さよならだけが人生だ 王入ワンドロからお題だけお借りしました。 「夜の世界」「背中合わせ」に向けて 大事なものを守りたい二人が別々の道を歩む話 ※悲恋ですが、円満な悲恋です ※話にほとんど関わりませんがオリキャラがでます |
別れようと言い出したのは入間だった。夕食のそうめんをテーブルに出して席についた瞬間。 例えば「ただいま」とか「おやすみ」とか、そういった言葉とほとんど大差のない温度で、彼女はそれを口にした。蒸し暑い八月の夜、同棲を始めてまもなく一年が経とうとしていた。 王馬はさほど驚きもせずにそれを了承して、薬指にはめていた銀色の指輪を外した。入間も倣うようにして外す。王馬は感慨深そうにその指輪を眺めていたものの、ほどなくして箸を取った。まるで何事もなかったかのようにいただきますと呟き、そうめんを啜る彼に入間は面白くなさそうな顔を見せる。 「なぁ。理由とか聞かねーのか」 「聞いたところでどうするの。結果が変わるわけでもないだろうし」 「……まぁ、そうだな」 「聞いてほしいの?」 その問いかけに入間は言葉を詰まらせる。王馬は箸を止め、口端を持ち上げた。 「当ててあげようか」 「はぁ?」 「疲れたんでしょ。オレとの生活に」 「……なんでそう思うんだよ」 入間は苛立たし気に舌打ちをして王馬を睨みつける。王馬は追究を楽しむかのように軽やかに言葉を続けた。 「だってー。一つ屋根の下に住んでるっていうのに全然会えないし。寂しがり屋のキミには酷な状況なんじゃないかなー」 入間は思うところがあり、目線を逸らす。実際、同じ家に住んでいるというのに王馬とはほとんど会えていなかった。数年前、紅鮭団という恋愛観察バラエティ番組で出会い、二人は交際を重ねてきた。高校も違い、互いに忙しかったこともあり月に二・三度デートができれば良い方だった。学生時代にあまり会えないこともあり、一緒にいる時間を増やそうと卒業してすぐに同棲を始めたのだ。しかし、共同生活を始めた途端にその生活スタイルの違いが浮き彫りになってきた。学校という足枷がなくなった王馬は頻繁に海外に行くようになり、入間も研究や発明に没頭するあまり研究室にこもりきりになることも少なくなかった。それでも、基本的には入間が王馬の帰りを待つというサイクルができてしまっていることは確かだ。入間がその攻撃的な口調とは裏腹に、繊細な精神を持っていることを王馬は理解していた。だからこそ、それが別れる最大の理由になると彼は思っているのだ。 「……キミにはさー。ずっと一緒にいて、寄り添ってくれる人が合ってるよ」 「テメーがそう思うんならそうなんだろ。テメーの中ではな」 「あ、あの漫画読んだの?いやー作中のセリフで煽ってくるなんてさすが入間ちゃんだなぁ」 「うるせぇ!!煽ってんのはテメーだろうが!!」 怒りに任せて入間が机を叩く。その衝撃で椀の中に黒い波紋が広がった。王馬はそれを見ながら静かに呟く。 「じゃあ他に何か理由があるの」 「……それは」 「ほら、ないんでしょ」 唇を噛み、黙り込んでしまった入間に王馬は微笑みかけた。 「ま、いいじゃん。オレは結構楽しかったよ」 「……オレ様も別に楽しくないわけじゃなかった」 「うんうん。円満破局だね」 円満破局。まるで矛盾しているような言葉を頭の中で入間は反芻する。しばらくの間難しい顔をしていたものの、王馬に促されてそうめんに手を付けた。 「最後の晩餐がそうめんかー」 「んだよ。文句があるなら自分で作れ」 「いやー、これから食べる度に思い出しちゃいそうだなーと思って」 「ケッ。そんな性質かよ。どうせオレ様のことなんてすぐに忘れるんだろ」 吐き捨てるような入間の言葉に王馬はわざとらしく悲しそうな顔をしてみせる。そういう風にころころと表情を変えるのももう見られなくなるのかと思うと、入間は別れの言葉を取り消してしまいたかった。それでも、決めたのだった。これから先ずっと後悔することになっても、”最優先事項”だけは守りたかった。 「ひどいなぁ。オレはそこまで冷たい人間じゃないよ」 「どうだか」 「そういう入間ちゃんこそ、オレのことすぐ忘れちゃうんじゃないの」 「……そうかもな」 そのはっきりとしない、ぼんやりとした声を聞きながら王馬が外した指輪に触れる。銀色に光る、シンプルなデザインのそれは付き合って一年の記念日に二人で買ったものだ。王馬は入間の目を見据えて、言った。 「ねぇ、お願いがあるんだけどさ」 ** もうすっかり慣れっこになってしまった記者会見を終えて、入間は車に乗り込んだ。あの別れから三年、入間は今や美人すぎる発明家として企業は勿論メディアからも引っ張りだこだ。目に焼き付いたフラッシュを掻き消すように瞬きを繰り返す。 「お疲れさまでした」 助手である男が運転席から声をかける。王馬と別れた直後、入間は以前から志願していた何名かを助手として雇った。男女含め五人ほどいたのだが、入間の破天荒な性格を受け入れることができたのはこの男だけだった。少年のような見た目といい、その鋭い喋り口といいどこか王馬に似ていた。 「あー、めんどくせー。おい。次からテメーが出ろよ」 「そんなことを言ってー。入間さん、名前を売りたいんでしょう?手っ取り早く知名度稼ぐならテレビが一番ですよ。いやー、顔がいいって得ですねぇ」 「顔だけみてーな言い方やめろ。オレ様は天才美人発明家としてテレビに出てんだよ」 後部座席から身を乗り出し、訂正する入間を無視して助手は車を発進させる。その勢いで投げ出されるようにして入間は背もたれに身を預けた。入間は王馬と別れた後に特許を取り始め、積極的にメディアにも顔を売るようになっていた。その結果として企業からの依頼は増え、海外からも声がかかるようになっていた。その性格上から好反応ばかりではなかったが、入間にとって一般人の反応などどうでもよいのだ。本当に自分のことを知ってほしい人間は、別にいるからだ。車が地下駐車場から出た時、あたりはすっかり暗くなっていた。 「そういえば、聞かれてましたね。指輪のこと」 「あー……そうだな」 入間は首から下げた銀色の指輪を摘まみ上げる。それは王馬と買ったペアリングの片割れだった。肌身離さずつけていれば流石に目に付くのだろう。記者からの質問は、それは恋人からの贈り物ですかという率直なものだった。質問は否定したものの、入間はこう答えた。 ――お守りみたいなもんかな 「お守りっていうか呪いだけどな」 そう呟いて苦笑する。王馬と別れた後も、捨てられなかった。捨てたくなんてなかった。捨てられるはずがなかった。何故なら入間は今でも彼を愛しているのだから。あの時、入間が別れを選択したのは王馬に愛想をつかしたからではなかった。むしろ彼を愛しているからこそ道を違うことを選んだのだ。 王馬がひた隠しにしていたものの危険な仕事をしていることに入間は勘付いていた。一緒の空間で生活していれば、嫌でも分かる。海外の言語で書かれた書類、考え事をしている時の真剣な表情、怪我をして帰ってくることもあった。一緒に過ごせる時間なんて、ほとんどなくても良かった。彼が自分を愛し、自分が彼を愛しているという気持ちさえあればなんとでもなると信じていた。実際、そうだったのだ。寂しくなんてなかったと言ったら嘘になるが、時たま一緒に食事をして、体を重ねて、あとは彼を待つだけでも十分だった。しかし、入間は気が付いてしまったのだ。自分の存在が王馬の自由を邪魔を奪っているということを。王馬は恋人である入間に火の粉がかからないように立ち回っていたと徐々に確信していった。 海外に行ったとき、携帯を使わずに電話ボックスからかけてきたのは何故だ?外に出た時に異様に周りを気にしていたのは?何かあったら逃げるんだよなんて冗談を言ってきた理由は? 全てが入間を守るためだと気が付いたとき、もう入間の思考は止められなかった。 “最優先事項”は王馬の足枷とならないこと。自分の気持ちに嘘をついてでも、入間はそれを死守したかった。あの日、王馬があっさりと了承したのは入間の本当の気持ちに気が付いていたからか、あの生活に終止符を打ちたかったからなのかは未だに分からない。しかし、分からないままでいい。分かったところで結果は変わらないのだから。 「あれー。なにかあったんですかね。警察がいますよ」 「あ?どうせ事故かなんかだろ。わりーけど迂回して……」 ため息をつき窓を開けて様子を伺おうとした瞬間だった。会見の疲れなど吹き飛ばすような、通行人の声が飛び込んできたのだ。 「おい、今逃げてんのDICEの連中なんだってよ!!」 入間はハッと目を見開き窓を全開にして身を乗り出すようにして外を見る。交差点を突っ切るようにして真っ白なスーパーカーが通り抜け、何台ものパトカーがサイレンを鳴らしながらそれを追いかけている。 ――DICE 神出鬼没、正体不明、多数の国から最重要指名手配犯として挙げられているもののその実態は「笑える犯罪」を行う究極のエンターテイナー集団。しかし入間は知っている。そのトップにいる人間が誰なのかを。毎回警察に宣戦布告じみた予告状を送り付け、その警備の目をかいくぐるようにして奇抜な犯罪を披露する。警察を騙し、出し抜き、そして追いかけっこを散々楽しんでから煙のように消えてしまう。どんな手をつくしてもその正体に辿り着けない秘密結社。そんな人間たちの上に立つことができる者はたった一人しかいない。 「……迂回しますか」 「いや、いい」 少しだけ彼の余韻を感じたい。もう会うこともないけれど、ただ彼が幸福であればいい。彼が思い通りに人生を歩めればいい。あの日入間は決めたのだった。彼が、日の当たらない、夜の世界に住まうというのならば自分は明るい陽の元を歩こうと。二度と彼の邪魔にならないように、足枷になんてならないように、同じ道など歩まないように。通行人の喧騒と遠くに聞こえるサイレンで少しの間道はざわついていたが、それもすぐに散っていった。携帯で緊急特番の生放送を見ながら、自宅への道を辿る。 しかし、前方からけたたましいサイレンの音が聞こえてきて入間は振り返った。白いスーパーカーではなく、黄色い小型車が器用に車を避けながら走行しているのが見える。その後ろにはパトカーの群れだ。 「さっきのは囮ってことでしょうか」 「だろうな。……ってことは」 入間は窓から身を乗り出すようにして追われている車を見た。警察が追いかけるならば、組織のトップに違いない。つまり彼が――王馬小吉がそこにいるかもしれないのだ。 「危ないですよ!!」 「うるせぇ!!」 助手の制止も聞かずに入間は必死で王馬の姿を捉えようとする。もう会わないと誓ったのに、その姿をもう一度見たいと望んでしまうのは愚かな行為だと知っているのに。車は猛スピードで入間達の車に近づいてくる。あと数十メートル、十メートル、五メートル……すれ違う瞬間、わずかに減速したその車の後部座席。開いた窓から王馬の姿が見えた。しかし、彼は入間の方を見なかった。ただ前を見据えて座っていた。ほんの一瞬の出来事。車は再びスピードを上げて、瞬く間に走り去っていく。追いかけるパトカーの赤が眩しい。サイレンが頭の中に響き渡る。王馬は決して目を合わせようとしなかった。減速をしたのだから入間に気づかなかったわけではない。しかし入間は理解していた。それが彼の選択だということを。 入間がかつてそうしたように、彼もまた二度と入間と道を交えないことを決めたのだ。言葉を交わすことも、目を合わせることも、きっともうない。自分たちは別の世界で生きていくのだと入間は改めて実感させられていた。 それでも、それでも。 「忘れない。忘れるもんか」 入間は首から下げた指輪を握り締める。もう、同じ道を歩くことはないけれど。かつてその手を握っていたことを、その体を抱きしめたことを、その人の生き方を愛したことを、何かも覚えていようと入間は再び誓った。 ** 「ねぇ、お願いがあるんだけどさ」 「なんだよ」 王馬がおずおずと手を伸ばす。 「キミの指輪をくれないかな」 「はぁ?!」 「ダメ?」 冗談などではない、真剣な目つきに入間は彼の手に指輪を乗せる。王馬はそれをぎゅっと握ってありがとうと微笑んだ。 「なんでだよ」 「……忘れないように」 「……そうかよ」 入間は髪をぐしゃぐしゃとかき乱し、王馬と同様に手を差し出した。 「じゃあ、テメーのをオレ様にくれよ。人にやったままってなんか、ムカつくだろうが」 「……いいよ」 銀色の指輪が入間の掌に乗せられる。 「にしし。指輪交換なんて、まるで結婚式みたいだね」 「ケッ。テメーと結婚なんて死んでも嫌だけどな」 いつの日にかと夢見た指輪交換が、こんな形で行われるなどと入間は思っていなかった。入間は自分のものよりも少し大きいサイズのそれを見て、もう二度と彼のあの手を握れないことを知る。 「入間ちゃん」 「何」 「忘れないから」 王馬はそう言って笑う。屈託のない笑みであるはずなのに、呪いのように思えて仕方なかった。きっと自分はこれから先、その言葉を何度も思い出して、何度もそれに支えられえて生きるのだろうと思うと入間は情けなくてたまらない。それでも、絶対だよ、約束だよなんてすがるような真似などできないのだ。 「勝手にしろ」 「明日にはここ、出ていくからさ」 「うん」 「キミとの生活は、つまらなくなかったよ」 「当たり前だろ。オレ様と一緒にいて退屈するわけねーだろ」 「キミは?どうだった?」 「オレ様も、つまらなくはなかったな」 「そっか。……あのさ」 王馬は言った。 「オレのこと、忘れないでくれたら嬉しいな」 入間は、仕方ねーなと笑った。 |