22


目を覚ましたのは明け方を迎える頃だった。窓の向こう側、金色の太陽が緩やかに昇っていく。

昨夜は夜中に目を覚ましてからもう一度眠ったので時間的にはあまり眠っていないはずだったけれど、三日間も眠っていたせいかすっきりと目覚め、まったく眠気も襲ってこない。ぼんやり朝焼けを眺めていると、もそもそと視界の端で赤が動いた。

赤く長い髪を気だるそうにかき上げながら、ひどく眠たそうな目でゼロスが私を見つめている。アイスブルーの瞳の下には薄っすらと隈が出来ていて、寝不足のせいか、瞼はいつもより腫れぼったい。髪をかき上げている反対の手は、夜のまましっかりと握られていた。

「……おはよう、ゼロス」

声帯の開ききっていない掠れた声は、少し緊張していた。ゼロスが私の為に必死になってくれていたと知って、心は嬉しくてくすぐったい。それと同時に、こんなにも彼を疲労させてしまったことに、申し訳なさもある。それ以上の言葉が浮かばないでいる私の目を真っ直ぐに見つめながら、ゼロスは目尻をすっと細めて優しく笑った。

「お目覚めですか?お姫様」

飄々としたセリフに似合わない、寝起き特有の甘えた声。私が喋れるようになったことには、一切触れない。それでもその一言から私が目を覚ますことを待ち望んでくれていたことが伝わってきて、思わず視界が歪んだ。

ようやく、心が動き始める。
乱雑に仕舞われてぎゅうぎゅうに詰まりすぎた感情が、少しずつ整理されていって生まれた隙間。その隙間からゆっくりと染み渡っていく温もりが、様々な感情をようやく私の脳内に教えてくれた。

ゼロスに会いたかった。
ずっと触れたかった、話したかった。
パルマコスタが飲み込まれたとき、怖くて、暗くて、痛くて、本当にもう死ぬんだと思った。だからあのとき、最後にゼロスを想った。

もう二度と会えない、触れられない、話せない、そう思っていた愛しい人が、今ここにいる。ここでこうして、私に触れて、微笑んでくれる。たったそれだけのことなのに、こんなにも涙が溢れてくる。


あぁそうだ、これが、恋だ。


誰もがこうして人を好きになって、一番最初に恋をする。はじめは側にいられるだけで良かったのに、いつしか心が欲張り始めて、そうして忘れてしまうのだ。側にいられることの喜びを、触れられる温もりがあることの幸せを、ここにいる人の大切さを。

きっと、恋が愛に変わるんじゃない。恋の中で、愛が生まれていく。

なのに私たちはいつの間にか、欲に溺れて恋そのものを忘れてしまっていたんだろう。恋を知らない愛なんて、育んでいけるわけがない。それをずっと、私は忘れていたんだ。

恋を始めたあの頃は相手の気持ちを考えられていたのに、女遊びをくり返すゼロスに自分だけを見て欲しいと欲ばかりを膨らませて、ゼロスの気持ちなんて考えようともしなかった。ゼロスだって、きっと同じ。あのときにもう少しだけでもゼロスの気持ちを考えていられたら、彼が女遊びをくり返すことも、私が彼から離れることも、なかったかもしれないのに。

そんなことを思ったって、結局は今さらだ。
だけど今、こうしてゼロスが思い出させてくれた。

ゼロスが好き。誰よりも一番、ゼロスを愛してる。だから私は恋をしてた。大切にしてあげたかったし、大切にして欲しかった。今ならわかる、あの時のふたりになかったものが、ちゃんと今私たちの胸の中にはあるってことを。

「ゼロス…わたし…」

声が震えて、涙が溢れて、私は今、どんなにひどい顔をしているんだろう。きっといつになく可愛くない。言いたいことはたくさんあるのに、たくさんありすぎて何から話せばいいのか分からない。せっかく言葉に出来るようになったのに、気持ちが言葉に追いつかない。みじめでちっぽけな、世界にたったひとりの私。そんな私を、ゼロスは選んだ。私のために頑張ってくれた。

「わたし、ゼロスに…」

次のセリフが思い浮かばないで泣き続ける私の頬に、ゼロスの指先が触れる。溢れ続ける涙を拭ってくれていたけれど、結局追いつかなくなって、ゼロスは私の頬ごと手のひらで包んでくれた。

「ケイに会いたかった」

私の言いたかった言葉のひとつを、ゼロスはさらりと口にする。そしてぐっと顔を近づけると、私の瞼にキスをした。ゼロスがくれるキスの雨、私が落とす涙星。心臓が張り裂けそうなくらいに切なくて、なのにこんなにも満たされていく。思い出した恋の感覚を手放したくなくて、私は必死に両腕をゼロスに伸ばすと、その首筋に抱きついた。慌ててゼロスが私の体を支えてくれる。

「コラ!無茶すんな!危ないだろケイ!お前病み上がりだぞ!」
「だって、ゼロスに、触れてたい、んだもん」

泣きじゃくりながらそう言った私の耳元で、大層おかしそうにゼロスは吹きだした。そして有無を言わさずベッドの中に潜り込んで、すっぽりと私を抱きすくめる。

「かーわいいこと言っちゃって」
「ゼロ…」
「ちょっとは我慢してる俺さまの身にもなれよ〜」

おちゃらけたようにそう言うくせに、私の髪を撫でるゼロスの手はいつになく優しい。指先からちゃんと、愛しいっていう気持ちも大切にしたいという想いも伝わってくる。

声から、指先から、温もりから、いろんなところからこんなにも好きが溢れているのに、ふたりしてあの頃はそんなことにさえ気付けなかった。私ももっといろんな気持ちを伝えたくて、精一杯ゼロスの背中に腕を回す。

寂しかった、つらかった、不安だった。
あの頃抱えていた気持ちもまとめて、愛してるに乗せてみる。ゼロスを抱きしめる腕に力がこもったけれど、ゼロスは苦しいとは言わなかった。

「…ごめんな」

そうして少しの間の後、寂しさを滲ませた声をゼロスが小さく吐き出した。

「やっと喋れるようになったんだ、受け止めるから、落ち着いたらぶちまけてくれ」
「…」
「俺は今からケイに返していくしかない、これから認めてもらうしかないからな。だから、」

ゼロスの腕に、力がこもる。


「ここにいて、俺のことちゃんと見ててくれ」


切実で、真剣な言葉だった。
胸がきゅっとつまって、また泣きそうになった。

「ゼロス…」
「困るんだよ、やっと取り戻したのに、今さら離れられたら」

ひしひしと伝わる想いが、ゼロスと再会してからもずっと胸を巣食ったままだった不安を綺麗さっぱり消していく。あんなにも強く根付いていた醜い感情は、魔法にかけられたみたいに優しく溶けていった。

ああ、もう大丈夫だ、ゼロスも、私も。
根拠もないのにそう思った。

重ねてきた悲しみが消えるわけじゃないし、過去は書き換えられない。けれど、人はこんなにも、人に優しくなれる。何度も、何度でも。

ひび割れた心はまだ癒せていないし、残された傷跡だってこんなにもはっきりと自分で分かるけれど、それもすべて受け入れて、包み込んでくれる今のゼロスを、私が突っぱねられるはずがない。結局私は、自分でも信じられないくらいに、ゼロス・ワイルダーという人間に溺れている。彼を好きになったあの日から、ずっと。

「…ゼロス、あのね、どうしても言いたいことがあるの」
「別れの言葉以外なら聞いてやる」

そう言って私を抱きしめる腕に、ほんの少し力が込められた。いつも偉そうで、そのくせ寂しがりやの甘えん坊。だから貴方は、満たされない寂しさを私じゃない誰かの温もりで埋めていた。そんなことを、もう、させないように。

「私に全部、ちょうだい」
「…」
「寂しさも、悲しさも、弱音も、全部私に頂戴。私もちゃんと、ゼロスに預けるから」
「…ああ」
「ゼロス」
「…ん?」
「…ただいま」

そう呟けば、ゼロスは思いっきり腕に力を込めた。


「…おかえり、ケイ」


心の中の、足りなかった部分が埋まっていく。からっぽで真っ暗だった世界に、急に光が溢れるみたいに。ただいまとおかえり、どこにでもあるこんなありふれた言葉を、言葉にして伝え合える幸せを、今日から先もずっと、愛していけるように。

しいながやってきてゼロスが怒られるその瞬間まで、私たちはお互いの温もりをもう一度刻み込むように、強く強く抱きしめあっていた。

 

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