どうかよろしくお願いします
ツイッターの王入版深夜の60分一本勝負
お題「結婚」「おねだり」に向けて

入間ちゃんは分かりやすい。例えば、怒っている時は眉間に皺を寄せてオレのことを徹底的に無視しようとするし(いつも徒労に終わるけれど)、上機嫌な時は声のトーンが少しだけ高くなって普段の倍以上に下品な言葉を口走る。悲しい時には泣くのを我慢しようと唇を真一文字に結んで言葉少なになる。
抱きつきたい、キスがしたい、セックスがしたい、そんな恥ずかしい欲求だって言葉には出さなくても態度で全て伝わってしまう。だから、どんなことだって分かると思っていた。今日までは。

オレは隣に座る入間ちゃんを横目で見る。テレビを凝視しているように見えるけれど集中していないのが丸分かりだった。時折何か言いたげに口を開きかけ、諦めるような顔つきでため息をつく。ふっくらとした頬はわずかに赤みを帯びていて、物憂げな視線を投げかけている大きな眼は何度も瞬きをする。その度に長い睫毛が震えて、瞳がチラチラと輝いて、毎日のように見ているはずなのに本当に綺麗な人だと実感させられる。何度も、何度も、まるで初めて美しいものを目にした時のような新鮮な感覚がオレの胸に走る。まぁ、黙っていればの話なんだけど。
「……どうしたの?」
「え?!な、何だよ急に」
オレに声をかけられた入間ちゃんは大げさなくらいにびくついて、なんでもねーよと言ったきりまたテレビの方を向いてしまった。普段は可愛く思える分かりやすい嘘も、今日は少しだけ憎らしく思えてしまう。なんせ入間ちゃんはこの状態を約一週間続けているのだ。初めの内は肉体的な触れ合いを求めているのかと思って触れたり、キスをしたり、果てのない欲望をできるだけ叶えてあげようと努力してみた。喜んではくれたけれど、本当の欲求は別なところにあるらしかった。かまをかけてみても引っかからない。こんな風に率直に尋ねてみてもかわされてしまう。流石のオレもいらだち始めていた。
生理?なんて意地悪なことを言ってみたくなるけど、そういう生々しい冗談が嫌いなことは百も承知だからやめておく。オレはデリカシーがある男なので。
オレはチャンネルを取り、テレビを消した。どうせ見てもいない、BGMにもならないほどのつまらないクイズ番組なんだ。構わないだろう。入間ちゃんが何か言いたげな顔をしてチャンネルを奪い取ろうとするので、オレはその手を払いのけた。
「見てないでしょ?」
「……なんだよぉ。なんで怒ってんだよぉ」
「怒ってないよ。ただ、気になるだけ」
オレの物言いに、やっぱり思うところがあるらしく入間ちゃんはそっと目を伏せる。長い睫毛が影を作って、物憂げな雰囲気がさらに増した。そういう顔も嫌いではないけれど、今されると不安になってしまう。読めない。分からない。探れない。今までのパターンに当てはめようとしても、どれにも該当しない。オレは不安な気持ちが胸の内を埋めていくのを感じながら、入間ちゃんの体を自分の方に向かせた。
入間ちゃんは拒むことなくこっちを向いてくれるけれど、相変わらず目は伏せて俯きがちなままだ。
「何がしたいの?」
ただ、思うがままの疑問を投げかけただけなのに予想外に攻撃的な声を出してしまった。自分でも驚くほどに不安で、いらだっているらしい。別に恋人の全てを知りたいわけじゃない。隠したいことだってあるだろう。オレにだってある。でも、それを望むのなら隠し通すべきだ。こんな風に中途半端に気持ちを漏らして、まるで察してほしいかのような顔をしているくせに、聞いても教えてくれないのはずるい。
オレは入間ちゃんの細くて骨ばった手を握る。怯えるように一瞬手を引きそうになったものの、すぐにそれを否定するようにオレの手を握った。
エスパーだったらいいのにな。手を握るだけで、気持ちがわかる力が使えたらな。柄にもなくそんなことを思って、入間ちゃんの顔を覗き込む。頬は更に紅潮していた。
「……本当に怒ってないから」
「本当に?」
「うん。ただ、最近ずっとこうでしょ?何かあった?」
入間ちゃんは首を振って、あの、とか、その、とか呟いて言葉を探しているみたいだった。オレはその姿を見ながら、推測を立てる。
最近あった大きな出来事と言えば、最原ちゃんと赤松ちゃんから結婚式の招待状を渡されたことだ。二人一緒に呼び出されたから、そんなことだろうと思ったけれどオレも入間ちゃんも妙に驚いてしまった。まぁ、もう付き合って五年くらいになるからそんな時期ではあるのかもしれないけれど。
多分きっかけはそれだろう。近しい友人が結婚したら、意識させられるのは当然だ。結婚。結婚かぁ。したくない、って言ったら嘘になる。むしろしたい。未来のことは分からないけれど、こんなにも愛しいと思える人には出会えないだろう。結婚という確かな形で繋ぎとめて、名実ともにオレだけのものにしてしまいたい。
でも入間ちゃんは?二人の結婚の話を受けて、オレとの交際に疑問を感じたんじゃないか。それはそうだ。オレは嘘つきで、多分、いやきっと最原ちゃんよりずっと不誠実で、仕事だって世間に言えるようなものじゃない。オレとの未来に入間ちゃんは不安を抱いたに違いない。
オレは相変わらず俯いたままの入間ちゃんの手を放し、声が震えるのを必死に抑えて言った。
「分かった」
「え?」
「別れよう」
「はぁ?!」
顔を上げて目を丸くしている入間ちゃんから少し離れて座る。近すぎると、この決意が揺らいでしまう気がする。
「いや、何も言わなくていいから。分かってる。ごめん、ずっと気づかなくて」
「何の話だよ」
「別れたいんでしょ?それはそうだよね。オレなんかと付き合ってても不安になるだけだろうし、まぁいいんじゃない?キミはまだ若いし、それなりに綺麗だし、才能もあるし、もっといい男を捕まえられると思うよ」
「ちょ、ちょっと待てよ」
入間ちゃんがオレの服を掴もうとするのを止め、オレは笑った。
「でも、オレのこと忘れないでくれたら嬉しいな」
「だから!!何の話だっつーの!!」
眉間に皺を寄せ、ほとんど鬼の形相で入間ちゃんがオレに掴みかかってきた。そんな顔もするのか、人前でしないほうがいいよ。なんて思っているうちに、ソファに押し倒されてしまう。ふんわりとしたソファに体が沈んで、入間ちゃんの顔がぐっと近くなる。
不機嫌そうで、少しだけ泣きそうな顔。怒りと悲しみが同時に来てしまった時の顔。どうして?
「な、何でそんなこと言うんだよぉ。やっぱ怒ってんじゃねーか」
「え、だって。オレと別れたいんでしょ?」
「誰もそんなこと言ってねーだろ!!」
入間ちゃんがそのままオレの胸に顔を寄せるように抱き着いてくる。花のようなシャンプーの香りがして、柔らかい肉体が押し付けられて、こんな時なのにドキドキしてしまって、オレはダメな奴だ。
「い、入間ちゃん」
「別れたいわけねーだろ。むしろ逆だっつーの」
くぐもった声がする。逆?逆って何だ?頭をフル回転させて思考を巡らせるオレの耳に、奇跡みたいな一言が届いた。
「……結婚してーんだよ」
「……え?」
「聞こえなかったのかよ。結婚しろって言ってんだよ!!」
「き、聞こえた。聞こえたから!」
入間ちゃんはオレから離れて、涙ぐみながら睨みつけてくる。呆然とするオレを叩きながら入間ちゃんは続けた。
「結婚しろよ。オレ様とずっと一緒にいろ。さもなくば死ね」
「それ脅しじゃん」
「うるせー!!……それで、どうなんだよ」
オレは彼女の不機嫌そうで、羞恥心でいっぱいで、溢れんばかりの好意に満ちた顔を見た。そんなの、答えは決まってる。
「するよ。結婚する。ずっと一緒にいるよ。もしこれを破ったら、死んでやるさ」
こんな凶悪なプロポーズをする人はこの世に一人しかいないだろう。指輪もないし、オレの勘違いに巻き込まれた勢いでしてしまうし、とんだ茶番じゃないか。それでも、この凶悪で愛に溢れたおねだりにオレは応えたい。入間ちゃんは涙を拭って、よしとだけ言った。まるできちんと芸をこなせた犬に言うような口ぶりに、オレは苦笑する。
「何笑ってんだ。テメーがバカみてーなこと言うから、こんな……ああー!!オレ様の計画が台無しじゃねーか!!」
「そっかー、それでずっと悩んでたんだねぇ。オレはてっきり発情期だと思っちゃったよ」
「発情期はテメーだろうが!!そ、そうだよ。それを知らねーでテメーは……この能ナシインポ野郎!!」
「ええ〜。発情期なのにインポって矛盾してない?」
「うるせーな!!」
入間ちゃんは再びオレを叩く。強い口調だけど、別に怒ってなんかいないのだろう。だって耳まで赤くなったその顔は、今まで見たこともないくらいの幸せそうな顔だから。キミはそんな顔をするのか、そんな風に笑うのか。知ってるつもりだった、分かってるつもりだった、でも知らないことなんていくらでもあるね。
「……テメーにも分からねーことあるんだな」
「え?」
「だ、だって。いつも、分かってくれてたから。また、先読みされてるのかと思った」
「……うん。そうだね、今回は全然分かんなかった。きっとさ、分かんないことっていっぱいあるよ。勘違いしちゃうことも山ほどある」
入間ちゃんは頷く。
「だからさ。オレの知らないこと、もっと教えてね」
「ああ。生涯をかけてオレ様のことを教えてやるよ」
そう言って笑ったキミは、やっぱり初めて見るような新鮮な衝撃をオレに与えたんだ。

どんなことだって分かると思ってた。今日までは。でもそれは簡単に覆された。だから人生ってやめられないね。オレたちが他人同士である限り、生きている限り、それは無限に出現するのだろう。そのたびにオレは知恵を絞って考えるのだろうし、間違えたらキミがこうして本当のことを教えてくれるのだろう。それでいい。そうしていたい。ずっと、ずっと、そんなクイズを出し合うような関係でいよう。テレビ番組よりもずっと楽しい、人生の問いあいを続けよう。
どうか死ぬまで、よろしくお願いします。