20


それは、最後の精霊、ルナとアスカが、しいなと契約を交わしたすぐ後に起こった。

立っていられないほどの巨大な地震が突然巻き起こって、地面を大きく震わせた。マナの守護塔の最上階にいた俺たちは、慌ててレアバードに乗ってそこから飛び立った。塔はあっという間に暴れまわる不気味な木の根に飲み込まれて崩れ落ち、みるみるうちに異質な塊をマナの守護塔があった場所に形成していく。

予想もしていなかった結果に、俺たち全員が言葉を失ったまま呆然としていたそのとき、尋常じゃなく質量を増した木の根が、真っ直ぐにある場所へ向かって行った。その木の根が襲い掛かる先には、パルマコスタの街がある。


俺はわずかに、呼吸の仕方を忘れた。


木の根は勢いを増すばかりで、一瞬のうちにパルマコスタの街を飲み込んだ。その瞬間、脳裏に浮かんだのは、たったひとりの女の笑顔。

長身で細身で、パーティーなんかではいつも一際目立っていた。黒い髪を揺らしながら、いつも儚げな、憂いを帯びた瞳で世界を見渡しては、寂しそうに、それでいて誰よりも綺麗な笑顔で俺を見て笑う彼女の姿を、やけに鮮明に思い出した。


―――ゼロス。


柔らかく俺の名前を呼ぶ、愛しい姿がまぶたの裏に蘇った途端、まるで走馬灯のように幼い頃から築いてきた俺たちの日々が溢れ出した。溢れ出したそれらは、まるで塵のように一瞬で消え去って、代わりに背筋を冷たい何かが這い上がる。唇が震えて、指先は感覚を失い、喉の奥がやけに乾く。それでも確かにはっきりと分かるのは、せっかくこの手の中にしまい込んだ大切なものが、再び失われるという恐怖。

「ケイ!!!」

気付けば枯れた声で叫んでいた。乾いた喉は上手く声を吐き出させてはくれなかったが、そんなことはどうでもいい。レアバードのアクセルを全開にして空を翔る。背中には危険を訴えて俺を引きとめようとする仲間の声が突き刺さったが、従っている余裕はなかった。塔をあっさりと飲み込み、街を一瞬で破壊しまう巨大な木の根が、もしも人を弾いたとしたら。その結末なんてバカでも想像できる。

その巨大な木の根は、遠目でも分かるほどに容易くパルマコスタの街を崩壊させていて、いまだにその勢いを弱めることはない。そんな中こうして近付くなんて、どう考えたって気が狂ってるんだろう。死にに行くも同然だ。

それでも俺は、行かなければいけなかった。ようやく確かに手にした温もりを、こんな結果で失ってみろ、受け止められるもんか。

パルマコスタへ向かいながら、俺は奥歯を噛んで後悔をくり返すことしか出来ない。あの時ケイをテセアラに連れ帰っていれば、パルマコスタへ残すということを選択しなければ、ケイはこんなことに巻き込まれることにはならなかったのに。

「ケイ…!」

焦りは、一度ケイを失ったあの夜とは比べ物にならないほどで、体の芯から恐怖がどんどん込み上げる。ここでケイを失うということは、もう二度と生きたケイには会えないということになる。そんなこと、今さら認められるはずもない。

ケイの生きる世界で生きる、その居心地の良さを知ってしまった今になって、ケイのいない世界で生きることなど考えられない。

だったらいっそ、代わりに俺が死んでやる。

だからどうか、生きていてほしい。俺たちが巻き起こしてしまったのであろう悲劇に、巻き込まれていないことを願うことしか出来ない。ケイが無事に逃げていてくれればそれでいい。ようやく迎えに行った先で目にする姿が、亡骸になったケイだったりしてみろ、俺はきっと俺を殺す。

奥歯を噛んで、バカみたいに無事を祈ることで精一杯な自分が腹立たしく思った。なぜこの腕は、この声は、いつも肝心なときに彼女を救うことは出来ないのだろう。

「死ぬなよ…」

囁いた声は、暴れ狂う木の根の轟音にかき消された。




俺がパルマコスタに着いたとき、暴れまわっていた木の根は、すっかり収まってしまっていて、ただ目の前に広がる惨状に愕然とする。

シルヴァラントでもっとも栄えた大きな海辺の街が、たった一瞬でその美しい街の姿を失っていた。建物は完全に崩壊し、火災が巻き起こって、逃げ遅れた人々の遺体があちこちに転がっている。崩れた建物の下敷きとなって潰れた、かつて人間だったものの姿を見たとき、めまいがした。

その人間だったものの姿にケイの姿が重なった。

人の死体なんてこの旅の途中で慣れるほどに見てきたはずなのに、ケイの姿が重なった瞬間、とてつもなく吐き気がした。ぐらぐらと揺れる頭、回る視界。俺は思わず膝をついて口元を押さえ込む。妙に冷え切った体は、異様なほどに震えていた。それでも、こんなところで崩れ落ちているわけにはいかない。


探さなければ、ケイを。
まだ生きているかもしれない、愛しい人を。


俺は頑なに動くのを拒む体に鞭打って、無理やり立ち上がった。この絶望的な状況の中でも、どうか生きていてほしい。ケイの遺体を見つけるまで、死んだことなど認められるはずがない。

「ケイ…」

最初に漏れた声はひどく情けなくて、俺は一度息を吸ってからもう一度声を張り上げた。

「ケイ!ケイどこだ!返事しろ!!」

火災の音と、無事に逃げ延びた人々が家族や恋人を探しまわる声、子どもの泣き喚く声。それらすべてがわずらわしかった。ケイがもし返事をして、それに気付けなかったらどうするんだと思ったからだ。


そして不意に冷静になる。
ああ、ケイは、今声を失っているんじゃないか。

そんな状態で返事を期待するなんて、まったくあほらしい。


俺はひたすらケイの名前を叫び続けながら、総督府があったであろう場所まで来た。そこにあの立派な総督府の姿は、見る影もない。建物は完全に崩れていて、瓦礫となったそれらが積み重なってそこに積まれているばかりだ。

「っ、ケイ!!」

俺は叫んで、瓦礫の山に手を伸ばす。もしかしたらここにいるかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなかった。退けても退けても減らない煩わしい瓦礫の山に苛立ちながらも、同じ作業をくり返す。ケイがいなくなることを今になって受け入れられるほど柔軟な心は、残念なことに持ち合わせてはいないのだ。

ひとしきり瓦礫の山を崩したとき、ふと人の手のようなものが見えて、俺は僅かに息を詰まらせる。慌ててそこに積み重なった瓦礫を慌てて退けると、現れたのは潰れた女の遺体で、危うく意識まで飛びそうになったが、違う、ケイじゃない。多分逃げ遅れたここのメイドだろう。ケイじゃ、ない。

その遺体を見ても、俺はケイじゃないことに安堵することも、心を痛めることも、気持ち悪いとも思えなかった。ただ、じゃあケイはどこにいるのだと、ただそれだけしか考えられなくなっていた。ふらりと俺の体が揺れて、倒れこむように地面に尻をつけた。


わからない。

ケイは、どこだ。

わからない、なにも、どこにいるのかも、どうすればいいのかも。


自分が混乱していることも分からなくて、俺はただ自分の手のひらを見つめた。ケイの温もりをつかめていない、自分の手のひらを見つめることしか出来なかった。

「ゼロス!」

俺を追ってきたのだろう、ロイドの声が聞こえた。いくつもの足音が近付いてきて、俺の近くで音が止んだ。

「ゼロス!ケイは…!」

しいなの声が聞こえた瞬間、俺の中で、小さく、小さく何かが弾けた。見つめていた手のひらで、ぐしゃりと前髪のあたりを強く掴む。

「……ケイ」

わからない、なにも。
声も聞こえない、姿も見えない、俺は今、何をすればいいのかわからない。

冷静さを失った今の俺が、一体誰かの目にどういう風に見えているのか、そんなことは知らない。それすらも、理解出来ない。頭が追いつかない。

「……ケイ」

もう一度、確かめるように名前を呼んだ。それでも、ケイはここにはいない。視界の端でロイドたちが必死にケイを探している姿はちらついているのに、俺は何をしているんだ。何がしたいんだ。


返事をしてくれ、声を聞かせてくれ、生きていることを伝えてくれ。

じゃないと、俺は、



『―――…ゼ、ロス……』



完全に混乱して、腐りきった思考の中で、はっきりと、それでいて小さな声が聞こえた。一気に脳内のややこしい思考は晴れて、俺はハッとして顔を上げる。

確かに聞こえた。
ひどく弱々しい、小さなケイの声が。

弾かれたように俺は立ち上がると、再び総督府の瓦礫の山に手を伸ばした。めちゃくちゃにそれらを払いのけると、瓦礫の山はガラガラと乱暴な音を立てて崩れていく。

「バカ!ゼロス!そんな乱暴に退けて、もし崩れたりなんかしたら…!」
「うるせえ!!」

しいなが俺を止めるのも聞かず、俺は目の前の瓦礫を夢中になって崩していく。

「生きてんだよ!!ケイは!!」

子どものように張り上げた声が、どれだけ惨めなものだって構うもんか。テセアラを、地位と名誉を、財産を、神子の権威を、妹を、すべて失っても構わないから、ケイには側にいてほしいと、そう俺は答えを出した。そしてケイも、そんな俺を選んでくれた。今さら築いてきたプライドを失ったって、ケイが戻ってくるのなら些細なもんだ。

「死んでなんかいねえんだよ…!!」

あぁ、くそ、泣きそうだ。
そんな俺を見て、もうしいなも何も言わなかった。あいつが今どんな顔をしているのかなんて、俺は知らない。そんなことに気を取られている暇はない。


しばらく必死になって瓦礫を退けていると、とうとう瓦礫と瓦礫が上手い具合に積み重なって出来た空洞が現れた。俺はその空洞の中を見つめて、息を呑んだ。

空洞に広がる闇の中に溶け込みそうな、漆黒の髪が見えた。

ようやく俺は慎重になって、瓦礫が崩れてこの空間が失われないように、少しずつ瓦礫を取り除いていく。徐々に明るみを増す空洞の中が、はっきりと見えるようになったとき、そこに横たわる女の姿が露になった。足元には瓦礫が重なっていて、女はピクリとも動かずにぐったりとしている。

それが誰だか、見間違うはずがない。


「ケイ!!!」


やっとの思いで見つけた恋人の名前を叫んでも、ケイは動かない。最悪の結末が僅かに脳裏に過ぎって、俺は僅かに震えた。それでも、動かずにはいられない。

俺の声に反応したしいなやロイドが俺に駆け寄ってきて、三人がかりで空洞が埋まってしまわないように重なり合う瓦礫を取り除く。なんとか人一人が入れる隙間が出来上がった瞬間、俺は迷うことなくそこに体をねじ込ませてケイに近付いた。

「ケイ!おい、ケイ!」

足に瓦礫が積み重なっている以上、下手にケイの体は動かせない。せめて生きていることを確かめたくて、ケイの細い手首を掴んだ瞬間、多分、俺は目を見開いた。

「……ケイ?」

脈のないケイの体はやけに冷たくて、血の気が引いた。それと同時に声を張り上げていた。

「先生……そうだ、しいな!先生呼べ!!」
「え…?」
「早くしろ!!ロイド、お前そのまま瓦礫退けとけ!!!」

切羽詰った俺の声に何かを察したのか、しいなも青い顔をしながらリフィル先生を呼びにいった。ロイドも必死になって瓦礫を退けようとするが、焦ったのだろう、僅かに俺の頭上の瓦礫が崩れてきて、俺は咄嗟にケイに覆いかぶさる。ガラガラと音を立てて崩れ落ちた瓦礫が俺に降りかかって、ロイドは切羽詰ったような声で俺の名前を叫んだ。

「俺の心配してる暇あったら、さっさとこれ退けろロイド!」
「でも…!」
「早くしろ!!」

ケイに覆いかぶさったままで叫べば、ロイドは言葉を飲み込んで、重なり合う忌々しい瓦礫に再び手を伸ばした。


「……目、開けろよケイ…」


覆いかぶさっているせいで、寝顔のような綺麗なケイの顔はすぐ目の前にあって、白い頬にそっと触れる。その顔は傷だらけで、血の気を失っていて、俺の声には答えない。


「…頼むよ…」


縋るように吐き出された声はあまりに小さくて、ロイドが躍起になってのけようとする瓦礫の擦れる音に、ただただかき消された。

 

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