる。ふと以前出席した結婚式で使われていたことを思い出した。
「でも、それがなんなんだよ」
「これだけじゃよくわからないなぁ」
入間は赤松から楽譜を奪い取りじっくりと眺める。しばらくすると大きく目を見開き呟いた。
「印がついてる音符がある」
「見せて。・・・本当だ。」
2人で確認すると全ての楽譜の1段目の1小節目だけに鉛筆で丸く印がつけられていた。印はド、ミ、ファ、ラの4つにつけられていて2人はドミファラドミファラと呪文のように呟きながら頭を悩ませる。
「ド、ミ、ファ、ラ。それからカノン。わかんないよー。あー、考えすぎてお腹すいてきた」
「早く無い知恵振り絞ってオレ様に協力しやがれ」
イラついた口調でそう言った入間は楽譜を1枚1枚逆から眺めては舌打ちをしている。
「何してるの?」
「いや、見方を変えりゃなんかわかるんじゃねーかと思ったけど。ケッ、何もねーな」
「うーん。王馬くんが考えたんだし、そんな簡単にはわかんないよね。・・・あ、そっか。見方を変えるんだよ」
「どういうことだ?」
「ドミファラじゃなくて、CEFAなんだよ。英語だとドレミファソラシドはC D E F G A B Cになるの。でも意味通じないよね・・・」
「オレ様の黄金の脳細胞は答えを導き出しちまったぜ!入れ替えりゃいいんだよ!CAFÉに。つまり答えはカフェだ!!」
「そっか!!ええと、ちょっと待ってね」
携帯を取り出した赤松は何かを検索し、その結果を入間に突き付けた。そこには喫茶店カノンという文字が躍っている。この街に昔からある老舗の喫茶店らしく、元パティシエがオーナーという情報が綴られていた。
「とりあえず行ってみよう。そこに新しい謎があるかも」
楽し気に走り出した赤松を入間は追いかけていった。
喫茶店カノンは駅から徒歩10分ほどのところにあるこじんまりとした店だった。店の表面は草木で覆われており、どこか薄暗い雰囲気を漂わせている。草木で覆われた中にwelcomeと書かれた看板が垂れ下がっているが、どう考えても歓迎しているようには見えなかった。
「ここだよね?すみませーん」
しかしそんなことはお構いなしに赤松は扉を開け足を踏み入れる。店内を見た途端、赤松は感嘆の声を上げた。店内には古びた時計がそこらじゅうに掛けてあり、全てが違う時間を指していた。あたたかい印象を醸し出す橙色の照明がぼんやりと店内を照らし、幻想的な雰囲気を作っている。店内には客は1人もおらず、まるで異空間に迷い込んでしまったようだと赤松は興奮していた。後から入ってきた入間もその空間を眺め、すげぇ・・・と呟いている。
2人の声を聞き、店主らしき白いひげをたくわえた老人が奥のカウンターから顔を出した。
「入間さんと赤松さんですね。お待ちしておりました。お好きな席へどうぞ。今日は貸し切りですから」
2人は顔を見合わせ、手前のテーブル席にすわる。古びた木製のテーブルと椅子は幻想空間によく馴染んでいた。老人はメニューを持って2人の元へ来ると、お好きなものをお好きなだけと言った。入間が何故自分たちの名前を知っているのかと聞くと、老人はひげを撫でながらそれはお2人でお考え下さいと笑った。
「・・・きっと王馬くんだよ。貸し切りなんておかしいし、私が美兎ちゃんに呼ばれるのも見抜いてみたみたいだね」
「意味わからねーことしやがるぜ。ま、なんか食おうぜ。好きなものを好きなだけっつってたしよぉ」
2人はメニューを覗き込み、数あるものの中から赤松はアップルティーとチーズケーキを、入間はストロベリーティーとチョコレートケーキを選んだ。しばらくすると注文したものが運ばれてきたが、それ以外にも奇妙なものがテーブルに置かれた。ルービックキューブだった。しかし普通のそれよりも随分と色の薄い、まるで透明な色付きガラスでもはめ込んであるような美しい色合いのルービックキューブだった。
「綺麗。・・・これ、どこかで見たことある色合いだね」
「それが最後の謎です。その先に彼は待っています」
最期の謎という言葉に二人は息を飲む。
「一度立ち返れば、真実は透けて見える。それがヒントです」
真意の見えない笑顔を見せる老人に二人は顔を見合わせたが、とりあえず食い気を満たそうとケーキに手をつけた。ひと口食べた途端、2人は頬に手をあて幸福の絶頂と言わんばかりのとろけた笑みを浮かべていた。
「お、おいしい。濃厚なのにしつこくなくて、しかも下のクッキー部分のサクサクが「うわなんだこれマジでうめぇ・・・」
「本当人の話聞かないよね・・・」
「いや食ってみろよ!こいつはヤベーな・・・オレ様もイッちまうところだったぜ」
「わー!これもすごい美味しい!!」
「あぁぁああん!!!すっごい・・・こんなの初めて・・・」
「紅茶もいい香り・・・斬美ちゃんの紅茶とは違った美味しさがあるね」
東条の紅茶に勝るとも劣らない紅茶に、絶品とも言えるケーキ、2人は本来の目的を一瞬で忘れてしまった。
「でもさー、本当になんでこんなことさせるんだろうね」
「知らねーよ。オレ様の貴重な時間を使わせやがって。あとで絶対ナニをナニしてやるからな」
「いや、怖いよ。でも好きじゃなかったらわざわざ付き合わないでしょ?」
「うるせーな。・・・まあ、そうなんだけどさ」
照れながらも肯定する入間を赤松は微笑ましく思った。自分たちが出会った奇妙な恋愛観察バラエティから5年が経った。その間、赤松は友人として入間と王馬を見続けていた。恋愛慣れしていない入間の相談に乗り、王馬の嘘に騙されて泣いている時には慰め(勿論王馬のことはしこたま叱った)、狂気的な愛を注ぎそうになっている時には忠告をした。自分も入間に数えきれないくらい相談も愚痴も話してきた。5年前、2人が付き合い始めた時には入間は決して自分から好きという気持ちを肯定しようとしなかった。それが長い年月をかけて素直に、好意を肯定できるようになっていったことが赤松は嬉しかった。
「終一くんはこういうことしないからなぁ」
「あぁ、あいつはなんつーか・・・良くも悪くもカタい奴だからな。あそこはふにゃふにゃのくせによ!」
「雰囲気ぶち壊しだよ!!もう・・・。まぁ、そこが好きなんだけどね」
「お前ふにゃちんが好きなのか?そうか、まぁ、世の中には物好きもいるんだな」
「ち、違うよ!!カタいところが好きなの!性格がね?!性格がだよ?!」
慌てて弁解をする赤松に入間はオレ様はそういうのもいいと思うぜと言ってにやにやと笑いかける。赤松は入間の誤解を解こうといかに最原の真面目で実直なところが好きか説明し始めたが、段々とそれがのろけであることに気が付き、勢いは収束していった。
「・・・なんかさ、こうして好きな人のこと話してるの恥ずかしいね」
「・・・そうだな」
「で、でも本当に終一くんはいい人なんだよ。あのね、私の手が傷つかないようにって必ず荷物持ってくれるし。毎日手のマッサージしてくれるんだよ?」
「急に夜のプレイの話をしてんじゃねーよ!!」
「してないよ?!」
「はぁ・・・わかったわかった。テメーらはお似合いだよ。あ、結婚式には呼べよな。オレ様の天才的な発明で精々盛り上げてやるからよ」
「け、結婚式って。まだ早いよ!!ていうか美兎ちゃんも呼んでよね!」
「え、あ、う・・・結婚。うん・・・呼ぶ」
お互いに照れ笑いをし、まだ早いとは言いつつも理想の結婚式について話し始める。そうして話し始めた2人はすっかり夢中になり、同じくくだんの恋愛観察バラエティで付き合い始めた百田と春川の結婚式まで勝手に考え始める。最後の謎のことなどすっかり忘れてしまっていた。
「でも王馬くんって意外とロマンチストなんだね。なんかいつまでも子供って感じがして・・・王馬くん。なんか忘れてる気が」
「・・・あ!!」
2人が携帯を確認すると15時を過ぎていた。入間はルービックキューブを手に取る。
「やっべー。すっかり忘れてたぜ。はっ・・・まさかオレ様を罠にはめようと・・・」
まさかぁ!と笑った赤松だが、数秒後にあり得るかもね・・・と肩を落としていた。そんな赤松を尻目に入間はルービックキューブをいじり始め、あっという間に完成させてしまった。
「ケッ。完成させりゃ何か出るかと思ったが何もねーな」
「すごーい!早いね!」
「王馬がいつもやってるから、真似してたらオレ様もできるように・・・いや、オレ様は生まれた瞬間からできてたぜ!」
「分かりやすい嘘やめてよ!」
ルービックキューブを眺めても何かが書いてあるわけでもなく、2人はひたすらにアイディアを出し合う。しかし出し合えど出し合えど何も分からず、時間は刻々と過ぎてついに16時30分を過ぎていた。入間はため息をつき、もうやめようぜと呟いた。
「え?」
「諦めようぜ。あいつはオレたちで遊んでただけなんだよ」
「そ、そうかな。ここまでする?」
「そういうやつだろ」
「でも、入間さんここまで頑張ったんだから」
「・・・迎えに来いよ。何が待ってる、だよ」
「王馬くん、待ってるって言ったの?」
「あぁ」
「・・・じゃあ、その場所に意味があるんじゃない?そこじゃなきゃ、ダメなんじゃないの?それから探ってみようよ」
入間はかぶりを振って、知らねーよ痰カスがと吐き捨てて俯いた。俯く入間の肩にぽんと手が置かれる。入間が顔を上げるとそこには悲し気な顔の老人が立っていた。
「彼は待っていますよ。一度立ち返れば、真実は透けて見えます」
「一度、立ち返る」
その言葉に赤松は、カノンばかり集められた楽譜を思い出す。そして目の前にある特殊な色合いのルービックキューブ。透けて見えるもの。
「そっか。どこかで見たことあると思ったら、ステンドグラスだ。これ、ステンドグラスにそっくりなんだよ」
「はぁ?ステンドグラス?」
「うん。ここでステンドグラスがある場所って言ったら、教会しかない。南口からずっとまっすぐ行ったところにある小さな教会。私あそこでピアノを弾いたことあるから覚えてるんだ。それにね、カノンは教会で演奏されることが多いって言ったでしょ。だから、たぶん・・・」
「・・・そこにあいつがいるのかよ」
泣きそうな声で入間が尋ねる。赤松はきっとねと言って微笑んだ。
「ここからは、入間さん1人で行くんだよ」
入間は分かったと呟いて席を立った。扉を開き、しっかりとした足取りで出ていく。それを見ていた赤松は幸福そうな溜息をついた。
「あーあ。王馬くんったら相変わらずなんだから。ね、おじいさん?」
「そうですねぇ。あの人はいつまでたっても変わりませんから」
「あーもう。入間さんいいなー!私も早く・・・終一くんと・・・」
赤松は小さな声で言ったが、すぐに顔が真っ赤に染まり慌てて紅茶を飲み干す。そしておじいさん、もう一杯くださいと高らかに叫んだ。

**

南口を出たところにある時計は16時50分を指していた。入間は走った。普段走り慣れていないせいで簡単に息が上がり、足がもつれる。思えば今日は走らされっぱなしだった。王馬と付き合ってから翻弄されっぱなしの日々だったが今日ほど翻弄された日はない。一日中王馬のことばかり考え(一瞬だけケーキに心を奪われたけれども)、赤松相手に普段は決して語らないはずののろけまで語ってしまった。頭が、心が王馬でいっぱいになった。やっとのことで教会に辿りついた入間は息を整えて扉を開く。
「おい王馬!!テメー今日という今日はテメーのナニをぶっ潰してやる!」
そんな入間の暴言が教会に響き渡る。入間の足元がオレンジ色で染められる。ステンドグラスを通した日差しだろうかと、その光を辿るように上を見上げると入間は思わず息を飲んだ。先ほどのルービックキューブのような色合いの、いやそれよりももっとずっと美しいステンドグラスがそこにあった。5つに区分された窓には青を基調としてオレンジ、赤、と様々な色が上部に向かって薄くなっていくようなグラデーションのように並べられ、キラキラと光り輝いていた。日差しが差し込むことによってそれは紫や薄い桃色にも見えるようになっているようで、入間は目の前で乱反射する光が生み出す万華鏡を覗き込んでいるような気持ちになった。入間はふらふらとした足取りでそのステンドグラスへと向かっていく、しかしちょうど日の入りだったのか、ゆっくりとその輝きが消えていく。その光景を見て入間は思わず、口に出していた。
「・・・綺麗」
「おめでとう。美兎」
入間の背後から王馬の声が聞こえ、振り向くと真っ白なタキシードに身を包んだ王馬が立っていた。
「テメーなんだその格好は」
「赤松ちゃんに頼ったとはいえ、よく謎を解いたね。まぁ最原ちゃんに同じ問題だしたら2時間足らずで解いてくれたけどね〜」
「答えろよ。この入間美兎様を呼び出しておいて何の用だって言ってんだよこのチンカス!」
「あらら。美兎は察しが悪いなぁ」
王馬は落胆したような顔を見て、困ったように笑った。
「あのね、プレゼントはさっきのステンドグラス。綺麗だったでしょ?日の入りが17時だから、それまでに来てほしかったんだ。でないと暗くなっちゃうからね。でも運がいいね。ちょうどここに日が差し込む時間に来るなんて」
「テメーはそれを想定してたんだろ?」
「バレちゃった?いくら赤松ちゃんを頼っても、キミのおそまつな脳みそならきっとなかなか解けないだろうと思ってさ。それに、あの喫茶店は時間泥棒だしねぇ・・・」
入間は確かに、綺麗だったけどよと言って王馬を睨み付ける。そしてずかずかと王馬に近づき、襟をつかみ上げた。
「で、それを見せる為だけにオレ様を呼び出したってのか?わざわざ走ってきてやったんだぞ?!土下座だ、土下座しろ!」
王馬は簡単にその手を払いのけて両手を広げて首を傾げた。
「オレがわざわざここを指定して、こんな格好してる意味がわからない?」
「はっはーんさては仮装大賞にでも出るつもりだな?!テメーは仮性包茎だけどな!!」
「はぁ・・・ムードないなぁ。ま、いっか。実はもう1つプレゼントがあるんだよ。あのね、」
「ま、待って」
入間は瞳を潤ませ、頬を赤く染めて王馬から目をそらした。王馬はその顔を覗き込むようにどうしたのと尋ねる。入間は心の準備が、と返した。王馬は、入間がきちんと王馬の意図を察していたことに気が付く。そしてにやにやと笑みを浮かべた。
「ね。今日、美兎はオレのことで心も頭もいっぱいだったでしょ?」
「なんだよぅ。だったら悪いかよぉ」
「オレもね、美兎のことで頭いっぱいだったよ。・・・嘘だけどね」
「それは嘘じゃねーだろ?!テメーみたいな腐れチンポは常にオレ様のヴィーナスボディーで頭いっぱいだろうが!!」
ああ、もし相手が最原や赤松だったら正しく期待通りの答えを返してくれただろうにと眉間に皺を寄せて考える。しかし王馬は選んだのだ、正しく期待通りになんて返してくれない彼女を。
「台無し。あーあ、段取り考えて損した。もうオレ帰る」
「えっ・・・えっ・・・」
王馬は意地悪そうな笑みを浮かべ、今にも涙がこぼれんばかりの入間の肩を引き寄せ、自分は少しだけ背伸びをして入間に口づけをした。その柔らかな感触に入間は一瞬目を見開いたが、すぐに瞼を閉じた。こぼれ落ちた涙が入間の頬を伝っていく。2人は幸福なひと時に身を任せた。長いキスを終え、唇を離した王馬が優しく微笑む。
「オレと結婚してください」
「・・・はい!」
「なに泣いてんの」
「だ、だってぇ。テメーが、帰るって・・・」
「嘘に決まってんじゃーん。何年一緒にいんの?ま、そんなところも好きだけどね。嘘だけどっ!」
王馬は内ポケットからハンカチを取り出し、入間に手渡した。入間は涙を拭きながら浮かんできたいくつもの疑問を王馬にぶつける。
「ていうかなんでテメーだけタキシード着てんだよ。指輪もねーし」
「ああ、指輪はまた今度渡す予定だったんだよねー。あ、ちゃんとレストランも予約してあるよ?安心してね?」
「は?じゃあ今日はなんだったんだよ」
「今日もプロポーズだけど・・・」
そう言って笑う王馬に入間は完全に混乱していた。プロポーズを2回やるなんて聞いたこともない。しかも自分だけタキシード姿で、恋人を走らせるなんて奇天烈極まりない。入間は王馬の考えることはいつまで経っても分からない、と深い深いため息をついた。
王馬は一番後ろの長椅子に置きっぱなしにしていたコートを羽織る。
「楽しいことは2回やったらいいんだよっ!ほら、もう帰るよ。ここのシスターに無理言って借りてるんだからね!」
「テメーマジでぶっ潰してやるからな!」
そう言いながら2人は教会を出ていく。日はすっかり沈んでいて、辺りは真っ暗だった。王馬が入間の手を取り指を絡める。
「・・・あのね、美兎。今日はオレたちのお付き合い記念日なんだよ」
「えっ・・・嘘、ごめん・・・その、最近忙しくて・・・忘れてて」
「嘘だよ。なんでもない日だよ。なんでもない日おめでとーってね!」
「嘘じゃねーか!」
「にしし。でもね、美兎が一生懸命オレを探してくれたのは嬉しかったよ。待っててよかったって思った」
手を握る力が強くなる。入間はそれに答えるように強く握り返した。
「うん。・・・幸せにするからね」
「・・・ありがとう。アタシ、小吉を好きになってよかった」
幸せそうに笑う入間に向かって王馬は言った。
「でもさー。楽しかったでしょ?オレのゲーム」
「ケッ。テメーの馬鹿なことに付き合ってやれるのはオレ様ぐらいだからな。精々感謝しやがれ」
そうして2人は歩き出す。2人で、新しい門出へと向かって。